10 キーホルダー
全てのテストの返却が終わり、残された1学期の予定は三者懇談と、終業式を含めた僅かな登校日のみだ。
夏休みが迫ってきた8組の教室内のボルテージは、梅雨の時期の分厚い雲でさえ吹き飛ばせる程に熱量が上昇している。
文化祭の話し合いのために設けられたホームルームにて、期末テストで溜められたクラス中の鬱憤が一気に開放される。
「はい! お店で、バニーガール喫茶!」
「アウト。モラルに引っかかる可能性のある案は許可出ない可能性もあるから」
「いやいや橘。俺達は別にそういうつもりで言ったんじゃないから、下世話な想像は止めろって〜。それならメイド喫茶にしよう!」
「ウルサイ。……メイド喫茶ねぇ。服をレンタルしたらかなり予算かかるし、手作りしたら準備時間がカツカツになるので、更に喫茶店要素も加えるのはあまりオススメしてないって文化祭実行委員会から通達がありました。結構ハードみたいだから止めといた方が良いよ」
「え〜。そこをなんとか!」
文化祭のことだから、という理由でまさかのホームルームの司会は担任の先生でもクラス委員でもなく、文化祭実行委員の私と山城くん。正確には、山城くんは『司会なんて向いてないから書記が良い』と言い出したせいでこの私、橘香里。
山城くんはせっせと発言された案を黒板に記していく。黒板にザッと目を通すだけで非現実的な案が多く、これをまとめるのは一苦労しそうだ。
「ダンスがいい! もしくは映える飲み物とかスイーツ!」
「イベント展示が1番楽ちんだって。当日シフトがない方が文化祭楽しめるに決まってるだろ!」
「……分かったから! まずはお店か、展示か、ステージか。とりあえず多数決で決めよう!」
■
すっごく、疲れた。
最初に出し物の方向性として、多数決の結果食べ物のお店に決定。ここまでで十分疲れたけれど。
その後、どんなお店をするかでまた揉めた。
手軽さと見栄えでドリンクとスイーツを推薦する女子と、ガッツリ系の食べ物がいい男子、……バニーガールやメイド喫茶の夢を諦めきれない一部の阿呆共。
加熱調理の必要なものは保健所や学校側の規定が厳しくなるとの担任の先生の鶴の一声で、数人の男子が寝返り、ドリンクが優勢勝ち。数の暴力に敗れた男子達は結果に納得はしつつも、どこか不満げな表情を浮かべていて。
それで、私はつい言ってしまったのだ。
「……ドリンクはドリンクのままでも、服装は普通のままでうさ耳のカチューシャを付けたら良いんじゃない?」
教卓に立つ司会の私の一声で、教室はシーンと静まりかえってしまった。
うわ、言わなきゃよかったかも。そう思ったのもつかの間。
それはそれでありだ、との声が男子の方から湧いてきて、ドリンクのカップにもウサギのイラストを描いて販売したらいいのでは、とのアイデアが女子の方から生まれてきて。
なんとか1年8組の出し物はウサギがテーマのドリンク屋さんに決定した。今回こそは文化祭のイベントが結果としてクラスの皆で納得する形になって本当に良かったと、安堵のため息を吐いた。
「今日1日でよく決まったね。俺、今日中になんて絶対ムリだと思った」
文化祭のアンケートの集計をしながら、山城くんが他人事のように宣う。教室にはまだ数人生徒が残っているけれど、教卓付近で作業をしているのは私と山城くんの2人だけだ。
「……私も絶対長引くと思った。なんとかまとまってくれて良かったよ」
「橘さんって委員長っぽいもんね。まとめ役すごく向いてそう」
「実際中学の時に学級副委員になったことあるよ」
「イメージ通りだ……。俺中学のときそういう人って……。いや、何でもない。今の忘れて。ごめん」
何を言いたかったのだろう、と一瞬気になったものの首を突っ込むことは止めた。私の中では山城くんへの興味より、早くこの作業を終わらせたいという意欲の方が圧倒的に大きい。
