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<6. life-memories>

 ――そして、彼女は居なくなった。

 自分以外誰も居ない部屋。家具もろくに置いていない、ただ作業用デスクと無駄に大きいデスクトップPCだけが壁際に置かれている、無意味に大きな部屋――無駄に広い空間。

 いるはずだった人間が居なくなった、そこに空いた空白に僕はただ立ち尽くすだけで、ただそれだけで……

 ――これでいい。

 僕は自分に言い聞かせた。

 ――元々、僕は一人だったんだ。

 ――だから、これでいい。

 自分一人で完結する、自分の意思で自分の行動が、生活がコントロールできる世界。これが僕にとっての理想で――少し、寄り道をしたけれど、でも結果としてこれでよかったんだ。

 あんな生活――僕のような人間がずっと続けられるはずがないのだから。

 だから、もういいんだ。当事者はもう充分だ。

 僕はただ、こうやって静かに他人の人生を見ていればいい。

 僕はただ、それだけで――……

 

 ***

 

『さあ――選べ』

 <創造主>の言葉に、僕は少しだけ悩み、だけどそれは、意味のない躊躇にも似た脳内の確認作業でしかなかった。

 重大な決断だったから少し躊躇っただけで――僕は、既に答えを決めていた。

 ――生きるのはもう充分だと思っていた。人間として生きるのはもういい。それが自分に向いていないことは痛いほどわかっていた。だから僕は、ただ世界に干渉せず、観測するだけの存在となって、ずっとあの部屋で過ごしていた。

 これは願ってもいないことなのだ。僕に偶然もたらされた、奇跡にも近いチャンスなのだ。

 だから――

「僕は、あなたたちの仲間に……っ」

 言いかけたその瞬間、頭痛とともに酷い耳鳴りと視界が歪むような眩暈がして言葉が途切れてしまう。

『どうした? 正直に答えてみよ』

 なぜか遠くから<創造主>の声が聞こえる。

 ……正直に? 僕は正直に答えたはずだ。創造主の仲間――人類の観測者――それは僕が確かに望んだことだ。人間としての人生はもういいと――プレイヤーではなく観測者でありたいと、それは確かに僕が望んだことだったはずだ。

 だからこそ僕は、あの部屋で――

「……っ」

 また頭痛だ。自分にとって当たり前のはずなのに、考えようとすると、何かに思考が停止してしまう。

 頭痛と眩暈から立ち直って再び<創造主>たちを見る。相変わらず何人分かの人影が立っているのが見えるだけで、その中身は依然として何もわからない。

 影しか見えない相手が立っているだけの、先の見えない広大な空間――それはただどこまでも広くて、無機質で……

 それが。僕には――ひどく寂しい光景に思えた。

(そうか――……)

 ふいに、僕は思い出した。

 僕は、この光景を知っている、これと同じ、寂しい光景を。

  

 ***

 

 「なぁ……」

 自分以外誰も居ない部屋に、僕は立ち尽くしていた。彼女が居なくなった今、その部屋はあまりにも広すぎて――僕一人には全く無意味な空白が広がっている。

 その部屋は、彼女のために用意したつもりだった。彼女と過ごすための部屋のつもりだった。

 だけど彼女は――居ない。

 ただ一人、僕一人だけがこの、家具も何もない無意味に広い空間の中に居る。

「……結局、何だったんだ? 何がしたかったんだ?」

 僕の問いに答える人間は誰も居ない。

「僕に失望したのか? 僕と過ごした時間は――無意味だったのか?」

 だっだら――この先僕は、どうすればいい?

 当たり前にあったはずのものが何の前触れもなく無くなった時――僕は全くの無力だった。

 怒りも悲しみもそこにはなく――ただただ空白だけがあった。彼女が居たはずの空白が。

 

 ――彼女は突然、居なくなった。

 

 あの日、彼女と海辺で話をしたあの日を最後に、忽然と姿を消した。

 本当に唐突に、何の前触れもなく。

 まるで最初から、この世界に存在しなかったかのように。

 彼女はどこを探しても居なかった。不可解なほどに痕跡がなく――本当にこの世界から消えてしまったかのようだった。

 そして、一年、二年と時間が経った。時の流れは残酷だった。彼女が居ない間にも、世界も自分もどんどん変わっていく。唯一、彼女との思い出だけが、思い出の中の彼女の存在だけが――変わらずにいる。

