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バレー部のタチバナさん  作者:
バレー部のタチバナさん
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29 バレー部のタチバナさん


 勢いで教室を飛び出してしまった私は、フラフラと学校の敷地内を彷徨っていた。


 1人しかいない教室に山城くんが来たとき、気まずさで顔が引き攣るかと思った。それでも、久々に会話した山城くんはどこか憑き物が落ちたような顔つきだった。

 質問の答えが正しかったのかは分からないけれど、間違いなくあれは私の本心だった。発言に一切の悔いはない。


 困ったとき、人は慣れたものを求める生き物なんだろう。

 気づいたときには、私は体育館の前に来ていた。


 今更8組の教室に戻れる訳ないし、とはいえ他の教室だと準備の邪魔になるかもしれない。そう考えた私は、体育館前にある手洗い場近くの、段差になっているところに腰を落とした。


 体育館の中からは、誰かがセリフのようなものを話す声が聞こえてくる。おそらく演劇部のリハーサル中なのだろう。

 ひとまず航太郎に今いる場所を連絡し、スマホをしまった私は、ぼんやりと周囲の景色を眺めることにした。


 体育館の周囲は、普段の放課後と比べて圧倒的に人が少ない。時々荷物を抱えてパタパタと走る先生を見かけるくらいだ。チラリと運動場の方を見ると、遠くの方で生徒数人が集まっている様子が見えるものの、ここまで声が聞こえてくる程のものではない。

 暦の上では9月になったものの、秋っぽさを体感するには、しばらく日がかかるだろう。まだまだ明るい西の空を見上げながら、ふとそんなことを考えていたとき。


 校舎と体育館を繋ぐ屋根のかかった通路の方から、見慣れた人物がこちらにやって来た。

 キョロキョロと周囲を見渡す彼は、私のいる場所を確認し、片手をひょいと上げる。手を振り返すと、小走りでこちらまで寄ってきて、私の隣に腰掛けた。


「……何でこんなとこにいんの?」

「どうしてだろ……。気づいたら、的な? 落ち着くのかな」


 自分のことなのに、はて、と首を傾げる私を、彼――航太郎は慈しむような目で見つめる。

 その視線がどこかむず痒いような、心地いいような。

 照れくささのあまり、思わずフフっと笑いが漏れてしまった。


「顔見ただけで笑うとか酷くね? あ〜傷つく〜」

「棒読みすぎるんだけど?」


 ぐい、と伸びをした航太郎の左肘辺りには、小さな絵の具の跡が付いている。どうやら、教室を出た際に廊下の手洗い場で汚れを落とした際には気づかなかったらしい。「せっかくだし洗えば良いじゃん」と近くの手洗い場を指差すと、彼は「そーだな」と私を道連れにして立ち上がった。


 蛇口を捻ると、チョロチョロと水が流れ出す。ネットの中の石鹸を擦り付けると、摩擦で少し赤くなってしまったものの、水で泡を流すと絵の具はキレイさっぱり落ちてしまった。

 手を振って軽く水気を切った航太郎は、その手に少し残った水分を私の方に飛ばしてきた。


「うわっ。もう、サイッテー!」


 水滴のかかった前髪をはらいながら睨んでやると、航太郎は満足そうにケラケラと笑う。


「ハハハ、ゴメンゴメン!」

「もー。……ハンカチないの?」

「リュックの中にタオル入ってる。悪いけど取って」

「ハイハイ、仕方ないなぁ。ちょっと屈んで」


 彼の背後に回り込んだ私はリュックのジッパーを開けて、上の方にあったタオルを取り出した。

 それを受け取った航太郎が濡れた左腕を拭うのを、私は手洗い場の縁を掴みながら黙って見届けていた。


 手を繋ぐこともあるから、私より彼の手のサイズが大きいことなんて分かっているけど、改めてまじまじと眺めてみると、その差に少しドキッとさせられる。日焼け止めを塗らない腕は少し焼けていて、腕毛が薄っすらと伸びている。シャツの袖を上に辿っていくと、1つ目のボタンが外された襟元から喉仏が覗いていて。


