3 第1回文化祭実行委員会
昨日の降雨量では足りなかったのだと言いたげに、今日は朝からしっかりと雨が降っている。どのぐらいかというと、廊下の窓際に雨漏り対策のバケツが並べられているくらいだ。
その廊下では男子生徒数人が裸足に上靴のトレンディスタイルで、濡れた靴下を振りながら水分を飛ばそうとしている。
あまりに景観が悪かったので、「タオルとか新聞紙とかで挟んだら水分取れるんじゃない?」とアドバイスすると、「イグノーベル賞じゃん」と騒ぎながら古新聞を求めて教室内の棚を物色し始めた。
「で、昨日はどうだったの?」
いつもは登校時間ギリギリに教室に駆け込んでくる玲香だけど、雨足が強いからか今日はお母さんに車で送ってもらったそうで。羨ましすぎる。
私が教室に入ってすぐ、逃さないとばかりに私の席へと誘導し、隣の椅子に座り込んだ彼女は頬杖をつきながらニヤニヤしている。
「そんな玲香を楽しませるようなことはないよ。普通に図書室行って静かに勉強して帰っただけ」
「ただ勉強して終わり? 相合傘とかそういう面白いのナシ?」
「ナイナイ。てか、私が校舎出たときは雨止んでたからね」
梅雨の時期に天気予報を見ない人間なんて少数派だろう。実際私も重村も傘を持ってたから、仮に雨が降ってたとしてもそんなことは起こり得ないし。
棒読みで「わー残念」と玲香がわざとらしく白けた表情を見せたところで、背後から「わっ!」と両肩を叩かれる。
「相合傘って何! もしかして朝から恋バナ?」
「ちょっと……! びっくりしたぁ。本気で心臓飛び出たかと思った」
「かおりんってば大袈裟すぎ」
リュックを背負ったまま脅かしてきたクラスメイトの莉子の方を振り向くと、能天気に笑いながら私のポニーテールを軽く引っ張ってくる。
「で、2人とも何の話してたの?」
いかにも興味津々といった様子で聞いてくるのに、玲香が「言っていいの?」と私の顔色を伺う。まぁ、いずれは話すことになるんだし良いかと思ってコクリと頷いた。
「香里の彼氏の話」
「へぇー、そうなんだぁ。……えっ! かおりんの? ウソ、あたし初耳なんだけど! いつの間に……!」
興奮を隠しきれないのか、大声を漏らさないように莉子は口元を両手でギュッと抑え込む。あまりに興奮したからか、息苦しかったのか、彼女はケホッと軽く咳き込んだ。
「もー、莉子落ち着いてってば」
「だってびっくりしたもん……! てか玲香ちゃんは知ってたんだ」
「知ってたって言っても香里が付き合い始めたの一昨日の話だよ」
「めっちゃ最近のことじゃん。んんっ、もしかして昨日一緒に帰れなかったのって……?」
「そーいうこと。せっかく誘ってくれてたのにゴメンね」
「いーよそんなの! じゃあ今日も彼氏と、って感じ?」
近くの椅子を引っ張ってきて座り込んだ莉子が首を傾げるのに、申し訳なさで眉尻が下がる。
昨日の帰り道に「明日は文化祭実行委員があるから先帰ってていいよ」と重村に伝えたけれど、それでも一緒に帰りたいと言われたので分かったとしか言えなかったのだ。
「うん。テストのときしか一緒に帰る機会ないのにごめんね」
「気にしないで! その分夏休み部活ないとき遊ぼうよ。有希も誘って4人でさぁ!」
ニパッと笑う莉子の笑みに、ハッとさせられる。
ここ数日、先輩が引退して部活が新体制になったり、1学期の期末テストが近かったり、梅雨のせいで天気が悪かったり、……重村とのことがあったり。夏休みが近づいていることはもちろん覚えてはいるんだけど、色々な出来事がありすぎて脳みその隅っこの方に追いやられてしまっていたのだ。
そっか、もうすぐ夏休みなのか。
つい最近入学して、部活に入ったばかりのような気がするのに、気づけはもう1学期は終わりを迎えようとしている。
いつの間にか職員会議を終えた担任の先生が教室に到着していて、黒板横の掲示コーナーにプリントを貼り付けている。
急げ、と言わんばかりに生徒の1人が駆け込み乗車のように扉をくぐったタイミングでホームルーム開始のベルが鳴った。
それを合図に、教室内の生徒は席に着こうと移動を始める。
「かおりん、これあげる。彼氏出来たお祝い」
立ち上がった莉子は何かを思い出したのか、夏服のシャツの胸ポケットから取りだした小袋を私に押し付けてきた。
「何コレ?」
「ペットボトルについてたオマケ! いらないなら捨てても良いし、メルカリに売ってくれても良いから。じゃあっ!」
ちょっと、と引き止める前に担任である中年女性の先生が「ホームルーム始めます」と声を張ったため、有耶無耶になってしまった。
クラスメイトを問い詰めることは諦め、手元の袋のパッケージを確認すると、そこには『ラスティピスタチオ』、略して『ラスピス』の名前がプリントされている。ラスピスは最近ドラマの主題歌に使用された恋愛ソングが話題になっているバンドで、どうやら袋の中身はそのバンドのマスコットキャラクターのキーホルダーらしい。
