表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/40

038 ニゴォの苦悩

 どうぞ。

 槍のような岩がいくつも突き立った草原には、蛇の卵のような横長のものが転がっている。しかし、数百メートル離れた場所には鶏卵のようなものがあった。殻というほど分厚くもない白いものの中には、翼をたたみ首を折り曲げた鳥の姿が見られる。通称「安寧の卵」、ある種の保護装置であり膜だった。


 その「膜」は、特別な場合にしか設けられることがない。それが作られるということは、膜に包まれるべき強大な存在が生まれたということである。膜によって守られるのは内側ではなく外側、つまり捕食されるほかの魔物たちだった。膜の内側は時間が止まり、すべての流れが断ち切られる。何があっても察することはできない。


 親しきものが近寄れども、思い人があいさつに来ても、知ることができなかった。


 例えばいま、さらさらと駆ける水の流れがするりと立ち止まって人の形に変じても、近くにいる生物以外は反応しない。


『――今日も変わらないな、エイラ』

『女の顔を見に来るのはこれで何千回目だ? なあニゴォ』


 とてつもなく大きな膜の内側には、とてつもなく大きな鋼の塊がある。あまりの大きさのために分かりにくいが、それはある角度から見るとひどく身を縮めた龍のようだ。ようだという言葉がくっつくのは、どちらかといえば長い龍でなく地竜の類らしいからである。


『玉龍さまは目を覚まさねえよ、膜の内側にいるんだからよ。ニゴォ、諦めてまともに修行しちゃあどうだ。膜に包まれて一緒になれるかもしれねえぜ』


『そうだが、ガイロ、お前はどうした?』


 人の形から徐々に元の姿――蒼天碧海龍ニゴォ・ミリフュライザ・イディアウリオーンへと変貌する。残念なことにユニークボスなので、イチゴォは存在しない。


『嫌味かよニゴォ、俺みたく雑用係が取り込まれるときは死ぬまで雑用をやらされると相場がきまってら。おまえはさっさと四つ名に進化して膜に取り込まれるがいいぜ、この俺が玉龍さまと蒼天碧海龍さまを隣同士くっつけてやるよ』


『そう言われるとモチベーションが上がるな。よし、今日は龍喰らいのところへ行ってくることにしよう』


 昆虫種族最強、種族としての強さは単体で龍を超える化け物どもである。


『おいおい無茶すんなよ? お前を運べなくなったら悲しいぜ、俺は』

『そのときは玉龍さまにお伝えよろしく』


 ったぁくばかやろうがよ、と剛腕のゴーレムであるガイロの罵りを聞きつつ、ニゴォはさらりと飛び立つ。体を水に変じる魔術は幼少のころから修めているので、意のままというより、もはや意に先走って使用されるほどである。


 水の流れであるときのニゴォはほとんどすべての攻撃を無効化し、致命的な弱点を持たない。彼を一撃で凍らせるような怪物は今のところいないため、表面が多少ばかり凍ったところで流れを更新して逃れるだけのことだ。


 竜喰らいの住む大森林に近付くには、無数の鳥や翼竜が暮らす岩山の上を通らねばならない。臆病な鳥どもは賢く振る舞い、龍と関わることはほとんどないが、翼竜は別だ。


『……おいでか』


 長さ約一キロメートルあるニゴォに、直径五メートルほどの爆炎が撃ち込まれた。


 魔法を使う若い翼竜の類は、つねに彼を狙っている。殺せないまでも弱体化、無力化すれば多くの強さを手に入れるからだ。傷のひとつでもつけることができれば、倒せないまでも多少の経験はできる。そのうえ、長老クラスの強大なものが仕留めに来る可能性もある。どちらにせよ、まともな相手をする気はない。


『抵抗もしないとは、ずいぶん余裕を持っているみたいだな!』

『……逆に殺されると考えない辺りが、お前たちの若さだよ』


 碧海の部分だけを見て蒼天の部分を見ないのは、凄まじく愚かなことだ。


『い、息がつま、づぐ、うぅっ』

『羽が折れ――ぐぁああっ!?』


 持って生まれ、泳ぐより早く鍛え始めた力により気体と液体を自在に操作するニゴォは、蒼天碧海龍の名に恥じることなく、蒼天(そら)でも碧海(うみ)でもほぼ無敵を誇る。若い翼竜は彼のいい餌食だった。いくら年老いたものが止めても、夢見る若者は翼をたたみはしない。そして空に砕け、地に帰っていく。ここ何百年も繰り返された、伝承であり神話だった。


 そもそも翼竜などというゴミのような種族では、彼に勝てない。生物が生物を超えるには無限に近い努力が必要だというのに、彼らの時間はその百分の一にも満たないのだ。


『待っていろ、今日こそは決着をつけるぞ、ベヴィン!』


 ――正しく、眼中になかった。




 奈落より生まれたものの中でも手に負えず、制御が放棄されたうえにすべての戦士を蹴散らした化け物であるベヴィン・ユラリオルサ・タインベエイィは三百年前からこの世界にいる。二つ名以上がこの世界に来る条件だが、彼女はそれを軽く凌駕している――というよりも四つ名になるのは時間の問題だった。