 分かってはいたけど、やっぱり航太郎って、男の人だ。


 邪魔になったタオルを首にかけた彼は、ボーッと首元を眺める私の方をチラリと横目で見た。


「……どした?」

「う、ううん。何でもない」


 ふるふると首を振った私は、慌てて視線を落とした。

 温い風に吹かれて、体育館沿いの植込みがカサカサと小さく揺れる音がする。ペットボトルがカラカラとどこかへ転がっていく音を聞いていた、そのとき。


 おもむろに航太郎が私の両肩をガシッと掴んだ。「えっ」と小さく戸惑いの声をあげる私に構わず、そのまま彼の顔がジリジリとこちらへ近づいてくる。


 パチっと航太郎と目が合った瞬間、「目瞑って」と彼が少し掠れたような声を発した。



 あ、今からキスされるんだ。

 唐突な出来事であるはずなのに、どこか当たり前のことのようにストンと腑に落ちたような気がして。


 黙って小さく頷いてから、私は瞳を閉じてその時を待った。ゴクリと相手が唾を飲み込んだ音が伝わり、一気に心臓が高鳴る。少しずつ近づいて来る気配が、殊更に私の心拍数を上昇させる。


 何だか恥ずかしくて息を止めていると、そのままゆっくりと私の上唇に彼のものがそっと押しあてられた。

 当たった、と考えている内に唇は離れていった。

 薄いと思っていた彼の唇は生暖かくて、思っていたより柔らかくて。


 私の両肩を掴む彼の手の力が緩んだのを察して、ゆっくりと目を開くと、熱に浮かされたような表情を浮かべる彼の顔が1番最初に目に入ってきた。


 真っ赤に染まったその頬を眺めながら、触れられた部分を片手でそっと抑える。パチパチと目を瞬かせていると、急に航太郎がガバリと私に抱きついてきた。

 急に訪れた物理的な衝撃に、思わず上体が仰け反ってしまう。確かめるように自分の唇に触れていた方の片手は抱きしめられたことで拘束されてしまい、身動きが取れない。


「ちょ、ちょっと! びっくりしたぁ」

「……イヤ?」

「イヤじゃないけど、ビクッとした! 今日イチ心臓に悪 い。大型犬にタックルされた気分!」

「あ〜。犬飼いたい……」

「話そらさないでよ。てか前にも言ってたね。……名前は何にするの?」

「んー、考えてなかったけど……。ポチとか?」

「めっちゃシンプル。……それより、そろそろ離れて! 人来たら恥ずかしい!」


 何とか空いていた方の手でバシバシと広い背中を叩いてやると、彼は名残惜しそうに離れていく。


「ほら、遅くなる前にさっさと帰ろ!」

「んー、そうだな。そろそろ帰るか」


 ちょうど私達が体育館前を去ろうとしたタイミングで、中からリハーサルを終えた生徒が数人現れた。彼らは練習の傍ら、すぐ近くで私達がキスをしていたことなんて知らないだろう。

 素知らぬ顔ですれ違った後、秘密を抱える私は思わず「ンフフ……」とこぼれる笑みを両手の指で軽く抑えた。


「……何。急に笑いだして怖いんだけど」

「エヘヘ。ちょっと思い出し笑いしただけ」

「はぁ? 意味分かんねー」

「何それ。航太郎もそういうときあるでしょ」

「……アリマスネ」

「ほら、やっぱり!」


 体育館付近とは違って、校門までの帰路には帰宅途中の生徒がチラホラいる。

 私は彼だけに聞こえる声の大きさで「好きだよ」と呟いた。




29話をもって、第一章終了です。


次回から第二章です。

話数上、あと1週間程度で完結する見込みです。


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