第3話 少女
少年は主人公である。
名前はまだない。
少年は生きるために行動を起こした。
そうして入り組んだ道を歩いて、角を曲がって、裏道に入っていくと、やがて娼館街へとたどり着く。
娼館街は市場や平民街とスラム街との中間に近い場所に位置する。
そこでは、日が傾いて暗くなるにつれて、大勢の春を売る女、そしてそれを買う男達で溢れていった。
通りを歩けば各所から甘い会話や値段交渉をする声が聞こえてくる。
この娼館街の治安は意外と良い。
というのも、娼館の利用者の中には貴族や裕福な商人もいるからだ。
大半は国の許可を取って営業している優良な娼館ばかりである。
中にはほんの一部の違法な娼館もあり、暗黙の了解の下、それらはスラム街に近い場所に建てられていた。
そこは正規の娼館街と比べて一気に人が減る。
少年は知らずにその区画へと入り込んでいた。
「離しなさい!」
そこで少年は厄介な場面に鉢合わせる。
そこには粗野な服装に身を包み、腰に安物の短剣を下げた四人の男達がいた。
何やら騒がしく、男達は見るからにゴロツキといった風貌をしている。
男達のうち二人はそれぞれ一つずつ袋を担いでいた。
そのうちの一つが、まるで中に生き物でも入っているかのように、大きく揺れている。
「何よ、これ!? 何処なの? 誰よ? ここから出して!出しなさい!」
暴れる袋の中からは、まだ幼いと思われる少女の声が聞こえてきた。
「ち、目を覚ましやがった。煩せーぞ! 暴れんじゃねえ!」
袋を抱えていた男が大きな声で怒鳴った。
すると、萎縮したように、袋の揺れが小さくなる。
「馬鹿野郎! 声がでけぇよ!」
「へ、へい。すんません、兄貴」
男は兄貴と呼ばれるリーダー格の人物に咎められて、萎縮した様子で謝った。
「しかし、ただの荷運びで金貨十枚なんて怪しいと思ったが、案の定、碌でもねぇ仕事みたいだな」
リーダー格の男は顔を顰めて舌打ちをすると、面倒くさそうな表情で少女が入っている袋を見つめる。
「へへ、それにしたって金貨十枚は旨すぎますぜ。こんだけありゃ俺ら全員が数か月は酒を飲んで女を抱いて遊んだまま過ごせちまう」
男たちは、その表情を欲望に染める。
この国では帝都でも金貨が一枚あれば平民の家族が節約して二ヶ月は生きていくことができるのだ。
「だが、その為にはこの仕事を成功させなきゃならん。おい、これ以上騒がれると面倒だ。黙らせろ。」
リーダー格の男が指示を出すと、男のうちの一人が袋を地面におろし、袋を締めていた麻の紐をほどいていく。
その間、残りの男たちは周囲を見張って警戒している。
十秒もすると男は完全に縄をほどき終えた。
そうして袋の中から現れたのは勝気そうな、しかし驚くほどに見目麗しい少女だった。
また、少女がその身にまとうドレスは少女の美しい容貌に相応しい華美なものだった。
(さっきの言葉遣いに、あの出で立ち。おそらく貴族だろうが……)
なぜ貴族の令嬢と思わしい少女が、こんなことに巻き込まれているのか。
仮にも貴族がこんな誘拐まがいのことに巻き込まれるなんて、普通じゃない。
「おい、早くしろ。誰かに見られるとヤバい。」
「分かってまさ。今……」
男はなにか布のようなものを手に取り、少女を眠らせようとした。
しかし、
「触らないでっ!」
「ぐわっ!」
少女が叫んだ次の瞬間。
突然、男の腕が燃え出した。
その火は男が持っていた布に燃え移るとその勢いをさらに強める。
どうやら布にはなにか引火性の物質が染み込まれていたらしい。
「ああああぁっ!!?」
燃え盛る炎にその身を包まれた男の絶叫が響いた。
「なっ、こいつ!魔術師かっ!!」
リーダー格の男が、驚愕を孕んだ声色で叫ぶ。
残りの男たちも叫びこそしなかったが、その表情には一様に驚愕の色が見て取れた。
だが、驚いたのは彼らだけではない。
(なっ……!なんだ、今のは!?)
