五 救出 ニ(完結)
たった今まで隣にたっていたのに。ホールはかなり広く、彼はそれほど足が速い方ではない。だから、突然消えてなくなるはずがなかった。
「クロール?」
本人の性格からして、つまらない悪ふざけとも思えなかった。ピンセットを元に戻し、ホール中を探し回ったにもかかわらず影も形もなかった。
もう、水族館どころではない。施設側に問い合わせても無意味だろう。思い当たる節はただ一つ、彼の母親だ。
公共の場所ではあっても、ギルドならともかく水族館は大がかりな魔法を防ぐ工夫はされていない。
油断していた。あれほどのいきさつのあとで、向こうが黙っているはずがない。クロールを探し出した場面で、私を誘拐犯にしたてたりそのまま殺したりするのを狙っているに違いない。
だからといって放っておくと、最後にクロールと一緒にいたのは私だから嫌疑をかけられるに決まっている。
なら、やるべきは一つだ。そのまま水族館を出て、まずは地図屋さんを目指した。ギルドにせよフリーランスにせよ、情報屋の類はとうに手が回っているに違いない。
あの病的な世間体マニアの母親が、自分と少しでも係わりのある場所に私を誘き寄せようとはしないだろう。そして、誰に手を下させようと極端に離れた場所では自分が困る。
だから、ほどほどに街に近くて騒ぎが起きても差し支えがない場所を選ぶのは明白だ。例えば、街外れの廃屋とか。だから、十年くらい前の地図と現代のそれを比べていけば自然に絞りこめる。
そうして推し量った結果、昔の製粉所に白羽の矢がたった。今は、地図上では更地になっている。街中ではないから、きれいさっぱり消えたのではないだろう。
製粉所は、大きな川のほとりにある。水車で穀物を潰すためだ。もっとも、さすがに水車は残ってないだろう。
やり方としては魔法で呼び出した魔物を潜ませて、のこのこやってきた私を不意討ち、一撃必殺というところだろう。そうしないと私からどんな反撃を受けるか分からない。つまり、即死系の力を持つ可能性が高い。と同時に、私の死体を晒し者にして楽しむ可能性もある。
彼女はワニ皮のハンドバッグを持っていた。それが、決め手になった。
数時間後。ぼちぼち黄昏時を迎えようとする時分に、くだんの製粉所跡地へと至った。思った通り、建物はある程度外観を保っている。車輪がどこかにいってしまった水車もあった。
川は場違いなほどきれいな水をさらさらと流している。夏にはまだ早いものの、暑くなったら泳いでもいい。
さておき、冒険仕様の格好になった私は慎重に出入口に近づいた。耳を澄ませてもなにも聞こえない。
出入口にはドアはなく、石でできた苔むす長方形がぽっかりと開いている。戸口まで近寄り、手鏡を持って室内に差し入れた。
とたんに獣そのものの吼え声が空気を震わせた。ついで、ドサッと重いものが倒れる音も。
戸口に張りついたまま、ゆっくり手鏡の角度を調整すると巨大なトカゲめいた化け物が石化して屋内の床に横たわっていた。
やはり、バジリスクだ。一睨みで獲物を石化し、猛毒の血液と牙を備えた恐ろしい怪物。一番安全かつ確実な退治は鏡で自分の姿を見せる他ない。クロールの母親が呼び出したに決まっている。ワニ皮のハンドバッグを持っていたくらいだし。
バジリスクの向こう側に、縛られた上に目隠しをされたクロールが転がされていた。一も二もなく駆け寄り、解放する。
「ありがとうございます、師匠!」
満面の笑みを浮かべながら、クロールは私の手を握った。その途端、身体中がしびれて意識が飛んだ。
気がつくと、私はさっきのクロールのように縛られて転がされていた。猿ぐつわも噛まされていて一言も話せない。
場所は製粉所から変わってない。虫食いになった壁の隙間から差し込む、かなり傾いた西日の光が時間帯を教えてくれた。
「さ、早くこの『気の毒な境遇にあるお下品な女性』に絶縁を宣言するザマス」
ギルドで目にしたのと大して変わらないセンスの格好をしたク……クロールの母親が私を見下ろしている。その隣では、クロールがおどおどしながら私と彼女を見比べていた。
「早く言うザマス!」