『毎度のように竜が来るの、ほんとうに美味いなあ。こっちの餌食とも思わずに来るんだからね。竜ってもっと賢いんだよね? 誇りを重んじるから逆にバカになっちゃうのかなぁ。どう思う?』


 若木を数本、歩くだけで削りつつベヴィンは笑う。


『ここへ来る途中若い翼竜を倒した。ジャイアントキリングがお目当てだ。竜たちだって、不利を克服すれば大きな力が手に入ると知っているからさ』


 レベルアップに必要な経験値という概念は、この世界にも適用される。そしてそれは、討伐が困難である相手であればあるほど大きくなる。自然、種族として絶対的に違う相手や自らが苦手とする相手へ立ち向かうものが現れることだろう。ニゴォもその一人だ。


 森の中にできた円形の広場、毎日のように炸裂する激しい戦闘の痕跡によって種さえ駆逐されてしまう場所へ、二体は歩いていく。


『要するに無茶をやらかすだけってことでしょう。どうしてクレバーにやらないのかな。日々の積み重ねが大切なんだからさ、雑魚狩りに勤しめばいいわけでしょう? 一獲千金を狙う理由が分からないよ』


 ニゴォは『ふん』と鼻を鳴らす。


『貴様はまさか、そのような心得で強くなったのではないだろうな? 己を目当てに群がる竜を適当に倒して、流れのままに強くなり、体がそう作られているからという理由で強さを誇るとは……? 不可解というより不快、軽蔑にさえ値せんな』


 数百年で何度も交わされてきた言葉であり、どちらもがはっきりした答えを返さないがために永遠にも近いほど続く会話だった。


『決着さえつければ、この不毛な議論にも決着がつく。そうだろう、虫けらよ』

『そうだね、おぼれトカゲ……来なよ、干し肉にして人間どもに振る舞ってあげるから』


 闇と風のエレメントを混ぜた円弧状の刃が、ベヴィンの念じた通りに水を切り裂く。しかし水はもはやただの水であり、命を持たないものがばしゃりと散乱する。


『馬鹿め、何度も同じ手を食う私ではないぞ』


 水に宿る実体を少し遠く離しておけばダメージが小さくなる、といったものではない。水は細切れにされ、この前戦ったときよりさらに強力になっていることがうかがえた。


『なるほどね、確かにね。めんどくさいな』

『同族はどうでもいい。貴様を殺すのは私のエゴだ』


 竜はしょせん竜虫の餌、龍でさえ喰らわれる運命にある。この世には絶対の存在などいはしない。であれば、いつかは運命を覆せる日も来よう。龍虫と変じたコオロギは確かに凄まじいほどの強敵だが、片鱗を繋げば力の全貌も見えてくる。


『こっちも強くなってるんだよ……? ニゴォくんは、もっと賢かったはずだけど』

『私も強くなっている。今日こそ雌雄を決しようじゃないか』


『まあボクはメスなんだけど……エサが粋がるなよ』

『僭称者どもに喰らわれる定めの虫けらが良く言う』


 魔力で強化されたジャンプ力、一瞬の飛行を可能にする翅、攻撃魔法の数々については慣れていると言っていいくらいよく知っていた。それは彼女のよくやるパターンだからである。そして最近身に付けたばかりらしい空中でのきりもみ回転は、龍を一撃で殺す危険性を秘めている。しかし、ニゴォは数度の偵察からそれを破る秘策を考え出していた。


『行くぞ』

『来なよ』


 漆の黒と蒼玉の青が睨み合い――






 結果的には、ニゴォが勝利した。


 魔力の塊にすら傷をつけるという新たなパーソナルスキルに目覚め、きりもみ回転や亜人種の武術を参考にしたらしい殴り技も凶敵だった。


『まさか、氷の力を手にしていたなんてね……』

『どのようなものだろうと、虫には……ぐふ、変わりはない』


 昆虫は変温動物である。つまり、外気温が極端に変化すると体は休眠状態に入ろうとする、という性質を備えていることになる。決して氷属性に弱いわけではなく、水属性も風属性も通じにくいことから正面きっての殴り合いになると予想していたベヴィンが悪かった。


『すごいよ、よくやったけど――満身創痍だね、ニゴォくん。それに、気温を変化させるなんて大魔術を使うにはちょっとだけ場所が悪かったね。ここはボクに住みよい場所……ほかにもたくさんの虫がいる。たった一人の跳ね返りが死ぬならまだしも』


 ざわり、と空気が揺れる。


『種族への脅威が現れたら……種族を挙げて狩りに来るに決まってるよね?』

『私としたことが……範囲指定を広くしすぎたかッ』


 球形の空間にしたつもりだったが、とニゴォは考えて、すぐさま舌打ちする。


『違う……下半球か』


『キミはほんとに強いよ。ただ、生まれながらにボクと同じ力を持つ、将来性ある子供たちに被害が及ぶとね……「保護者」たちを怒らせちゃうから。キミの魔力は半分くらい、体力はもうちょっと少ないかな……。ボクの宣言は、形を変えて実現するね――餌にな』


