15 中学2年生のタチバナさん
水泳部の恵里菜は2年3組の女王だった。
1つ年上のお兄さんはヤンチャな問題児として有名で、彼女自身も、当時野球部のキャプテンだった3年生の先輩とイイカンジとの噂が流れていて。「塩素で色が抜けたから」と副担任の先生に言い訳していたけど、私達の前では毛を染めていることをよく自慢していた。
恵里菜は決して暴力を振るったり、誰かに金銭を要求するようなタイプではない。落ちた消しゴムを拾ったり、前日体調不良で休んだクラスメイトに「大丈夫?」と声をかけたり、遊びに行った先で迷子の子どもを見つけたら親探しに協力する程度には優しい。
けれど、彼女の中には遠慮と配慮というものが存在しない。それに、自分の思い通りにいかなかったら機嫌が悪くなる。
まさに恵里菜は、彼女中心の世界で生きているような人だった。
「エリ達のクラスの男子ってマジないよね〜」
大好きな野球部のキャプテンに果敢にアタックする恵里菜は、クラスの男子を貶めはじめた。
恵里菜の鶴の一声に、彼女の機嫌を損ないたくない私達女子は、彼女に同意する。
敵意を感じた男子達は、女子の集団を蔑むような目で見てくる。
少人数で話すときこそ普通に会話出来るものの、同性同士で固まると、互いに陰口のようなものを言い合う。
気づいたときには、2年3組内は男子と女子の間に薄っすらと溝のようなものが出来てしまった。
そんな私には、クラス内で唯一話をする男子がいた。
サッカー部の小野寺だ。
学級委員に立候補した小野寺と、女子から「しっかりしてそう」と推薦され学級副委員に選ばれてしまった私。
当初委員会以外での関わりはほぼなかったけれど、それが変わり始めたのは文化祭の頃だった。
中学の文化祭は全クラス、ステージ発表をする決まりとなっていて、やる気満々のクラスとそうでないクラスの差が明確に浮き彫りになる行事だ。
発表の題目を決めるときなんて、男女で揉めに揉めた。
担任の先生が必死に宥めるけれど、何も決まらない。結局くじ引きか何かで決めたような、曖昧な記憶だけが残っている。小野寺と私が男女それぞれの説得をしたことは、はっきりと覚えているけど。
男女の橋渡し役となった小野寺と私の努力の甲斐あってか、文化祭後のクラスの雰囲気は少しだけマシになった。
そのままの状態で秋の体育大会を乗り越え、いつしか小野寺と私の2人は『仲の良い男女』として扱われるようになった。
「俺思うんだけど、小野寺って最近橘と結構いい感じじゃね?」
衣替えを済ませた教室内の休み時間、クラスの友達とトイレから戻ってきたときに聞こえてきたのは、一部の男女達と小野寺の会話だった。一瞬そちらの方を見た私に、その場にいた小野寺以外のクラスメイトはニヤニヤとした視線を送ってくる。相手にするのも面倒だったので無視したものの、そこそこ大きい声で話しているので会話がこちらにまで聞こえてくる。
「分かる! サッカー部のキャプテンと女子バレー部のキャプテン同士でしょ? めっちゃお似合いじゃん」
「俺もそう思う。実は付き合ってますって言われても信じるな」
「……お前ら、ただ俺と橘のこと面白がってるだけだろ」
「ノーノー、エリはマジで2人のこと応援してるから! 小野寺なら3組の男子の中でもアリだと思うけど」
頬杖をつきながら「エリの彼氏ほどじゃないけどね〜」と身体をクネクネさせる恵里菜に、「リア充ウザー」と男子の誰かが騒ぐ。
女子・男子という共通の敵を前に分裂した3組の男子と女子は、小野寺と私のゴシップという共通の生贄を前に1つに纏まろうとしている。今みたいに男女複数人が固まって楽しげに会話しているのなんて、1学期には見られなかった光景だ。
毎日のようにからかわれるのは気分のいい話じゃないけど、だからといって小野寺との仲が悪化したらこのままクラス内の雰囲気も前の状態に戻ってしまうような気がする。
