018 人間関係破壊
ひっでぇタイトル……。遅れて申し訳ない、ちょっといろいろありまして。
どうぞ。
そっか、と橋川は言った。
「モノマニアね。元の言葉はちょっとこだわりすぎのおかしな人みたいな意味だけど、あのギルドはけっこうすごいよ。何より、種族にこだわらないところがいちばんすごい」
いつものように、窓際の席で二人並んで話している。放課後は誰かが勉強に使っているだろうけど、昼休みは誰もいない場所だ。
「あ、そういえば擬態してるって人が――」
「詮索しちゃだめだよ」
急に窓の外を見て、橋川は刃物を突き付けるような声で告げる。言う、という言葉では決して表せない、ものすごく怖い声だ。
「ごめん、……つい、ね。その人が自分から明かすまでは、擬態を取ってる人の正体を詮索しないのが今のマナーだから。擬態スキル自体は隠密スキルと併せて取る人も多いし、人間でも風景に紛れるために取ってる人はいるよ」
「そうだったんだ……。てっきり聞いた話だけかと思ってた」
それにしてもモノマニアかぁ、と橋川は感慨深そうというか、思い出すような声になる。彼の思い出の中でも、あのギルドはいい場所みたいだ。
「ギルドというか、グループなんだよね。レギオン、クラン、ギルド、いろいろ呼び名があるしふさわしいタイプもあるけど、あれはグループだと思う」
「……ごめん、ぜんぜん分かんない」
「えっとね……もう恒例の解説だね、辞書代わりだね」
言いつつも「それぞれ解説しようか」と身振り手振りを交えつつ話し始める。
「レギオンっていうのは「軍団」。戦いのために結成された集団。ひたすら戦い続ける、戦闘能力を鍛え続ける人たちだね。トップクラスの強さを持ってる……まあ、井の中の蛙なんだけど。モンスターの攻略情報をいちばん多く握ってるのはこの人たち」
「テイムの方法はどうなの?」
「あ、いやそれは……倒すのに特化してるから、ね。そういうのはギルドタイプに蓄積される感じ。ギルドは「同業者組合」。同じ職業や職能を持つ人たちが集まって、共同で製作をしたり情報交換する場所かな。ものづくりの設備がものすごく整ってるよ」
モノマニアもこんな感じ、と橋川は笑顔で言う。
「クランは、そうだな……結社かな? 儀式的な結びつきとか、謎の通過儀礼がある。入るのにかなり厳しい条件があったり、指導者のカリスマだけでやってるような組織がクランって呼ばれるタイプ。宗教集団はまさにこれだけど、アーグにはいない」
エヴェルさん以上に関わったらヤバそうだ。
「モノマニアはいいよ。戦いもやる、生産や製作もやる、でも儀礼やらめんどくさい上納金は一切ない。ある程度「できる」のが前提だけど、そうなら誰もが参加できる。僕みたいにひどい時期に新人だったプレイヤーからしたら、夢みたいな組織だよ。もっとも……その分誰かが不利益を被っているかもしれないと思うと、単純には喜べないけど」
橋川がものすごく暗い考えを持っていることは知っていたけど、ここまで言われてしまうと納得できる気がするようなしないような感じだった。
「どういう感じで不利益があるのか、分かる?」
「気前よく高額なものをあげたり、誰かを助けるってことは……じつはすごい損なんだ。本人は助けられたからいいや、喜んでくれてるからいいやって思うんだけどね。本当のところを言うと――。樫原さんも、いつか誰かを助けてあげてほしい。初心者でもいい、自分の仲間でもいいから」
「じゃあ、いつもいろいろ教えてくれる橋川を助けよっかな」
「……僕はいいよ」
とても穏やかな、陽だまりみたいな声を聴いた。
「樫原さんはさ、自分じゃ気付かないのかな……」
「何に?」
ほとんど言わないつもり、くらいの小さな声を、耳ざとく聞いてしまう。でもその意味はあんまりよく分からない。
「ううん、いいや。またいつか話すから」
橋川は逃げるように立ち上がって、追いかける暇もなくさっさと歩いていってしまった。歩いているのにあれだけ早いので、追いかけようという気も起こらない。
「たまには本読もうかな……」
私は、本棚の森に入っていくことにした。
◇
廊下を歩きながら、橋川は考えていた。
忘れてないのに、肝心のところは分かってないんだなぁ、というつぶやきを心の中だけで済ませて、友人のいる教室へ向かう。
「……休みか」
今日は運悪く休んでいるらしい。いろいろと聞きたいことがあったのだが、今日のところはこのまま帰ることになりそうだ。とはいえ教室に戻る気にもなれず、屋上へ上がった。
異常に高いフェンスで仕切られて、ひどく遠くまで広がった世界が見えている。山の上にあるわけでもないが、田舎であるせいか高い建物が少ないため、風景は事実上の限界まで遠く遠く見渡せる。
