よろしい。ならば合コンだ。〜聖女追放を回避せよ〜
バティスト殿、受難の日々。
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「こ、国務大臣殿!バティスト国務大臣殿!大変であります!!」
「アニエス殿!ここは執務室だと何度言えばわかるのですか!静かにしなさい!」
私の秘書を務めるアニエス・フォン・ローランが、今日も今日とて緊急事態を伝えてきた。怒鳴ってる親父は私のもう一人の秘書であるバジル・フォン・リシャールだ。
このやり取りももういい加減様式美になりつつある。二人とも有能ではあるのだが、どちらも声が大きすぎるのが難点だな。
それにしてもここ数ヶ月、彼女の口からはまた緊急報告ばかりが飛び出してくる。以前は追放者たちから「今更有能ぶりに気付いてももう遅い!!」と言われて城が大損害を被ったのだが、最近はその逆で出戻り組の処遇で王家を悩ませていた。尖った才能を再評価された人々は、適材適所では有能過ぎて逆に組織編成しにくかったのだ。
おかげで出戻り組の再評価を補佐していたアニエスは、再評価に必要な観察業務が立て続けに発生し、過労で目眩を起こしていた。にも拘わらず随分幸せそうな顔をしていたが。
だが概ねそちらは片付いてきていたはずだが…また別件だろうか?ややうんざりしつつ、伊達メガネを直しながらいつもの確認をする。
「なんだ?ついに錬金術部門の長と魔法戦術部の秘書との間に子供でも生まれたか?それなら朗報だがな」
「そっちの予定日はまだ半年先です!そうじゃなくて聖女様です!うちの王子様がエグランティーヌ・フォン・ヴィルヌーヴ公爵令嬢と結婚するから、現婚約者である聖女様とはけじめの為にも婚約破棄、もし反抗するなら追放するって言ってます!教会からは追放されたら対魔獣結界を維持できなくなると悲鳴が上がってます!!」
ああ、今度はそっちか…この世界には問題にムーブメントでもあるのだろうか。ついに我が城にまでその波が押し寄せてきたとでも言うのか。
ここ最近近隣諸国では、恵みの加護をもたらしたり、結界を必死に維持している聖女を何故かあっさり追放した結果、国内に甚大な被害をもたらす例が頻発している。追放された聖女は他所の国で大活躍…してくれるならむしろまだ良い方で、その追放騒ぎがトラウマとなって一般市民に戻ってしまったり、過酷な修行や奉仕活動に嫌気が差してスローライフを送ろうと田舎に引っ込んでしまうことが多かった。
農村と聖女はそれでいいだろうが、王都に住む無関係な人々は老若男女問わず魔獣の犠牲になっていくのが現実だった。
件の追放騒ぎと違い、聖女の場合は同じ追放でも色恋沙汰が絡むことが非常に多い。「もう遅い!」とすら言ってくれないことが多い分、こちらの方がより深刻だった。失恋で傷付いた聖なる乙女を癒やす方法など、俺にはわからない。
「ヴィルヌーヴ家と言えば、聖女というか教会とは折り合いが悪い家だったな?」
「はい。ヴィルヌーヴ家は信仰心を金に捧げたと言われる家で、我が国の公爵家としては珍しく、不動産業と観光業を得意とする公爵家です。商家よりも商家らしいと評されていますな」
つまり、家と王家の繋がり…あくまで商売をする上でのパイプを太くするために娘を当て込んだってところか。…それにしても。
「随分簡単に決まったように聞こえるな。それとも前々から計画されていたのか?」
「いえ!決まったのはつい先日です!たぶんエグランティーヌ様の胸が今までで一番大きいからだろうって言われてます!」
まじかよ…この国そのうち終わるんじゃないか…?
頭が痛くなってきたが、とにかく国務大臣としてやることはやらないといけない。
「取り急ぎ軍部に連絡…するまでもないかもしれないが、万が一結界が外れた場合は近隣諸国の例を見るに甚大な被害が発生する。周辺の農村にも軍を派遣し、大規模な罠を周辺に張るなりして損害を抑えるよう俺が進言していたと伝えろ。魔獣の数が知れないから、間違えてもマンパワーだけで対応を図らせるな。『村で兵と民に損害を出してから"もう遅い"と国務院から言われたくなければ、大人しく罠を使え』とでも言ってトラウマを刺激しておけ」
「は、はい!すぐに――きゃっ!?………あれ?」
「それなら私が行きましょうか?軍務に関することなら恐らくアニエスより私のほうが説得力が生まれるでしょう」
慌てて走り出そうとしてまた転けそうになったアニエスを片手で支えながら、バジルが俺に提案してきた。確かに、華奢なアニエスよりガタイのいいバジルが鉄面皮のまま話したほうがそれらしくはなるな。
最近のバジルは、アニエスの気弱さや慌てやすい側面を上手くフォローしてくれるようになった。あまりのそそっかしさに見ていられなくなったらしいが、アニエスからも尊敬の念を新たにされており悪くない傾向だ。
「なら、そっちはバジルに任せよう。アニエスには別にもう一つやって欲しいことがある」
俺は数枚の書類を取り出してアニエスに手渡した。その表題を見て怪訝な顔をした二人に、俺は本題を伝えた。
「この提案書を国王宛に提出しろ。王子にいま必要なものだ。主催は国務院で行うと伝えてくれ。…今回も二人には一肌脱いでもらうぞ」
