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バレー部のタチバナさん  作者:
バレー部のタチバナさん
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8 1年1組のシゲムラくん


 夕方の電車内、彼女と隣同士で座りながら、彼女とのツーショットが収められたスマホの画面を眺める。

 隣に座る橘は眠気が襲ってきたのか、コクリコクリと船を漕ぐ。俯いているせいで寝顔までは見えないけれど、存在だけで十分可愛い。


 電車のアナウンスが俺の家の最寄り駅の名前を告げる。いつもならここで降りる訳だけど、橘が寝ているのを言い訳に、このまま3駅先の彼女の最寄り駅で降りることにした。

 橘はその後もウトウトし続けていたが、電車が彼女の最寄り駅に着いた瞬間、車内アナウンスが流れるよりも先にパチっとその目を覚ましたのがちょっと面白くて、可愛かった。


「なんで起こしてくれなかったの? 私のことなんて気にせず降りてくれたら良かったのに」


 改札の前でため息をつきながら、橘は俺の家の方面の電車があるホームの方を指差すけれど、俺はそれを遮った。


「家まで送る」

「いや、いいよ! 今日なんてまだ時間的に明るいし、送ってもらわなくたって大丈夫だから」


 アハハと笑いながら橘が顔の前で振る手を、反射的に捉える。片手の自由を奪われた橘は口をぽかんと開けて俺の方を見上げる。


「もうちょっと一緒にいたい」


 懇願する俺の顔は、世界一情けない顔をしているのかもしれない。けれど、それでも構わない。

 橘は俺の勢いにちょっと引き気味だったのか、少し後退ってしまった。目をパチクリとさせた彼女はしばし逡巡する素振りを見せてから「ワ、ワカリマシタ」とカタコトで言葉を発した。


 正直、賭けだった。

 何らかの言い訳で断るんじゃないかと内心ビクビクしていた。


 そうと決まれば、彼女の決心が鈍る前に改札を出よう。

 捕まえたままの右手を引っ張り、ICカードを通す。

 3駅の往復分くらい、自販機で飲み物を買うのをやめ、冷水機で賄うようにすれば、それぐらいのお金はすぐに浮く。


 改札を通るときはさすがに手を離したものの、さっき橘が何も言って来なかったのを盾に、横に並んだ瞬間にその手を掴む。ピクリと動揺するのが繋いだ手から伝わってきたけれど、少しの躊躇いをもって、柔い手が俺の手をギュッと握り返してくれる。

 それだけで、心臓だけでなく、俺の全てが掌握されてしまったかのような気分に陥る。


 多分、切ないっていうのはこのことなんだろう。……知らないけど。



 橘の家は駅から7分程度離れた住宅街の中にあるらしい。これといって特徴の少ない道順を必死に頭に叩き込む。また今度、彼女を送る機会があるだろうから。

 今更になって今日観た映画の話をしながら、橘の歩幅に合わせて進む。


 告白したとき、橘は今まで『付き合ったことない』と言っていた。俺にとって初めて手を繋いだ相手は橘で。そして、おそらく橘にとって初めて手を繋いだ相手が俺で。

 その事実に酔いしれながら歩く帰り道はびっくりするほど一瞬で、「この筋だから、もうここで大丈夫」と橘が言葉を発したときは何を言っているのか理解出来なかった。


「送ってくれてありがと。帰り道分かる?」

「うん、大体覚えた」

「アハハ、やるじゃん」


 口を開けて笑う彼女を眺めながら、繋いだ手を離したくないなんて考えていると、突如背後から自転車の急ブレーキ音が響いてきた。


 自転車に跨がるのはセーラー服に身を包んだ中学生ぐらいの女の子で、何故か俺達の方を見てポカンと口を開けている。

 2つくくりの少女は橘の方に震える指先を向け、こう言っ放った。


「お、お姉ちゃん……?!」



 お姉ちゃん?

 ……オネエチャン?


