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<5. Finalization>

 彼女は砂浜に背中から倒れ込んで、目を閉じていた。

 僕はその傍らに座り、傾く夕陽を目で追いながら寄せては返す波の音をただ聞いている。

 その瞬間はとても静かな時間が流れていた。

「人生の終わりってさ……こういう時間が最高じゃない?」

 ふと、彼女が口を開いた。

「こういう……静かな時間が良いってことか?」

「違うなあ」

 彼女はいつもの調子で語る。

「いや、静かなのも良いと思うよ。最後は落ち着いていたいしね。でもそうじゃなくて……こうして目を閉じて波の音だけを聞いていると、自分は自然の一部なんだって感じがするんだよね」

「ああ……」

 確かに、人間は自然に癒しを感じる。それは動物としての本能だろうか。

 あるいは、最後にはどんな人間も自然に還る……そういうことだろうか。

 そうしてしばらく無言のまま一緒に居たが、ふと、彼女は身体を起こして声をかけた。

「ねえ、ジュース買ってきてよ」

「一緒に来ないのか?」

「もうちょっと海を見てたい」

「わかった」

 僕は、彼女の言葉を疑うことなく立ち上がる。海岸から自販機まではすぐそこだ。すぐに買って戻るつもりでいた。歩き出そうとした僕に、彼女は再び声をかける。

「ねえ」

「何だ?」

「ありがとね」

「ジュースはまだ買ってないぞ」

「前払いだよ、お礼の」

 彼女は笑った。

 

 僕がジュースを買って戻った時。彼女はどこにもいなかった。

 僕らが座っていたはずの海辺には、誰もおらず。彼女の痕跡はどこにもなく。

 まるで――彼女という最初から存在などしていなかったかのように。

 

 ――私を見つけてくれて、ありがとう


 それが、彼女の最後の言葉だった。

 

 ***


 一体何日が経過しただろうか。

 不思議なことに、この宇宙船の中に居る僕は、喉が渇くこともなければ腹が減ることもない――生理的欲求が一切なくなっていた。

 ――そうか。

 僕はある時、突然腑に落ちた。

 ――僕は、幽霊になったのか。

 きっと彼女はこんな感覚だったのかもしれない。今となってはわからないけれど。

 僕には時間の感覚が無くなりつつあった――というか、感覚としてはほとんど消え失せていた。

 時間感覚とは、肉体が、肉体の感覚があって初めて生じるものなのだと、失ってから気が付いた。

 疲れた、お腹が減った、眠くなった……そうした肉体の感覚一つ一つが時間の経過を実感させ、その繰り返しが、生体周期(バイオリズム)が時間間隔を作っていたのだと。

 

 一体何日、何週間、何か月が経過したのかすっかりわからなくなった頃。

 ぼんやりと宇宙を眺めていた僕は、ふと、今までずっと同じようであった光景に、今までと違う異物が混じっていることに気がついた。

 それは、正八面体――ピラミッドの底面同士を上下に繋げたような形の構造物だった。

 大きさはわからない。今はとても小さく見えても、それはとてつもなく距離が離れているからで、本当はすごく大きいのかもしれない。あるいは、意外と近くにあって、意外と小さなものなにかもしれない。

 ほとんど真っ暗な宇宙の中で、その正八面体の構造物がどうして見えたのかといえば、その構造物の淵が光っていたからだ。立体の淵をなぞるような、緑色の光の線。SF映画か何かに出てきそうな雰囲気だ。

 その構造物は、時間が経つにつれ徐々に大きくなっていく――こちから近づいているのだ。

 そして近づくにつれて、その構造物の異様さに気が付いた。

 これは人間が作ったものじゃない。僕は直感的にそう悟る。

 こんな宇宙の離れた場所に大きなものを作っているはずがない、そんな話は聞いたこともない、というのもそうなのだが。

 それ以上に、現実感がないほど『綺麗』で『単純』なのだ。

 表面があまりにも綺麗すぎ、そして大きすぎる。少なく見積もっても縦横百メートル以上の大きさの一面が、完全に一枚の板になっているかのように見える。

 人間が一度に作ることができる部品の大きさは、――宇宙に打ち上げる労力を無視したとしてさえも――工作機械の限界に制限される。巨大な船や航空機も、小さな金属の板を溶接なりリベットやボルトなりでつなぎ合わせたものにすぎない。

