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海から堕ちてきた少女

「対馬宇宙センターの多機能レーダーでもまだ何も観測できていない。本当に堕ちてくるのか?」

 今年就任したばかりの海上防衛省長官山田邦和(やまだ くにかず)の焦りと焦燥に駆られた顔が映し出されているミクロドローンをよそ目に、穴井裕子(あない ゆうこ)は海上の空母の上でずっと空を見上げていた。中学生くらいにしか見えない幼さの残る面立ちでありながら、その表情には任務を必ず遂行すると決意した強い意志が感じられる。いま彼女は日本唯一の空母【(さむらい)】の緊急責任者として艦長以下5000人の指揮統括者として政府から派遣されていた。


 飛行甲板にはいつでも飛び出せるよう全てのジェット機がスタンバイされている。滑走路でも乗組員たちが裕子の指揮に従い慌ただしく作業を行っていて、空母の四隅に設置したミサイルも発射準備は整っていた。空にはすでに偵察機が旋回し、レーダーと目視で近辺を捜索しているがまだ何の兆候もとらえていなかった。

「私も今では感じているんです。他の魔女の皆も」

 海上の強い風に髪を抑えながら、裕子は手に持ったタブレット越しに山田に大声で答えた。

「2年前のファーストの予言も当たっていますし、あの時も直前になったら私でも強くそれを予測できたんです。間違いありません。この座標に()()()()は堕ちてきます!」

 裕子の脳裏に2年前の光景が浮かび上がった。()()()()()()()()()()()。あの時も人類の科学では彗星の接近さえ感知できなかった。事後の研究の推定では、光よりも速かったとされる彗星の接近。そしてそこから隕石型での日本本土への垂直落下。人家の及ばない深い森の中に、その深い森を丸裸にする衝撃とクレーターを作り、彼女は降り立ったのだった。推定年齢17歳。もっとも、0の魔女に肉体的な年齢などほとんど意味をなさないのであるが。

「領海ギリギリだな。まあ、魔女は昔から日本にしか生まれないから必然なのか。何にせよお隣の大陸の国を刺激してしまってる。こっちでは昨日からスクランブル機をひっきりなしに飛ばしてるよ」

 山田は手元の資料を見ながら自虐的に笑った。

「税金もタダじゃないんだがね」

「どこの国も自衛のために魔女は欲しいですからね」

「こう魔獣が頻発する世界ではな……。ともかく、ファーストの予言までもう5分を切った。我々は最善を尽くすのみだ。君も魔女の代表として現場の指揮権を任せてある。頼むぞ」

「はい」


 じっと偵察機が飛び回る空を見上げていた裕子は突然「あっ」と小さな声を漏らし、途端にみるみると血相を変えて山田を見た。

「長官、この空じゃありません!」

「何? ではどこだ! どこに堕ちてくる!」

「ここです! 座標はここなんです! でも分かるんです! この空じゃないんです!」

「何を言っている? 支離滅裂だぞ」

「それ以上は私には! 今すぐファーストに繋いでください! ファーストならきっと――」

「海じゃー!」

 突然真横から幼女が癇癪を起こしたような叫び。それはファーストの声。裕子は思わず振り返るが、そこには彼女の姿はない。【テレパシー】全魔女が()()()()にいるときは使える魔力の一つである。。

「抜かったわ! 裕子、全てを反転させるのじゃ!」

 ファーストからの指示を聞くや否や裕子は襟元のマイクスピーカーを握りしめ「艦長、0の魔女は空からではありません。海です。この海の下から堕ちてきます!」と伝えた。

 艦橋の天辺にいた艦長は驚き海面をガラス越しに見下ろした。

「海に堕ちるのではなく、海から堕ちてくる? どう対処すればいいのですか?」

「上空の偵察機は散開、そして潜水艇も全出力で離脱させてください。そして私の合図とともに、ミサイルを全て発射してください」

「海から来るのにミサイルを空へ打ち上げていいのですね」

「私の魔力で海に打ち返します。とにかく急いで!」

「了解!」

 艦長からの指示が乗組員に伝わり騒然とする中、裕子は山田に向け敬礼した。

「これより0の魔女救出作戦を開始します」

「ああ、幸運を祈る。無事に戻れたなら、素敵なプレゼントを用意しておくよ」

「ありがとうございます」

 ミクロドローンからの映像が消え、ふっと小さく呼吸を整えてから彼女は空に舞い上がった。

 作戦は元々こうだった。空から堕ちてくるだろう0の魔女に対して空母の四隅に設置したミサイルを同時に発射する。このミサイルには他の魔女にコーティングしてもらった絶対に切れないテグスが何重にも巻かれて全てのミサイルが繋がっている。ジェット噴射による音速を超えたミサイル群の中央で0の魔女を蜘蛛の糸で絡めとるようにして捕まえ、衝突の衝撃を緩和させる。ミサイルは空母に待機しているジェット機による迎撃。海上もしくは海底に堕ちた0の魔女は潜水艇での救出。