 もしかして、と思いながら橘の方を見る。

 橘は繋いでた手を脱力させ、あんぐりと口を開けたまま固まってしまった。もう一度セーラー服の女の子の方を見ると、橘になんとなく似ているような気がしないでもない。


 つまり。

 この子は、橘の妹の。


「カホちゃん……?」



 □


「ぶっちゃけ女子バレー部1年だと誰がタイプ?」


 正式に男子バレー部への所属が決定した5月の初め。

 駅前のコンビニで購入したホットスナックを片手に、男子バレー部1年所属の10人でくだらない話をしていた。

 某有名サッカー選手も下ネタを介して海外の選手と仲良くなるって言ってたし、なんだかんだ男子の間ではこういう下世話な会話は結構盛り上がるのだ。


「俺は男子バレー部のマネージャーかな。シンプルにマネージャーって響きが良い」

「うわ、サワイって案外めっちゃ単純じゃん!」


 女子バレー部で1番背の高い美人顔のショートカットの女子と、童顔で胸のデカいリベロの女子の名前が複数人から挙げられる中、なんとなく俺の頭に浮かんだのは、その場でまだ名前の出ていない女子の顔だった。


「で、重村(シゲ)は?」

「俺は橘さんかなー。背高いポニーテールの子」

「あぁ、あの子か! たしかに顔もまぁまぁ良いし、それとポニーテールってポイント高いよな。でもやっぱり俺は肩ぐらいの髪が好きだけど」

「俺もボブ派! それで毛先だけクルンってなってたら最高」


 橘さんを挙げたのは単純に、大人っぽくて髪の長い女子がタイプだという、適当な理由だった。俺が橘さんの名前を出したとき、他の皆からは「イイじゃん」みたいなリアクションこそされたものの、結局俺以外の部員から彼女の名前が挙がることはなかった。


 そのことに恋愛感情とまではいかないけれど、心のどこかで橘さんに対する特別感みたいなのが少しだけ湧いた。

 中学のクラスメイトで、国民的アイドルグループの中堅人気のメンバーを応援しているヤツがいたことを思い出す。そのときはなんで人気メンバーを推していないのか疑問だったけど、今になってちょっと気持ちが分かった気がする。


 友達と別れ、1人で家までの帰り道を歩きながら、一瞬だけ橘さんのことを思い出したけど、どこかの民家から漂ってきたカレーの匂いにすぐさま思考は晩ご飯の方へとシフトしてしまった。



 だけど、橘さんの推しメン期間はわずか3日で終わりを告げることになる。


 GW(ゴールデンウィーク)の練習終わりに、バレー部1年の男女全員で親睦会をすることになった。企画したのは、駅前のコンビニで女子トークをしたときの言い出しっぺのヨシムラで、どうにかして女子と仲良くなりたいという魂胆が透けて見える。とはいえ、俺も含めた他の男子達もまんざらでもなかったけれど。


 予約したのは学校の最寄り駅から乗り換えなしで行ける駅近くの、チェーン店のしゃぶしゃぶ屋さんだ。1番安価な豚肉のコースでさえ2,000円もするのはなかなか財布に厳しい話だが、その分食べ放題で元を取ればいい。


 1つのテーブルに合コンみたいに(合コン行ったことないけど)男女向かい合って座った、同じテーブルの対角に橘さんがいた。

 決して狙ってこの席に座った訳じゃなかったので、内心ラッキーと思いつつも、なんだかんだ俺が今1番興味あるのは店員さんから運ばれてきた肉の皿。多分これが花より団子ってやつだ。


「なぁ、これってまだ肉入れたらダメなの? どうせ茹でたら一緒だろ」

「橘さーん、俺達腹減った〜!」

「あともうちょっと待って。まだグツグツしてないから」

「もうお腹すいた〜。かおりんまだダメなの?」

「はいはい。ミズキもうすぐだから」


 テーブルの男子3人で空腹を訴えるものの、通路側の席に座る橘さんは火加減を調整しながら俺達を窘める。橘さんの横に座る、ミズキと呼ばれた女子部員が橘さんにもたれかかるのを、橘さんはよしよしと頭を撫でていた。