 しかし目の前のこれは違う。ゲームのオブジェクトがそのまま現実に現出してきたかのような現実感のなさ――そこに違和感を感じるのだ。

 さらに近づくと、その構造体の中央――ピラミッドの底辺同士が繋がっている淵の部分の真ん中――そこに『入口』が見えた。そこだけ穴が開いていて、中から光が漏れている。

 まるで――この宇宙船を招き入れるように。

 いや、招かれているのだ。なぜなら、この宇宙船は現に今、その入り口に向かって真っすぐ進んでいる。

 宇宙船はやがて入口に入り、ゆっくりと中へと進む。

 中は光のトンネルだった。より正確に描写するならそれは断面が三角形の横穴で、一定間隔で横穴を発光する緑の線が縁取っている。

 やがて宇宙船は止まり、ゆっくりとトンネルの床に着陸する。それと同時に、宇宙船の周囲のモニタが全て消え、外が見えなくなった。暗くなった宇宙船の空間の中で、一つだけ光を放っていたのは、中央の台座にあるディスプレイだった。

 そこにはただ一言、文字列が表示されている。


 ――terminal


 そうか、と僕は腑に落ちた。ここが僕の終着点(ターミナル)なのだ。

 この宇宙船は役割を終えた。僕が浦島太郎なら宇宙船は亀でしかなく、ここが竜宮城なら役割を終えた亀から降りて、中に進むしかない。

 果たして竜宮城のような素晴らしい空間が待っているのか――それはわからないけれども。

 宇宙船から降りた僕は、一度だけ、改めて自分が乗ってきた船を振り返る。見た目は楕円を回転させて作ったような綺麗な楕円球だ。だからこそこの宇宙船もまた現実離れしたもので――やはりこれも、人間が作ったものではないかもしれない、などと考える。

 もっとも、その答えを教えてくれる者はここには居ない。だから僕は、光のトンネルの先に進んだ。

 先に――すなわち奥に。自分の足で歩いていく。

 光のトンネルは静寂で満たされていて、自分の足音や息遣いだけが反響する。もちろん周囲に何者の気配もない。だとしたらここは一体何なんか、わからないことだらけだ。

 そのわからないことを確かめるためにも、僕はただ前に進む。

 光のトンネルは異様に長く、どこまで進んでいるのかその先も全く見えない。外側から見た正八面体の構造物の大きさ――それと比べても異様に長い。本来ならとっくに反対側に出ていてもおかしくないはずなのに。

 それでも僕はひたすら歩き続けた果てに――ついに僕は辿り着く。

 そこは、最初に外から見た正八面体の構造物におよそ納まるとは思えないほど広大な空間が広がっていた。その広大さは主に平面方向で、天井は数メートルしかないにもかかわらず、横幅と奥行きは無限と思えるほど広く、その先が見えない。

 そしてその空間の少し奥、中央にテーブルがポツンと置かれており、何人かの人影が見えた。

 その一人が、徐に口を開く。


『ようこそ、終着点(ターミナル)へ』

 