 しかしそこにもう一枚の手順が今まさに加わったのだ。雲一つない虚空に上昇していく裕子の手に力がこもる。ファーストは抜かったと言った。違う、それはこんな事態も想定して≪反射の力≫を宿した魔女である自分をファーストはこの作戦の責任者に任命したのだと裕子は考えていた。

「裕子、来るぞ!」

 ファーストの叫びと同時に上昇を止めた裕子は海上を見下ろす。高度およそ2000。右の視界の隅に見えているはずの日本本土が緊張からかぼやけて見える。大丈夫、と自分に言い聞かせ裕子は胸の前で両手を開いて詠唱を始めた。

「其の力は万事悠久の理をも撥ねかえさん。身も寿も削り、大楯となってこの名に応えたまえ――」

 呪法詠唱とともに裕子の全身が発光する。それとほぼ同時にはるか下の海面にも光が満ちていき、その光の洪水は海を裂いて世界を照らした。0の魔女が今、堕ちようとしている。

「今よ!」

「発射!」

 空母【(さむらい)】から放たれた4発のミサイルが裕子めがけて急上昇していく。無音。それはまるで映画をスローモーションで見ているかのよう。ミサイルに結ばれていたテグスが網の目状に展開し、裕子を覆うようにして向かってくる。

反射(リフレクション)!」

 魔法発動。裕子の体に激痛が走る。魔獣との戦いにおいてもこれほどまでの外圧を反射させたことは今までになかったのだ。緊急事態だったとはいえ、この魔法の反動は裕子の能力の限界に近いものだった。

「うううううううううっ!」

 同じ高度まできた4本のミサイルがブブブッと震えながらもその場所で止まった。しかしそれは何とか押さえつけているというものでまだ反射には至っていない。

 海上では空母の大きさをはるかに超える穴が海に開き、空母は大きく傾いていた。飛行甲板のジェット機も横転し、乗組員たちも海に投げ出されていく。地球が涙しているように巻き上げられた海水は裕子のもとにまで届き、それは霧状になって付近一帯を覆った。

「艦長、天照砲(アマテラス)を艦尾部から放て! 推力で侍のバランスを保つ!」

 ミクロドローンから山田が艦長に指示を出す。

「天照砲発射準備!」

 対魔獣100センチ砲の呼称。魔獣は特定条件下以外では殺せないため、侍にはレーザー砲とともに威嚇と陽動の意味合いが強い形で配備されていた。大きく傾いた艦尾内部から突き出された砲塔を見て、山田が手を振り下ろす。

「撃て!」

 ドッという重低音で発射された100センチ砲弾は、侍後方の海をモーセの奇跡のように真っ二つに切り裂き、乗組員たちは瞬間宙に投げ出されるような浮遊感を覚えた。


「よし、侍はひとまずこれで大丈夫だ。あとは穴井君だが……。0の魔女はまだ見えんぞ」

 海上防衛省対魔獣作戦指令室の司令官席で山田は海上の無数のモニターを見つめながら腕を組んだ。指令室では100人を超えるオペレーター達がミクロドローンの操作や空母、官邸、宇宙センターとの通信作業を行っている。

