020
どうぞ。
何をどんな順番で話したらいいのか、分からなくなってしまう。
「元気で何よりだね、ゆっちゃん。レベルは上がったか、新しい職業を取ったころだろうかといろいろ考えていたよ」
「はい、妖術師を取ったんです」
「おお、あれか。なるほど「夜と月」だね」
しきりに納得しているのが不思議だけど、私よりアーグにすごく詳しいエヴェルさんのことだから、何かしら分かったのかもしれない。
「友達に、何でも聞いてちゃダメって言われちゃって。でも気になります、夜と月っていったい何ですか?」
「妖術師は邪法を習得する職業だ。それを究めんとするならば、当然ながら人の理からは外れていくことになる。妖術師系最上級職「大妖魔」は、いちおう人間ではない。そういう意味では月が出ている時間に強くなる、月の出ている時間にしか出歩けない、そういうことになってくるだろうね」
なにそれこわいと思ったけど、職業をリストから消すこともできたはずだ。
「あ、いやすまない。これには語弊がある……人間の姿は保ったままだよ。身体能力の補正や気配、種族が人間ではなくなるだけだ。擬態スキルの追加機能には「種族偽装」やら「ステータス偽装」やらが付いているから、問題ないよ」
「じゃあ夜と氷は?」
「よく覚えているね……」
と言ったものの、エヴェルさんはしばらく考え込むようにして、固まっていた。鎧兜のせいで息遣いも聞こえず、わずかな動きも見えない。
「……そうだな、ここから始めよう。属性ごとの術師は取るのがとても簡単な職業だし、どんどんレベルアップしていくありがたい職だ。というわけで、属性の術師を取った人は簡単に最上級職になる。ひと月もしないうちに上級職になるとも、保証するよ」
ところがだ、とエヴェルさんは近くのベンチに座りつつ、私に横に座るように促してそのまま話し続ける。私は話を聞きながら、横に座った。
「最上級職の中でも、術師は一、二を争う弱さだ。理由はかんたん、たった一つのことしかできないからだよ」
「氷だけ、ってことですか?」
エヴェルさんは大きくうなずく。
「そう。もちろん魔術師としての腕もそこそこは上がるだろう、それなりのペースで上級職の「大魔法使い」になれるとは思うが……。そこから先は非常にシビアだよ。達成する条件がいくつもあって、その人の生活態度や偶然起きた出来事までもが合算される」
エヴェルさんが言うには「騎士」になるためには「騎士見習い」を極めることが必要で、その間は殺生禁止らしい。モンスター以外を倒したなら二度とまともな騎士になることはできず「黒騎士」になり、レベルが上がるごとにどんどん暗黒度が上がっていくということだった。
「まあ、それでも国難を救うことがあれば救済の道はあるんだがね。まともにプレイヤーとしてやっている限り、国を救うなんてことはない」
「国難なんてそうあったら困りますよ……」
黄龍降臨も、街ひとつをそこそこ壊しただけで終わってしまっている。あれよりすごいのが来て、それを一人で倒すなんてことができるんだろうか。
「君には大きな可能性を感じると言ったのはそこだ。キーワードが単純であればあるほど、拡大解釈の余地がある。血に染まる姿、勝利の旗を掲げる姿、魔に立ち向かう姿なんてすごい言葉を言われたやつがいたが、ただの傭兵だった」
確かに、言われてみると一つの出来事を時間別に言ってみただけのように聞こえる。
「そうだろう? 魔に立ち向かい血に染まり、勝利の旗を掲げる。順番を入れ替えてみれば大層にも聞こえるが、まったく普通だったね」
「エヴェルさんはなんて言われたんですか?」
鋭く息を吸い込む音が聞こえた。そして、ベルトコンベアを流れてくるような感情のない言葉が一定のリズムで私の前に置かれる。
「苦悶、報い……恩信」
「あ、や。答えなくてもよかったですよ」
答えてもらえるとは思っていなかったし、こんなに不機嫌そう、というか怖い声で答えられるなんて思っていない。
「君には分からないだろうと思ってね。あの言葉は、アーグにおける我々のすべてを表すと言ってもいいんだ。しかしその意味を、君は未だによく分かっていない。いや、理解するのはもう少し先になるだろう。少なくとも偉業と呼ばれる類のことを成し遂げれば、このゲームにおける「君の意味」が分かる……かもしれないね」
私の意味って何だろう、と思ったけど、聞くのはやめた。
それよりも言いたいことがあるのを思い出したからだ。
「あ、あの」
「何だか声の調子が変わったね」
こういう直接の言い方をするところは、どちらかというと好きだ。でも、私はそれを真似できそうにない。どちらかというと遠回しな、徐々に距離を詰めていくような言い方しかできない。そして、もしかしたら近付き方を間違えるかもしれないという恐怖も、私の足を止めている。
