024 予兆
どうぞ。
「成長ボスってさ、どうやって生まれるの?」
という質問に、橋川は「いや、それはちょっと分からないかな」と言葉を濁す。
「ずっと昔から存在し続けてレベルを上げ続けている怪物もいれば、ぽっと出の若造なのに驚異的な速度でレベルを上げるものもいる、のかな。ただ、それがどうやって生まれたのかっていうとちょっと難しい。科学的に考える人と、ファンタジー全開で考える人がいるね。どっちが正しいかって言われても答えられないけど」
「それぞれ教えて」と言うのもひどい気がしたけど、口が先に言ってしまった。
「科学的に……つまり遺伝子の突然変異や人間でいう筋トレ、食生活による大きな変化が成長ボスだとする考えがあるけど……。正直これはリアルすぎるよね」
「筋トレ……??」
確かに、ゴリラみたいなプロレスラーと橋川みたいに痩せたひとが同じ種族に見えないときはあるけど。
「ただし、そこまで大きな変化が起こるのか、っていうのはある。ベジタリアンやらヴィーガンはやっぱり人間だし、筋トレしたってゴリラにはなれない。するともうひとつ、「何か大きな力の影響を受けた」っていう説に信憑性が出てくるんだよね」
「魔法?」
橋川はものすごく難しい顔になった。
「うん、そうだね……そう、かなぁ。魔法は龍脈、妖術は霊力、法術は紋様の力を使っているんだけど、なんというか……星の巡り会わせって言葉が、魔術の伝わる国の昔話にはよく出てくるんだ。そういう「力の強くなる瞬間」に出くわしたモンスターに変化が出る、それが成長ボスって考えもある」
現実には起こらないことなので、ちょっとよく分からない。
「前者が農薬で変異した虫かな。後者はうまい例えが見つからない……現実にないから。まあ、フィクションにもよく使われる「太陽系の惑星が一列に並ぶ日」なんてのが近いのかもしれないね。意味はともかく、ほんとの力はあるのかな、あれ」
「ごめん、あんまり本読まないから……」
そういえば何か聞きたかったような気がする。何だったかなと思っていると、不意にそれを思い出した。
「橋川って化人族だったよね?」
「あ、まあいちおうね」
「エイマって誰か知ってる?」
「あの事件のこと?」
「ん? や、エイマっていう人たちが何人かいるらしいけど、名前は分からないってメアが言ってたんだよね。事件ってなに?」
「知らないならいいよ。それはそうと、英魔のことを教えてって言うのは無理だね」
何かごまかしたみたいだけど、エヴェルさんも「知らぬが仏」と言っていたので、聞かないことにした。
「有名人なら名前がばれてもいいんじゃないの?」
「それを教えてって言うのはね、国家の首脳に対して「今後二十年にかけて行う予定の目標はなんですか」って聞いてるようなものだよ。絶対に答えてくれないし、信用されてても教えてもらうのは無理だ。個人的な知り合いになれば別だけど、それでもまず不可能。自分の現実でいう個人名とアドレスを全部言える? やめておきたいんじゃないかな」
なるほど。確かにそれは無理だ。
「エヴェル・ザグルゥスは英魔だ。それだけは言っておくよ……つまり、あらゆる場面で味方とは限らないってことだよ。いいね?」
「そんなに強調しなくても、分かってるよ」
「ならいいんだけどね……」
昼休みはそれで終わってしまって、橋川と話す機会はその日それでなくなってしまった。ユミナは元気だけど、アーグの話はしない。
「ユミナ、今日は元気だね」
「ちゃんと寝てるし食べてるから。ユノも、もう隠し立てしないレベルだよね」
「え、あー……まあ、ね」
「ここまでとは思ってなかったなー」
にやにやしているけど、心からの笑いには見えない。
「説明わかりやすいんだ。しかも優しい。一家に一台だよ」
「……ほんとに辞書だねー」
うわべだけの話になっているようで、なんだか嫌だ。
そんなこんなで、学校から帰った。大きく嫌なことはないけど、小さなことが少しあるのが逆に気味悪い。課題をやりながら、私はどうすればいいのか分からないままだった。
◇
アヤト・ルゥスは今日も一日中アーグ・オンラインにいた。正直言って並みの社会人より(ゲーム内で)忙しい彼は、空いている時間があればこちらを優先する。しなければならない。大会社の社長に匹敵する忙しさは、もしかすると彼をその地位につけるための訓練なのかもしれぬと思わせるほどである。