物陰から一連の様子をうかがっていた少年である。
彼もまた先ほどの現象に少なくない驚きを心中で示していた。
「くそっ、こうなりゃ仕方ねぇ!お前ら、殴ってでも黙らせろ!」
「嫌っ!近づかないで!……がはっ」
少女は再度炎の弾を飛ばそうとしたが、それよりも速くリーダー格の男が少女を蹴り飛ばす。
「かはっ……けほっ……」
少女は蹴られたお腹をおさえて、苦しそうにうずくまった。
(くそっ、どうする……)
少年は募る焦燥を、無理やり抑え込んで考える。
眼前の問題に首を突っ込めば、碌な目に合わないのは目に見えていた。
しかも敵は大の大人が四人。
そのうえ全員が武器を所持している。
(それに対して、こっちは丸腰……。分が悪すぎる。)
しかし、このまま少女を見捨てるには後味が悪すぎた。
(どうする……)
少年が葛藤していると、偶然に、うずくまっていた少女と目が合った。
少女の端麗な相貌は、しかし、大きな恐怖とほんの少しの怒りとによって歪められている。
「くそがっ。魔術師なんてきいてねえぞ……。手間取らせやがって」
リーダー格の男はそう言いながら少女に近づくと、おもむろに少女の首を絞めはじめた。
「ぐ…うぅ……」
「あ、兄貴!」
「心配すんな、殺しゃしねえよ。気絶させるだけだ。ただし、苦しませてな。」
男が、その顔を醜悪な笑みで染めて言った。
首を絞められている少女が苦しそうに呻く。
(クズめっ……)
ここで少女を助けようとするのはあまりに無謀だ。
しかし、――
少年は男たちの前に飛び出した。
今は分かっていても無謀を冒さなければいけない時だと思えたのだ。
「なっ、兄貴!」
「あ?スラムのガキか。まぁ、見られたもんは仕方ねえ……
――殺せ」
(……ッ。)
こうなった以上は腹を括るしかない。
死ぬ気になって、決死の覚悟で抗うのだ。
もはや戦う以外の道はない。
(クソッ!やるしかないっ!)
少年は勢いよく飛び込んだ。
決死の覚悟の少年であったが、それに対して男たちには余裕があった。
相手は小さな子供で武器もないのだ。
二人の取り巻きのうちの一人が、少年に対峙して、その他の男たちは静観を決め込む。
相手をするのは一人で十分ということだろう。
(上等だっ!)
少年と男の距離が縮まっていく。
男は短剣を振りかぶり、上段に構えて――
「おらぁ!」
そのまま少年を袈裟に斬り下とさんと剣を振るう。
しかし、それよりも一歩速く少年が距離を詰め、右手で男の襟を掴む。
(掴んだ!)
そこから、男が剣を振り下ろすよりも速く、男の襟を掴んだ右手を内側にひねるようにして体の向きを百八十度回転させながら、男のふところに低い姿勢で入り込む。
そして男が剣を振り下ろすのに合わせて、男の右腕の袖を左手で掴み、そのまま相手の勢いに逆らうことなく前方に――
投げた!
現代柔道が誇る投げ技、『背負い投げ』である。
「かはっ……!?」
男は投げ技に耐性がないのか、受け身をとれずに地面に叩きつけられる。
少年はその間に手早く男の右腕の関節を極めて短剣を奪い取ると、男の頭を押さえてうつむかせるようにしながら、その首筋に刃を添わせて――斬った。
「ヒュ……」
男の首から大量の血が噴き出す。
少年が斬ったのは男の頸動脈である。
多量の失血によって、男は一瞬のうちに絶命した。
「なっ……」
仲間が殺されるという予期せぬ事態に、残った男たちが硬直する。
その隙に少年は体勢を整え、間髪を入れずに次の行動に移った。
少年は身体を半身にして剣を右脇に取り、剣先を後ろに下げた構え方――いわゆる『脇構え』の体勢で、男との距離を詰めていく。
そして一足一刀の間合いまで近づくと、素早く剣を振りかぶり、上段の構えをとった。
「……ッ」
上段に構えた少年の圧力に押される形で、男もまた剣を振り上げて上段に構える。
「うおぉっ!!」
男が剣を振るう。
それと同時に少年は自分の剣を男が振るう剣の軌道上に斜めに滑り込ませ、男の剣を受け止める形をとった。
だが、少年より上背があり体格もはるかに大きい男の切り落としをまともに受ければ、少年は受けきれずにやられてしまうだろう。
そこで少年は右斜め前に一歩踏み込むことで自身の正中線を男の剣の軌道上からずらし、また、受け止めきれはしないものの力の限りに男の剣の軌道をずらす。
そうして少年は紙一重で男の攻撃をかわすことに成功する。
そして少年はそこから剣を返して、男を袈裟に斬って見せた。
「がっ……」
斃すべき敵はあと一人。
少年はなおも動きを止めることなく、再び臨戦態勢を整えようとする。
しかし、男を斬ったのと同時、少年はわき腹に強い衝撃をくらって吹き飛んだ。
「ぐふっ……」
衝撃の出どころを見やると、そこにはやはりリーダー格の男がいた。
そのすぐそばには、男によって気絶させられたらしい少女が横たわっている。
「てめぇ~、よくもやってくれたなッ……!」
男はそう言って大股に少年に近づいてくる。
少年によって仲間を殺され、大仕事を邪魔された怒りで、その顔を醜悪に歪めながら。
(まずい……)
少年は男の攻撃をもろに喰らってしまっている。
あと少なくとも数分間は満足には動けそうにはない。
「計算が狂っちまったじゃねえか、くそっ!てめぇは斬りきざんで、豚のえさにしてやる。」
男と少年の距離が縮まっていき、もはやあと数歩といったところか。
いまだ少年は動けない。
(クソッ……やっぱり、はやまったか……)
絶体絶命。
ここから少年が逆転するのは、もはや不可能であった。
そんな危機的な状況であったが……、
「……ッ!!」
そこに思わぬ加勢が入った。
気を失っていたかに思われた少女だが、意識を取り戻したのか、それとも気絶したふりをしていたのか。
いずれにせよ、少女による援護射撃が入ったのだ。
「うおおあぁぁッッ!!?」
男の背中が燃え出した。
死角から放たれた不可視の攻撃には、為すすべがなかったようである。
男は即座に鎮火しようと動く。
そこに少女が何かを投げ込んだ。
(あれは……紐かっ!!)
