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<4. Look up to the sky>

「ねえ、何を見てるの?」

「何って……空だよ」

 彼女の問いに、僕は気だるげに答える。

 二人で河川敷のコンクリに寝そべって空を見上げた夏の日の午後。その日はとても平和な一日だった。

「空の、何?」

「何って……」

 何を見ているかって? 空は空だ。地上に余計な障害物さえなければ、世界の半分は空でできている。半分は、空が覆っている。地上には様々に細々としたものが存在しているが、空だけはそれらと全く違う全てを包み込む大きなスケールで存在している。もちろん――自分視点の話だが。

 これを……どう説明したものか。

「空は、空だよ。空そのものだ」

「ふうん……」

 結局説明になっていなかった僕の言葉に、彼女は僕の言わんとしていることがわかっているのかいないのか、短く返事しただけでそれ以上訊き返さなかった。

「私はね、こうやって空を見上げていると、ちょっと怖く感じるんだ」

「怖い? 何が?」

「だって先が見えないでしょ?」

「うん……?」

「それがどれだけ遠くても、その先まで見えていたら安心するの。『果て』があれば、そこまでの範囲だってわかるから。雲も月も、星も太陽も、みんなそう。どれだけ遠くてもそれ自体が見えている」

「はぁ……」

 喋らない時は全然喋らない彼女だが、なぜかよくわからない部分で突然饒舌になる。何かをきっかけに、突然スイッチが入る。そういう時に語られるのは、彼女の独特な感性が作り出した哲学というか思想というか……そういった何やらよくわからないものが多かった。

「でも空は、空自体は、底の見えない沼や海と一緒で――果てが見えない。沼や海と違って、そもそも果てがない。だって、その向こうは宇宙だもの。本当は向こう側は真っ暗闇で、私たちの見ているこの空の青さは、幻に過ぎないもの」

「幻っていうか、レイリー散乱の産物だろ」

 ただ、向こう側が見えないというのは確かにそうだ。

「そんな風に考えたことはなかったな……僕にとっては空はただ広くて……」

 僕も彼女に触発され、何となく幼い頃の感覚を思い出す。コンコルドやスペースシャトルに憧れたあの頃の感覚を。

「広くて、何の障害もなくて、自由だと思った。自由で、どこまでも行けると」

「そうだね、自由だね」

 彼女は頷いた。

「でも、自由(それ)って残酷じゃないかって思うんだ」

「どうして?」

「だって、自由な世界なら、強くなきゃならないから」

 なんとなく、わかるかもしれない。きっと人は、不自由になることで、何かに守られているのだ。だからこそ、社会は自由な世界の中に不自由な箱庭を作っていく。それはきっと、人々が不自由(それ)を望んだからだ。

 だとしたら、もしそれらの不自由の箱庭が壊れたら? 人々がみんな自由になってしまったら……?

「みんなサメに食べられる」

「はぁ……?」

「悪いことをした奴から順番にサメに食べられるの。砂浜で人目をはばからずイチャつくカップルは一発ね。でーでん、でーでん、でんでんでんでんデッデッデッデッ!」

「はぁ…………」

「それでみんなサメが怖くなって、悪いことをしなくなりました。めでたしめでたし」

「めでたい……のか?」

「そう、だからサメは人間の敵ではなく、味方なのです。みんなサメに食べられるのが怖いから、人間が人間に殺されることに怯えなくて済むのです。いつの時代、どこの場所にも、この超強力強大なサメは人々に求められ、必要とされるのです。こうして不自由な優しい世界が出来上がるのです」