「魔剣の性能チェック終わりました! 呪いの詳細も書いてます!」
「おっけー置いといて。解呪推奨と非推奨で分けといてね」
「はいっす」
古い倉庫から吐き出されたり、モンスターが文字通り持っていた魔剣の性能は調べるだけでも危険だ。「魔」だけあって、だいたい呪われているからである。モンスターには無意味だったりする困ったものもあり、呪いを解くべきか否かも判断基準に加わっている。
「換金アイテムの換金終わります」
「おっけー売掛金に充てる。残りはモノマニア名義の口座に入れといて」
「はーい」
話しながらも、アヤトは時間のかかる作業を続けていた。
(いやぁこっちでいう監視カメラか、ありがたいことこの上ない装置だなぁ。そんでどう、この結果だと……ここが中心か、立体的に観測して欲しいなぁ、まったく)
彼はぶつぶつと小さくつぶやきながら、号外に出ていた場所の監視結果を分析している。観測不能モンスターの観測という矛盾にも思える行為だが、決して無駄ではない。
(魔力吸収スキルは困ったぞ、あれはほんとの化け物しか持ってないからなぁ。推定でレベル五百は見といた方がいい。問題は観測できないのにここまでレベル上がってるってことで、今後さらに上がる可能性大ってことだ。で、遠視魔法が吸い取られたから普通の魔法は無効だと思ったほうがいい……こんなのユニークどころかカタストロフィー級だ……)
巨大な円形の範囲から自然魔力と放出魔力が吸収されており、円形の中心へと供給されている。都市の主要インフラが電気でなく魔力だったら、大規模停電間違いなしだ。
(完全に正体不明、光学観測もぜんぜん、黒雲で見えない、と。すぐ山の方に戻ったからいいようなものの、エルフの街にでも行ったらえげつないことになるな)
街のほとんどの主要機能が、自然から導かれて流れ込む魔力で賄われる場所である。そんな場所に「これ」が到達したならば、街の機能を全て壊滅、それこそ種族の絶滅を招きかねない。エルフに限っては「取り換え子」の伝承も加わって有り得ないことだが、そのほかの種族ならばあり得る。
(いや、待てよ? こんなガチな構成のをどこかで見たことがある……何だっけ、ものすごい強いボスだったな。レーティング十の装備相当のアホ強い九体……。そう、街が滅ぶってところだ。種族絶滅のために生まれるモンスター? いたよな、何だっけ――)
「アヤト?」
「ふおう!?」
小さな、しかし確かな声が聞こえて思考が脳みそから消し飛ぶ。
「どうした、アヤト。真剣な顔して」
「いま真剣なところだったんだよゼイン。なんだっけ、あぁ、忘れた」
ゼイン・レンフェリアはギルド「モノマニア」のヒロインである。
――というと怪訝な顔をする者もあるかもしれないが、事実だ。ちょっと声をかけられた程度で冷静な思考が頭から消えるなどというのは日常茶飯事であり、ギルドの人員、約三割が「危ないところを助けてもらい、その勇姿に惚れた」という筋金入りのファンだった。戦いも強く美しく優しく、ちょっとこれ着てみてください! というお願いを断ることも(時間がないときを除いて)ほとんどない。
ゆえにアヤトがゼインの声を聞いて過剰反応しそれまでの冷静さを欠いたとしても、彼を責めることができるものはギルド内に存在しないのである。
「ゼインって男の娘だっけ、ネカマだっけ。それともホモ?」
「女だぞ。なんで男前提なんだ」
「いやぁ、男心分かりすぎだぞゼイン。その装束とか」
「これはその、イメージだからだ。ちゃんと装備しているぞ」
イメージってイメージガールとかそういう意味なの? とアヤトが茶化しても、ゼインは真面目に「自分のイメージだ」と答える。
「アヤト以外には本当の姿を見せられない」
「いやぁそれ、サークラちゃんのテンプレだぞゼイン? ガザンすら知らないみたいだからいいけど。ときどき来る「ゼインの客」の赤い人、あれもお仲間か?」
「仲間であって友人でない、上司や部下でもない。同族だが、報酬をもらわなければ協力はしないな。うさんくさいのだ、あの男は」
嫌われてるねぇ、とアヤトはため息をつく。
「まあ、ガザンも言った通り……何かに長けてんなら何でもいいのよこのギルド。ざっくばらんな口調にならせてもらうけどねー。ゼイン・レンフェリアの正体がアレでも、別に誰も疑問には思わんでしょ。これだけ強いから、ある程度は察してるはず」
