猫の標(2)
ばちっと目が開いた。
目の前に、泣きながら覗き込む華月の顔。
ほっとした。
何がなんだか分からないが、ただただ、ほっとした。
夢だったのかな。
全部、夢だったのかもしれないな。
そう思って、微笑みながら華月の頭を撫でようと腕を上げる。すると、突然に、激痛が俺を襲った。苦痛に悲鳴が漏れる。
「颯!?」
……夢じゃなかった……。
事故にあって……俺たちは帰ってきたんだ。
全身の痛みがその真実を告げている。
「今、ママが救急車呼んでるから! もう大丈夫だからね!」
俺を安心させようとしているのだろう。華月が涙で真っ赤になった目で、必死に訴えた。
「華月は怪我はないのか?」
「うん、かすり傷」
華月が泣き笑いになりながら、腕の包帯を見せた。
「そうか、よかった」
こうして、“家”があるということは、母さんは無事にあの事故の中、命を拾うことが出来たのだろう。
俺は、まっすぐに華月の目を見た。
「優希さんは?」
華月は押し黙る。
それがすべて答えだった。
「今何時だ?」
「ダメだよ、動いちゃ!」
「まだ、日にち変わってないんだろう? もう一度飛ぼう。今度こそ、車が出発する前に飛んで……」
「何いってんの! 無理に決まってるでしょ!」
「無理でも、いいっ!!」
俺は初めて華月に向かって怒鳴った。華月もびくっとなって、言葉をなくしている。
だが、今行かないと、優希さんを救うチャンスを永遠に失うんだ。
今なら、まだ助けられる可能性があるんだ。
今しかないんだ!
「……無理でも。行かせてくれ。華月、お願いだ」
一言一言に懇親の思いを込めた。華月の目がおどおどと揺れ動く。
どうしたらいいのか迷っている。
「颯……優希さんが……好きなの?」
思いもよらぬ言葉に今度は俺が言葉を失くす。
誰が誰を好きだって?
そんなの考えたこともない。
第一、あの人は叔母だろう。
「そんなはずないだろう。ただ、あんなに楽しそうに夢を語る優希さんの顔が、忘れられないんだ。華月だってそう思うだろう? だから、助けにいったんじゃないのか?」
俺は華月にというより、まるで自分に言い聞かせているようだなと思った。
そんな感情じゃない。
これは違う。
ただ、ただ、彼女の思い描く夢が、現実になったところが見たいんだ。
もし、その途中で手の届かないものとなったとしても、彼女なら努力したことを誇りに思って、楽しく生きていっている、そう信じていたんだ。
そんな彼女に会いたいだけなんだ。
「もう、飛べないかもしれないよ」
「やばくなったら、華月の判断で飛べばいい」
「でも怪我は……」
「たぶん、骨折かなんかじゃないか? 動かなきゃ平気だ」
「動けない颯が何しに行くのよ! やっぱりだめだよ!」
「……なんかやれることがあるかもしれないだろう!」
再び大きくなる俺の声に、華月が泣き叫ぶように言った。
「ちょっとは自分のことも考えてよ! 今、颯の足は血だらけなんだよ! 颯が死んじゃうよ!!」
「それでもだ!!」
短い時間、俺と華月は無言で見つめあった。その視線はどちらも譲らない気持ちで満たされている。