 その人影の声は不思議な反響を伴っていて、目の前の人影が喋っているはずなのに、遥か遠くから聞こえてくるような感覚だった。

「ターミナル……?」

 宇宙船のディスプレイにもそう書いてあった、と僕は思い出す。

『そうだ、人の子よ。人類最後の生き残りよ』

「最後の生き残り……じゃあ、人類はやっぱり――」

『滅びた。お前が見た通りにな』

 僕は宇宙船の中で見た光景を思い出す。本当かどうかはわからない、しかし作り物にしては生々しい光景の数々を。

『だからこそ、お前がここに来た価値があるのだ』

『然り。お前こそが我らが命題の解』

『われらの実験がようやく終わる』 

 人影は口々に言葉を発する。

「命題の解? ……実験?」

 不穏な言葉に僕は眉を顰める。

「何のことだ? 実験って――何だ?」

水陸両棲環境系(アクアテラリウム)を用いた、有機質試行演算実験だ』

「……?」 

『DNAコンピューティングは知っているかね?』

 別の声が問いかける。

「……概要だけは」

 僕は答える。その単語には聞き覚えがあった。昔、趣味で調べたことがあったのだ。

「DNAを使った計算……DNAそれ自体を演算装置とみなして何らかの計算を行う……詳しくは知らないけど」

『左様、概念の理解に相違ない』

 人影の一人が簡潔に肯定し、また別の人影が話始める。

『我々の実験はその応用――拡張された概念にあたる。DNAによる演算はDNA単体による演算で完結させるのではなく、DNAを起点とした普遍的生体創造過程(セントラルドグマ)生体制御過程(パスウェイ)、そしてDNAキャリアたる生命体そのものが環境に及ぼす作用、そしてまた環境から生命体、DNAが受け取るフェードバック作用まで全てを含めて、演算回路として扱う。DNAも、それを包含した生物も、それを取り巻く環境も、全てが演算装置であり、変数なのだ』

「その環境っていうのは、つまり……」

『それが地球(テラ)だ』

 説明は複雑な内容だったが、何となくわかる。自分の知っているDNAコンピューティングは、あくまでDNAという分子構造を使用した演算でしかない。

 だが人影が言うものは、演算に使用する範囲が単なるDNAという分子構造にとどまらず、DNAが含まれる生命体そのもの、そしてその生命体を取り巻く環境、その全てを広範囲に捉えて一つの演算装置として使用する――それはつまり……

「つまり……地球そのものが実験場……と?」

『いかにも』

「……はは」

 ふと、僕にこみあげてきたのは――おかしさだった。

 思い出す。

 モニタ越しにずっと見ていた世界の景色。丘の上から自分の目で見降ろした、街の景色。

 その全てが、心のどこかで作り物めいているように感じていたし、箱の中のミニチュアを眺めるような感覚だったのだ。

「そうか、そうだったのか……!!」

 僕は笑った。僕は、何を――思いつめていたのだろう。全部『実験』だったのに。

「全部実験だったってか……! じゃあ、人類の滅びは? あれもお前らの仕業か?」

『否。我々があのような干渉をするなどありえぬこと』

『我々は観測者にすぎぬ。ただ結果を見守るのみ』

『滅びは結果に過ぎぬ。あれは人類が自ら起こした特異現象……しかしごく自然な法則に基づいた現象である』

 影たちは口々に答える。

 そうか、と僕は思った。

 実験なら――仕方ない。所詮人は、結果をコントロールすることはできないのだ。そのような思想、そのような行いは全くの無駄だったのだ。

 どんな結末を迎えても、それが答えだし、その答えを出すことが目的だ。なるようにしかならないし、その全てが正解だとも言える。

 僕はあらゆることが『実験』という概念で肯定されたような気がして心が軽くなった。

 「待てよ……。でも、だとすれば……」

 僕はふと気づく。

「人類のこの活動が実験だというのなら、少なくともその環境については実験者によって用意されたものでなければありえない。実験者の意図があって初めて成り立つ。そうじゃないか?」