その書類には"合コン企画書"と書かれている。だが俺がふざけてこのような企画を出すことはないと二人は知っている。
バジルの顔付きが岩のように引き締まり、アニエスの瞳が銀色に輝いた。
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「一体何のつもりだ、バティスト国務大臣。僕は君の道楽に付き合うほど暇ではないのだが」
「お忙しいところご足労頂き申し訳ありません。しかし、これは国の存亡がかかった緊急事態なのです」
俺の目の前にラザール第一王子が腕を組んで立っている。明らかに不機嫌そうだ。バジルは完璧な臣下の礼を執り続け、アニエスは少し怯えながらも静かに頭を下げていた。俺はこの一件に関することについてのみ国王からとある特権を頂いたのを良いことに、いつもの態度で臨んでいる。
『殿下は安酒でも高級感のあるグラスで飲めば美味しいと感じるタイプです。』
事前に銀色の目でそう評価したアニエスの言う通り、彼はとにかく美人の類に弱い。政治的な手腕はそこそこ優秀なのに、美人を前にするとすぐに脇が甘くなる。今回の聖女追放未遂騒動も、幼少からの婚約者だった清楚で可愛らしいが華のない聖女ではなく、美しく貴族としても教養もある女に婚約者を切り替えるためだった。
色に狂って国を傾ける気かとの非難はもちろんある。
ただ、この件では彼にも言い分があった。
「父上にはお話ししたが、聖女が展開する結界については既に代替システムがある。オスマン王国で開発された、聖女以外の魔力で大規模な障壁魔法を展開することができる魔法具だ。我が国の魔法戦術部は優秀で、既にいくつか試作品ができたと聞いたぞ。ならば婚約者を代えて何が悪いのだ?」
そう、結界の代替品は出来つつあったのだ。それは浅はかな追放によって大聖女を失ったオスマン王国が総力を挙げて開発した虎の子であり、弱い魔獣の侵入を防ぐ結界装置だ。魔導師が使う障壁魔法が応用されている。
聖女の結界が強引に侵入する魔獣を消滅させるのに比べ、こちらはあくまで侵入を防ぐ役割しかないものの、魔獣除けとしては十分な強度であり、オスマン王国では現在も稼働して一定の成果を挙げていた。コストこそかかるが複数個設置すれば結界の多重化とリスク分散も可能であり、我が国でも聖女の負担を減らすべく導入検討が進められている。
つまり結界に関して言えば、殿下の言うことも一理あるのだ。だが俺が懸念しているのはそっちではない。
「いえ、私が問題視しているのは結界の方ではなく、殿下の女を見る目が無さすぎる方に対してです」
「なっ…!?貴様、無礼だぞ!!」
剣の柄に手を掛けた殿下の前へ、なんとアニエスがいち早く立ち塞がった。俺を剣から守るように殿下の正面に立ち、人物評価を下している訳でもないのに目を銀色に光らせて睨みを利かせている。バジルは何も言わずにそれを見守りつつ、俺のそばに付いた。
ここで会ってから怯えるばかりだったはずの彼女が勇敢にも立ちはだかった事で、殿下も意表を突かれたのか動けずにいた。
「アニエス。お前の方が俺よりも殿下のことを理解できているだろう。国王より賜った特権に基づき、殿下への発言を許す。殿下に何が問題か教えて差し上げろ」
「はい。……殿下、先程バティスト国務大臣が申し上げたことこそが、国を傾ける一因になるのです。殿下は、女性を前にした時にまずどこを見ていますか?」
殿下はアニエスを斬るわけにもいかないと思ったのか、溜息の後に剣の柄から手を離した。
「…女性かどうかは抜きにして、まずその者に価値があるかどうかだな。次に女性であれば美貌、男性であれば有能かどうかだ。俺は美人が好きだからな」
俺から見て、その発言に嘘は無さそうだった。
だがアニエスはその奥にあるものを看破してみせた。
「いえ、殿下が女性を前にした時に見ているのは、まず胸です。先程も私の胸が薄いのを確認し、失望したかと思えば私の顔を見て再評価しているようでした。殿下は価値があるかどうかを判断する際に、まず胸の大きさから入る癖があります」
「うっ…!?」
…立ち塞がった時もあの銀の目で観察していたというのか。アニエスは本当に人をよく見ている。確かに殿下が好む女性の配下には胸が豊かである者が比較的多い。もちろんどれも有能な配下ではあるのだが、殿下の性癖が優先されているのだという噂はあった。だがそれを、まさか自分の胸を使って確認するとは…これほどの胆力が彼女には秘められていたというのか。
流石に真正面から性癖を暴露されて恥ずかしくなったのか、殿下は顔を真っ赤にして地面に目をそらした。
「…そ、それはすまなかったな。だが…その、君が愛らしいのは確かだと思う。本当だ。だから胸が薄くとも気にすることはない」
「慰めと一緒にお褒め与り恐縮ですが、私のことはこの際どうでも良いのです。それより、殿下は相手の人となりに無関心すぎます。だから今回の聖女様のように簡単に人を切ったり貼ったりしようと出来るのです。今回の合コン企画は、殿下の価値観を見直すための機会とお考えください」
その言葉に先に反応したのは、殿下ではなくバジルだった。
