第15話 イベント発生
――夜
草原の上で焚き火に当たりながら、二人と一匹は食事を取っている。
上を向けば満天の星空が広がり、月がこれでもかと輝き、その存在を存分にアピールしている。
ただし、その月は二つ有り、ここが異世界なんだと思わせる光景に、ヨシタカは食事を忘れて空を仰ぐ。
「月が二つ……すごいな……片方青いし……綺麗だなぁ……」
「そうなのか。ヨシタカの所では三つくらい有ったか?」
ヨシタカが空を見上げ感動している横から、銀髪美少女――サティナが微妙にずれた質問を投げてくる。
「ぶっ。逆だよ、逆! 一つしか無いんだ。二つ有ることを凄いって言ってるんだから、一つだよ! あはは」
「む、そうか。それは悪かったな!」
「ううん。悪いことは無いよ! 面白い返しだなって笑えただけだよ」
「むぅ……」
サティナは不貞腐れた顔をしているが、こんなやり取りも悪くない。そう感じて彼女も笑顔で空を見上げた。
「あぁ……本当だ。良いものだな。今までと、何か違って見える。綺麗だ……」
視線を空から隣のサティナへと移したヨシタカは、その綺麗な横顔に見惚れてしまうが、見つめている事を悟られないように、そのまま視線を膝の上のひなたへ向ける。
「だよね! にしても、ひなもサティに大分慣れたね。結構早い方だよ。うちの母親なんか二日掛けて漸く慣れてたからね。ひなはサティの事をかなり気に入ったみたいだ」
「そ、そうか? それは……嬉しいな。ここにも私を認めてくれる方が居たんだな」
ひなたを見つめるそのサティナの表情は、慈愛に満ちた笑顔で、優しくその小さな身体に触れていた。
「お、サティ。もうひなを触っても、ふにゃあってならないんだな!」
「おお、おい! 思い出すな! 忘れろ! 耐えるのに必死なんだ!」
「なんだよ、耐えてるのかよ。耐えなくていいのに……。あれはあれで見てて楽しいよ」
「別に! 楽しまなくて! 結構だ! ふん!」
「ニャ〜」
空気を読んだのか、ひなたがゆっくりとサティナの膝の上に移動を始めた。その柔らかい肉球で、サティナの雪のように白い太腿に乗り始める。
(……俺はどちらを羨ましがればいい? サティそこ変われ? ひなそこ変われ? くそっ! ひなそこ変われ!)
「あっ、ひなた様、なんと……! くっ! ヨシタカ! 私はどうしたらいい!? ……ねぇ!」
サティナは慌てた様子でヨシタカに訊いてくる。
猫を抱くのには実は作法が有り、その方法でも聞きたいのか、とヨシタカは考え。
「あぁ、そのままでいいよ! 強いて言うなら、足を崩して、乗る面積を増やしてあげるといいかな? そしたら撫でてあげてくれ」
「わ、わかった! ……っと。こ、こうかな。ひなた様、大丈夫でしょうか」
「ニャ〜ウ」
返事をした様に鳴き、そのままひなたは欠伸をする。
「大丈夫らしいよ」
「そうか! 良かった。ああ、本当に……猫……様。ひなた様は本当に、その、可愛い……あぁっ! 失礼か、こんなこと! なんと言えばいい!? 美しい!?」
「ぷっ。そんな慌てなくていいよ。可愛い、で大丈夫だよ。膝に乗るくらいサティの事を信頼してるみたいだからね。仲良くしてあげてね」
「あぁ、勿論だ……。うぅ……ふわぁ……柔らかいぃ〜……伝説ぅぅ……」
結局トロけた。
「……チーズエルフめ」
そんなやり取りをしながら、夜は更けていった。
補足だが、火の番を二時間置きに交代でする事で、火を絶やさず、二人は温まることが出来た。それでも、布団も無い状態なので満足感は無い。下は草という天然の布団だが。
寝る際に掛けている物も、サティナが持ってきたゴワゴワの大きなタオルの様な物だけなので、勿論快眠など出来ようはずも無く。だが贅沢など言える状況ではないのだ。
ひなたはと言うと、ヨシタカとサティナの膝の上に行ったり来たり。ただ火は怖い様で、火を正面に座ると膝には来ない。
ヨシタカ達はそれに気付き、焚き火に対して横向きか後ろ向きに座るようになった。奇妙な光景である。
………………
…………
眠るサティナを横目に、ヨシタカはまた空を見上げている。
「はぁ……異世界なんだなぁ。不安だけど、夢みたいだな……ね、ひな? 明日からも頑張ろうね」