小野寺自体は悪い人じゃない。むしろ良い人だと思う。
明るくて、リーダーシップがあって、空気が読める。爽やかで見た目も良いし、彼のことが好きだという女子が複数人いるという噂も耳に入ってきたことがある。
「てか、人のことでそんな騒ぐなよ。そんなことより昨日テレビで流れてた映画の話しようぜ。誰か見たやついない?」
小野寺は小野寺なりに、クラスの騒音から私を庇おうとしているのだろう。とはいえ、娯楽に飢えた男女の前ではあまり効果がない。
「私見たよー。そういえば同じ主役の人と監督で新しい映画撮ったんでしょ? せっかくだし香里とデートでも行って見に行きなよ」
「おっ。もしかして映画デート?」
「だーかーらー。新作の話は今はいいから! 俺は昨日の映画の話がしたいの!」
ギャーギャーと盛り上がるクラス内は、チャイムと同時に入ってきた数学の先生の登場で散り散りになる。
ただその数日後に、小野寺から映画の誘いのメッセージが送られてきたときのことは今でも覚えている。
気づいたときには、デートとやらの日で、映画館の前で小野寺と待ち合わせをしていた。
2人でジュースを買ってから吹き替え映画を見て。
映画館を出るまで、人生初のデートは順調だった。
それが急変したのは、少しの間隔を空けて2人並んで映画館の外を歩きながら、小野寺の話に相槌を打っていたときだった。
前からこちらの方向へ歩いてくる集団が騒ぎ出して、急に駆け寄ってきたのだ。私はその人物達の顔を見て、軽く絶望感のようなものを味わった。3組の男子達だ。
「あれ、お前らもしかして2人きり?」
「もしかしてデート中? 俺達お邪魔だった……?」
ワイワイと盛り上がる男子達を、小野寺はシッシと手で追い払う。「たまたま用事が被っただけ」と小野寺が発した言い訳はもちろん通用する訳がなく。気まずくなってしまった私達は、その後ぎこちない状態のまま解散した。
小野寺から告白されたのは、その日の夜。
駆け引きが続いたあと送られてきたメッセージに、私は【しばらく考えさせて】と返事を送った。
小野寺とは、付き合えないことはない。告白を断って彼を傷つけることに対して申し訳なさすら感じるほどだ。
それなのに、私は映画デートの帰り際のことを思い出してしまうのだ。
小野寺と付き合ったら、クラスの生徒達からの冷やかしが毎日のように続くのかもしれない。
スマホを握りしめる手は、未知の恐怖に対する悪寒で震えていた。
■
秋が一段と深まるような、そんな日だった。
「今日寒すぎ。ついこないだまで暑かったのに一気に冷えるね」
次の時間の体育のため、更衣室で着替えていたときだった。体操服を入れたカバンの中には、ズボンと半袖のものしか入っていない。体育館ならともかく、今日の授業は風の強い運動場だ。
「やっちゃった。ジャージの上着教室に置いてきちゃった」
「ウソ? 香里どうするの? 取りに行くのついていこうか?」
「いいの? 1人じゃキツイから助かる」
教室では男子達が着替えているため、そんなところに女子1人で行くのは心細い。3組で同じバレー部のホナミが付き添ってくれるとのことで、2人で教室へと向かう。
映画を見て2、3日後には、クラス中に私達がデートをしたとの噂が広まっていた。それから2週間以上経ったけど、小野寺にはまだ返事をしていない。
沸き立つ周囲のせいだろうか。小野寺のことについて、当事者であるはずなのに、どこか他人事のように思えてしまう自分がいるのだ。まるで私の意思とは関係なしに、予定調和に物事が運ばれているような感覚を、時折味わう。
とはいえ、私の中には『もう、いいかな』と半ば諦めのような気持ちが芽生えている。
盛り上がるクラスの雰囲気を、周囲に気づかれぬよう遠巻きに見つめるホナミからは「無理して付き合うことないよ」と言われているけれど。