インスタの動画で見るくらいで、別にラスピスのファンではないけれど、貰ったものを捨てるのは些か心が痛い。
どこに付けようかと考えたところで、ふと思い出す。ロッカーの鍵なら他のキーホルダーも付いていないし、丁度いいかもしれない。
担任の先生が私には関係のない、駐輪場の話をしている間に袋を開け、リュックのポケットから取り出した鍵にキーホルダーを取り付げた。
■
初めて足を踏み入れた、放課後の視聴覚室のホワイトボードには『第1回文化祭実行委員会』とだけ書かれている。
視聴覚室の中は堅苦しい雰囲気は一切なく、生徒達は友人とワイワイ騒いだり、机に突っ伏して仮眠を取ったり、スマホを触ったりしながら委員会が始まるのを待っている。
4月のホームルームで行われた委員会・係決めでジャンケンに敗れてしまい、名前からして忙しそうな匂いがぷんぷん漂う文化祭実行委員会に所属させられることになった。
文化祭が開催されるまでに、あと何回かこの委員会が実施されるのだろう、なんて考え出すと億劫で仕方がない。
冷房の効きすぎた空調のせいで鳥肌が立つ二の腕をさすりながら、指定された席に着こうとすると、私に近づいてくる人物がいることに気づいた。
「……あのっ。橘香里ちゃんですよね?」
恐る恐る私に声をかけてきた女の子の方を見て、一瞬固まってしまう。
声の主は、1年1組の立花芭奈ちゃんだった。
立花さんとこうして会うのは、4月頃に駅でフラフラしていた彼女を助けたとき以来で、それ以来会話どころか校舎内ですれ違ったこともない。
まさか立花さんが同じ文化祭実行委員だったなんて知らなかった。それに去り際に教えた私の名前まで覚えてたんだ。それもびっくり。
「……は、はい。そうです。立花芭奈ちゃん、であってるよね……?」
語尾が弱くなってしまったのは、彼女の名前に自信がなかったからという訳ではない。顔見知り程度でしかない立花さんにタメ口で話していいのか、という遠慮からだ。
どうやらその心配はいらなかったようで、嬉しそうに首を縦に振った立花さんの髪がサラサラと揺れる。
「うん、立花芭奈です! 名前知ってくれてたんだ、嬉しい」
ニコニコと微笑む立花さんの笑顔は文字通り花のようで、その美少女っぷりに思わず腰が引けそうになる。
「もしかしたら覚えてないかもしれないけど、実は入学してすぐの頃に香里ちゃんに助けてもらったことがあって、そのお礼を言いたくて……。あっ、勝手に香里ちゃんって言ってしまってごめんね、大丈夫だったかな?」
胸の前で小さな両手を重ね合わせながら、申し訳なさそうに眉尻を下げる立花さんに、誰がNOを突きつけることが出来るだろう。少なくとも私は無理だ。
「名前なんて好きなように呼んで。それより4月に駅であったことでしょ? 私も覚えてるよ。あの後無事に帰れた?」
「うん、お陰様で! あのとき声かけてくれたのが香里ちゃんで良かった。本当にありがとうございました」
「あーっ、そんな頭なんて下げなくていいよ! とにかく大丈夫そうで良かった。こちらこそわざわざお礼言いに来てくれてありがとう。それより同じ委員会っぽいし、また喋る機会あったら喋ろうね!」
「うん、よろしくね!」
拳をぐっと握りしめた立花さんはそのまま自分の席へと小走りで戻っていった。トテトテと鈍臭そうに走る彼女の後ろ姿を微笑ましく思いながら見送り、跳ね上がり式の座イス部分を下げて腰掛けると、隣の席に座る人物が「ねぇ」と声をかけてきた。
「橘さんって1組の立花さんと仲良いんだ?」
スマホの画面に釘付けのまま私に話しかけてきたのは、私と同じ8組から文化祭実行委員に選ばれてしまった山城くんだ。
彼とはクラスメイトだけど、今まで一度も会話したことがない。教室内でワイワイ騒ぎながら時折女子にちょっかいをかけてくる年中元気な運動部の男子達とは違って、山城くんは仲の良い男子達と内輪で盛り上がっているような人だ。
軽くセットされたマッシュヘアーを、たまたま近くにいたクラスの女の子が『バンドマンみたいな髪型』と評していたことが印象に残っているだけの、私には特に関わりのない生徒だ。
そんな山城くんからの探りを入れてくるような質問に、思わず眉をひそめてしまう。
「仲良いっていうよりは、顔見知りってぐらいだけど。……それが何?」
冷めた声色で返事をすると、マズいと思ったのか山城くんはスマホから顔を上げて、その場で取り繕うようにベラベラと喋り始める。
「べ、別にそんな大したことじゃないよ! 立花芭奈って名前は男子の間でもよく聞くから、実際どんな子なのかなって思ってさ。本当それだけだから気にしないで!」
「そ、そう。わ、分かったから」
「うん、じゃあこの話は終わり!」
彼は弁明に満足したのか、視界から私をシャットアウトするように再びスマホの世界に没頭してしまった。
立花さんのことを聞いてきたのはそっちなのに、とモヤモヤする気持ちが湧き出てきたけれど、それを堪えながら退屈な委員会の時間を手元のプリントや壁掛け時計の文字盤に視線を行き来させつつ時間を潰した。