 ようやく鍋の出汁がちょっとだけ沸騰し、橘さんからの許可が出たので、肉の皿の前に座っていた男子部員が「よっしゃー!」と肉を鍋に突っ込む。具材の入った鍋を、女子達はキャッキャ騒ぎながら写真や動画を撮っている。


 皆でワイワイ箸をつつきつつも、こまめに鍋のアクを取ったり野菜を入れたりしている橘さんの姿を鍋の湯気越しに盗み見する。橘さんってイメージ通りしっかりしていて、いかにも女子って感じの人だなー、なんて関心しながら。


「かおりん、豆腐食べたいから入れて。お箸だと切れちゃう」

「分かった、入れてあげるから器貸して」

「はぁい、ついでにお肉と人参と白菜いれて。でもキノコは入れないで欲しいな」

「ミズキは注文多いなぁ」


 橘さんは近くにあったお玉を手に取り、鍋の具材を取り分ける。「これで足りる?」と器を見せると、要望通りだったようで橘さんの隣の女子は「カンペキ!」と親指を立てる。

 お玉を元の場所に置き、器を手渡しながら橘さんは言った。


「はい、香帆」


 器を受け取った女子部員は不思議そうに橘さんを見つめ、ぱちくりと「カホ……?」と目を瞬かせる。一瞬フリーズしてしまった橘さんはロボットのように顔をギギギと隣に向ける。


「……私もしかして、今香帆って言ってた?」

「う、うん」

「ウソ! ごめん、妹の名前と間違っちゃった!」


 途端に橘さんは茹でダコのように顔を真っ赤にし、両手でパタパタと顔を扇ぐ。


「……妹と? もう、かおりんったらー!」

「なになにー? 橘さんどうしたー?」


 テーブル内の他のメンバー達はギャハハと笑いながら盛り上がるけれど、内心俺はそれどころじゃなくて。

 笑い声を出しながらも、すぐさま近くにあったメニュー表を見ているフリをする。



 ヤバい、めっちゃ可愛い。


 さっきまであんなにしっかりしてた子が、小学生が先生をお母さんと呼び間違えるみたいな稚拙な間違いを犯してしまったのが、なぜか俺のツボに刺さってしまって。

 赤らんだ顔で涙目になっていたのなんて、一瞬見ただけなのにくっきりと脳裏に焼き付いてしまっている。


 バクバクと自分の心臓が音を立てるのをどこか遠くに感じながら、俺は橘さんのことを好きになるんだろうな、と確信めいたものを感じていた。



 それからは、一瞬だった。


 練習終わりに橘へと話しかけにいくと、最初彼女はびっくりしてたけれど、なんだかんだ俺を受け入れてくれた。

 優しい彼女が俺のくだらない話を聞いて笑ってくれるだけでどんどん好きになる。

 体育館での練習中にチラリと女子の方を見ると、探すまでもなくポニーテールを揺らしながら、細長い手足でボールを追いかける橘が見つかる。


 4月に出会って、5月で話すようになって、6月で告白なんて、今思えば時期尚早だったのかもしれない。

 実際、付き合うって言ってくれた橘に気持ちは伴っていない訳だし。


 彼女になった橘は、俺と一緒にいるときは楽しそうにしてくれているし、多分嫌われてはないと思う。

 それでも、俺のことを好きでいてくれているのかは、正直全く分からない。というか、怖くて確かめることすらできないのだ。

 俺の気持ちばかりが先行して始まった関係は、今も尚、俺の気持ちだけが先走ってしまっている。



 どうやったら、俺のこと好きになってもらえるんだろう。


 付き合ったところで、悩みなんてすぐさま消える訳ないことぐらい、分かっていたのに。



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