「ニャ」
膝のひなたに目を向けて、これからどうなるんだろうと、思いを馳せるヨシタカだった。
ひなたはそんなヨシタカの顔を、ただ見つめていた。
……………………
………………
…………
……
――翌日。
早めに起きて歩き始めた二人と一匹は、もう間もなくジッポ村に到着という所まで来ていた。
ジッポ村は百人程の村で、殆ど他国との交流は無いらしい。基本的には村人はそれぞれに役割のようなものがあり、狩り担当の家庭や、農業、織物など。それらを互いに提供し合っているようだ。
中でも農民が多めとの事。
交流はあまり無いが、年に一度、領主様の所から使者が税の徴収に来るのと、数ヶ月に一度、王都の方から商人が来る。
その際に村人は欲しい物と物々交換、又は通貨での購入をするらしい。
エルフの民はそのタイミングでたまに村へ来て、商人と取引をするようだ。
その程度との事。
「まぁ、私も家族から聞いた事がある程度だからな。詳細はわからないが、概ねその通りだろう」
「なるほど。変な人はいないと信じてるけど、ひなが受け入れられてくれればなぁ。なにも心配無いんだけど……」
ヨシタカの横、正確には足元を歩くひなたに彼は目を向ける。
「大丈夫だ。と言いたいが、なんせこの世界の猫は絶滅しており、神獣とまで言われているからな……心配するなという方が無理だろう。ヨシタカの……家族だしな」
「うん、ひなは俺の家族だ。絶対に危険な目には会わせたくない。日本だろうが異世界だろうが、必ずひなと幸せに暮らす」
ヨシタカは決意を固め、胸の前に持ってきた拳を握る。
そこへ、雪のようにきめ細かく白い手が重ねられる。
驚いて横を向くと、サティナがヨシタカの手に手を合わせていた。
「私も協力する」
あぁ、なんて頼もしいんだろう。と。
「ありがとう。頼りにしてる!」
(アァッ……手! 肌! 柔らかっ! うっ)
――決意を新たに、いざ、はじめての村へ。
そう意気込んでいたところへ、村があると言われている方角から中年と思われる男が走ってきていた。
それに気付いたサティナが身構え、腰の剣に手を掛けた。
異世界ならではのハイエルフ、その彼女が剣に手を掛け警戒している姿に、ヨシタカはどうしても、胸が踊ってしまうが、そんな感情は一瞬で過ぎ去った。
それは、走ってきている中年の男が、顔から足までを血だと思われる色に染めていたからだ。
男が近付いて来るにつれ、何やら叫んでいるのが聞こえ始めた。
ヨシタカにはその男が何を言っているのかは分からなかったが、耳の良いハイエルフ――サティナには聞こえたようで、その金色の瞳を見開いた。
「なんだと……?」
「サティ! あの人なんて言ってるんだ?」
サティナは動揺している。
呼吸が荒くなり、少し手が震えているように見える。
「……ウルフが……村を襲っているらしい」
ウルフ……狼の事であろうが、日本の感覚で考えて良いものかどうかとヨシタカは考える。
「サティ。ウルフは強いの?」
震えたままサティは答える。
「普段から狩猟をしている者なら、そこまで手こずらないと思うが、それはあくまで相手が一匹ならだ。だが、村人が総出で一体のウルフに敵わないとは思えん。村には狩猟を生業にしている者がいるはずだからだ……」
「ということは、複数いる可能性があるのか」
(……逃げるか? どうする? ひなが危ない。いや、村の人を見殺しにしていいのか? サティは……まだ動揺してるな。いや俺もかなりやばい)
「あぁ……、まずいな。……里まで戻って応援を呼ぶ? いやそんな暇は無い……。私は……どうしたら……」
サティナは声を落とし。思考している。
手を震わせ戸惑っているサティナに向かって、ヨシタカが声を掛ける。
「サティ。ひなをカバンに入れて蓋をしてくれ。それで、無事な村人にひなを預ける。あそこにいるオッサンで良い」
「……は? ヨシタカ、何を言っている?」
(自分でも何を言ってるんだろうって思うよ)
「遊びじゃないことは俺でもわかる。人の命が掛かってるんだ。……だから、助けたい」
(戦ったことなんて無い、たかが日本のサラリーマンが何言ってるんだ?)