「無関心…?いや、殿下は美人が好きと言ったのはアニエス殿ではないか。やや下品な言い方になってすまないが、女性の胸や容姿を重視するのもそこに関心があると言えるのではないか?そもそも婚約者を代えるのもそこに起因する…ことと思うのだが」
「関心の有無と興味の有無は別です。例えばバジル殿は私が風邪を引いたらすぐにわかりますよね?」
「もちろんだ。毎日顔を合わせているからな」
…そんな当たり前に言えることでも無さそうだが、敢えて黙っておく。お前はアニエスの親父か、バジル。
「しかし殿下は違います。多くの美女を配下に持ちますが、体調への気付きはおろか、未だに顔と名前が一致していないはずです。それは彼女たちを呼ぶ際に『あなた』ですとか『君』としか呼ばない所から推し量ることが出来ます。つまり殿下は、基本的に女性の胸か顔立ちにしか興味が無く、一人ひとりの性格や人格に関心があるわけではないのです」
配下の顔と名前が…?そんなことがありえるのか?しかし殿下は痛恨の極みと言った表情を見せている。どうやらアニエスが言ったことは尽く図星だったらしい。相変わらず人間観察においてはアニエスの右に出る者はいない。
「…なるほど。だが少なくとも君のことは覚えたよ、アニエス秘書官。まさかそこまで僕のことを見てくれていたとはね。君がもし仮面を着けていたとしても、今後は間違いなく君のことは認知できると思う」
「俺の部下を褒めていただけるとは光栄の極みですが、今回は殿下にこそ仮面を着けて頂きますよ」
「うん?」
俺は数枚の仮面を取り出した。いずれもデザインこそ違うが、口元だけが見えるものだ。だがこれは顔を隠すためだけのものではない。その内の一枚をアニエスに渡し、着けさせる。すると…。
「"私が誰かわかりますか?"」
「…っ!なるほど、仮面に認識阻害の魔法が付与されているのか。アニエス秘書官に違いないはずなのに、まるで別人に見えるよ。声色まで変えるとは徹底している」
「殿下にはそれを着けた状態で、男女3名ずつの合コンに参加して頂きます。そこで外見に惑わされない状態で、参加者と交流をしてください。おそらく、殿下にとって何か一つでも得るものがあるはずです」
殿下の口の端がにやりと持ち上がった。合コンに誘われた男というより、未知の脅威への挑戦者の顔をしている。
「…面白い。受けよう、その合コン。精々楽しませてみせろ」
「ありがとうございます。ですが女の子を楽しませるのも男の甲斐性ですよ、殿下」
俺も釣られてニヤリと笑みを返した。
さあ、王子様。その歪んだ色眼鏡を矯正して差し上げよう。
王子が部屋から去ってドアが閉まった瞬間、ドサリという音がすぐそばで鳴った。…アニエスが力尽きたように倒れていた。
一体どうしたというのだ!?俺は居ても立っても居られず、すぐ横に跪いてアニエスの体を支え起こした。
「アニエス!!大丈夫かっ!?しっかりしろ!!」
「アニエス殿!!」
「………こ……ったぁぁ………っ!」
アニエスの目からは溢れんばかりの大量の涙が。眉はハの字に広がり、鼻水も大量に垂れていた。
「こ……こここ……怖かったですううう!!!あの王子様怖いよおおおお!!!うわああああん!!!」
………何故俺はホッとしているのだろう。…ああ、バジルお前もか。
成人をとっくに迎えた女がギャン泣きしているというのに、やはりこっちのアニエスの方が落ち着くと感じてしまっていることに、ひどく落胆している自分がいた。
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「お待たせいたしました、バティストです」
「入り給え」
謁見の間から少し離れた位置にある小部屋に、俺は足をゆっくりと踏み入れた。謁見の間ほどではないが上品な絨毯が使われている。そこには先程俺に入室の許可を与えた国王と、一人の少女が座っていた。俺も一礼してから同じテーブルに着席する。
ここは王の私室であり、入室を許された時点で無礼講とされている。
「首尾は?」
「抜かりなく。殿下もやる気を見せていますよ」
その言葉に返ってきたのは、清楚で可愛らしいがどこか素朴な少女の苦笑いだ。
「そうですか…あの人も若い頃から公務をこなす日々で、遊び足りないのかもしれませんね。それとも元々ひどく負けず嫌いでしたし、国務大臣殿に刺激されたのでしょうか?」
「流石です、エリーズ殿。殿下のことをよくわかってらっしゃいますね。どちらも正解かと思われます」
「はい。伊達に幼少より婚約しておりませんから。」
そう、目の前にいるこの愛らしい黒髪の乙女こそ、殿下に追放されかけた聖女…エリーズ・ヴェルネその人だ。聖女という特殊な立場ゆえに、庶民でも貴族でもない身分のこの人からは、そのどちらでも持ち得ない独特な雰囲気を感じさせる。
「愚息のためにそなたにこのような真似をさせること、誠に心苦しく思う。以前の退職騒動の際もそうだったが、苦労をかけるな」
「そのお言葉だけで十分です。その代わり、殿下にはたっぷりと学んでいただきます」
「そうしてくれ。先に渡した特権の通り、この件では息子に対する不敬罪には一切問わぬ。そなたの好きに進めよ」
「そうさせて頂きます。では――」
「待て」
俺は言うことは言ったと判断して席を立とうとしたのだが、何故か陛下に止められてしまった。…何かまずいことでもしただろうか?