「む、そうだろうか。抑えているつもりだったのだが」
「いや、抑えててもね……? そもそも擬態してるってばらしちゃったでしょーが。こないだの要件は何だったんだ、赤い人の」
ゼインは言いたくなさげにうつむくが、ぽつりと「魔法陣解読だ」とこぼす。
「解読スキルはかなり鍛えているので、魔法陣の内容を理解し、何を呼び出すか、どれくらいの強さになるかほぼ正確に読み取れるのだ。このあいだの〈黄龍〉は、実のところ知っていた。すまない……言うべきだった」
「いや、いいよ別に」
アヤトの言葉に、ゼインは口をぽかんと開けた。
「ごく正直に言うけども……俺はね、妹だろうと使えないヤツは知らねーのよ。レベル十かそこらで龍に立ち向かう。負けるね普通に。でも負ける前に何ができたか、そいつを聞きたい。もし逃げてる途中に流れ弾に当たって死にました、なんて言ってたらこの街には連れてこなかったぜ」
「それは……? 本気で言っているのか?」
「ゼインはすごいし、人間的にも尊敬できる。これまで積み重ねた成果がある、今も積み重ね続ける成果が山ほどある。ゼインはいい人だ、そう判断してるよ、ギルドのみんなが。ところで俺の妹はどうか? 逃げるだけ逃げてアホみたいに怖かったよぉって泣いてる女の子は、アーグじゃ使い物にならないねぇ」
今までにも何度も話してきたことだ。ゼインも納得しているはずである。
「何度聞いても、やはり怖いな」
「使い方ってのはそれぞれある。明るくて場の雰囲気を盛り上げられるなら、実務はおざなりでいいさ。逆にバリバリこなすやつなら、コミュニケーション不全でいい。ユキカはどう使えるか考えてみたが……あれはイノベーションを引き起こせるな」
笑顔が怖い、とゼインは思う。裏表がない妹が「どうすれば活躍できるか」、ひたすらにそれだけを考えて、答えを見つけられたことを心底嬉しく思っている顔だ。
「その冷たいような優しさが好きなのだ、アヤト」
「はーいはい、聞き流しとくぞ。何だっけな」
ゼインは、もう少しだけ、と質問を重ねる。
「ん?」
「いつか、私を受け入れてくれるか?」
「うーんこの……かわいいやつめ」
(ヒロインが男とくっつくのを祝福しないやつもいるんだぜ……)
アヤトは、ぼそぼそとつぶやく。
「かわいい?」
「おうともかわいいよ。じゃなきゃここまでヒロインにはならんよねぇ。戦ってる真剣な姿やら、試作の服を着て赤くなってるとこもな」
「そうならもう、こう、もっとぎゅっとしてくれていいのだぞ」
「あのさぁ……」
デスクで座るアヤトに、瞬間移動のような素早さでゼインが抱き付く。
「化人族を大事にするといいことがあるのだ」
「猫か。今でじゅうぶん助かってるよ。報酬として俺に望みたいことがあるなら、ルトやアイテムじゃないものも弾むぞ。俺の時間も」
「むっ、ならタッグでのお出かけを」
「まあ、多少は……って、もう何度もダンジョンに潜ってるだろが」
かすれとブレが混じった声で、「この姿でだ」と耳元にささやく。
「何度見ても、普通に綺麗なんだよな。受け入れられないとは思えんねぇ」
「それでも……。怖いのだ」
腰に差した刀はそのままで、全身が花びらと蔓と木の葉を複雑に絡めたような甲殻に覆われている。装備を変えていないというたったそれだけでも、彼女が人間でないと示すのには充分な証拠だった。
滑らかでしっとりした質感は花びらのそれであり、ぷるりと弾けるように輝くのは果実のそれだ。何と何が混ざっているのかは不明だが、少なくとも何かの花と果実がモチーフであることは察せられる。ブドウと彼岸花あたりだろうか。大きな髪飾りで留めたポニーテールは、不思議な赤紫色をしていた。隙間から漏れる光のような、それとも何かの記号のような「目」が、水面を下から見たように光を揺れさせる。
「早く戻っとけよ、自分から明かす日まで黙っといていいんだからな」
「アヤトには分かっていてほしい。そして、受け入れてほしい」
もっと年齢が上ならば「酔っているのか」とでも言いたいところだが、あいにくそこまで冷たい言葉をかけられるアヤトでもない。
「じゃあまあ、仕事がんばろうぜ」
「了解だ」
なんだかんだ、流し方は分かっているアヤトだった。
筋トレの成果が成長ボスは自分で書いたものでも草。
ゼインのが可愛くね? と思ってしまいました。むしろこっちがまともなヒロインの気がする。