 そのことに――僕は耐えきれなかった。

 僕は、彼女と一緒に住むはずだった部屋を引き払った。いつか帰ってくるかも――なんて甘い考えは捨てることにした。叶いもしない期待を抱き続けることはただの苦行だった。

 僕は、彼女のことは忘れ、心のうちにしまい込むことにした。その時以来、僕は変わった。

  

 ――もう十分だ。


 僕は学んだ。

 何に期待しても、何を積み上げても、最後には結局――全てが壊される。

 そうだ。人はいつか死ぬ。

 最後にはすべてが無くなり、無に帰す。

 その圧倒的な事実の前に、人間は無力だ。

 終わりはいずれやってくる。その終わりを予め知ることは誰にもできないから。


 ――生きるにはもう、十分だ。

 

 だから僕は――ただ観測するだけになった。

 ただ他人の生き様を観測するだけの人間に。

 そうすることで、全てを冷静に見られるようになった。全てが他人事だから、自分が煩わされることはなくなった。

 ――感情に振り回されることが無くなった。


 だけど、あの時。

 あの部屋に立ち尽くした時の感情は――忘れていなかった。

 あの時、僕は――


 ――寂しい


 そう、思ったんだ。

 (寂しい、か……)

 馬鹿みたいに幼稚な感情だ。

 だけど、


 ああ。僕はまだ――やりたいことが沢山あるんだ。

 

 *** 


 彼女と出会ったのは学生時代だった。

 中学三年生の夏に、彼女は突然現れ、失恋の真っ只中だった僕に声をかけた。

 人間は、最も心が弱った瞬間が最も無防備だ。僕もそうだった。僕の心はいとも簡単に流されて――いつしか彼女と共に時間を過ごすようになった。

 彼女は僕と対照的に「不良」だった。一見個性の薄そうな見た目とは裏腹に、彼女は自由奔放で予測不能だった。

「――は何でそんなに真面目なの?」

「真面目であろうとしてるわけじゃない。ただ、他に思いつかないだけだよ」

「なるほど、本当に真面目なんだね」

 彼女は頷いた。

「どうしてそうなる?」

 僕の問いに彼女は得意げに答えた。

「真面目であろうとする人間ではなく、無意識のうちにただ真面目であろうとする人間こそ、真の真面目なのさ。そして私とは真逆だね」

 だから――羨ましかった。自分にはできない奇想天外な生き方に憧れた。一緒に居て振り回されるばかりで、自分では全くコントロールできない日々。

 だけど楽しかった。今にして思えば、それこそが、とても生きているという実感を得ることができたのだ。


 ***


 あの日。

 彼女と二人で海辺に行ったあの日。

 僕はそこで、彼女に告白しようと決めていた。

 しかしそれは叶わなかった。本当に唐突に、何の前触れもなく、彼女は消えた。失踪した。

 どこを探してもいなかった。この世界から消えたかのようだった。そして一年、二年と時間が経った。彼女が居ない間にも、世界も自分もどんどん変わっていく。僕には、それが耐えきれなかった。

 僕は彼女と一緒に住むはずだった部屋を引き払った。彼女のことは忘れ、心のうちにしまい込むことにした。そうすることで全てを無かったことにしようとした。そうしなければ到底耐えられなかった。


 あの日以来、僕は何かに本気になることはなくなった。

 常に何か一歩引いて、斜めに物事を見るようになった。

 あの日から、全てが変わってしまった。

 ――自分が変わったのだ。


 ***


「そうか……」

 僕はようやく思い出した。

 傍観者でいたいという願望。

 傍観者でいようという意思。

 そんなものは全て――幻想だ。

 それは逃避だった。彼女の居ない痛みに向き合いたくないがためのまやかしだった。

 思い返してみれば、心残りなんてたくさんある。

 それを全部、無かったことにしたのだ。

 だけど、本当はまだ……


「――生きたい」

 

 気づけば僕は、その言葉を口にしていた。

「僕はもう一度――人間として生きたい」

 今度は目眩は起こらなかった。自分の言葉には確信があった。

『よかろう』

 <創造主>は言った。

 ――ならばお前が、次のアダムだ

 <創造主>が僕に向けて徐に掌を向けた、その瞬間――僕の意識は電源を落としたように途切れた。

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