「ああ……」

 サメ(リヴァイアサン)……相変わらずトンチキな切り出し方だ。性悪説な彼女らしい例え話だった。 

「――私たちって、どこから来たんだろうね」

 ふと、彼女が呟いた。

「私たちって一体何者で、一体どこに行くんだろう?」

 どこかで聞いたことがある言葉だなと思った僕は、それが美術の授業で聞いたことのあるタイトルだと思い出した。

「……タヒチにでも行ってみるか?」

「遠すぎるでしょ。空の向こう側よりも遠いよ?」

「確かに」

 例えば地表から成層圏が終わるまでの距離は、せいぜい50Km。対してここからタヒチまでの距離は――だいたい9500km。

「……いや、やっぱりタヒチの方が近いかも」

「はあ?」

「翼があれば空は飛べる。海も越えられる。だけど――空の向こう側(宇宙)へは行けないから」

 彼女の言葉は、少し詩的な表現を用いただけの、単なる事実のはずだった。だけど僕は、妙にその言葉をずっと覚えていた。


 ***


 ――ごめんね

 その一言だけを残して、声は途切れた。彼女の声が。

 そして、それ以降、ヘッドフォンからは一切何の音も聞こえなくなった。

「何だよ……それ」

 もちろん、この銀色の空間に彼女の姿はない。人間一人が隠れられそうな場所も見当たらない。

 だというのに――彼女との思い出だけが、鮮明に思い出される。何年も経っているというのに。必死に忘れよとしていたのに。

「くそ……」

 無力感から思わず壁に掌をついた、その時、ふと視界の端にあるものが映った。


「カセットテープ……?」


 そう、カセットテープだ。

 銀色の筐体の中、ガラスの向こう側に確かにテープが収められているのが見える。近未来的な機械類の中に一つだけあるそれは、なぜか不思議と周囲に馴染んでいる。

 そういえば、これも彼女のこだわりだった。

 カセットテープ。

 別にデータでいいじゃないか。MP3プレイヤーでもストリーミングサービスでも、もっと便利なものを使えばいいじゃないか、という僕に彼女は反論したのだ。

 

 ――データじゃダメだよ。音楽を今再生しているという実感が大事なんだ。それにはテープでなきゃ

 ――実感がないと、生きてるって言えないよ。データだけでいいなら、こうやって息を吸って歩く必要さえなくなってしまうじゃないか

 

 よく見ると、それは僕の知っているカセットテープの構造そのものだった。再生、停止、早送り、巻き戻し、彼女のものを見て、時折使っていた。

 試しに再生を押してみると、テープはほんの少しだけ回り――カチッといってすぐに止まってしまう。

 今は……このテープは終わりまで再生されているのだ。

 つまり――

 僕は巻き戻しのボタンを押した。キュルキュルと音を立てて回るテープ。久しく味わっていなかった、この感覚。

 それはおそらく数分のことだったが、僕にはテープが回りきるまでただ待つだけの時間が、やたらと長く感じた。便利に慣れすぎたせいかもしれない。

 やがてテープは端まで回り切り、カチッと音がして止まった。それから僕は――おそるおそる再生ボタンを押す。

 果たして――

『…………』

 ああ、このノイズは。

 ヘッドフォンから聞こえる、このノイズは、最初に僕が聞いたものと全く同じもので――

 僕は悟ってしまった。ヘッドフォンに聞こえてきた彼女の声。その声が、このカセットテープから聞こえてきたものだったとしたら。

 ――つまり、録音なのだ。

 ――だから、彼女はここには居ない。元々、居なかった。

「ああ……」

 気が付くと、僕は無機質な床に座り込んでいてた。

「意味わかんねえ……。じゃあこれはなんだよ。お前、どこに行ったんだよ……」


 その時。

 入ってきた入口が音もなく閉じたことに気が付いた。

「え……?」

 慌てて入口だった場所を確認するが、既にそこが扉だったのかすらわからない、全ての場所が銀色の滑らかな壁にしか見えない。

 そうやって戸惑っていると、今度は空間を照らしていた照明がいきなり消え、目の前が真っ暗になる。

「なんだ!? 一体何が……?」

 さらに、空間全体が揺れ始める。地震のような揺れというよりも、何かにぶつかったり擦れ合っているようなガリガリという振動。

 

「え――」

 その振動が止まった時と、空間が明るさを取り戻したのは、ほとんど同じタイミングだった。

 気づけば僕は――空の上にいた。

 そう。空の上だ。

 頭上も側面も空。そして、眼下には――さっきまで僕が居た丘。そして街。

 最初は自分自身が空に浮いているのかと思った。だけど違う。さっきから同じ空間に僕は居る。この空間そのものが、その壁面、床面の全てが、外の景色を映し出しているのだ。

 つまり――

「これは……UFO……?」

 ふと思い浮かんだのは全く突拍子もない考えだった。だけど、そう考えれば違和感なくしっくりと来る。

 今まさにこうして地上を離れて空へ向かっている――身体にかかるGがその事実を実感させる――その中にあって、あまりにも静かだ。何らかのエンジン……内燃機関のようなものが作動する音や振動が一切しない。もちろんプロペラらしきものも見えないし、モーターらしき作動音もしない。ただ何か見えない力に押されるように静かに上昇を続ける。

 しかも、壁面と床面に全て映し出される外の景色。その映像は全てがあまりにも鮮明かつシームレスで、これがモニターである、という感じが全くしない。

 これが、今の人間の技術で再現可能だろうか。いや――不可能だ。

 ――オーバーテクノロジー。そんな単語が頭をよぎる。これはUFOなのだ。荒唐無稽な考えだが、これが一番しっくりと来る。

 だとして――なぜこんなものが神社の洞窟に?