袋を縛っていた麻の紐。
その紐に引火して、男の火が大きくなる。
これでは簡単に消せそうにはない。
やがて火の勢いがおさまってきた頃には、男は地面に倒れこんでいた。
(やったか……?)
あれをまともに喰らったのだ。
相当の負傷を負っているはずである。
だが、決して油断はできない。
今のところは倒れこんで動かないままでいる男だが、回復しないとも限らない。
自分もまた、今は満足に動けないのだ。
少女の方に目を向けると、彼女もまた、まだ満足に動けない様子だ。
どうやらさっきの不意打ちは気力を振り絞っての攻撃だったらしい。
これでは、男の回復が自分たちのそれよりも早ければ危機的状況に逆戻りとなってしまう。
とにかく、今は回復を急がなければ。
(はぁ…はぁ…、よし)
そうして回復に努め、再び戦闘に臨めるまでになった少年は、用心深くいまだ動けない様子の男に近づき、その状態を確認する。
男は少女の炎弾を背中に集中的にもらったようで、背部の損傷が特に激しい。
(背中の広い範囲――おそらく体表面全体の十数パーセント相当――で、水泡を伴う火傷……。Ⅱ度熱傷、それもおそらく深達性だ。その中央付近では黒ずんだ火傷、Ⅲ度熱傷もみられる……重症だな……)
これでは戦闘の継続は不可能だろう。
そう確信し、少年は盛大に安堵した。
(やった……!)
勝った。
生き残った。
女の子を助けるためとはいえ無謀を冒してしまったが、自分はその賭けに勝ったのだ。
興奮がおさまらない。
身体が熱く、心臓の鼓動が大音量で全身に響き渡る。
しかし、いつまでもこうしてはいられない。
少年は助けた少女に視線を向ける。
「大丈夫か?」
少年は未だ整わない呼吸で声をかけた。
すると少女は予想を裏切り、鋭い目つきで少年を睨みつけてきた。
予想外の反応に少年がいささか戸惑っていると、少女はやおらに立ち上がり少年に向かって歩き出した。
少女は少年に近づくと、さっきまで自分が入れられていた袋を持った手で――
(えっ?)
パン、と乾いた音が周囲に響き渡る。
少女は、なぜか自分にビンタを叩きつけてきたのだ。
突然のことに、何をされたのか分からなかった。
「あんた遠くからずっと私達のこと見ていたんでしょ? だったらもっと早く助けなさいよね!」
「なっ……」
助けた少女からの思わぬ仕打ちに、少年は閉口してしまう。
お礼を言って欲しくて助けたわけでは決してないが、それでもこれはあんまりではないか。
自分は文字通り、命懸けで助けたというのに。
「……」
だが、相手は貴族で、まだ幼い少女だ。
なにより、訳の分からない力を振るう。
反撃などは出来ないし、するつもりもない。
少年があまりの出来事に立ち尽くしているその間に、件の少女はもう一つの袋を開けて、中に入っていた別の少女に気をかけていた。
二人の少女の顔立ちや背丈が似通っていることを考えるに、おそらく少女たちは姉妹なのだろう。
少年の心に、やりきれない思いが積もっていく。
少年はもはやこれ以上少女たちに関わるつもりはなかった。
(……自分のやるべきことをしよう)
少年はそう考えて、少女たちの気がそれたのを幸いと斃れている男たちの持ち物をあさる。
武器と金目の物はすべて持っていくことにした。
かさばってしょうがないが、現状では少しでも多くの金が必要となる。
あまり褒められた行為でないのは百も承知だが、背に腹は代えられない。
「ふん、意地汚い……」
その様子を見て少女が見下したように言った。
(なんとでも言え)
どうせ、もう二度と関わることはない。
少年はそう高を括っていた。が、しかし――
「リアーナお嬢様!ロゼリアお嬢様!」
間が悪く、少女たちの救出に動いていたと思われる騎士達に発見されてしまう。
こうして少女たちは無事に保護されたが、その場に居合わせた少年もまた同行を余儀なくされてしまうこととなった。
戦闘シーン書くの、想像の二万倍難しい。
けど想像の二万倍楽しい。