008 息抜き
どうぞ。
私と橋川は、いつものように図書館の奥の方で話していた。
「それでさ、召喚術の魔法陣がすっごい大きいんだよ。集めてるアイテムもすんごい数。橋川なら見ただけで召喚するもの分かったりするの?」
「いや、魔術とか呪術とか死霊術には触れてないから……。魔法陣の大きさだけじゃあんまりよく分からないかな。でも大きい召喚獣は限られるよ」
龍とか霊鳥とか高位の精霊とか、と指折り数えるけど、どれも私にはイメージしにくい。人間が操れるものには限界がありそうなんだけど、ゲームだからいいんだろうか。
「ほら、ガルーダとか……分かる? リッチとか。魔法陣が大きいほど格の高いものを召喚できるんだけど、できたとしてやったあとが大変なんだ。普通はダンジョンの奥にある専用の魔法陣で、契約のために一回だけ呼び出すのが作法なんだけど」
「契約ってなにするの」
「羽とか、力の一部を借りることができるんだ。そうすることで特定の魔法や特技が使えるようになる。氷の大精霊〈ウィンター・エレメンタル〉っていう精霊と正式な契約を交わすと氷による裁きの力を使える」
ある分以上をむりやり作っちゃダメってこと、と聞いてみると「うん、そうなんだ」と橋川はうなずいた。
「大精霊召喚の魔法陣は太古の昔人間が作ったもの……という設定ではあるんだけど、新しく作るのはマナー違反なんだよ。現在残されていないのはいくつかあるけど、特定のクエストでもない限り作っちゃダメだし、それならそれで準備期間は目立たないようにしないと邪魔されることがあるから……」
「誰が邪魔するの」
クエストの達成を邪魔する人がいるなんて考えもしなかった。設定された敵役ならあると思うけど、逆に倒したらクリアになりそうなものだ。
「巨大な魔法陣は、発動したとき呼び出したモンスターのせいで大変な災害をもたらすことがあるんだ。森が中心なら問題ないと思うけど」
「なんだ、止めるのも仕方ないね」
「クエストではほぼ倒しちゃって問題ない敵の住処が陣の中に入る。だから、住処を壊されたくないモンスターたちは抵抗してくる。陣の広さにもよるけど、全体をカバーしようとするとクリアには二十人以上が必要になるだろうね」
だいたい呼び出したらモンスターが全滅してクリアだよ、と橋川は言ったけど、あの場所にいそうなモンスターや、あの場所を選びそうなクエストなんて思いつかない。
「うわさにはなってるんだけど、詳しい場所を知らないんだ。あの人を通じてでもいいから教えてくれないかな? 便利屋としては見逃せないからね」
「便利屋ってどういう仕事なの」
つい口をついて出たけど、前から聞きたかったことだ。
「ひたすら終わりのない人助けの旅だよ。いろんなことに通じてる必要があるから、ものすごく大きなイベントが起こったら知らないなんて言えないからね。どこかに紛れ込んだり影でこっそり見てたりする必要がある」
情報屋とは違うの、というと「ぜんぜん違うよ」と言われてしまう。
「何を言われてもああ知ってますよって言って必要なものを割り出す仕事だから。ほんとは魔術とかにも詳しくないといけないんだけど、アイテム集めとモンスター討伐が主な仕事だからさ……」
必要なアイテムには精通している、ということなんだろう。
「そうそう、樫原さんがすごい服を買ったって聞いたんだけどさ、素材集めのオハチが僕に回ってきたんだよ…… 一日で集めてこいって言われたけど、さすがに無理だった」
「エヴェルさんが頼まれてるんじゃなかったっけ?」
「え、あー、それがね。一人でできる仕事だから、こっちのほうはお前に任せる、って。ともかくあんなむちゃくちゃは初めてだね。特にあのマントだよ」