「城みたいだな……」
高い場所にあって、ひどく遠くまで見渡すことはできる。でも、ここから駆けて行ってそこへたどり着くことは絶対に不可能だ。ここにはフェンスがあり、あっちには領土の線引きがある。虚しさとも寂しさとも取れないものが、彼の胸の中に広がった。
「ダメだったか……」
どうやら樫原結乃が中学生時代のことを覚えているのに、その意味を分かっていなかったことに気付いたのがついさっきのことだ。それに、特別扱いや優しさの意味もよく分かっていないらしい。まだしばらくはごまかし通せるのかと思うと嬉しいようにも思うが、逆にさびしいような気がした。
「あ、いた」
「ん? 樫原さん」
どうしたの、というと「ついでに相談したいことがあってさ」と恥ずかしそうに笑う。その表情を見ていると、ついこちらも笑ってしまいそうだった。
「好きな人がいるんだよね……」
「それを男に相談するのは、どうかなぁ」
自分の使うニュアンスをかなり理解している彼女に、橋川は厳しめの声と顔を調整して浴びせる。しかし樫原は「あ、いやさ」と弁解した。
「ゲームの向こうとかだったらどうしたらいいのかなーって……。ごめん、これはゲームとは関係ないよね」
橋川はつい苦笑いすることになった。
「仲がいいなら、直接言ってみたらどうかな。どこか二人きりになれるところとか、デートスポットくらいなら攻略サイトでもけっこう紹介されてるし、おすすめだよ」
「う、自分で言ったこと言われてる」
何か言われたの、と橋川が聞くと「別に、なんでもない」と明らかに嘘らしい答えが返ってくる。追求する気はないが、最近恋愛について誰かと話したことがあるらしい、ということは察せられた。
「直接言ってみたら……のとこかな」
「あ、分かった?」
順川さんに言ったんだ、と樫原はなかなか気の重くなるような言葉を吐く。
「恋愛論としては正しいと思うけどさ。寄ってきてくれると思い込んでる困った人のためにはね……。ただ、女の子にはいい言い訳があるけど、男にはないからさ。大変だよ」
ああ、ストーカーとか言えるよねと樫原は瞬時に答えにたどり着く。彼女の思考は橋川とは似ても似つかないものだが、材料が似通っていれば同じ答えが出るらしい。
「まあどうでもいいけどね。刃物持ち出されても怖くないし」
「あ、そうなんだ」
つい口を滑らせてしまったが、「アーグでずいぶん鍛えられてるから」と、わざわざ信憑性のある嘘を重ねる。
「ぎりぎりの見切りとかやってると、現実でも反応速度上がるよ。手の動きと連動するかはともかく、キャッチボールが目で追えたり。野球の球くらいなら避けられるようになったし、体力もそう下がってない」
「あ、うん、そっか」
どうもダメなのは、こうやって「プレイ時間長い」を示してしまうと相手は引くことをいつまで経っても学習できないことなのだろう。憂鬱な気分を抱えつつ、橋川は教室へ帰っていく樫原を見送った。しばし誰もいない時間が過ぎる――と感じるのは、時間を一緒に過ごしたい相手がいないからだ。それが友達であっても彼女であっても、誰かがいてほしいと望んでいる。
屋上にも置かれている時計を見ると、昼休みはまだ半分も終わっていない。長いこと話をしたような気がしたのだが、違ったようだ。
「ねえ橋川くん」
「……なに」
この人が好みのタイプって人は相当な変わり者だろうな、と思いながら振り返る。目はぱっちりしていて唇もつややかで、それ以上に大した魅力がないことを除けばじゅうぶん魅力的だ。
「気持ちって言わなきゃ伝わらないらしいの」
「そうだろうね。テレパシーはないから」
けむに巻くくらいのつもりで言ったが、順川は「冗談言わないで」と必死な声音だ。
「橋川くん、私ね」
その先のセリフは、樫原の言ったことも交えて、すでに予想できていた。
「あなたのことが好きなの」
「そっか」
こんなときはどうすればいいのだったか。驚くほど冷静で、嬉しいとも何とも感じていない自分に驚く。どうにかして相手を退けたいと思う心はあるが、その手段は浮かばない。
「……すぐに返事をくれなくていいの。考えてからでいいから」
「そうだなぁ。いくつか聞きたいことはあるかな」
何を聞けばいいのか、言ってから考え込む。そして、樫原が引いたことを言えば、と思い立った。
「順川さんは……死んだことある」
「え、どういう話なの……VRゲームでのこと?」
「ああ、まあそういう感じ」
まともな対応をさせてたまるか、と橋川は粘る。
「あるわね。敵に負けて……」
「敵って」
「怪人よ。すごく強いモンスターがいるって聞いてたけど、あんなのだとは思わなくて。何をやっても効かないってくらい強くて、全員が倒されたわ」
「どんなのだったの、それ」