「バティスト国務大臣、そなたもそろそろ身を固める頃ではないのか?」
まさか陛下からそのような心配をされるとは思っていなかったので困惑してしまった。陛下は返答に窮した俺を気遣ってか、まるで息子を見る父親のような顔付きをした。
「もし出会いが無いなら、私が手配しても良い。それだけの事はしてくれていると思っているのだ。もっと私を頼りなさい」
「…そのお言葉だけで十分です、陛下。では、失礼いたします」
陛下の慈悲に少しだけ目頭が熱くなったのを感じながら、俺は部屋の外へ出た。そこには俺が命じて待機させてあったバジルが立っていた。
「…バジル、合コンの人選に変更はない。女性が一人足りないから、お前の知り合いでも呼んできてくれ。」
「…アニエスでは駄目なのですか?」
何故そこでアニエスが出てくるんだ?確かに手近な女性ではあるが…。
「人に興味がある割に大人数で過ごすのが苦手なアニエスに、周りの補佐が得られない状態で数時間過ごせというのは酷だろう。そもそも王子に酷く苦手意識がありそうだしな。お前の知り合いの女性に頼んでくれ。すまないが俺は友達が少なくて、その点では役に立てそうにない」
…元カノに頼むという手も無くはないだろうが、それは最終手段にしたいものだ。あいつから『今更私の魅力に気付いてももう遅い!』とでも言われた日にはもう立ち直れない気がする。
「わかりました。なら司会役も私がやりましょう。合コンとやらは初めてですが、司会進行は得意です」
「すまないが、任せる」
バジルはこういう時とても頼りになる男だ。俺の苦手な部分をよく理解して、先回りして補佐してくれる。だからこそ俺の秘書官に相応しい。
さて…殿下が殻を破れるか、お手並み拝見といこうか。
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「何?参加者が誰なのか教えてもらえないのか?」
「はい。聡明な殿下のことですから、参加者のヒントだけでも言動でどれが誰かなどはすぐに看破してしまわれるでしょう。それでは主旨に反します。無論、全員殿下を害する意思は一切無い点は保証します」
今日はバティスト国務大臣主催の合コンとやらが開かれる日だ。僕らは公務を少しだけ早めに切り上げて会場に向かっている訳だが、バティストからは何が行われるかについて全く説明がもらえなかった。
「では、私は別件の仕事がありますので一旦ここで失礼します。殿下はこのまま会場の食堂まで向かわれてください」
「ああ、わかった」
幼い頃から帝王学の学習と公務で忙しかった僕は、こう言った俗世的な遊びとはあまり縁がなかった。ワクワクしないと言えば嘘になる。はやる気持ちを抑えながらマスクを身に着け、城内食堂の扉をくぐった。
そこには円卓を囲んで既に3人の女性と、一人の男性が座って歓談を行っていた。女の方は体型すらも認識阻害されてるためか、特に胸の部分がボヤケてよく見えない。男は認識阻害の魔法越しでも分かるほど、随分とガタイがいい。恐らくは騎士だろう。
何故かちょっとだけ気後れしながら、それをおくびにも出さないように気さくに声を掛けた。
「やあ、待たせてしまったかな」
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
「あら、いい男ですわね。仮面で口元しか見えませんけども」
男の左側へと案内され、そこに座る。必然的に、僕のすぐ左隣に女性が座る形になった。隣の女は口ぶりから大人の女性だとわかる。なんの事はない食事会のような物だし、女性にも見慣れていてグループで食事をするのも初めてではないにも関わらず、妙に緊張するのは何故なのか。
「こういう場に参加するのは初めてなんだ。お手柔らかに頼むよ」
「そうなのですね。やはりお仕事がお忙しいのでしょうか?」
反応したのは真向かいの女だった。エリーズと同じ黒い髪をしているように見える。とはいえ、仮面は髪色や体型も不明瞭にするらしいので、実際はどうかわからない。
「ええ、今日はいつもよりだいぶ早く終わらせたんですよ。皆さんと早くお会いしたかったものですから」
「お、お話がすごくお上手ですね。なんだかこういうのに慣れてるみたいでした…」
次に反応したのは、大人の女と真向かいの女に挟まれた女だ。認識阻害ごしでもわかるほど緊張しているのがわかる。少々固くなりすぎにも見えたが、緊張しているのは僕も同じなのでむしろありがたい。
「おお!?俺が一番遅かったか!申し訳ない!ちょっと着替えに手間取ってしまったんだ!」
最後にやってきた男は、体型としては俺と同じくらいのはずだが、妙に軽いというかテンションがおかしい。…まさか新兵だろうか?その男は最初からいたガタイのいい男の右隣に座った。6つの席がこれで埋まったことになる。
「これで全員お集まりいただけたようですし、これより男女合同懇親会…合コンを開催いたします。」
なるほど、合コンとはそういう略称だったのか。知らなかった。…何故あのおかしな男は鼻白んでいる?
「さて、まずは自己紹介と参りましょう。名前は偽名でお願いいたします」
「ならまずは言い出しっぺがお手本やるべきだと思いまーす!!」
「まあそれはそうですわね」
「お、お願いします…!」
すかさず挙手をするかと思えば、司会進行役にケチを付け始めるとは…いや、テンション本当におかしいなこの男。まさかもう酔ってるのか?こんなおかしなやつを城で見かけたことは一度もないぞ。
「…わかりました。私の名前はディル。年齢は…まあこの中では最年長でしょう。趣味は鍛錬と読書で、この合コンには上司の指示でうぐおっ!?」
うぐおっ?
