6 中庭
「もうっ! なんで6時に起こしてくれなかったの?」
「起こしたわよ。それでも香帆ったらやっぱり7時で良いって二度寝したじゃない。文句言ってる暇があるならさっさと朝ご飯食べなさい」
「分かってる。それよりお母さん、私のお茶碗ない!」
「それぐらい自分で取りに来なさい」
中学2年生の妹、香帆は反抗期真っ盛りで、今朝は特に機嫌が悪い。昨日の夜「テスト最終日はピンチだから朝起きて勉強する!」と宣言していたけれど、どうやら駄目だったみたい。まぁテストの日に関係なく、妹は定期的に吹奏楽部の朝練に遅刻しそうになっては今日みたいなやり取りをお母さんと繰り広げているんだけど。
そんな親子喧嘩には目もくれず、お父さんは夕飯の残り物片手に、ニュース番組のスポーツコーナーに釘付けとなっている。
「香里は今日は部活だけなのよね」
「うん。テストの採点する日だから授業はナシ」
「え〜、お姉ちゃんテストもう終わったの? しかも平日なのに授業ナシ? 高校生っていーな」
「何言ってんの。その分高校生はテスト5日間あるのよ」
「げぇっ。やっぱり中学生のままで良いや」
剥がした鮭の皮を渋い顔をしながら一気に頬張る妹の制服を見て、ふと違和感を抱く。半袖のセーラー服の襟元には青色のスカーフが結ばれている。私が去年まで通っていた中学では、学年ごとにスカーフの色が異なるのだけど。
「……あれ? うちの中学って2年生はスカーフ緑だったよね」
「イイでしょ? トランペットパートの皆で交換したの。これ、さっちー先輩のなんだ」
妹が自慢気にスカーフの端っこをピラピラと揺らす。私が中学生の頃はスカーフを結ばずに垂らしておくのが流行っていたけれど、中学3年生になる頃には徐々に廃れていったような気がする。今は他学年同士で交換するのが流行なのだろう、多分これが時代の流れってやつだ。
「2人ともそんな呑気にご飯食べていて良いの? 早く準備しなさい」
「ウソ? もうこんな時間!」
「私は今食べ終わったところ。ごちそうさま!」
妹が必死にご飯をかきこむのを尻目に台所のキッチンへと向かう。シンクに食器を浸しながら、せっせと妹の弁当箱におかずを詰めているお母さんに話しかけた。
「私今日部活午前までだから、終わってから寄り道して帰る」
「ウソ、もうお弁当作っちゃったじゃない。部活の友達と遊びに行くの? お弁当要らないのなら先に言っておいてよね」
「……ごめんなさい、忘れてた。せっかくだしお弁当は持ってく。夕方には帰って来ると思うから、もし夜ご飯いらなくなったらLINEするね」
「はいはい、お金無駄遣いしないようにね。あと暑いからこまめに日焼け止め塗りなさいよ」
「はぁい」
ゴメンナサイ、お母さん。
本当は友達とじゃなくて、彼氏となんです……。
彼氏の存在を切り出すタイミングを見失い、1人後ろめたい気持ちになっている私のことには全く気づいていないのか、お母さんは鼻歌を歌いながら冷凍庫を漁っている。
気まずさから逃げるために、2階にある自室へと繋がる階段を駆け上った。
■
校舎周りのランニングで7月の太陽の直射日光を浴び、ネットを挟んだ練習では蒸し風呂のような体育館の熱気に耐え。申し訳程度に置かれた扇風機は冷気を運んでくれる訳でもない。一言で言うなら灼熱地獄。
「お疲れさまでしたー。すみません、鍵よろしくお願いします」
「オッケー! 1年生の皆もお疲れー」
「お疲れさまです。それじゃあさようなら」
「はーい、バイバーイ」
期末テスト前に引退してしまった3年の先輩方のために、2年生の先輩達は練習終わりに部室に残ってプレゼントの相談をするらしい。「先に帰っていいよ」とのお言葉に甘え私達1年生は部室を後にした。
「あ〜、今日も練習キツかったぁ」