「赤い……ヘビみたいな怪人かしら。どこがヘビみたいって言われると困るけど、ものすごく強かったのよ。それだけはよく覚えてる」
理屈が分かっていても破れないのが英魔だ。加えて「赤い蛇みたいな怪人」ユイザ・ガラストゥラは攻撃の正体が分からないことで有名だった。
「……人だとは思わなかった?」
「どうして?」
気付きもせずに殺すのか、と橋川は半ば感心する。
「もしもだよ。もしも相手が人だと気付かずに人を殺していたら、どうなるのかな? その罪は裁かれると思う?」
「気付かせないように細工されていたんでしょう? だったら細工したものを裁くべきだと思うわ」
「なるほど、もっともだね」
馬鹿が、と言いたいのをこらえながら、橋川は必死に取り繕った。
気が付かないのではない、彼女は嘘をついているだけだ。
「――とは言いにくいな、嘘だね。種族の説明にはきっちり書いてあったはずだよ」
「そうだった? あまり読んでなくて」
「そういうものの見方をする人とは付き合いをしたくない」
「あ、そう言わないで」
懇願するように、湿り気を帯びた声を出す。濡れたと表現すべきなのだろうが、あいにくと興味がないものに対して美化するような表現を使う橋川ではない。
「じゃあもうひとつ聞こう。生まれたことはある?」
「……いまここにいるじゃない」
「違うよ、自分の意識のあるときに。この瞬間自分は生まれた、ってはっきり言える瞬間はあるかな」
順川は迷っている様子だった。
「言っていいよ」
「ええ……それじゃ、言うわ」
順川は、「初めて恋をしたとき」という少女漫画の読み過ぎを煮詰めて腐らせたような答えを返す。
「初めて恋をしたときにね、体中が暖かかった。生きてるって感じがしたの。あの瞬間に生きてるってことを初めて強く意識したわ……これが私が生まれたときだと思う」
顔が歪まないように我慢して、橋川は「本当にそうかな」と冷たく言い放つ。
「生きることは、命があることじゃない。心を感じることでもない。もっと大きな感動を聞きたかったんだ、僕は。いかにも今しがた作りましたって感じの、だから認めてくれって言いたげな話なんかいらないよ」
「本当よ?」
信じてくれと言う態度がはっきり、露骨という言葉も気持ち悪がるほど現れている。
「違うよ、だから……とりあえず、僕の望む答えじゃなかった。それだけは確かだ」
「じゃあどんなのがいいって言うのよ!?」
怒り出すのも無理はない、それは理解している。しかし、前提として橋川は彼女に歩み寄る気すらなかった。
「具体的に言っても無駄だ。それにね、順川さん。自分の価値を過大評価しすぎなんじゃないかな……。普段の言動を振り返って、どう、自分は他人に好かれる人間だと思う?」
本質的に他人を信用せず、それどころか暗闇の奥へひきこもるような橋川は、どろどろしたおぞましい言葉を吐きだしていく。
「話す人くらいいるわ」
「なら、無理に恋人を作らなくていいんじゃないかな」
「欲しいの」
「こんなのが? お笑いぐさだね」
抱きしめようとした順川を、するりとかわした。本当に心を許している間柄でなければ、決して触れ合いたくないのが橋川の性質だ。
「マニュアルとか、本に書いてあったこととか……そういうパターンに当てはまる人間なんてそういないよ。なんか衝撃を受けたみたいな顔をしてるから、一応ね」
自虐的な人間なら慰めて落とすべし、とでも書いてあったのだろう。そういうものに触れる機会が少ない橋川の適当な推測だが、当たっていたようだ。
「生まれてから死ぬまでに、いったい何回生まれて死ぬんだろうね? どうかな」
我ながらひどいレトリックだと思ったが、順川は「もういい」と言って走っていった。
「……すでに好きな相手がいる人には、効かない方法だから。それに無欲だよね、僕が生まれたときのことも、死んだときのことも聞かないんだからさ」
簡単に言えば、アーグ・オンラインでパーソナルスキルを得る瞬間、それがあのゲームの中での「生まれる」瞬間だろう。
「それにさ。怪人狩りをやろうとする人間なんてね……大嫌いなんだよ。僕はその逆を目指していたのに、結局人間どもは変わらない」
虚空に吐き出す言葉は、ひどく濁っている。走り去った相手が聞いている可能性がないでもないが、それでもよかった。
「こっちでも同じか、人間は。ほかならぬ人間が言うとずいぶん滑稽だけど」
いや、と橋川は手を握り、開く。
「僕は二回生まれたよ。あのときと――」
嘲るような声が、不意に吹いた強い風に叩き折られた。
まあ、PKと仲良くなろうと思う人は少ないでしょうし……。そもそもやろうとしてることの反対をガンガン進んでいく困ったちゃんと仲良くはなれんよね。