何やら脇腹に一撃くらったような声がしたが…。
「し、失礼しました。えーと、しゃ、社会勉強のようなものです。若い頃はあまり遊ばなかったので、実は少し気持ちが浮ついてるというか、楽しい気分です。よろしくおねがいいたします」
「はいみんな拍手ー!!かっちかちだけどいいお手本だったぞディルー!!」
頭のおかしそうな男に釣られて、全員が拍手した。妙に自然体だが…遊び慣れてるのか?まさか僕が女よりも男に興味を抱くとは思わなかったぞ。
「このまま右回りで自己紹介しようか!んじゃー俺からは全然見えないけど、多分色男な人どうぞ!」
「雑だなおい。…あー、ラ…ルフ。ラルフと呼んでくれ。歳はもうすぐ19になる。趣味は無い…こともないんだが、最近はあまり出来ていないな。ここに参加した理由は右に同じく社会勉強のつもりだったが、結構面白そうだなと思ってる。よろしく頼む」
「こっちもかったーい!でも真面目でいい男だね!はい拍手ー!!」
…こんな短い距離で拍手されるのなんて、いつぶりだろう。子供の頃は割とよくあった気がする。
『ラザールさま!おたんじょうびおめでとうございます!はい、これプレゼント!』
…いや、やってくれてたのはいつも同じ女の子だったか。
「よーし次はいよいよ念願の美人さんの出番だ!自己紹介どうぞ!」
「さっきから随分愉快な殿方ですわね?悪い意味で。私の名前は…うーん、グレースとでも名乗りましょう。年齢は20そこそこ。ここへは王子様より金になる男が来ると聞いて参加しましたの。是非とも我が家との商談に結びつけたいものですわ。」
拍手をしつつも、俺はちょっとだけその理由に引いていた。
金と言ったか?すごい理由だな…ていうか俺のことを金になるかどうかで判断してる女もいるのか。それが分かっただけでも収穫かもな。
「はい!じゃあお隣の可愛い子、いってみようか!」
「かわっ!?え、えっと…アグネス、です。歳は17です。趣味は好きな人と一緒に過ごす事で、合コンには尊敬する友達から誘われたから参加しました。き、緊張してますけど、皆さんとお話しするのとっても楽しみです!」
口元しか見えないが、笑顔がとても似合う子なんだろうな。なんというか、小動物的な可愛らしさがある。…ディルと名乗ったおっさんがますます岩みたいになったが、どこに反応したんだ?…17歳がストライクゾーンとか言わないだろうな。
「自己紹介もかわいいねー!じゃあ次は俺の隣の黒髪美人さん!」
「はい。エリーと言います。歳はもうすぐ19…多分一番ラルフさんと近いですね。趣味は編み物で、ここに参加したのは男の人とこうやってお話しする機会が今まであまり無かったから。つまり興味本位です。よろしくお願いしますね」
エリーと名乗る女は酷く淡々としていた。無難な趣味、おかしくもない理由。なのに、妙に親近感を覚えた。何故だろう。名前があいつに似てるからだろうか。
「はーい!じゃあ俺だね!俺はバット!歳は…内緒!でも二番目におじさんかな!趣味は友達と遊ぶことで、ここにはなんたらって人から誘われて参加したんだ!みんなよろしくねー!」
怪しい男は印象通りの軽薄ぶりだった。だが拍手しながらも目が離せないのは皆同じだったようだ。この合コンで皆が少なからず緊張している中、率先して空気を解しているのはまさに彼だったからだ。彼が働いている姿は想像もできないが、彼と一緒に仕事をするのは結構楽しいかもしれない。
「それじゃあ男連中の中で一番乗りだったディル君!このまま進行お願いしまーす!」
「では、まずは簡単なレクリエーションから始めましょう――」
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これまでの会食とは違う、政治色の薄い合コン…仮面でお互いの正体がわからないにも関わらず、僕は参加者のことが仮面越しに見えてきた気がした。
「おっと!グレース殿、足元にお気を付けください」
ディルと名乗る男は真面目な堅物だが、意外と気配りもできる。メンバー分けのくじ引き、レクリエーションのグッズも次から次へと適切なタイミングで出され、女が転びかけてもすぐに支えてみせるところもいい意味で男らしい。自分で説明したゲームの方は壊滅的な成績だったが。
「きーっ!悔しい、負けましたわ!もう一回やりましょう!ディル、次のゲーム用意して!」
グレースと名乗った女は、商売っ気が強いのもあるのか負けず嫌いだ。レクリエーションでは常に勝利を目指し、負ければ悔しがり勝てばはしゃぐ、知れば知るほど子供っぽいところも見せる女でもあった。最初の印象と異なり、意外と気さくな人物らしい。
「あ、わかりました!嘘つき狼はバットさんです!」
アグネスは随分そそっかしい。よく転び、よく物を落とす。だが誰よりも真剣にレクリエーションに取り組むものだから、意外とグレースからは気に入られていた。そして彼女はメンバーの事を最もよく観察する一人で、嘘つきを当てるゲームでは彼女の独壇場だった。
「へぇーアグネスちゃんは城内勤務なのか!じゃあ俺達どこかできっと会ってるね!」
バットは相変わらず喧しい…が、どうもこの軽薄さは相手に話しやすくするための計算されたものなのか、人によって微妙に使い分けてる節がある。根は真面目なのかもしれない。何故かディルに対してのみ遠慮が見られないが、男の友情とはああいうものなのかもしれないな。
「ラルフさん、お疲れさまです。飲み物を取ってきましたよ」
そしてエリーは常にマイペースだが、誰よりも優しい。仮面越しで僕の顔色なんて見えないはずなのに、疲れたと見れば飲み物を取ってきてくれた。誰にでも優しいわけではなく、この中では特に僕に対して好意的に見えた。それが身分や見た目を認識させない仮面越しだったからこそ、僕の内面に好意を持ってくれてる事がわかって嬉しかった。
そしてこの横にいるのが当たり前で、いるだけで安らぎを得られる感覚には覚えがあった。
『ラザールさま!きょうはきょうかいのお花でかんむりつくりました!』
『ラザール様のために癒しの聖水を作りました。疲れた時に飲んでみてください』
そうだ…いつだって僕の事を気遣って、誰よりも僕の味方でいてくれた女の子は、あの子しかいなかった。思えば僕が一番最初に名前を覚えた女の子で、長年母親以外で唯一名前を覚えた女性でもあった。
その彼女に、あの日の僕は何を言った?