あ、そうだ。
「あのマントって何でできてるの? エヴェルさん、説明してくれないんだけど」
「〈鋼鉄飛竜〉の翼膜の特に薄い場所、〈昇天聖蝶〉の蛹の近くに張られた糸、あとものすごく強い〈騎竜玻璃虫〉の臓膜」
「ぞうまく、って」
「内臓の間にある膜。これでも楽な方だよ、〈翠玉飛竜蟲〉とか〈蒼玉龍喰虫〉とかになるとさすがに一人じゃ無理だから……どうしたの、気持ち悪かったかな」
「うん、虫の内臓……って……」
ぜんぜん想像できないぶん、動物よりマシかもしれない。
「素材がちょっとアレなのと上級アイテムってこと、しかも面積が大きい一点ものだから値段がすごいんだ。ちなみに効果はジャンプ力とか飛行力を上げること。空を飛ぶ魔法を覚えたら真価を発揮する……かな」
「ちなみになんで依頼達成できなかったの?」
気持ち悪い話はやめようと思って話題を切り替えると「ああ、うん」と橋川は露骨にがっかりした顔をする。
「飛竜がよくいるところとトンボがよくいるところ、それとサナギがあるところはめちゃくちゃ離れてるんだ。全力疾走しても一日はまず無理。テレポート用のゲートを使ってもそう簡単にはいかなくて、飛竜は山の上、サナギはダンジョンの奥にいる」
昼休みのいまもなんとなくげっそりした顔で、今日の午前はほぼ寝ていたのはそのせいだったみたいだ。
「橋川、もっと現実も大事にしなきゃ。あんまり不健康な生活してると、ぜんぜん若いのにからだ壊しちゃうよ?」
「うん、そうなんだけどさ。達成しようと思うと頑張っちゃうんだよ。で、気が付いたら普段寝ようと思ってる時間を大幅に過ぎてたりして。ずるずる遅くなっていくから、良くないのは分かってるんだけどね」
兄が同じ状態なので、分かってしまう。
「外部時間のアラームとかつけとくといいんだって。リアルの用事ってある?」
「特にないかな」
あ、まずい感じだ。
「大丈夫だよ、自分で選んだことだから。僕にはあっちの方が色濃い現実なんだ……灰色の現実なんて言葉を使おうとも思わないけど、人も、心も、僕に言わせればあっちの方が真実味を帯びてるよ。樫原さんがこっちに来たらヤバい気がするけどね」
「あ、あはは……」
やっぱり、かなり度を越した廃人だ。
「あ、いや。虐待とかいじめとかじゃないんだよ。ゲームの中で嫌なことがあって、やめようかなと思ったんだけどさ……逃げてちゃ勝てないと思って、ゲームで見返すことにした。あ、……気が付いたらこのありさまだから、うん、やっぱり寝る時間は決めたほうがいいね」
「逃げてちゃ勝てない……って言うけど。そんなに勝ちたかったの?」
橋川がそんなに負けず嫌いな印象はなかった。静かだし、勝負事からは先に降りる。負けたら「勝ってよかったね」と祝ってくれそうな気さえする。でも、そんな普段の印象を裏切って「すごくひどいことがあってさ」と橋川は哀しそうに笑う。
「でも、ゲームの仕組みには則ってるんだ、誰も止めに来ないんだよ。そのまま相手の武勇伝になって、強さの証になる……そんなのは耐えられなかったから」
目を見開いて、恐ろしくなるほど怒りがこもった口調で、凶器みたいな言葉がごとごと口から出てくる。
「現実でさ、例えば女が男に好きだって言ったとするよね。男はその気がなくて、さんざんもてあそんだうえで捨てて、オレはこんなにもてるんだぜー、って笑ってたらさ。女の人はすごくムカつくと思うんだ。物笑いの種になって、バケモノ扱いで、倒される怪物……悪役扱い。僕が目指した場所と、真逆のステレオタイプだった」
意味は前半しか分からなかった。ただ、これが全部ゲームの中の話で、橋川はその恨みをずっと持ち続けているのだろう、ということはよくわかる。
