6 家庭科部のタチバナさん
雲ひとつない青空、とまではいかないものの、今日は天気が良い。高く晴れた秋空の眩しさを恨むかのように、私は片手でその日差しを遮りながらも睨みつけた。
体育大会に乗り気のクラスメイトは半袖半ズボンという元気なスタイルだけど、生憎私はそういうタイプではないので、しっかり上下共に長ジャージを着込んでいる。
運動が苦手な私は中学生のとき、クラス全員リレーで転んでしまったという前科があるほどだ。体育大会なんて正直あんまり好きじゃない。
私の出場種目は玉入れ、借り物競走の2つだけだという最低限だ。2つ目の種目も無事に終えた私はようやく肩の荷が下りて、ふぅと胸をなでおろした。
「芭奈ちゃんお疲れ様ー。お題見つけるのめっちゃ早かったね!」
「カラーコーン持って走る芭奈ちゃん写真撮っといたよ」
「えぇ〜。ちょっと恥ずかしいな。でもお題が簡単で良かった」
私の今日のモットーは、とにかくクラスの足を引っ張らないことだ。スタートするその瞬間まで『変なお題が出たらどうしよう』と心臓がバクバクと音を立てていて、何度手に『人』の文字を書いて飲み込んだことやら。とにかく、真ん中より上の順位でゴール出来て良かった。
1年1組の応援席で迎え入れてくれた友達の輪に入り、写真を撮ってくれた子のスマホを皆で覗き込む。
間違っても誰かの代わりに私がリレーを走らされるようなことは起きないので、今日はこれ以上私の出番はない。後はクラスの皆で1組の応援をするだけ。なんて気楽なんだろう。
始まったときはあんなに時間の経過が長く感じたのに、面倒事を乗り越えた体育大会は、時間が過ぎるのが本当に一瞬。
運動場から見える校舎脇の時計の針はいつの間にか12時を指している。午前中の最終種目を目前に、砂埃と歓声の舞う運動場は熱気に包まれている。
「あ、1走目の人達並び始めてる!」
「ホントだ、そろそろ始まるんじゃない?」
応援ゾーンのギリギリまで身を乗り出す友達に促され、トラック上で準備を始めた生徒の中から1組の走者を探す。
今から始まろうとしている競技は、女子100mリレーの1年生の部だ。1つ前の種目だった男子100mリレーに出場していた生徒達も応戦席に戻ってきて、クラス全員でピストルが鳴らされるときを今か今かと待ちわびる。
さっきまでザワザワと騒がしかった運動場の喧騒が少し収まった瞬間。パンッというピストル音と共に、リレーの走者達が一斉にスタートを切り、ワーッと一気に歓声が上がった。
「1組ファイトー!」
「頑張ってー!」
スタートした1組の走者は順位こそ真ん中の方ではあるものの、全体の差はそれほど大きくない。
声を張り上げて応援する友達につられ、風を切って進むクラスメイトの追い風となるよう「頑張れー!」とお腹から声を出す。
2人目の走者にバトンが繋がれたものの、ジリジリと先頭集団からの距離が広がる。思わずギュッと手を強く握ってしまう。私の応援が力になるのかは分からないけれど、クラスの皆の声に重ねるように声援を送る。
3人目の走者がスタートを切り、後ろに手を伸ばす。赤色のバトンが繋がれようとした、その時。
わずかにタイミングがズレたのか、走る2人のスピードが落ちる。1組の応援席にいる誰かが「あっ」と小さい声を漏らす。バトンミスだ。
肝心のバトンこそ落とさなかったものの、パスがもたついたせいでスピードを落とし、その間に2人の後続の生徒が追い抜いていく。
応援席は一瞬の緊迫感を見せたものの、すぐにメガホンを持ったクラスの男子達が声をあげたのを皮切りに、全員で揃って声を出す。
アンカーである4人目の走者が奮闘したものの順位に変動はなく、結局8クラス中7位というなんとも残念な結果に終わってしまった。
リレーの感想を言い合うクラスメイトが「惜しかったな〜」と話しているのを尻目に、私は肩で息をする4人が歩いている姿をぼんやりと眺める。
気まずそうな顔をして1組の応援席に戻ってくるリレーメンバーを、クラスメイトは誰1人責めることもなく「お疲れ様ー!」と温かな拍手で迎え入れた。
「本当にごめん。体育の授業でバトン練習したときは自信あったのに……」
「そんなことないって。私が最初からもっと飛ばせれば良かったんだから」
「いやいや、4人とも速かったぜ! むしろバトン落とさずにこらえててスゲーって思った!」
「そうだよ。今日はたまたま運が悪かっただけ! 午後から切り替えてこ!」
暗い顔をしたままの第2走者と第3走者の2人の肩を、近くにいた女の子達がポンポンと叩いて励ます。
「それより今から教室戻ってお昼ご飯でしょ? さっさと校舎戻らない?」
「賛成ー! 手ジャリジャリだから早く手洗いたい。行こっ」
教室へと戻るため動き始めるクラスの女子達に、私は「お腹空いたね」なんてありきたりなことを話しながらついていく。長袖ジャージを着た友達の1人が「暑くなってきたかも」と裾を捲る。下駄箱で靴を履き替えながら、日焼け止めを塗り直したかどうかで盛り上がるクラスメイトを余所に、私は長ジャージの袖を握りしめながら、足元のスニーカーに視線を逃した。
「……ごめん、応援席に忘れ物しちゃったから取りに行ってくるね」
「そうなの? 芭奈ちゃん、ついていこっか?」
「ううん、1人で大丈夫。ありがとう」
私はクラスの輪から逃げ出すように、走り出した。
もちろん、忘れ物があるなんて嘘だ。ただ、なんとなくクラスの皆と一緒にいることが息苦しかったのだ。
失敗したらどうしようって、1人でずっとビクビクしていた自分が惨めで。
心の底から体育大会を楽しめていない自分が、クラスの輪の中から浮いているような気がして。
高校生って皆、急に精神年齢が高くなる。
中学のときなんて、体育の些細なミスで陰口を言われることがしばしばあった。まともにボールをキャッチ出来ない私に、同じチームになった女の子が「芭奈ちゃんって、ちょっとぶりっ子なところあるもんね〜」と陰で冗談交じりに話していたことを今でも覚えている。
でも高校生になってからは、あまりそのような経験はしていない。
高校って知らない人同士の集まりだから、友達作りは手探り状態で。知り合いが少ない環境では、人間関係の責任はほとんど自分にのしかかる。その中でお互いに遠慮しなきゃいけない部分を察していく。だから、中学の頃みたいに憂さ晴らし感覚で陰口を言う人が少ないのだ。
文句1つ言わず、大人な対応でリレーメンバーを迎え入れたクラスメイトの姿に、私は恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。心のどこかで、クラスの誰かが陰口や嫌味を言ってしまうのでは、なんて疑いの目を向けてしまったことに。
まるで私だけ、何も成長出来てない。
心から友達のことを信頼出来ていないし、言いたいことをはっきり言えないし、自慢出来るような長所がある訳でもなく誰かの足を引っ張ってばかりで。
校舎へと向かう生徒の波に逆らいながら、本当は用のない応援席の方面へと向かう。押し寄せる人波に逆流するのは思っていたよりもカロリーを使うのか、ゼェゼェと息が上がる。
走ったり、歩いたりを繰り返しながら3分の1以下にまで生徒が減った運動場の砂地へと足を踏み入れた瞬間。
私は背後にいた人物から、急に腕を掴まれた。