「……分かったから、さっさと作業進めよう。私はこれから部活あるし、山城くんだって早く帰りたいでしょ?」
「……そうだね」
山城くんは真面目な人なんだと思う。
少々こだわりが強いのか、「このアンケート、どう処理しよう」と随時確認してくるあたり、この人細かいなって思う部分があるけれど。
それでも文句1つ言わずにこなすあたり、山城くんが文化祭実行委員のペアで良かったな、とは思っている。
開始15分で仕事を終え、集計結果を記入したプリント片手に、私と山城くんは職員室の近くで露頭に迷っていた。
「橘さん、実行委員の担当の先生って名前分かる?」
集計結果をまとめた提出用紙には『提出先は文化祭実行委員会担当の教員まで』としか書かれていない。残念なことに、不慣れな1年生の私達は担当の先生の名前どころか顔すら思い出せない。
「……ごめん、分かんない。この前の文化祭実行委員会のプリント見れば分かるんじゃない? 多分名前書いてたと思う」
「……俺、あのプリント家に置いてきたんだよね」
ギターが入っていると思われる縦長のカバンを背負い、ポリポリと頭を掻く山城くんに頭が痛くなり、思わず大きなため息をついてしまった。
私だってあのプリントは……。
んん?
そういえば重村と勉強したときにあのプリントの裏側を使ったような気がする! 物理基礎の問題を教えてもらったときにメモ用紙代わりにして、困ったときに見返せるように教科書に挟んでおいたのだ。物理基礎の教科書なら、ロッカーの中で眠っているはず。
「ロッカーにプリントあるかもしれないから取ってくる。職員室にも私が行くから提出用紙貸して!」
もしプリントが無かったら、ちょっと遠いけど国語科準備室に閉じこもってしまった担任の先生の元へ行って、恥を忍んで名前を聞けばいい。頭の中で算段をつけながら、片手を山城くんに差し出したけど、彼は首を横に振ってマッシュヘアーの髪を揺らした。
「それはいいよ。名前だけ確認したら俺が職員室行くから。だから担当の先生の名前だけ確認させて」
「……分かった、じゃあよろしく」
ロッカー兼下駄箱の鍵を開け、物理基礎の教科書を確認すると、お目当てのプリントが挟んであった。すぐにそれを山城くんに見せて、該当の箇所の写真を撮ってもらう。
あとは山城くんが提出してくれるみたいだし、このまま部活に向かおうと靴を履き替えていると、鍵が刺さったままの私のロッカーの扉を山城くんは凝視した。
「もしかして橘さん『ラスピス』好きなの?」
ラスピス、と聞いて思い浮かぶのは最近流行りの恋愛ソングを歌う『ラスティピスタチオ』というバンドの名前だ。そういえばこの前クラスメイトの莉子からラスピスのマスコットキャラのキーホルダーを貰って、鍵に付けていたことを思い出す。
山城くんはラスピスが好きなのだろうか? でもその割には鍵を見つめる目は鋭いような気がしないでもない。
「……もしかしてキーホルダー? 友達に貰っただけであんまり詳しくはないかなー」
「ふぅん。ファンとかじゃないの?」
「残念ながら。あんまり興味はないかなぁ」
「そうなんだ?」
戸惑いながら首を縦に振ると山城くんは、まるで同士を見つけたかのような急に晴れやかな表情を浮かべた。
……もしかして山城くんはラスピスが嫌いなんだろうか? でもその割には、マスコットキャラを見ただけでラスピスを連想させるぐらいには詳しいようだし。一体何が目的なんだろう。
「女子ってこういうバンド好きなんだと思ってた。僕昔のラスピスの方が好きだったんだよね。でも売れてから曲の雰囲気変わって普通のバンドっぽくなったから」
「そ、そうなんだ。話しているところ悪いけど、私そろそろ行かなきゃ。じゃあプリントよろしく!」
早口で捲し立てる山城くんからの別れの挨拶を聞くより先に、私は部室のある方向へと逃げ出した。