「言いたいことがあって……」
「何かな。黄龍を倒したことなら、感謝されるまでもないよ……あの街がなくなるのは非常に困る。未成年バーという店があってね、サンドイッチが美味しいんだ。もう何日か顔を見せていないから、早くマスターを安心させたいね。ああ、手土産を用意するのが先かもしれないが」
日頃は聞かないような早口で、思いつくことを口に出しているような不安定な言葉だ。もしかしたら私が言いたいことを先に分かっているのかもしれない。
「それとも君を案内したことかな?」
「それは、ありますよ。右も左も分からない……ほんとにそうだったんです」
「熟練者が初心者を案内して教え導かないなど、私の考えだけで言うなら言語道断だね。先生から教わる、親から教育を受ける、これは先達としての義務を果たしているのだ。ゲームでも同じこと……先にその世界へ降り立ったものが後に続くものを放っておくなど、赤子を荒野に捨てるようなものだ」
エヴェルさんは「もっとも、私に言えた義理ではないのだが」と自嘲するような口調で言葉を吐く。
「私は同族を見捨てたとさんざっぱら非難を浴びている。英魔のひとりでありながら王に貢献せず、人間の味方をして顰蹙を買っているのさ。ユニークモンスターは強大だから、放っておいて人間が減ったほうが王には都合がよかろうと……。無論ただで倒しているわけじゃないがね」
ついつい語りすぎてしまう、低く染み渡るような声が好きだった。
「私は、エヴェルさんのこと嫌いになりません」
「……それがいつか呪いに変わるとしてもかな?」
闇から出てきた地獄の残響、とでも表現すればいいんだろうか、エヴェルさんの声はとても低く、恐ろしさを増したものだ。でも、怖くはなかった。もしかしたら、私はもう歪んでいるのかもしれない。
「好きになるって、受け止めることだと思うから……暗いところや怖いところがあっても、それを受け止めなきゃいけないって思うんです。けんかしても仲直りできたら、もっと仲良くなれるかもしれないじゃないですか」
「君は強いね、ゆっちゃん。私は嫌われることしか知らない。誰かを好きになることはあっても、それが本当にその気持ちなのか、いつか嫌いにならないかと怖くてたまらないんだ。私の穢れを君に渡すことが恐ろしい――」
私は思わずエヴェルさんの手を握っていた。
「あ、ごめんなさい……」
「ふふ……。いや、つい思い出したことがあってね。意図した行動と意図しない行動、いったいどっちが尊いだろうか?」
また哲学的だなぁ、と思ったけど、ここはひとまず「意図しない方だと思います!」と言っておく。お医者さんが人を救うよりボランティアのがいいなんてことは口が裂けても言えないけど、身近な人助けなら断然そうだとはっきり言う。
「私も同意見だね。打算の行動は合理的だが、どうしても醜く見える。感情に関わることならばさらに。意見が合って嬉しいよ」
相性がいいのかな、とちょっとだけ嬉しくなった。
「これだけ生きてきてたくさんのことがあった、感情の機微もどちらかと言えば分かる方だ。何を言いたいのかはだいたい察せられるとも。試すような真似をして悪かった……言ってごらん」
やっぱり察していたのだと分かって、むっとするところもあったけど、この人も無敵じゃないと分かってさっぱりした気分だ。
「私は……エヴェルさんのことが好きです」
「そう、か」
抑えた声だった。
「正直、あこがれなのか恋なのか分からなかったです。それに、キューナがレギアさん大好きだったのもあんなことで終わっちゃって……もしかしたらすごく大きな計画のために利用されているのかなって、ちょっとだけ思いました」
「かつてされたことを誰かにするほど非道ではないよ……むろん私も君を騙している。たくさん言っていないことがあるし、隠していることや故意に目に触れさせない事実もある。だが、それは利用するためではないのだ」
衝撃的な発言だけど、言葉は続いていく。
「ショックを受けること、誰も信じられなくなること……。それを最初に知ってしまったものは、のちに歪みを修正することができない。実体験を交えないとよく分からないことや、前提知識をたくさん持っていなければならないことも、それを混ぜて話すと遠大で退屈な話になってしまう」
「それは騙しているって言いませんよ?」
「闇金が法律のことをきっちり客に説明しないのは、騙していないのかね?」
「へ、屁理屈です」
冗談さ、とエヴェルさんは朗らかに笑う。