『…殿下があの方をお選びになるなら、致し方ありません…どうぞ御意のままに。お幸せをお祈りしております』
尊大な態度で婚約解消の打診をした自分の顔が思い浮かんで、酷い自己嫌悪に駆られた。どうして近年の僕は見た目の綺麗な女性にばかり傾倒していたんだろう?
人と遊ぶことが少なくて、公務のストレスが溜まりに溜まった反動からだろうか。それとも成人を迎えてから周囲の女性から言い寄られていい気になっていたのか。それとも自分で努力して手に入れた訳でもない王子という立場に胡座をかいていたのか。
多分、どれも理由なのだろう。失敗を殆どせず、何をやってもそつなくこなしてきたせいで、何をやっても良いような気分になっていたんだ。俺は…なんて馬鹿だったんだ。綺麗なものを貪るように集める一方で、一番大事な物を見失っていたんじゃないのか。
いや、エリーズは見た目だって可愛らしかったじゃないか。こうして過去を思い浮かべただけで見惚れてしまうほどに。今こうして会いたいと思うほどには、僕だって彼女のことが好きだったはずじゃないのか。
もしかしたら僕の初恋は、君だったんじゃないのか。
「ラルフ様…大丈夫ですか?その、大分お疲れなのでは」
思考の海を一人で泳いでしまった僕に、気遣わしげに声を掛けてくれるエリーの優しさが胸に沁みた。嬉しい。楽しい。ずっとこの子と過ごすのも悪くないかもしれない。けど、それ以上に。
「大丈夫だよ、ありがとう。ちょっと…考え事をしていた」
「考え事、ですか?」
「合コン会場で言うべきことでも無いだろうけど、僕の初恋の女の子のことを考えてたんだ。その子とは幼い頃からの婚約者で…ここに来る少し前に、婚約破棄の打診をして深く傷つけてしまったんだ。その時に言った言葉も酷くて…ちょっと自己嫌悪に浸ってた」
エリーの表情は阻害されて読めないはずが、なんとなく強張ったのを感じた。
「どんな…方だったんですか?」
「とても優しい子だった。自分で言うのもあれだけど、昔から僕はなんでも出来る男で、それを鼻にかける嫌なやつでもあったんだ。でもそんな嫌な男にその子はいつも寄り添ってくれてたんだ。仮面越しでわからないけど、なんとなく君に似てる気がする。」
「そう、だったんですね…」
「………すごく後悔してるんだ」
「えっ?」
何故か少し暗い様子だったエリーが顔を上げた。
「僕は今、無性にあの子に会いたい。君にはとても失礼なことだけど、今すぐに飛び出して彼女ともう一度やり直したいと思ってるんだ。もう許してくれないかもしれないけど…せめて酷い言葉で傷つけたことを謝りたいんだ」
だが、たぶん許しては貰えないだろう。僕は彼女に対して本当に酷い言い方をしたんだ。
『エリーズ。君の顔は見飽きたんだ』
僕は自分が言った言葉の酷さに辟易した。自分自身を殴りたかった。最低だ。僕がエリーズなら絶対に許さない。それでも、僕は謝らないといけないんだ。許してもらうためじゃなく、彼女を傷付けたことに対して償うために。
「大丈夫ですよ」
「…エリーさん?」
「その人とはずっと婚約者だったのでしょう?なら、きっとラルフさんが謝ったら許してくれます。私が保証します」
「…そうか。ありがとう」
席を立とうとしたその時、軽薄な男が大きな声を上げた。
「さーて!じゃあそろそろ夜遅くなっちゃいますし、お開きとしましょう!ですがその前に…提案でーす!」
周りの目線が一気に集まったのを確認した彼はニヤリと笑った。そしてとんでもないことを言い出した。
「今日一番気になった人を一斉に指差して、お互いに指差しあったペアは別室で二人きりで過ごすってのはどうでしょう!もちろん仮面なしのガチンコで!」
「えっ!?あー…バ…ット様がそうおっしゃるのでしたら…」
「あら、面白いですわね」
「さ、賛成です!」
「私も賛成です」
どうやら僕以外は賛成らしい。だけど僕はエリーズに会いに行きたかった。
「すまないが僕は――」
「ラルフが抜けたら女の子が確定で一人孤立しますわ。あと少しですし、もう少しここにいなさいな」
女の強引さに若干苛立つも、確かに次にまた同じメンバーで遊ぶ機会など中々無いだろうし…まぁ、いいか。お別れの挨拶くらいはしておこう。
「じゃあ、せーので指差すよ!指を天井に向けてー!行くよ!せーの!!」
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用意された別室はそんなに広くない小部屋だった。間違いが起こらないよう、外には騎士が立っている。ドアを叩けばすぐに中へ飛び込んできてくれるだろう。
僕のペアになってくれたのはエリーだった。他のメンバーも意外にもちゃんと漏れなくペアが出来たので、今頃は別室で過ごしているに違いない。
エリーズのことが気になって仕方なかったが、そのことに気付かせてくれたエリーとはちゃんとお別れしないといけない。そういう意味では、この時間はありがたかった。
「僕を選んでくれてありがとう」
