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散文

生活の生

作者: 永井晴

生まれ落ちて、街をゆく。ふと、小さな花の種子が舗道の上に倒れているのを見た。生とは、ほんの小さな隙間風のようになってしまった。そんなのでも、いつもちょっぴり朗らかなのは、きっと僕がひどくナイーブであるからと、何故か半分諦めのような気分であった。

僕は手を伸ばす。あの種を拾うために、遥かな空に届くために。

芸術は何もないけれど、ある凛とした花のように、前提を支える生の景色を見せてくれた。それはいつの季節にも垣間見る、僕の希求するただ一つなのであった。またそれは山から遠ざかった僕らの生活に根付いた敬虔さの最後にも思われる。しかし生と死とは裏返しだから、あれはあくまでささやかな救いである。ただその人のその時の、行くべき道に咲いているものである。

しかしその感動を勘違いしないでほしい。既に瀰漫しきった感動の価値観は、正に娯楽の毒である。都合のいいお薬である。薬は最初は苦くて、一見深刻なものに見えるけど、どうせ最後は強引に生き返らせる。芸術に対峙する時の、自らを滅ぼすとも分からぬ覚悟が、僕らを本来の感動へと連れてゆく。心の真なる所を曝すのだ。それに受容の構えを本気でするなら、人は必ず震えてしまう。僕らは決して、その構えが妥協であるとは言うことが出来ぬ。

自然児という言葉がある。殆どの場合、詩人を指すものである。僕らが全てを曝してしまえば、それは還るということになるか。子供と詩人の似ているように、僕らは幸福を見いだせるのか。そんなことを思っていた。

僕は青空を見ている。いま街の中でただ一つ、僕の心は静謐に包まれている。





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