 縦に二等分されたベヴィンは、光の粒になって消滅した。


『子供たちは眠っている。体力のないものは冬眠するだけでも命の危険があるというのに、充分な滋養も摂らず結果だけ引き起こされると大変に迷惑だ』


 甲虫の中でも随一の素早さを誇るオサムシ型の竜虫が、怒りを殺した声で語る。


『……まったく、申し訳ない』

『祖父は何をする気もない。このわたしエルイルも同じだ。ただ……』


 ぞろりと音を立てたものを見て、ニゴォは心の底から戦慄した。


『血の気が多いところに、入眠を妨げられて大層お怒りの御仁がいてね。わたしとしてはトラブルを起こしてほしくはないのだが――言って止まるものなら止めている』


『ありがたいお言葉だが、エルイルどの、私は自分に仇なすものを選んで狩りに来た。ならばむしろ、これは好機』


 金属よりも固い鎧が連なり、曲刀のように血を吸ったことが分かる大あごがある。竜虫の中の竜虫、龍を喰らった伝承のあるムカデの龍虫だ。


『ここで死ぬなら、私がそれだけだったということ。長虫を三匹相手にして、その程度で死ぬものでは……エイラに仕えることすらできん!!』


 眠った時点で五つの名を持っていたエイラは、絶対的だった。絆を育んだ相手の足元にも及ばないという事実は、ニゴォに深い感慨を残している。そして、彼にはひとつの大きな目標ができた。


『エイラを超える日のためにも……ここで、貴様らに勝つッ!!!』


 もっとも弱いものは、一番前に出ている、少しばかり甲殻の艶が鈍い若者だ。彼は修行の一環として弱った龍を見てみよ、と連れてこられたのだろうが――極端に射程距離が長い魔法を持つ彼からすれば、それこそ最上の獲物だった。


 風の魔法で三匹を持ち上げることは造作もない。そして「若者」の下の空気を、瞬間的に鋭い刃と槍に変えて、深く貫いた。龍虫に触れたことはついぞなかったニゴォだが、普通のムカデと構造は同じだったらしく、中枢神経と心臓の主要部分を破壊された若者はびく、びくりと洪水のように口から血を噴いてくたばる。


『く……』


 だが、超重量を持ち上げたことに驚いて動きを止めたのは若者一匹のみ、老練の怪物と子持ちの母親は容易く風の地面を引き破った。


 もう有効打になる攻撃がない。老兵と母親はくるりと体を丸め、装甲を集中して風の刃を防いだ。背中側からそれを通すことは不可能であり、もはや負けは明らかだった。


(大禁呪ならばこれをも倒せようが……「命」を消費する特技は使えぬ)


 水や風、流動するものを操作する魔法を極めることで得ることができる、液体操作の大禁呪がある。「あらゆる液体」、相手の体液さえ操ってみせるものだが――それには、操る量と同等のものを失う必要があった。血液を一リットル操りたいのなら、一リットル分出血しなければならないのである。禁呪によって血栓症でも心筋梗塞でも起こすことはできるが、体力が万全の状態でなければ使用するべきではない。


『エイラ……ッ』


 躍りかかった二匹がニゴォを引き裂き、生まれながらに「龍種族特攻」の付与された肉体によってそのHPを全損させようとしたとき――



 世界が揺れた。


[異界門の所持者が

メオユラ・レルーケ から エヴェル・ザグルゥス

に変更されました]



『な、……なんだと?』


 体――肉体的、物質的な意味でのそれでもあり、形而上学的なからだであり、また心とも似ていると言える体が、ほんの一瞬だが揺れた。


『狩りどころでは……!』


 二匹は止まった。そして老兵と母親はあごを下げ、謝意を示す。


『ニゴォどの、我々は少々頭に血が上っていたようだ……。このような変事が起こり切るまで気付かぬとは、わしも老いぼれたものよ』


『若造の無礼をお許しください。ところで、この異変は?』


 青い龍に向かって、ピアノブラックのムカデは『この世界をのぞき見るものだ』と不可思議な解説を始める。


『わし、ゲザロイベが数百年ごとに目にする光景なのだが……ここは異界。であれば異でない世界がなければならぬ。その「普通界」と異界をつなぐ門はときとして開かれることがある。門はある種のアイテムらしく……所有者が変わることがあるのだ』


 システムの詳細を知ることがない生物たちは、困惑している。


『……皆目分かりません』


『であろうな。ただ、貴殿はここで生まれたわけではなかろう? あの元の世界とこの世界を繋ぐ門、それが恐らく「異界門」。数年前にも一度開かれたことがあるが、あれはひどい紛い物だった』


 ゲザロイベは彼らをおいてけぼりにして、話を進める。


『貴殿の体はとても大きい。直径とて十メートルなどでは通れまい? あのとき開いた門はあまりにも小さすぎたのだ。泡沫のごとき羽虫ども、湧いて出る獣や草木しか出られなんだ。この持ち主が心ある者ならば……』


 老兵は、甲殻をがしゃりと鳴らす。


『膜を解くかもしれぬ』

 主人公の名前が一回も出てこない異常事態!(適当


 明日も続けるので、意味不明なままにはさせません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