埋めないで(1)
私は、テーブルに頬杖をついて、ぼけっとその光景を眺めていた。
ものすごく珍しいその様子を、ぜひともビデオにでも録画してパパやママに見せたいくらいだ。
「もりあがってるね〜」
はっとして、声の方を振り返ると、仕事を終えたママが帰ってきたみたいだった。
「いらっしゃい。また来るような気がしてた」
私は返事の変わりに微笑み返した。
若くてもママの笑顔は、何も変わらない。
相手をも笑顔にさせるような魔力をもっているんじゃないかと思うくらい、優しい微笑みは世界で一番綺麗だと思う。
「おとといは、二人ともほんとに目の前で消えちゃうからびっくりしたんだよ〜。でも、こうしてまた会えたってことは、無事に帰れたんだね?」
ママは持っていたかばんを椅子に置き、コートを脱ぎながら続けた。
「今日は彼も元気だし〜よかったよかった」
ママの柔らかな視線が颯へ向かう。
その颯はというと、さっきからずっと台所で大騒ぎしていた。私はずっと放置。
何をしているのかというと、料理という名の格闘技。
「ちょっとそれはないでしょ。小麦粉と卵を混ぜるのは天ぷらで、フライとは認めん! 邪道だ!」
と颯が反撃をするも、
「一緒に混ぜちゃえばいいじゃん。どうせ、お腹に入れば小麦粉と卵には変わりないし。だいたい〜、片付ける食器も一つ減る」
と優希ちゃんがカウンターを負けじと繰り出す。
「手間をかけるのが料理だろ〜! だいたい、おいしいとは思えない、絶対!」
「ちっちゃい男だね〜あんた! 細かいことにガタガタこだわって」
「細かくないっ! 手順てやつだろう! っておい、聞けよ! あ〜っ!」
「はいは〜い。もう卵と小麦粉混ぜちゃった。残念残念」
「って、待て! 何を揚げるつもりだ」
「え? バナナ」
「はっ!?」
「だから、ば、な、な」
「一度言えば、聞こえます! そうじゃなくてバナナをフライにするわけ!?」
「え、知らないの〜? おいしいのに〜?」
という具合に、ずっとこの調子で台所から実況中継のように流れてくる音声で、二人が何をしているのか手に取るように分かる。
その会話のペースの速さにもあっけに取られるけれど、何よりも颯のこんなムキになっている姿を見るのは初めてだった。
なんだか、知らない人みたい。
「あの二人、ずいぶん気が合うのね」
ママは、私の眉間を人差し指で軽く突っつく。おかげで、自分が険しい顔をしていることに気付いた。
「どうしたの?」
何て言っていいか分からなかった。
ただ、胸がもやもやするような気がした。
「なんでもない」
ママはすべてお見通し、というようにふっと表情を緩めた。
「それにしても、優希も珍しいわ」
「え?」
「あの子ね、男嫌いなのよ。優希にかかると、男の人は気の毒よ。汚物かゴキブリ扱いだもん」
ママは、クスクスと笑い声を立てる。
「一番下のちーちゃんは逆に彼氏がコロコロ代わるんだけどね、優希は誰とも付き合ったことがまだないのよ。それどころかね」
ママはそこで一度区切った。というよりも、自分で思い出したことがおかしすたらしく、一人で口を両手で押さえるようにして爆笑している。
「あ、ごめん。おかしくって」
「何、何?」
「前ね、あの子が『姉ちゃん、優希ね今日、へんな夢みたんだ』って言うから、何かと思ってよくよく聞いたら、『知らない男に告られる夢みて、断ったけどしつこいから、地面に穴掘って埋めたの』って言うの!」
「ええ〜!?」
私はその衝撃的な夢の内容に、思わず絶叫してしまった。その私の反応をみて、いよいよママはお腹を抱えて笑い出した。目には涙まで浮かんでいる。
「おかしいでしょ?」
「ていうか、怖い……何その夢……」
「だよね、埋めることないよね。どんだけ、男嫌いなんだか」
「……な、何があったんだろう」
そんなに男嫌いになるような、出来事が……?
顔を引きつらせながら、私は視線を台所の方へ移す。ちょうどその時、小競り合いをしていた二人が、私の絶叫に何事かと慌てて駆け寄ってきた。
「どうした華月!?」
「何、何〜? 面白い話?」
二人して同時に、包丁や箸を持って現れたその姿から、優希ちゃんがそんなに男嫌いとは想像もつかない。
もし、颯が何かヘマをやらかして、優希ちゃんに嫌われるようなことがあったら……颯は埋められちゃうのかな……。
心の底からかわいそうな気持ちで颯を見やると、颯は「へ?」と小首をかしげた。同時にママがぶふっと噴出す音が部屋に響き渡った。