「あ、ごめん。聞きたくなかったよね、こんなの。また知りたいことがあったら言って。時間かけて説明するから」
「真逆のステレオタイプ……って、なに?」
「いつか説明する。今はもう時間ないから……教室に戻らないと」
あ、と言った瞬間に予鈴が鳴って、私は急いで教室に帰った。
本当はすぐにでも聞きたかったんだけど、男子と一緒に帰るのはちょっと抵抗がある。それに橋川のことを欲得から離れた聖人君子だと思ってるわけでもない。みんなはそうだと思ってるかもしれないけど、しゃべってるとお互いに目と目だけを見てるわけじゃなく、視線はちろちろ移動しているのだ。私もいろいろ見ているから、あんまり厳しく言える感じじゃないと思うけど。
「ユノ、もう付き合ったら?」
「いや、ほら……だんだん人間の形した辞書みたいに思えてきちゃって」
「なにそれ、こわ」
嘘だった。というか、橋川のことは普通の男子欲望三十パーセントだと思っている。普通のやつみたいに突然一緒に帰ろうとかアドレス教えてとは決して言いださない、思っていても口には絶対出さないやつだ。
こうやって考えてみると、橋川への好感度はけっこう高い気がする。優しいし怖くならないから、裏面を想像しないかぎりひたすらいいやつだと思う。最初のころはぜんぜん顔が動かなかったけど、笑うとすごく優しい顔に――
赤くなると困るので、私は強引に話題転換することにした。
「そういえば魔法陣、なに呼び出すんだっけ?」
「あ、アーグの話ね。なんだっけ……中間管理職って感じの人に聞いても知らないし、側近の人に聞いても答えてくれないんだよね。あ、でも中間管理職って感じの人……えっと、ふにふにさんって言うんだけど、あの人がアイテムから考察してた」
その「ふにふに」さんは、必要な素材がかなり高級なものばかりなこと、それに魔法陣の大きさ、中心部に置くアイテムの配列から「呼び出すのは超高位の龍に違いない!」と言っていたらしい。
「で、超高位の龍ってどんなの」
「青龍とか?」
「すごいじゃん! あ、でも黄色っぽいのじゃなかったっけ」
「青龍が?」
「や、アイテムの色。そういうの素人だからわかんなくて」
「あー、うんうん」
集めているアイテムの色は黄色っぽいものばかりだった。青龍も、原点の色は緑っぽいらしいけどいまのイメージはサファイアみたいな真っ青で、ゲームではどっちを採用しているのか知らない。黄色い龍なんて、考えても思いつかなかった。
「ドラゴンの色ってわかんないよね」
「あ、そういえばそうかも」
伝説にはあんまり詳しくないからでたらめに返事したけど、ドラゴンはこの色、というイメージはぜんぜんないし聞いたこともない。
「え、金ぴかのドラゴン……? 趣味悪くないかな」
「うん、ちょっと幻滅するかも」
頭の中の想像図は果てしなくダサかった。宝物庫にぐてっと寝そべった、お金持ちみたいにちょっと太り気味のドラゴン。野生のすごみとか凶暴性はなくて、飼い犬みたいなドラゴンだ。ギルドを挙げてそんなのを呼び出すんだとしたら、がっかりにもほどがある。しっぽふりふりしてご飯をねだってきそうで困る。
「いや、ドラゴンじゃなくて龍でしょ。それでも金ぴかはちょっと変だけどさ」
「ごめん悪乗りした。時間あるけど、どっか行く?」
「あー、ごめん……デバイスとか、けっこうお金飛んでて」
「あ、VR女子の心得ってやつ? 実行してるんだ」
まあね、とうなずく。
デバイスは誕生日プレゼントに、バイトで稼いだお金を足して買ってもらった。そのせいで手持ちのお金がちょっとしか残らなかったこともあるし、ほかにもいろいろ準備して、使えるお金どころか使わせてもらえそうなお金もほぼない。
