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終章 それって贅沢だよ(1)

 確かに、優希さんの料理は美味かった。

 でもそのほとんどが、はじめて口にする味だ。そして、その出てきた料理を目の当たりにして、俺はすべてが点と線で繋がった気がした。ああ、だから母さんの料理は“不思議味”なんだな、と。

「……ねえ」

 俺がキャベツを千切りしていると、その横で優希さんがフライパンに油を引きながら声をかける。俺もそちらを振り返ることなく、作業を続投した。

「はい」

「姉ちゃんの旦那さんってどんな人?」

 フライパンに豚肉が入り、じゅっと、胃袋には刺激的な音を立てる。続いてたまねぎも放り込まれた。

「マメな人」

 俺は優希さんの顔を見ずに短く答える。リズミカルに奏でられるまな板のトントントンという音は、フライパンに負けないくらい、いい音だ。

「ふ〜ん。それから?」

「マメで、変な人」

「どんな風に? あ、醤油とみりん取って」

 俺は言われるままに、足元の戸棚から注文の品を取り出した。普通は使用されるであろう、調味料の名がそこになくて、俺は戸棚を空けたまま聞き返す。

「酒は?」

「あ〜こっち使う」

 彼女は、冷蔵庫から芋焼酎を取り出し、にやりと笑った。

「ママの」

 紙パックの表面、銘柄がでかでかと書かれたその芋焼酎を持つ優希さん。その姿が妙に様になっていて、俺は、後々の不安を感じた。

 もし、俺が二十歳になって、現代で会ったりするような時、「晩酌付き合え、甥っ子」とか言われそうだ。そして、それに断る権利はおそらくというか、絶対というか、万が一にも、残されていないんだ。そればかりか、母さんまでもが悪乗りして、「あ、いいな〜。あたしも飲みたい」なんて言い出し、酒に弱い母さんはあっという間に泥酔。そして、大暴れを押さえ込む役か、介抱する役が回ってくるに違いない。

 俺は一瞬で、そこまで考えをめぐらせて、別名“諦め”という、ため息をつく。

 何が嫌かって。こんな鮮明に予想できてしまう自分が悲しい。

「で?」

 一人で凹んでいたら、先ほどの質問に対する答えを催促された。しかも一文字で……。この辺が、先ほどの俺の想像とリンクし、警報を鳴らしている気がした。

「父さんは、『俺は妻を愛していますから』とか真顔で、しかも平気で人前で言う人」

「変だね!」

 返事は即答だった。

「俺たちの前でも、平気でいちゃつくしね」

「へ〜。痛々しいね」

 優希さんは、ケラケラと笑い声を立て、フライパンに芋焼酎を流し込んだ。

「うわ、酒くさっ!……しかも入れすぎじゃない?」

 俺は思わず鼻をつまむ。

「はっはっは。酔っ払うなよ〜?」

「ちゃんと酒、飛ばしてくださいね」

「飛ぶ飛ぶ! その代わり、作ってる人が酔う! あははっ」

「おいおい……」

 優希さんは冷蔵庫から出した生姜をすりおろしながら、そんなことを言っていたが、ふと手を止めた。

「姉ちゃんは、幸せなんだね」

 俺を見つめる彼女の瞳は、どこまでも優しく透き通っていた。

「そうなんじゃないの?」

 俺は照れくさくなってキャベツを再び切り始めながら、そう答えた。

 俺自身も幸せなのか、と聞かれた気がしたからだ。どう言っていいか正直分からなかった。

 今幸せなのかな、俺は。

 自分に問いかけてみても、答えが返ってくるわけもない。

 ただ……父さんがいて、母さんがいて、華月がいて。

 そんな当たり前な生活は、とても居心地がいい。

 それだけは確かだ。

 そして、そんな生活は決して当たり前なんかじゃないんだ。今を大切にしないければ、“当たり前”は続かない。そんな毎日は、何かの拍子に簡単に壊れてしまうものなんだ。俺はそれを、知ってしまった。いや、知ることが出来た。

 “当たり前”をずっと続けることは、簡単で、当然で、自然なようで、実はとても努力のいることなんじゃないだろうか。

 だって、人も周りもどんどん変化していく。自分だって、これから高校を卒業し、進学して、就職して、家を出て……。そんな、大きな変化が待っているのはわかりきっている。でも、そんな変動の波の中で、変わらない“当たり前”な心地よい場所がそのままであり続けるということは、すごいことなんじゃないだろうか。そして、それを守り続けていけるのは、両親や華月、そして俺自身なんだ。他の誰にも出来ないことなんだ。

「……家族か」

 思わず俺の口から零れ落ちた言葉に、一番俺が驚いた。

「え? 何?」

「……いや」

「何よ〜? はい、完成。優希ちゃん特製、豚の生姜焼き」

「……汁だく過ぎじゃない!? なんか生姜焼きっていうより、すき焼きみたいなんですけど……」

「気のせい、木の精、森の精」

「誰が面白いことを言えと! 何だ、森の精って、妖精か!?」

 俺が全力で突っ込むも、むなしく次の優希さんの言葉でさらりと流される。

「それにしてもさ〜」

「俺の話を聞けっ!」

「え? 何か言った?」

 俺はまたしても確信した。華月、お前が悪いんじゃなかったんだな。華月のその性格は、母方の強い強い遺伝子のせいだったんだな。


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