 僕は疑問に思い、そしてふと神社の名前を思い出した。

 ――岩船神社。

 岩船(宇宙船)――つまりはそういうことだ。

(ああ、だとしたら僕は…………)

 どんどん小さくなっていく地表に、僕は静かに別れを告げた。

 これが一体どこに行くのか、僕にもわからない。

 だけど、思い返せば自分がどこに行くのかわかっていた頃なんて、一度も無かったかもしれないなと思った。


 気が付くと、頭上は完全な暗闇になっていた。足元の遥か彼方に青い星があり、青い水平線がうっすらと見える。ほとんど止まっているようには見えても、少しずつ、少しずつ小さくなっているのだろう。

(この船は、一体どこに向かっているんだろう……?)

 いつの間にか、船の中央には台座のようなディスプレイがあった。そこに書かれている点と線――惑星や衛星の位置関係を示しているのだろうか? そしてその下側には様々な文字が書かれている。その中で読解可能な文字列が二つだけあった。

 ――Auto-Pilot

 ――Induced from Terminal HQ.

 きっとこの船は自動操縦されているのだ。だけど、どこに向かっているのかはわからない。どこかに目的地が設定されていたとして、そこにいつ辿りつくのか……それを考えるとぞっとした。

 ずっと何もない宇宙空間を眺めていてもやることがないので、台座のディスプレイを触ってみることにした。

 不思議なことにそのディスプレイタッチパネルのように触った指に反応して表示を切り替えるようになっていた。ただし……当たり前かもしれないが、この船の挙動自体を変えることはできないらしい。

 時折英語らしき表記を目にすることもあれば、何の言語かわからないような文字列の羅列、意図のまったくわからない図形の組み合わせなども表示された。表示を切り替えてそれらを眺めてみたとしても全く意味が分からないので、それはどうしようもなかった。

 そうやって表示を弄っているうちに、興味深い文字列を目にした。

 ――Memory search : Tera

 僕は特に深い考えもなく、その文字列を押してみる。

 すると――

「うわ――!?」

 突然だった。

 それまでほとんど暗闇の宇宙を映し出すばかりだったディスプレイに、いきなり大小様々な画面が表示される。一つ一つが四角形の(ウィンドウ)になっているそれは、360度、上から下まで重なるように無数に展開されていく。

「なんだ……これ?」

 そこに映っている内容を見た僕は、愕然とした。これは、いつも僕がよく見ていた映像――ニュースや監視カメラから抽出した世界中の様々な場所の、様々な人間の有り様を映し出している――その中で人々は混乱し、社会が崩壊していく様子が映し出されている。

 人間が人間を襲ったり、物資や場所を奪い合ったりする様は想像以上に醜く、生々しく、見るに堪えないもので――

 そうだ。人間があれだけ理性的に振る舞えていたのは、人間を守る社会が信用されていたからだ。社会に守られているという安心があったかだ。

 だけど、その社会が機能不全になって、人々は突然混乱の中に叩き落とされて、何もかも信用できなくなって……

(ああ……)

 ――人々を守る怪物(リヴァイアサン)は死んだのだ。

 そこから、僕はただ延々と人間同士が奪い合ったり殺し合ったり、混乱の中で命を落としていく――その過程を見せられ続けた。その光景から逃げる術はなかった。

 宇宙船の中は昼も夜もなく、ただ時間だけが経過していく。その時間間隔も、次第に薄くなっていく。

 やがて、だんだんと画面に映る人間の数は減っていき、減っていき、減り続け……

 …………そこから、どれだけの時間が経ったのだろうか。

 いつの間にか、画面の中に人間は誰もいなくなった。

 もう『人類』は終わったのだ。あの混乱する地球の中で生き残った人間は――誰も居なかったのだ。

(だったら……僕は一人か? 僕は……この宇宙の中で独り、なのか……?)

 画面の中にただただ映し出される地上の静寂をぼんやりと見つめながら、僕は思った。

(実際のところは分からない。もしかしたらこの映像は全てフェイクで、実際は何ともなっていないのかもしれない。案外混乱は早く収まって……みんなまた元通りの生活に――)

 頭ではそんな風に考えてみても、それは全く説得力を感じられなかった。ただ事実として、僕は宇宙の中に一人ぼっちで、そして、他の人間と接触する術どころか観測する術すら持たない。

 僕の声を聞き、応える存在はどこにもない――

 その事実を認識してしまった瞬間、僕を襲ったのは圧倒的な孤独感だった。

 今の僕にとっては、この宇宙船が行き着く先――それだけが唯一の希望だった。

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