ファッション雑誌にVR特集が載るのはいいことだと思うんだけど、まさかダイブ・インするときのアドバイスまで掲載されるなんて思ってなかった。すごくどうでもいいというかパーソナルスペースだから気にしなくていい……と思っていたら、健康とか体の話だ。そこでブランドを推すのはいつものことだけど、わりと重要な話に思えて、安くでも揃えてみることにした。
「寝てる時間が増えるだけでも、女子には大問題なんだよね……」
「お客さんとか来ても応対できないし」
「そうだよね……。しかもほら、寝てる間に汗かいてなんとかって、超怖かった」
「あれはちょっと、不潔な部屋だからさ」
雑誌に載っていた話はどれも「怖がらせて買わせる」タイプで、あせもがひどくなって大変なことになったとか、廃人レベルでやってた人が床ずれでえげつないことになったとか、普通にはありそうにないものばかりだ。部屋の掃除も怠らないし、部屋の温度も調整してからダイブ・インする私たちにはほぼ関係ない。
「あ、もしかして大きくなるって話のこと……」
「信じてない信じてない」
「うっそだぁー、いまの話ぜんぶなくしたらそれしか残らないじゃん」
「ん、それもそっか……」
墓穴を掘ったことになる。
「でもさ、寝てないのに寝てるっておかしくない?」
「体は寝てるよね」
「脳が寝てないとダメなんじゃないの?」
夜十時は肌のゴールデンタイム、なんて言葉がある。早く寝ると肌とか成長にいいらしくて――そう、成長にいいとくれば男性は身長、女子は胸の話だ。VRデバイスを身に付けてダイブ・インしている間は寝ている状態と同じだから、『手入れ』さえ怠らなければいろいろ成長するという噂だった。
「まー都市伝説レベルだし」
「うん、だからだよ」
するとユミナは私の胸をじっと見て、ジト目になる。
「ユノはもう充分だよね」
「……そうかなぁ」
男の人は胸が大きいほど喜ぶ、という信仰みたいな迷信みたいなものを、私もなんとなく信じていた。男の人と言われても実感はないし、将来どんな人が私の前に現れるのかさっぱりだけど、もうちょっとだけ欲しいかなくらいには思う。
「充分……かな?」
「それでもっと欲しいとか言ったら全国貧乳連合からおっぱい強制摘発だからね」
「なにその連合」
「もたざるもののうらみをしれぇええ」
けしからんぞぉと抱き付かれて、駅に近付くまでそのままで、とっても困った。
主人公が弱くていい、誰かに助けてもらうってのもありだよねと思っています。
「ユニークハンターさんの討伐記録」
003:〈騎竜玻璃虫〉
種族:昆虫
(ボスではない)
備考:生息地は広範囲にわたり、強さや亜種のバリエーションも多い種族。ムカデ以外に竜を食う虫って何がいいかな? と考えた際に「ドラゴンフライ(トンボのこと)」が浮かんだためこうなった。
昆虫系通常モンスターの一種。飛行型なのでやや強い。大きさカテゴリは「大」だが、人間を襲わないこともあって脅威度は低め。竜を襲って食べるとされているが、それはさらに進化したものたちのとばっちりであり、この種の食べるものは主に中型鳥類だという研究結果が出ている。
透き通りつつも光をよく反射する素晴らしい翅を持ち、宝飾品の材料として人気。乱獲できるような強さでもないので、プレイヤーからは飛行モンスターへの対応を学ぶよい練習台として先生呼ばわりされることもある。
過去に一度討伐禁止令が出たことがあるが、大きな個体数の変動はなく、詳細は不明。禁止令を提案した人物も危険な研究で追い出されたマッド・サイエンティストであり、まともに信じるものはなかった。