 空母侍の隣に出現した海の穴はいまだその形を留めたままだ。しかしその穴からまばゆい光はあふれ続けているものの、肝心の魔女はまだ堕ちてきていない。

「Mドローン一機どうなっても構わん、穴に突っ込ませろ」

 山田は上空でミサイルを留めている姿の裕子のモニターを見やりながらそう指示を出す。

「53番映像、中央に出ます」

 オペレーターの報告。巨大スクリーンには海の穴に向かっていくMドローンの映像が映し出されるが、進むにつれてその発光が強まり、画面は真っ白に。

「妙だな。これではそもそもファーストの予言が……」

 山田が一瞬目を切り、何かしらの思考を巡らそうとしたとき、オペレーターの報告に心を呼び戻された。

「前方にアンノウン反応! 何か強いエネルギーが!」

 はっとスクリーンに意識を戻すとほぼ同時に何かの影のようなものが一瞬映し出され、モニターの映像がブラックアウトした。

「53番Mドローン、消失しました……」

 しかし山田以下、作戦指令室の面々は最後に映し出された影を見て慄いていた。それは人類誰しもが畏怖してきたものだったから。

「今のは……()()()()()じゃないか。0の魔女も、魔獣の墓標から生まれてくるのか?」

 世界各地に突如として現れる魔獣。その出現予測は今の世界の科学をもってしても、ファーストらによる未来予測でも不可能である。世界最先端の科学兵器でも、魔女たちによる魔法でも殺すことは不可能な存在。ただし、()()()()()()()魔獣の出現場所の近くには必ず、【魔獣の墓標】と人類が皮肉を込めて名付けた直径1メートルほどの時空の歪が発生している。人類と魔女の攻撃によって引き上げる魔獣は必ずこの歪を通って自分たちの住処へと戻っていく。その歪みは発生して1時間ほどで消えてしまうが、その出現している間は魔女と選ばれた一部の人間だけは歪を通ることができるのである。そして、魔獣の住処では魔獣を殺すことも可能なのだと。

 山田は魔女でも選ばれし者でもない。だからそれは魔女たちによる報告でしか魔獣の駆除を確認できないため、真意の沙汰は分からない。選ばれし一部の人間というのも、限りなく魔女寄りの性分になるため同じこと。

 前世代から内閣の引き継ぎを受けたとき、今世代の総理を除く、山田を含めた幕閣たちは一つの手帳を引き継いでいた。総理と、その夫人である魔女の代表ファーストには誠心誠意仕え、日本とその国民の平和と安全を守るよう書かれた出だし。それから察するに国の手綱を引く世代間で代々引き継がれてきた指南書かと山田たちは考えたのだが、最後の一文が今なお様々な疑念を生じさせる原因となっているのだった。


 ――但し、魔女は人類の敵かもしれない。努々忘れることなきよう


 侍の上空では裕子が【反射】の魔術を使い、ミサイルの威力を抑え込んでいた。裕子の爪先からは血が噴き出している。

咲耶(さくや)を出動させた。持ちこたえるんじゃ」

「ファースト、もう大丈夫です。いつでも打ち返せます。もちろん今すぐにでもそうしたいんですけど、まだ0の魔女が……」

「うむ、わらわの予言が外れたのか? ここまで時間がずれるとはな」

「いえ、直前の波動は私にもしっかり感じられましたよ。……いたた、しばらくネイルもできないですね、これじゃ」

 もげそうな指の痛みを堪えながらその時を必死に待つ裕子。海上にぱっくり開いた穴は光を放ち続けているだけで、まだ0の魔女は堕ちてこない。ファーストの予言時刻からはもう2分は経っているはずである。

天照砲が切り裂いた海も次第に穏やかさを取り戻そうとしていた。

「裕子!大丈夫なの、それ?」

 近藤咲耶(こんどう さくや)が大陸から文字通り飛んできた。裕子より少しだけ年上風の背格好ではあるが彼女と同世代の魔女である。

「ちょっとピンチだったけど、ね。それより何よアンタ。なんで私服なのよ」

 プルプルと震えながらも唯一の同世代魔女である咲耶に毒づいて見せる。

「今日は魔獣との戦闘じゃないんだから仕方ないでしょ。回復も補助も使えない私じゃおっちょこちょいの裕子くらいしか助けられないのよ」

 裕子はふふっと笑った。

「ホント、ね。助かったわ。傍にいてもらうだけで勇気百倍アンパンマンってね」


 魔女は幸福だと人は口々に言う。魔獣との戦いにおける命の危険はあるとはいえ、それは世界を救うヒーロー。同世代の幹部も約束されており、憧れと羨望の眼差しで見られる存在。だけど、違う。魔女とは生き難い存在。裕子は()()()()である。普通の人間として生まれ、普通に育ったが、14歳になったある朝、自分の中にそれまでに無い力が宿り、誰かが入ってきたような錯覚に陥ったのだった。記憶は変わらない。性格も変化したとは思えない。見た目も変わらない。けれど確かに、自分ではない何かが自分と同化し、魔女として転生したのだと。

 それを両親に相談した次の日の朝には、両親と引き離され裕子は世代学園【希望の庭】に転入することになったのだった。2年後に覚醒することとなる咲耶が転入してくるまではその世代唯一の魔女として孤独を感じながら待つ羽目になるのだが――。