「いえ…私はいつだって、自分が良いと思ったことしかしてませんから」
僕は微笑みと共に仮面を取ってみせた。恐らく認識阻害の魔法が外れ、だいぶ印象も変わったことだろう。そもそも王子というだけでも驚きのはずだ。だが、何故か僕を見ても驚いた様子がない。
「やはり…殿下だったんですね」
「気づいていたのか?」
まさか、そんなことはありえない。声色も、髪色も、体格すらも誤認させる魔法のはずだ。
「…私にも初恋の人がいて、それが殿下だったんです。だからすぐに分かっちゃいました。昔から殿下はどこか軟派な雰囲気があるのに生真面目で、女性には優しいのに、女性から優しくされるのには慣れてなくて。昔からすごく、心配してました」
「…そうだったのか。」
エリーズ以外に、僕のことをちゃんと見てくれてる人がいたことが嬉しかった。同時に、その思いに全く気付いてやれてなかった自分に腹が立つ。僕の罪は、重すぎるな。
悔恨の思いが、僕の頭を重くする。彼女の目を仮面越しでも直視できない。
「でも、ちゃんと今までも私のことを見てくれてたんですね。私の初恋は、無駄なんかじゃなかった」
「…えっ?」
エリーが仮面を外すと、そこにいたのは…。
「………エリーズ…っ!?」
「はい、殿下…っ!」
涙を浮かべたエリーズがいた。
僕は頭を深く下げるべきだったのに、たまらず彼女を抱き締め、心のままに叫んでしまった。
「すまない…っ!すまなかったエリーズ!本当にすまないっ!君はこんなにも僕のことを想ってくれていたのに…っ!僕は君の気持ちに甘えてっ!甘えきってっ!君の顔を見飽きるなどと、そんなことあるはずがないのにっ!僕は君に酷いことを言った…ごめん…っ!本当にごめんよ、エリーズ…!!」
だがエリーズは僕の無作法を咎めることなく、背中に腕を回してくれた。
「いえ…いいえ殿下っ!私も殿下のお心に対してちゃんとぶつかってきませんでした…っ!婚約破棄を打診されたあの日、私は引き止めるべきでした…っ!本当は引き止めたかった…っ!なのに…っ!嫌われるのが…怖くてっ…!!」
「ああ、エリーズ!もう僕の事を殿下と呼ぶのはやめてくれ!君からはまた名前で呼ばれたい…昔のようにラザールと、そう呼んでくれ…!」
「ラザール様…!」
「様ももう要らない…!君が僕に対して何も飾る必要なんか無いんだ、エリーズっ!…エリーズ、君を愛しているっ!もう迷いはしないっ!だから…もう一度、僕の婚約者となってはくれないか…っ!」
顔を上げてくれたエリーズの泣き顔は、これまで見た女性たちの誰よりも美しかった。
「はいっ!喜んであなたの妻となります…ラザール…!」
お互いに強く抱き合ったまま、僕らは涙を流した。お互いにお互いの涙を落とし合って、二度と心が迷わないよう祈るかのように。その日は二人でずっとその個室の中で過ごし、大きなソファでお互いに抱き合うようにして眠りについた。
軽薄な男の粋な提案に、小さな感謝を捧げながら。
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「まさか俺とかちあっちゃうなんて、なんかごめんね…」
「い、いえ!私も、バットさんと過ごしたかったですから…!」
俺は勢いのまま自分で提案したミニゲームにより、激しい後悔と申し訳無さを覚えドロドロになっていた。仮面の下の俺は、もちろん伊達メガネを着けていない…ていうか構造上着けられなかった。
あれを着けないと興奮を抑えられずに暴走してしまうなんてことは分かりきっていたのに、仮面をつける直前まで失念していた。おかげで周囲からは随分と軽薄な男に映ったに違いない。クールな二枚目のまま参加するつもりだったのに…!
しかもその姿を、すでに何度か見ているバジルはともかく、この可憐な少女にまで曝け出すことになるとは!だ、だってあの場でエグランティーヌ殿やエリーズ殿、ましてや男を指差すわけにはいかないじゃないか!仕方なかったんだ!まさかこの子が俺を選ぶなんて思わなかったんだよ!仮面を外すのがここまで辛いなんてぇ…!
「えーっと…じゃ、じゃあ俺から外すね」
俺は覚悟を決めて仮面を外し、すぐに伊達メガネを掛けた。興奮していた心が一気に凪いで、まるで酔って大失敗した翌日のような羞恥で顔が真っ赤になる。
「…バ、バティスト・フォン・オリヴィエ。驚いただろうけど、この国の国務大臣をやっている。今回、合コンを主催したのは俺なんだ」
「はい、知ってます」
「え?…はいっ!?」
その銀色の髪、銀色の目を見間違えるはずがない。
仮面を外した先にはアニエスがいた。
「な……ア……!?」
「なんで不参加にしてたのにアニエスがいるんだ、ですか?言ったじゃないですか、尊敬する友達に誘われたって」
バジル…お前何考えてるんだ!?アニエスは参加させるなと言っただろう!?て、ていうか…俺、合コンの最中ずっとアニエスに可愛いだの可憐だのと口説き抜いていたのか!?秘書である彼女を!?
ま、間違いなく俺の黒歴史になるぞこれは…っ!!
