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    猫の標(1)

 話し声が聞こえる。

 でも、何を話しているのかは聞き取れない。

 どうしたのだろう。目が開かない。

 体も動かない。

「早く!」

 女性の声が聞こえた。俺はその声の主がすぐに分かった。

 優希さんだ。

 近くに優希さんがいるのか?

 そもそもここはどこだ?

 そう思いめぐらせている間に次の声が聞こえる。

「だが」

 聴いたことのない低い男の声だった。

「早く助けて! だってこのままじゃ、絶対行く!」

 優希さんが切羽詰ったように言った。

「……いいのか」

「これでいいのよ。あの子達──颯や華月が生まれているのが、何よりも証拠だよ。さあ、早く行って!」

 どういう意味なのかと耳を済ませている間に、その不可解な会話が終わった。そして、俺の頬に暖かなぬくもりを感じた。

 ……優希さんの手?

 そう首を傾げようとしたが、体が動かない。そうこうしている間に、頭上から先ほどと打って変わった優しい声が降りそそいだ。

「せっかく助けに来てくれたのに、悪かったね」

 その言葉で、一気に今までの記憶が電流のように脳内を駆け抜けた。

 そうだ、事故!

 どうなったんだ!

 そう叫ぶことはおろか、指先1ミリも動かすことが出来ない。

「でもさ、これでいいんだ。あんたたちは、あんたたちらしく、楽しく生きていってよ。姉ちゃん、ああ見えてドンくさいからさ、気をつけてやってよね。まあ、よく知ってるか。あ、それと、私の好きなものはアイスとジュースだから。よろしく頼むよ〜」

 何の話だ、何の、と頭上の声を聞きながら心の中で懸命に突っ込んだ。でも、そんな軽い気分も、次の一言で吹き飛んだ。

「じゃあ、ね。あんた……──颯にあえて楽しかったよ。ありがとう」

 それじゃ、まるで別れの挨拶じゃないか。

 何を言っているんだ。

 俺は優希さん、貴方を助けに来たんだ。それがタイムスリップが出来るようになった理由だと分かったんだ。

 白い猫から始まった不思議な現象も、貴方に出会い、そして救うためだったんだ。

 絶対に俺が助けるから、だからそんな別れの挨拶はいらないんだ。

 だから──逝くな!

 

「優希っ!!」

 

 その時、急に体が軽くなったと思ったら、声が出た。そしてほぼ同時に上半身を跳ね起こす。なぜか息が弾む。

 俺はきょろきょろとあたりを見回した。優希さんの姿はどこにもない。その代わりに飛び込んできたのは、満開の桜の木。

 その桜には見覚えがあった。頭上に広がる大きな枝からひらひらと花びらが舞う。

 何かがおかしい。

 この桜はあの、川原の大きな桜に違いなかった。しかし、ここはどう見ても川原ではない。

 だって────何もない。

 桜と俺以外に何も存在していない。

 どこまでも続く暗闇。空も地面も境目が感じられない。音も色も何もない。

「どこなんだ……ここ……」

 つぶやいた声すら、あっという間に消えていくようだった。

 どのくらい呆然としていたのだろう。

 時間という概念すら忘れ去っていたその時、前方から声がした。

「おまえの来る場所ではない」

 はっとなって送った視線の先には──白く輝く猫がいた!

「あ……」

 なぜか、そこにその猫の存在があるのは当然に思えた。だがしかし、聞こえてきた声は以前のように老人の声ではなく、もっと若々しいものだった。

「おまえが、ここですることは何もない。帰るがよい、あるべき場所へ」

 猫はその口調のせいだろうか、まるで月光を浴びているように光り輝いているせいだろうか、妙に畏怖を感じるほどに神々しい。

「ここはどこだ」

 俺は搾り出すように、猫に問う。しかし、その問いに答える気はないようだった。猫は俺から視線をそらし、ゆっくりと体の向きを変え歩き出した。遠くから見るその様は、まるで真っ暗な空中を歩いているようだった。

「あ、おい」

 慌ててその猫の方へ駆け寄る。──つもりだった。

「な、なんだこれ」

 走っているのに、前に進んでいる気配がない。桜の根元から離れることもなく、猫に近づくことも出来ない。

 どうなっているんだ。

 愕然としながら、ただただ猫が歩む方を見つめていた。すると、不意に、猫の足元に横たわる人影が現れた。その瞬間、猫が銀色に発光し、一瞬にしてその姿が人型に変わる。

「えっ……」

 小さく呟くも、整頓することをとっくに放棄した思考回路では、何がどうなっているのか理解することができるわけもない。

 猫が人になった!?

 しかも、和装?

 なんだか、教科書やテレビでしかみたことのないような着物の男がそこに座りこみ、倒れている人影を見つめている。そして、男はそっとその人を横抱きにしてこちらに歩み寄ってきた。

 だんだんとその距離が縮むに連れて、男の腕の中にいる人物の顔がはっきりしていく。そして俺は息を呑んだ。

「────母さん!」

 そう、それは22歳の母さんだった。

「母さん!! 大丈夫なのか!? 母さん!?」

 呼びかける声に、何の反応も示さない母さん。急激にその母さんを抱きかかえる得体の知れない男に対する嫌悪が生まれた。

「お前、母さんに何をした!」

「何も」

 こちらの激情とは裏腹に、男は飄々と答える。それがさらに俺の気持ちを高ぶらせた。

「母さんを返せ!!」

「それはできぬ」

 母さんを奪え返そうにも、足が一歩もそこから動かない。そうこうしている間に男は俺から数歩のところまで近づいていた。

「この娘自身が自分で起きようとせぬ。到底おまえには扱いきれぬこと。諦めて立ち去るがいい」

「ふざけるな!! お前はなんなんだ」

 そこで、もう一人、さっきまでそこにいただろう人物の顔が頭によぎった。

「優希! そうだ、おまえ、優希さんどこにやったんだ!」

 すると男は、表情も変えずに答える。

「優希……それはあの娘のことか。いまここにはおらぬ」

「おらぬ、ってどこへやったんだ!」

「質問の多い男だ。もう、充分であろう? 行け」

 どこが充分だ、全然意味が分からない。

 第一、何も質問に答えてないじゃないか。

 そう抗議しようと唇を開きかけた。

 

 

 その時──。

 

 

 

「────颯っ!!」

 


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