また会えるよね(1)
雨は次の夜まで降り続いた。
今日一日、何度窓の外を眺めたか分からない。夜は何度も目が開いて、そのたびに窓の外を確認する。
無情に響く雨の音に、胸が張り裂けそうになりながら、私は何度も祈った。
この雨が早くやむように。
重たい雲が消え去るように──。
「よし」
私が窓を開けて、分厚い雲の隙間からぼんやりと姿を現した月を見たのは、6月9日、23時を回った頃だった。
今らならいけるかもしれない。
私は準備万端に用意された荷物を背負い、颯の手を取る。
「華月、いいか」
そういえば、颯はいつの間にか私を“かづ”と呼ばなくなった。何でだろう。
ふと考えながら、颯を見上げる。
「21年前の4月10日、正確な時間は分からないけど、お昼ごろに母さんと優希さんは出かけたらしい」
らしい、という言葉に私は首をかしげる。ママは当時のことは覚えていなかった。だから、いったい誰から手に入れた情報なんだろう、と思った。颯はそれを私の表情から読み取ったみたいで、神妙な面持ちで続ける。
「千明希叔母さんに今日電話で聞いたんだ」
颯の話によると、ちーちゃんは、車に同乗してはいなかったから、事故の詳細はわからないらしい。
分かっているのは、その日はちょうど日曜日で、天気もよかったから、ママと優希ちゃんの二人でランチを食べに行くついでに花見に行くことになったらしい、ということ。
その花見に行く途中で、二人は事故に会う。ちーちゃんも誘われたけど、用があったから断ったので、無傷ですんだ。そして病院から知らせを受けて、ちーちゃんが駆けつけた時、ママは意識不明で──優希ちゃんは息を引き取っていた、ということ。
「だから、二人が出かける前に飛んで、優希さんが車に乗るのを止めるんだ」
「出かける前?」
「そう簡単に、話を聞き入れちゃくれないとは思うけど、何とかして優希さんは電車で花見に向かわせるんだ。母さんは車で、そして事故にあって生き残ってもらわないと母さんは父さんに会えない。そして俺たちは生まれてこないことになる」
「どうして、会えないの?」
「理由は良く分からないけど、千明希さんの話しだと、突然父さんが家を訪ねてきて、病院で寝ていた母さんの見舞いに一緒に行ったそうだ。その日から、ちょこちょこ父さんは見舞いに行きだした。そして、半年以上たった春、父さんが見舞いにきたその日に母さんは目を覚ましたらしい。だから、なぜか分からないけど、事故と母さんたちの出会いは繋何か関係していると考えるほうが妥当だ」
「つまり──ママが事故にあわないと、私と颯は生まれてこない?」
「そうだ」
颯は力強く言い放った。でも、声とは裏腹に青ざめた顔をしている。昨日タイムスリップしていないとはいえ、颯も私もほとんど寝ていない。私は、授業中に睡眠補給したり、昼休みに保健室で昼寝したりしたけど、きっと颯は……。
「颯……大丈夫?」
私はまじまじと颯の顔を見つめた。颯は、私の視線から逃げるように、ふいっと顔を背けた。
「大丈夫だ。行くぞ」
絶対大丈夫じゃない。いつもの颯なら、こういう時は私のおでこを、ぺちっと叩いて笑うはずだ。無言で颯の顔をうかがう私に、颯は断ち切るように言った。
「また、月が隠れる前に」
「……そうだね」
「とりあえず、11時につくようにしよう。だめなら、また向こうでもう一度飛ぶ」
「わかった」
私の中の不安な気持ちは、やっぱり消すことができない。でも、その颯の決意に満ちた表情に根負けしてしまった。
渋々、颯の腕を取る。
「いくぞ」
颯の声を合図に、私たちは呼吸をそろえて目をつぶった。
数秒後。
おそるおそる目を開ける。
そこは、大きな窓からさんさんと太陽の光が注ぎ込むリビングだった。
「うお、出た」
声の方を振り向くと、ちーちゃんがソファーに腰掛けて、テレビを見ながらアイスを食べている。なんて暢気な光景だろう。
私が唖然としていると、颯が声を荒げてちーちゃんに詰め寄った。
「二人は!?」
「ふぉえ?」
ちーちゃんはアイスを口に頬張ったため、へんな単語を返してきた。
「母さんと優希さんだよ! 今どこ!?」
私は、慌てて壁にかけられた時計に目をやる。昼の1時半を回っていた。ぶわっと冷や汗が体中から出た気がした。
アイスを飲み込んだちーちゃんは、きょとんとして私と颯を交互に見つめ返している。
「出かけたけど? 今日は夜じゃないのね、来るの」
「出かけた!? いつっ!?」
颯の声が裏返る。
「……1時間くらい前?」
それを聞くや否や、颯は私を勢いよく振りかえり、むんずと腕を掴んだ。びっくりするほど強い力だったので、思わず悲鳴を上げる。でも颯はそんなことすら、眼中にないようだった。
「1時間前に飛ぶぞ」
そう言った颯の顔は、完全に血の気が引いて真っ青だった。さっきの比ではない。
「でも……」
このまま、タイムスリップを繰り返したら颯が倒れてしまう。
私にでもそのくらいのことはわかるのだから、きっと颯自身が一番、その危険性を感じているに違いない。
「行くぞ」
私を見つめ返すその目は強く、何を言っても無駄だ、と語りかけていた。
「わかったよ……」
私は苦々しい気持ちで目をつぶる。
最後は私が、絶対颯を連れて帰る──何があっても。
そう心に誓った瞬間だった。