「咲耶、裕子が無理そうならお主がミサイルを破壊するんじゃぞ。無論裕子の身の安全も守れ」

「はい、ファースト!」

「はーん、咲耶は私の財布の中を守ってくれればいいのよ。今夜は奢りだかんね」

「強がりもいい加減にしなさい。どう、まだ耐えられるの?」

「魔女になって耐えっぱなしの人生でしょうが! こんな一時の辛さなんかへの河童なのよ!」

 【反射】の魔術を使いながらもそれをホールドする。しかもミサイルの威力は残したまま。魔術の力を宿した両手は手首の先から今にももげてしまいそうな痛みだ。早く堕ちてきて、そう強く願う裕子と咲耶が浮かぶ空中に、突然、ジジジッ、と電磁波が流れる音が響き渡り、空間にポンッ、ポンッと黒い斑点のような無数の小さな穴が開いては消え、開いては消えと繰り返し起こりだした。

「魔獣の墓標?」

 咲耶がはっとそう呟き、自らの武器のテイルを腰から取り出す。

「うそっ、こんな時に?」

「いや、でも……」

 ポップコーンが弾けるような調子で繰り返される現象に警戒するも、魔獣が現れ出す様子はない。

「こちらでも起きとるよ。というより、世界中でじゃな」

 ファーストのテレパシーを聞いて二人は顔を見合わせて辺りを見る。確かに自分たちの周りだけでなく海上も、日本大陸でも、目に見える全ての場所でそれは起こっていた。

「何よ、これ……」

 その刹那、目を奪われた裕子の油断に乗じたかのように海面の穴から光の矢が放たれた。はっと二人同時にそれに気づき、裕子は【反射】を完全発動する。魔力によって4発のミサイルが向きを変えることもなく重力に吸い寄せられるように海上をめがけて――。

 

 咲耶の判断も遅れた。思考が追い付かない。しかしそれは仕方のないことだった。1秒にも満たない中での流れだったのだから。

「キャ……」

 裕子の叫び声も一瞬。痛がろうにも意識は一瞬で飛んでいたのだから。とにかく咲耶が咄嗟にとった行動は4本のミサイルに結ばれたテグスによって全身を碁盤の目のように切り裂かれ、巻き付かれた裕子を手に持っていたテイルで助けだしたこと。

「裕子、しっかりして頂戴。裕子。ああっ、ああ……」

 震える声を醸し出しながら裕子を抱え、空母侍に降りていく咲耶。信じられなかった。動くこともままらなかったが、咲耶は確かに見た。0の魔女が堕ちる瞬間を。光の矢となって堕ちてきた0の魔女に対して確かに裕子は【反射】を発動させていた。そしてテグスにも捕まえていた。しかし、あろうことか絶対に切れないはずのコーティングを施したテグスを突き破って0の魔女は海から空へと堕ちていったのだ。テグスの上にいた裕子の横をすり抜け、その突き破る反動で上に持ち上がったテグスによって裕子は傷つけられたのだった。


 海上に開いていた穴も瞬時にふさがり、気づけば空間に穴が開く現象も収まっていたが咲耶は取り乱していて辺りの光景には何も気が付かない。甲板に血まみれの裕子を寝かせ、担架を運んできた乗組員に縋りつきながら「お願い、この子を助けてあげて! お願いします! お願いします!」と泣きじゃくった。

「咲耶、ミサイルを破壊するのじゃ」

「今はそれどころじゃないでしょう!」

 ファーストのテレパシーに感情を爆発させた咲耶。担架で運ばれていく裕子の後を脇目も振らず嗚咽をこぼしながら追いかけていった。空では一部0の魔女に突き破られたとはいえ残ったテグスが4本のミサイルの自由を奪いながら、空に舞い上がった大きなねずみ花火のように蛇行していた。しかし、次の瞬間には本物の打上花火のようにミサイルは4本とも爆発してしまった。

「やれやれ、遠距離のサイコキネシスは本当に寿命を縮めるんじゃぞ」


 海から堕ち、空に消えていった0の魔女。それは世界中、宇宙からのレーダーからも観測されていた。成層圏に入る直前で光の矢はようやく重力に逆らうことをやめ、燃え尽きることなく自然落下し日本の領海の隅にポトリと落ちた。

 回収に向かった日本の巡視船が見つけたたその姿は、2年前、彗星から堕ちてきた少女と同じようにコーティングされた魔力の殻を纏っていたが、自力でその殻を破り甲板に乗り上げてこう言った。

「私が、()()()()()です」


 



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