教室から出てくる男子を1人捕まえて「ジャージ取ってきて」とお願いしようとしたそのときだった。
開けっ放しにされた窓から、男子達の会話がはっきりと聞こえてしまった。
「小野寺、最近橘とはどうなん?」
「ハイハイ、特に何もないから」
「橘、案外ガード固いな〜。これならヤるまで相当時間かかるんじゃねぇの?」
「そうかもなー。でもそこはゆっくり確実に行きたいから。3年に上がるまでは、ちょっと触らせてもらうぐらいの関係でいいよ」
「うわ、小野寺ムッツリじゃん! ……ってヤベぇ! 小野寺、廊下! 廊下!!」
「何? 廊下、って……」
振り向いた小野寺は「ヤバい……」と小さく声を漏らす。
男子達の話してた内容が理解できないほど、子どもって訳じゃない。つい先日、交際相手の先輩と初体験を済ませたと恵里菜が話していたぐらいだし。
寒さと混乱で私の身体がガタガタと震える。私の隣にいたホナミが「男子サイテー!」と叫ぶ。こらえきれなくなった涙が頬を伝う。
目が合った私に向かって、小野寺は「ち、違う……」と声にならない声を出す。
「……これからはできるだけ私に話しかけてこないで」
他クラスからの野次馬が数人顔を覗かせていたけれど、それを振り切って私はその場を逃げ出した。
その日は小野寺と話すことがなかった。毎日続いていたメッセージのやり取りもぱったりと途切れてしまった。
どこか消化不良な気持ちを抱えたまま2、3日を過ごした後。
部活終わりの駐輪場で、小野寺と私は出くわしてしまった。
私の方を見て目を見開いた小野寺は無言で片手を上げる。私はペコリと軽く頭を下げて彼からの挨拶を返した。
何かを察した女子バレー部の友達は「先に行ってるから」と先に校門の方へと向かっていく。
2人で見つめ合ったまま小野寺は口を開いたものの、言葉が音になって出てこない。
なにか言ってほしい。
けれど彼が発しようとした言葉は空気となって消えてしまう。
結局彼は一言も発することができなかった。
駐輪場の外から届いた「小野寺何かあったー?!」との声に「今行く!」と叫び返し、そのまま自転車に跨って行ってしまったからだ。
1人残された私は自転車に縋りながら、ぐしゃぐしゃになってしまった視界を拭った。
「……っ、うぅ……」
なんで何も言ってくれなかったの。話しかけるなって言ったのを律儀に守らないでよ。
あのときのは冗談だって言ってよ。その場のノリで言い過ぎただけって、弁明するだけでいいのに。
私のこと好きなのなら、取り繕ってよ。
■
冬休みが来る前に、恵里菜と先輩は別れてしまった。
「本当男子ってサル。マジでナイ」
机に突っ伏した彼女の周りには、押しくら饅頭のように女子生徒のみが集う。
あの日を境に、クラスの雰囲気はゆっくりと以前の状態に戻ってしまった。
一言も喋らなくなった関係に、『小野寺と私は別れた』とのホントのようなウソの情報がクラス中を巡って、知らないうちに噂はパッタリと途絶えてしまった。
男女がハッキリと分かれているこの状況は、ある意味見慣れた3組の風景だ。
「結果付き合わなくて良かったじゃん」
私の前の席を陣取ったホナミが、私と向かい合うように後ろ向きに座る。手持ち無沙汰なのを誤魔化すように、ホナミは私の筆箱を漁って、プリントの裏にペンの試し書きをしている。
「んー……」
「それとも何? 未練でもあるの?」
「別に。好きだった訳じゃないもん」
それでも、初めて付き合うことを考えた相手だ。
心の中にぽっかりと大きな穴が空いてしまったような、そんな喪失感がある。
私が小野寺と過ごした時間は何だったんだろう。
クラスの雰囲気を良くしたい、と頭を悩ませた時間は何だったんだろう。
堂々巡りのように考えこんでしまうのだ。
どんなに時間をかけても、答えが出ないことぐらい分かっているのに。