『然り。環境は我々が用意したものだ』

「具体的には?」

『地球という環境は、我らが偶然に見つけた、実験に適した星だ』

「じゃあお前たちの恣意的な部分は? 偶然ある環境、だけで実験が成り立つはずがない。遺伝子コンピュータなんだろ?」

 僕の問いに、人影の一人が首を傾げ、

『既に分かっているではないかな? 地球(テラ)の中で我々が恣意的に創造した遺伝子とは何か』

 やっぱり、まさか――……

 僕は頭に浮かんできた言葉をそのまま口にする。

「――人間」

『左様。人間(サピエンス)こそ、我らが生み出した種族、我らが用意した入力遺伝子』

「……つまり、あんたらは人間を生み出した創造主ってわけか」

『<創造主>、そうとも言えよう』

 人影――<創造主>は肯定した。

 ――主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった

 僕は旧約聖書の一節を思い出す。

 聖書では神は唯一の存在だった。だが同時に、聖書の中で神を表す言葉(エロヒム)は複数形だ。

 まるで――神話の時代の主人公になったかのようだ。

 「その最後の生き残りが僕、か……」

 壮大で膨大な実験の、その最後――

「――それであんたらは僕をどうしたい?」

 僕は改めて問う。

『我々はお前に、最後の解を求める』

 <創造主>は答えた。

『本来なら、お前もまた滅び以外に運命のなかった人間の一人。しかし、こうして偶然を積み重ねてここに来た。ゆえに、特別に機会を与えよう』

『お前には、三つの選択肢が与えられる』

「つまり、特別なボーナスか」

『そんなところだ』

 <創造主>は肯定し、言葉を続ける。

『一つ目は安らかな死』

『生に未練がなければ、ここで終えると良いだろう。もっとも、お前の知っている社会、お前の知っている知人、友人、家族、全ては無くなった。自分が最後の番である今、未練はそうあるまい』

『滅びの運命は他の人間と同じなれど、苦しみなく逝けるならそれは幸運であろう』

 (それは……)

 言われてみれば、全くその通り……かもしれない。確かに考えてみても、これ以上僕が生きる意味が、動機がない。

 人類が辿った最後を考えると、この選択も十分に贅沢だ。

 しかし――

「……」

(それでも僕は……死にたくないのか? この期に及んで?)

 それでも何処か抵抗感を感じるのは、生物として刻まれた、単なる本能によるものなのだろうか。それとも……

『二つ目は――新しき『アダム』となること』

 <創造主>は続ける。

『自らが新しき人類の祖となり、最初の人類を産み育てる役割を担うのだ』

「新しい人類の祖(アダム)に……?」

 一瞬、魅力的だと思った。自分が新しい人類の最初の一人となる。それはつまり、ある意味で人類の最上位に位置するということだ。しかし――

「その場合……生活とかはどうなるんだ? 今までの生活水準は保たれるのか? それとも――」

『人類の歴史をやり直すのだ』

 訊かずともわかっていたはずの問いの答えは、もちろん懸念した通りのものだった。

『当然、そこには文化、文明も含まれる。全て最初からだ。そうでなければ、やり直す意味などない』

『お前が享受していた文明の利便性は全て、それまでの歴史の中で積み上げられてきたものだ。それらが全て滅びた今、それを再び同じように享受できる道理などあるまい』

「ああ、そうだよな……」

 つまり、やり直せと言うことだ。原始時代の生活から。

 今更そんなこと――できるはずもないのに……

「最後の選択肢は?」

『三つ目は――我々の仲間となること』

 <創造主>の答えは、予想外のものだった。

『我々と同じ場所に立ち、我々と同じ視座を持ち、次の実験を共に遂行するのだ。一人の人間が創造主の仲間になることは、これもまた本来ならあり得ぬこと。得難い機会だ』

「そんなことが……可能なのか?」

『見ての通り、我々は――お前たちの言うところの――「一人」ではない』

『ゆえに、仲間を増やす。そのことにも意味がある。それは、我々にとっての多様性の獲得――すなわち進化だ』

「そうか……」

 彼らは唯一であっても一つの(エル)ではない。彼らは神々(エロヒム)なのだ。

「仲間になったら、僕は――何をするんだ?」

『我々と共に、次なる人類の観測者となるのみ』

「観測者か、そうか……」

 僕は、思い出す。

 あの暗い部屋の中で、ずっと考えていたことだ。

 もうたくさんだと、もう充分だと。怒りも悲しみも、期待も後悔も、希望も絶望も、全部、その場の錯覚が生み出した人間の幻想でしかなくて。そんなものに振り回されるのはもうたくさんだと思って。

 それはまさに、僕が望んでいたことではなかったのか――……

『さあ選べ、最後の人間よ』

『今ここで生を終えるか、新しい人類の祖となるか、それとも我々の仲間になるか――』

 

 ――さあ、選べ

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