「す、すまない!何かの手違いだったのだろう。君にとって辛いだけのはずの合コンに参加させてしまうとは…!」
「勝手に辛いとか決めつけないでください!もう一度私の趣味を思い出してくださいよ。私が好きなことはなんですか?」
「君の趣味…?………あ」
『趣味は好きな人と一緒に過ごす事で――』
「……え?」
「もう仲間はずれは駄目ですよ?これからもよろしくお願いしますね、バティスト国務大臣殿♪」
そう言っていつになく小悪魔のような笑みを浮かべたアニエスは、それ以上何も言わず軽やかに部屋を出て行った。
「……ど、どういう…?」
一人小部屋に取り残された俺は、眼鏡がずり落ちていることにも気付かないまま、呆然と扉を見つめていた。
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「こ、国務大臣殿!バティスト国務大臣殿!大変であります!!」
「アニエス殿…すまないが今日はちょっと静かにしてくれないか…頭に響いていけない…」
私の秘書を務めるアニエス・フォン・ローランが、今日も今日とて緊急事態を伝えてきた。だが私のもう一人の秘書であるバジル・フォン・リシャールの様子がおかしい。…二日酔いか?らしくないな。
「……バジル、随分とボロボロだが…昨日何があった?」
「いや…実は…」
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『すみません、上司を選ぶとわかっているアニエスを指差すわけにもいかず…まして聖女様を指差すなど罰当たりで…』
『構いませんわ。それより…あなた、意外といい男ですわね?』
『…はい?』
『殿下とは違った方向で整った顔立ち…素晴らしい筋肉…国務院の秘書勤務という重役…そしてつまずいた私をさり気なく助ける男気…ふふふふふっ』
『ヴィルヌーヴ公爵令嬢!?ち、近いです!お気を確かに!』
『気に入ったわっ!どうせ殿下はあの小娘を選んで手に入らないのでしょう?なら今日のやけ酒相手はあなたで妥協して差し上げますわ!そこな騎士!ワインを10本とグラスを2つ持ってきなさい!ヴィルヌーヴ家の43年物もよ!さあバジル殿、今晩はとことん付き合って頂きますわよ!!』
『ヴィルヌーヴ公爵令嬢ー!?』
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あの後そんな壮絶な二次会が繰り広げられていたのか。ていうか合コンを通じてヴィルヌーヴ公爵家の印象が随分と豪快なものになってしまったのだが…あのご令嬢だけが例外なのだろうか。
「信じられないことにエグランティーヌはその後ワインを追加で10本飲み干し、夜明けと共に眠りについたのです…。どうにかヴィルヌーヴ家まで馬車でお送りしましたが…まさか私が酒飲み勝負で負けかけるとは思いませんでした…」
…地味に公爵令嬢を呼び捨てとは。酒を通じて随分と仲良くなったらしいな。だが次の日も出勤だと言うのに、二日酔いどころか明け方まで飲んでたのは頂けない。それで出勤してくるとはバジルらしくない失態だ。よほど堪えたと見える。
「それならまだ酒も残っているだろうし、今日は休んでもいいぞ?いや、休み給え。命令だ」
「……申し訳ありません。そうさせて頂き――」
「あ、あの…!実は報告事項にバジル様のも含まれてまして…!お帰りになる前にご報告させて頂きます!」
…嫌な予感しかしない。
「そ、そのままお伝えするようにと言われましたので、原文ママお伝えします!"明日は負けませんわよ"、です!」
直後に卒倒したバジルは岩のように重く、俺たちは騎士を数名呼び出してなんとか宿舎まで運び入れることが出来たのだった。
「全く、まるで仕事にならんな…それで、他にも報告事項があるのだろう?」
「はい。殿下と聖女様はよりを戻されたようです。ようやくグラスに注がれたお酒の味がわかるようになったみたいでした」
それは何よりだ。元々聡明なお二人のことだから、きっと今後は失敗したとしても話し合って解決できるだろう。恐らくだが、もう殿下がハニートラップにハマる心配もないはずだ。
「合コンが成功したようで何よりだ」
「はい。私もとても楽しかったです」
そう微笑むアニエスの顔が急に大人びて見えてしまい、妙に気まずくなる。…あの時の言葉の真意を確認する勇気は、今の俺には無い。アニエスの好意がどんな形にせよ、今は曖昧なままにして秘書と上司という関係を続けたかった。
だが俺は彼女に負債がある。「今更謝ってももう遅いです!」と言われる前に、これだけははっきり言っておかねばならない。
「アニエス。君はとても有能で、俺にとってはかけがえのない秘書だ。だが過保護に思うあまり、君を除け者にするような判断をしてしまった。本当にすまなかった。今後は君だけを仲間外れにはしないと誓う。だから…これからも俺の秘書でいてくれるか?」
アニエスは瞳を銀色に輝かせたまま微笑み返してくれた。
「こんなそそっかしくて鈍くさい私に価値があると教えてくれたのは、バティスト国務大臣殿だけです。そんな国務大臣殿が私を蔑ろにするはずがないと信じておりました。私の方こそ、今後もバティスト国務大臣殿に変わらぬ忠誠を捧げる所存です。何卒今後ともお見捨てなきよう、よろしくお願い致します」
その頬が少しだけ薄く染まっているように見えたのは、あまりに都合の良い錯覚というものだろうか。だが今はまだ確認する必要はない。アニエスとバジルは俺の両腕だ。今はそれでいい。いつか俺にもう少しだけ勇気が湧いた、その時までは…。
次の瞬間には、いつものアニエスに戻っていた。とんでもない爆弾投下とともに。
「……あっ!バティスト国務大臣殿!最後に報告があります!次の会議の開始が繰り上がりまして、開始まであと2分しかありません!」
「それを最初に言わんかあああ!!走れアニエス!!そっちの書類も持ってきてくれ!!」
「は、はいー!!あっ!きゃあっ!!」
廊下で転んだアニエスの周りに書類の海が生成されたのを見た俺は、とうとう遅刻を覚悟した。堅物バジルがいない穴は、余りにも大きかった…。
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「遅刻だぞ!今更会議室に入ってきてももう遅い!謝罪せよ!!」
「申し訳ありませんでしたあああ!!」