「そんな形で、明示的、暗示的に騙しているのだ。正しい道しか進めないように立札を立てておくのも、情報操作のひとつであることは事実。マスコミの言うとおりにして幸せになる人間もいる、だが逆も然り。教え導くには細心の注意が必要だ……続けてくれ」
「あ、はい」
そういえばそうだった。
「でも、今みたいな……ぽろっと漏らすような言い方が何度もあって。あんまり嘘をつくのに向いてない人なんだなぁって。三つの言葉に入ってたかどうかは分からないですけど、残酷にはなりきれないんですね、エヴェルさん」
「よく見抜いたね、ゆっちゃん。その通りだ……どうしても冷酷になれない。彼らのように人生の一部にすることができないのだ。二重の背信はつらい。しかし本当のことを言うことができない――君のように、理解できても言葉にできない人以外にはね」
私にだけは本当のことを言っている、とも取れる。
「すべてには理由がある。これだけは言っておこう。その理由がどのようなものなのかは、君がここにいることで徐々に明かされていくだろう」
「私は、もっとエヴェルさんのこと知りたいです」
「ああ、君には大人物になってほしいからね。いいとも、ユニークハンターへの道以外にもたくさんのことを伝授しよう。……そうだね、そのために、しばらくは君の近くにいることを約束する。これでどうかな?」
理詰めの答えだ。でも、それだけでも嬉しい。
「これからもよろしくお願いします、エヴェルさん!」
「こちらからもよろしく、ユキカ」
籠手越しにも暖かい手と、がっちり握手をした。
「ところでゆっちゃん。ログアウトする時間ではないかな」
「はっ!? すいません、これで!」
手を離して、慌ててログアウトする。
ゆっくりと感覚が戻って、寝ている自分の体がぴくりと動くのを感じた。VRデバイスを外して、それほど乱れてもいなかった髪を少しだけとかす。んにゅう、と変な声が漏れて、自分がにやけているのが分かった。力を抜いて倒れ込んだ布団に、髪がふぁさっと広がる。幸せな気分もあって、これからあの人のことを知っていく怖さもある。それでも、今はまだ幸せが勝っていた。
「エヴェルさん……きっと、追いつきます」
ゲームの先輩なのは事実で、一週間くらいしかゲームをしていない私なんかよりずっと詳しくて、すごい人だ。それでも、私はあの人に追いつきたかった。
「いつか、恩返ししたいし……一緒にいるのに、エヴェルさんが困ったらやだし」
そもそものレベルの桁が違うはずだ、と考えたところで、大あくびが出た。眠気がふわふわと降りてきて、布団の上から私を包み込む。
「がんばる……」
私はすぐ電気を消して、眠ってしまった。
◇
合計レベル九〇二、HP数値約八十五万の男は「くしゅっ」とくしゃみをした。
「何かな、ゆっちゃんが家族に話しているのだろうか」
合計レベル九〇二はともかく、HP数値約八十五万は少ない方だ。
(騙しているとは言ったが……よもや気付いてはいまい)
ユニークハンターなど、通過点にすぎない。そもそもは目的があってやっていることであり、おまけに大層な名前が付いてしまったのだ。
あるときは双剣で、またあるときは槍を振るい。
そして拳のみで戦い、棒術を的確に使い。
盾と剣を使いこなすときもあれば、剣のみに命を預けることもある。
ユニークハンターのだいたいの姿は「黒銅色の鎧兜」だが、どのような武器を使っているかという噂は毎回違う。それこそがユニークハンターの戦う理由だった。
「よぉ、どうしたいぼうっとしちまって。さすがの廃人サマも眠いのか」
赤いスーツの男が、「いやあサンドイッチ、本当に旨かったぜ」と笑う。それに答えたエヴェルは、ずいぶん何も聞こえていない様子だ。
「ゆっちゃんに告白されてね。大変だったよ」
「おまえまさか断ったんじゃあるめえな?」
「そんなことを、するわけがないだろう。彼女こそ私を救った人間なのだから」
「ほーお……おまえが言ってた子は、あの子だったってわけかい」
そうさ、と鎧兜の男は自嘲気味の声を漏らす。
「皮肉だな……人間は人間だというのに、人間でないものも人間だ。人間のアイデンティティーなんぞ簡単に揺らぐものだと知らない馬鹿ばかりだった……これから先は、彼女がどういう人間かを見極める時期になりそうだな」
「まさかとは思うがエヴェルよ、おまえ」
いつも嘲笑気味、またはふざけた様子のユイザも、さすがに重く真剣な声音に変化する。男が恐れることを口にすることを、エヴェルもまた恐れているようだった。
「いや、この話はまたいつかにしよう。未成年バーが復活していたのか? それならば顔を見せに行かないとな」
「そうさな、ここでする話じゃあねえよな」
すれ違う夜は更けていった。
二部はちょっと戦いが増える予定。投稿する時期はクリスマス以後または新年以降です。