「しかも今日暑すぎじゃない? いっそのこと体育館にもエアコン付けてくれたらいいのに」
「天才すぎ。てか逆に何でエアコンないの?」
日傘をさした友達が「メリー・ポピンズ!」とふざけながら1回転ジャンプをすると、夏服の軽いプリーツスカートがふわりと舞う。暑さにやられてしまった部員の1人に大ウケだったみたいで、彼女は「ストーリーに載せるからもう1回!」とスマホのカメラを構えている。
「ごめん、私今日重村と一緒に帰るから」
「そうなの? この前土曜日だけとか言ってなかったっけ?」
部活が休みのときは一緒に帰ってたけれど、部活が始まるとお互いに友達付き合いがある訳で。重村と話し合った結果、一緒に帰るのは週1回にしよう、ということになったのだ。
「今日は別。午後からオフだから出かけようって話になって」
「そーなんだ。それなら仕方ないね」
「重村め〜。私のかわいいかわいい香里とイチャつくなんて!」
「かおりん、いってらっしゃ~い。楽しんできてね!」
バレー部の友達に見送られ、待ち合わせ場所の中庭へと向かう。
時計の文字盤は12時半を示していて、授業がない日にも関わらず、中庭でお弁当を食べている生徒達がチラホラいる。多分部活があるから学校に来ているのだろう。
中庭に面する家庭科室からはパンの焼き上がる匂いが漂ってきて、練習終わりの空腹がきゅるると小さな音を鳴らす。
先に中庭に着いていた重村は校舎の影の下、ベンチに腰掛けていて片手でスマホを操作しながらうちわをパタパタと扇いでいる。たしかこの前学校の最寄り駅で、携帯会社のキャンペーンを謳いながらうちわを配布していた人から貰ったものだ。
寄ってくる私に気づいた重村はスマホから顔を上げてうちわを左右に振る。
「おまたせ。今日も暑いねー」
「うっす、今日暑すぎて溶けそう。階段ダッシュのときとかマジでキツかった」
「うわー。私、それ中学のとき真冬の朝練でやらされた……。普段は朝練ないのにそれだけのために朝練あるんだよ、おかしくない?」
「朝からマラソンみたいな感じ? 意味分かんねぇな……」
重村は怪訝な顔をしながら、捲くられていた制服のズボンの裾を戻し立ち上がる。
「映画2時からだけどお昼どうする? 俺は弁当あるんだけど橘は?」
「私もちょうどお弁当あるよ。むしろお弁当あるからどうしようって思ってた」
「そーなの? じゃあ、ここで食べてくか!」
「うん、分かった」
一度立ち上がったベンチに再び座った重村は彼の隣をポンポンと叩く。ここに座れってことなのだろう。
スカートの裾を抑えながらベンチに腰掛け、リュックから弁当箱と水筒を取り出し、2人で「いただきます」と手を合わせてからお弁当の蓋を開ける。
私のより一回り大きいサイズの2段弁当箱のうち下の段には、ご飯がぎっしりと詰められていてその上からふりかけがかけられている。上段の箱には唐揚げと煮物に卵焼き、トマトにほうれん草がギュウギュウに詰められており、具沢山で美味しそうだ。
「重村の弁当美味しそうだね。お母さん絶対料理上手でしょ」
「どうなんだろ……? 別に普通だと思うけど。橘のも美味しそうじゃん、女子の弁当って感じする」
「そう? 昨日の残り物とか入ってるし、そんな見栄えするようなものじゃないでしょ。まぁ重村も弁当持ってて助かった。これで重村のご飯無いってなったらどうしよう、ってちょっと焦った」
「偶然お互い弁当持ってたから良かったけどな。次からはご飯の予定もちゃんと決めておこ」
「っ、そうだね」
大きい口で唐揚げを一口でパクリと食べる彼の隣で私は1人面食らっていた。
相変わらず私は次回を感じさせる言葉に弱い。付き合って2週間も経つのだし、そろそろ慣れるべきだと自分に呆れそうになった。