暖かい場所(3)
「颯君に連絡しなくていいの?」
真帆ちゃんがニヤニヤしながらそう言った。
「だ〜か〜ら〜。今私の話聞いてた?」
「うん、うん。聞いてた。トマトとパセリでしょ?」
「そう!嫌がらせみたいに、みじん切りで入ってたんだよ」
私が言うと、真帆ちゃんはティーカップの紅茶をずずーっと気持ちいいくらい音を立てて飲んだ。
「うん、嫌がらせだね〜」
「でしょ?」
「ていうか、かづ、携帯の電源切ってたの?」
電源の切れた私の携帯に気がついた真帆ちゃんが、目ざとくそれを見つけた。
「そうだった、忘れてた!」
学校を出る時に、電源を切ってからそのままだったのを忘れてた。
だって、絶対、颯からメールが来ると思ったんだもん。
終礼が終わるなり、教室を飛び出して真帆ちゃんのところに行ったから…。
「はい、今すぐメールしなさい」
真帆ちゃんは、今まで笑顔を引っ込めて、少し強い口調で私の携帯を目の前に差し出した。
「もう21時だよ。絶対心配してるって、颯君。きっと連絡しないと、明日からかづは私のうち立ち入り禁止になると思うよ?」
…たしかに、ホントにそう言いそう。
しかも、パパとぐるになって、追い込んできそうだし。
それは非常に困る。
言葉に詰まった私に、真帆ちゃんは追い討ちをかけた。
「ほら、かづ」
「う〜…」
「私が電話しようか〜?」
そんなのますます、子供扱いじゃんか。
「…わかったよ〜。メール入れる」
そういって、私が携帯の電源を入れたとたん、携帯が鳴った。
「げっ」
「颯君?」
「…うん」
「早くでなよ」
「だって…」
「後ろめたくなるなら、やらなきゃいいのに。ほら、貸して」
「あっ」
私の手から、あっという間に真帆ちゃんが携帯を奪い取ってしまった。
「あ、もしもし、颯君?うん、そう。かづなら今うちでちゃんと預かってます。うんうん。なんか携帯の電池切れちゃってたんだって。うん、今連絡入れようとして、気がついたらしい。あほだよね〜。うん、うん、うん。分かった〜」
そして、携帯をぷちっと切った真帆ちゃんは、ほい、とそれを私に放り投げた。
「駅ついたら連絡しろって」
「…颯怒ってた?」
「そら、電源切れてれば、心配するでしょう〜。しっかり、怒られなさい」
「う〜…」
だって…。
心配させてたくて、こんなことしたんじゃないけど。
ちょっと、電源切るつもりが、いつのまにか21時になってたんだもん…。
「はい、これ以上颯君を待たせない〜。忘れ物しないように、さっさと帰る」
「……はぁ〜い」
私は真帆ちゃんと、真帆ちゃんのお兄さんに駅まで送ってもらった。
真帆ちゃんの家から、家の最寄り駅は2駅。
駅に着いた時にいつも颯に連絡する約束になっていた。けれど、今日はどうしても連絡をする気になれない。
きっと、それはそれはものすごく怖い顔で迎えにきて、無言の圧力をかけながら家まで二人で歩き、家についたと同時に堰をきったように怒涛の颯の説教が始まるにきまってるから。
いつだって、颯が正しい。
いつだって、颯はオトナで私は子供。
わかってるのに。
心配かけたって、素直に謝りたいのに。
言葉がうまく出てこない。
ごめんなさい。
心の中では、何度も謝ってるのに。
私は、最寄り駅についても、颯には連絡をいれず、そのまま家までの道を一人で歩き始めた。
少し歩くと、人はまばらになって、あっという間にその道を歩くのは私だけになる。
いつも通る道なのに、昼間とはちがって、私の足音が大きく響く。
だから、早く家に帰ろうと思って、私はいつもとは違う、公園の脇を通るルートで、少しだけ近道をすることにした。
そして、数分後、ちゃんと颯に連絡すればよかったと、心底後悔することになる。
突然、私は、誰かに腕をつかまれた。
あまりの驚きと、恐怖に声がでない。
誰っ!?
何が起こったの!?
その腕に公園の中に引っ張り込まれる。
「…は…はなしてっ」
やっとの思いで出た声は、自分の声とは思えないほど、上ずって弱々しいものだった。
そのせいで、一気に恐怖が私のなかにあふれる。
怖い!
何、この人!
いやだ!
「離して!…んっ」
口を手で塞がれて、身動きが取れなくなる。
体中が恐怖で震える。
それでも、必死に体をよじってもがいてもがいて、何とか逃げ出そうとした。
口を塞いでいた手におもいっきり噛み付いてやった。
「いてっ」
男の低い声だった。
「このっ」
逆上した男が、私を殴ろうと振りかぶる。
殴られる、と思った。反射的に私は目を瞑って、心の中で叫んだ。
───いやーーーーっ!
二秒後。
私はあれ?っと目を開けた。
絶対殴られると思ったのに、その予想してた痛みがない。
それもそのはず、目の前のその構えられた手が振りかぶったまま止まってる。
というよりも、まさに。
その男が、止まってる(・・・・・)───。
え?
何これ、どいうこと?
「華月っ!」
私が、わけもわからず、私の目の前で、固まって動かない男を眺めていたら、聞きなれた声が後ろか聞えて来た。
声の方を振り向くと、息を切らした颯が見えた。
「…そ…う…………颯っ!」
私は、ほっとする気持ちと、今までの怖かった気持ちがいっぱいになって、涙が溢れてきた。
颯の方へ走りよろうと、私の手をつかんだまま動かない男の手を、力いっぱい振り切った。
そして、颯の腕の中に飛び込んだ。
颯は、肩で息をしながら、私をしっかり抱きとめた。
「よかった…無事で…」
私はただ、ただ、颯の暖かい胸の中で、声をあげて泣いた。