肩を怒らせた弾みか、ケバケバしい香水のニオイがこちらまで降ってきた。
「し、師匠……」
「師匠じゃないザマス! 『気の毒な境遇にあるお下品な女性』ザマス!」
「ぼ、僕、じゃない、私……」
「なんザマスか、私の前で! 『私』は一人前になってから使っていい一人称ザマス!」
「じゃあ、僕は気の毒な……」
ようやくレールに車輪がはまり、彼女は満足げにうなずいた。
「境遇にある、お、お下品な……」
私から目をそらしつつ、モゴモゴ含むように続けるクロール。
「あと一歩ザマス!」
「お下品な……」
「ああもう、もどかしいザマス! ほらっ、こうすればやり易くなるザマス!」
彼女はワニ皮のハンドバッグから小銭を出して、私の顔に叩きつけた。
「お下品な……クソババア、黙れ! 二度と私の人生にかかわるな!」
目の縁を張り裂けんばかりに見開いて、カッと自分の母親を睨みつけたクロールは落雷のように怒鳴りつけた。
「な、なんザマス……? よく聞こえなか」
クロールの拳が母親の顎を捕らえ、互いの骨がゴキッと鳴った。今度は、彼は鼻血を出さなかった。その代わりに髪の毛が逆だちそうなほど怒り狂っている。
精神的にも肉体的にも全く予想しなかったショックで彼女は白目をむきかかり、よろよろとあとずさった。そして、石化したバジリスクにつまずいてうしろ向きに倒れ、床に頭をぶつけて気絶した。
「師匠……申し訳、申し訳ありません!」
謝りながら、クロールは自分のナイフを抜いて私を自由にした。
「構いません、クロール。それより、よく決断しました」
それは私の本心だった。
「ありがとうございます。私の母親をどうします……?」
ナイフをしまいながら、彼は不安げに尋ねた。
返事をする前にたち上がり、手首や口の周りを自分で揉みほぐしながら彼女の前にきた。
まず、杖とハンドバッグは没収。お金にしないと。ローブまではまあ、同じ女性の情けで勘弁して上げる。香水が臭いし。
その上で、少し考えた。殺すか縛るか無視するか。
殺すのは、さすがにクロールの心を傷つける。縛っておいたらどこの誰にどんな仕打ちを受けるか分からない。
なら、ここでは無視して杖やハンドバッグを売る時に事実を伝えることにしよう。私自身は立派な正当防衛だし、それで倒されたクソババアは身ぐるみ剥がされても文句は言えない。カロール一族とやらも面目丸潰れだ。なまじ本人が生きている分、余計にダメージを受けるだろう。
「しばらく頭を冷やしてもらいます」
それこれやを総括して宣言した。とりあえずは殺されないと知り、少しだけクロールは安堵したようだ。確かにろくでもない母親ながら、さすがにそこまで憎悪しているのではないだろう。絶縁は絶縁にしても。
「師匠は……?」
「騒がしいのもうっとおしいですし、別な国にでも行きますよ」
こうした身軽さも、冒険者の魅力の一つだ。
「わ、私は……」
なけなしの勇気を今一度ふるおうとする姿が、けなげでもあり切なくもあった。
「私は……」
「しばらくは別々に旅をした方がいいです。今回のことで、一番大事なものをあなたは学びました。だから、今度は自分でそれを鍛えるのです」
今から一緒に冒険をすると、お互いがお互いを頼り切ってしまいそうだから。おごそかに宣言すると、クロールはがっくり肩を落とした。
「魔法でもなんでも、自由に、好きなように使いなさい。生き延びるのにこだわりはいりません」
「はい、師匠」
「じゃあ、そろそろ」
「師匠!」
歩きかけた私の足が止まった。
「今まで大変お世話になりました! せめて、戸口で見送りたいです」
「はい、お願いします」
思い出す。前世は、小児病棟でいつ誰を見送るか見送られるかという日々だった。いつからか諦観し、なにも感じなくなっていた。
今は、ほろ苦い充実感に包まれながらお互い生きて別々な道を歩み始めた。私の心にしかと刻まれた師弟の絆。
製粉所を出てすぐ、陽が暮れた。一度だけ振り返ると、手を振るクロールの姿がおぼろげに見えた。私も手を振り、それからは前を向いて歩き始めた。
終わり
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