「とりあえずサティ、ひなを頼む。…………ひな? ごめんね。危ないから少しここに入ってくれるかな」
サティナが地面に置いたカバンの口を開け、ヨシタカがひなたに促す。
カバンの中にゴワゴワのタオルを敷き、簡易キャリーバッグの完成だ。
ヨシタカはひなたの頭を撫で、前足の付け根辺りに腕を通しながら持ち上げる。そのままカバンの中へ。
「ニャ〜、ニャ〜」
「ごめんひな。お願い……」
「ひなた様……どうか……お願いいたします」
「ニャ〜ン」
サティナも合わせてひなたにお願いしてくれている。
ひなたは嫌がっているようだが、ヨシタカは日本にいた頃、動物病院へ定期検診へ連れていく時のように、優しくカバンにひなたを入れ、蓋を閉じた。
そしてすぐにカバンを持って立ち上がり、サティナに向き直る。
「サティ。今日は回復魔法使えるんだよね」
「あ、あぁ、魔力は回復してる」
そう言いながら、サティナは手を魔力で小さく光らせた。
「ならいけるか? ってか何匹いるんだろう」
そこへ、走ってきていた男がヨシタカ達の元へ辿り着く。
息を切らせた男は、全身血だらけで、着ている民族衣装の様な服装は、端々が切れ、所々穴が開いている。
「あ、あんたら! 助けてくれ! 村が……ウルフ共に……」
ひなたがカバンの中でビクッと震えたのがわかった。
(ごめんねひな……知らない人は怖いね。ごめんね)
サティナは震える手を無理矢理に押さえ付け、男に声を掛ける。あくまで、平静を装いながら。
「村の者か。ウルフはどのくらい居る!?」
「あぁ、確認出来ただけでも、十匹程だ……」
「十匹だと……? 狩猟をしている者は!?」
サティナが更に問いかけると、男は息を切らしながら、青ざめた顔で
「半分は今狩りに出掛けてて……率先して戦っていた奴は……噛み殺された……今は残った村人で散り散りに逃げてる! ウルフ共が……あいつらを喰ってる間に……っ」
「……は?」
(人が……死んだ? 嘘でしょ?)
ヨシタカは、どこか楽観的に考えていた節はあるかも知れない。これまで、そんな身近に危険がなかったからだ。
どこか物語の中を覗くように、外側から見ていた気分だったのかもしれない。
だが、目の前の男から語られた゛人の死 ゛に、遂に現実のものと考えるようになった。
「……十匹か。わかった。私が今から村へ行く。お前はこのヨシタカからカバンを受け取ってくれ。その中には彼の大切な家族が入っている。小さな動物だ。――絶対に守り抜け。代わりに私達が、ウルフを倒す」
「わ、わかった! 必ず……!」
男はそう言ってサティナからカバンを受け取ると、大事そうに胸へ抱えた。
その姿を見たヨシタカは、悲しそうな表情を浮かべていた。ひなたが心配で仕方が無いのだ。
これで良いか? と、震えた手のままサティナはヨシタカに無言で訴える。
ヨシタカは彼女に向き直り、首肯する。
「…………よし。行くか。サティ……お前が一番戦える。俺は逃げることに集中する。あとなるべく引き付けるから。後ろからウルフをぶった切ってくれ!」
(ああああ! 本当無理! 本当無理! 初エンカウントは一匹ずつにしてくれよ! スライムとかさ! ウルフ十匹って!!! ちょっとレベル上げてからにして欲しい!)
それでもヨシタカが戦えると信じているのは、ポケットに入れた布袋、その中の青い石の存在が大きいだろう。
――女神の涙。その存在だ。飲んだ者の怪我や病気を完全に治すという伝説級の代物である。
ただ、本当に回復するかどうかのお試しが、命に関わるぶっつけ本番になるとは、思いもしなかった様子だが。
カバンを抱く男は、その銀髪と黒髪二人の後ろ姿をずっと見ていた。
そこで何かを思い出したように男が声を発する。
「あ、あんた……ラティナちゃんとこの妹か! この前、村に来ていた!」
その言葉を聞いたサティナは男に振り返る。
振り向いたサティナは、数瞬考えたが、すぐに曇らせた顔になり、ああ、と、そう一言呟いた。
『――サティナちゃんって言うのかい? ちょっと魔法で手伝ってくれないか? 代金はこれで――』
『――なんだ。魔法を使えないのか。回復? 別に怪我はしてないよ』
「……サティ! 大丈夫? いけるか?」
ヨシタカは、固まっているサティナに呼びかけるが、そこへ追い打ちを掛けるように男が叫ぶ。
「お、おいあんた! その子は魔法が使えないエルフなんだ! 戦えないぞ! 大丈夫なのか? あんたは戦えるのか!?」
(……このオッサン。なんかちょっとアレだな。状況が状況だから、必死になってるだけだろうし仕方無いけど、サティの事を知らない奴が何を言ってるんだ)
「サティ……大丈夫だ。俺がいる。一緒に戦ってみよう。剣があれば、負けないんだろ?」
横で呟くヨシタカの言葉。
虚勢だったかもしれない。本当は震えてるかもしれない。
だが、十分だった。その一言で、サティナの目に光が灯る。
「……あぁ、行こうヨシタカ!」