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    小箱

 天井を見上げてると、結露した無数の水滴が、懸命に重力に抵抗しているのが見えた。

 俺は、浴槽のふちに頭を乗っけて、出来る限り足を伸ばした。

 浴槽の長さよりも俺の脚のほうが長くなったのはいつ頃からだったろう。

 水面に顔をだした膝に視線を移したものの、俺の脳裏には別のものが鮮やかに映し出されている。

 

 あれは……なんだったんだろう。

 

 あの時──桜の木の下で意識を失っていた時――見た夢の中の映像に、明らかに俺の記憶の中には存在し得ない映像がいくつもあった。

 俺が思い出せないだけで、写真なんかで一度目にしている映像なんだろうか。

 でも、この間華月が見ていたアルバムの中には、それらしき写真は見当たらなかった。

 第一、写真で目にしたのでなければ俺の記憶にあるわけがない。

 

 なぜなら、それは……若い頃の母さんの姿だったからだ。

 

 高校生だろうか。セーラー服を着て自転車にまたがっている映像。

 たぶん、幼い頃の千明希おばさんだろう女の子と、まだ若い祖母さんが一緒に笑っている映像。

 もっと他にも、たくさんあったんだ。

 いくつものスライド写真を、15秒ぐらいの間に見せられたような感覚だった。

 これが、いわゆる走馬灯というものだとして、母さんのことばかり思い出すなんてことあるんだろうか。

 だいいち、今の母さんならわかる。若かりし、というか、若すぎる母さんの姿なんて、普通思い出すものなんだろうか。

「どんだけ、マザコンだよ」

 深いため息と一緒にこぼれた声は、狭い風呂場ではよく反響した。

 とりあえず、母さんのアルバムでも見せてもらうことにしよう。

 何か手がかりがあるかもしれないし。

 もしかしたら、走馬灯でも、マザコンでもなくて、あの猫のメッセージかもしれないじゃないか、と大いに期待しながら、俺は湯船から上がった。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 いつものように、風呂上がりに台所で一杯の牛乳を飲んだ後、俺はまだ濡れた頭にタオルをひっかけて、2階の自室に戻ろうと階段を2段ほどあがった。

 

 でも、ぴたりと足を止め、引き返す。向かったのは母さんの自室。

 

「母さん」

 

 俺は、ノックする代わりにドアの前で声をかけた。

「は〜い?」

 ドアの向こうからは、気のない返事が帰ってきた。忙しく仕事してるのなら、またにしようかなと躊躇してた時、再びドアの向こうから声がした。

「颯? な〜に?」

 ドアを恐る恐る開けると、優しく笑う母の瞳に出迎えられた。

 部屋は決して広くない。6畳ほどのフローリングに、パソコン机と大きめな本棚が2つ並ぶ。部屋の真ん中にはクリーム色の肌触りのよいジュータンが敷かれ、その中央に木目調の座卓が置かれている。母さんの部屋兼客間だ。いや、客間だったはずだが、いつのまにか母さんに占領された、これが満点の解答だな。

「珍しいわね、こんな時間に」

 母さんは、座卓の上にハサミやらノリやら折り紙やらを広げて、何やら作っていた様子。

 息子が、夜遅くに神妙な顔で訪ねてきたので、カンのいい母さんらしく、机の上を片づけだした。

「どうしたの?」

「ごめん、邪魔した?」

「いいよ、まだ時間あるし。それより何? 珍しいじゃない?」

「うん……」

 俺は思わず口ごもり、言葉を探しながら母さんの顔を見つめた。

 母さんはふっと笑う。

「何よ、部屋の中に入りなさいよ」

 言われて初めて、俺はドアの前から一歩も動けなかったことに気がついた。

 それも全部……聞いてもいいのかな……この疑問が心に刻み込まれてるからだ。

 俺は中へ入り、座卓を挟んで母さんと向かい合って座った。

「あのさ……」

 普段なんてことはないのに、二人っきりで、しかも改まって話すとなるとなぜか照れくさかった。

 言葉が口から出てこないのが不思議だった。

「何、へんな子。どうしたの?」

 母さんはおかしそうに吹きだした。

 俺だって変だなって思ったさ。いちいち言うなよ。

 そう思ったら余計に言葉が出なくなってしまった。

「もう、何なのよ〜」

 ケラケラ笑いながら母さんは俺の背中を叩いた。

「笑いすぎ」

 やっとの思いで出た言葉が、小さな小さなつぶやきだから、我ながら情けない。

「だって、用があるから来たくせに黙りこくってるんだもん」

「アルバム!」

「は?」

「アルバム貸してよ」

 口にしてから自分で泣きたくなった。

 何でそんな単語? 

 何でそんな説明もなしに唐突?

 俺……いつももっと論理的だよな?

 もう、その場から今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

「アルバム?」

 母さんは驚いたような声を上げた。

「そう。母さんの若い頃のアルバム」

 もはや、うつむきながら投げやりな返答をするのが精一杯だった。

 顔を上げるのも恥ずかしい。さっきからずっとジュータンのふさふさな毛を撫でている手の感触も、俺の心を落ち着ける役目ははたせないようだった。

「若い頃ってどのくらい? もしかして……二十歳ぐらいの?」

 そういった母さんの声が、少しだけ曇った気がした。

 顔をあげると、母さんの顔からは笑顔が消えている。

「二十歳ぐらいのもみたいけど……」

 母さんはじっと俺を見つめた。

 逆にその視線に俺は目を泳がせる。

 いつも笑顔を絶やさない母さんの、その表情が何を語っているのか俺にはわからなかった。

 なんとも言いがたい沈黙が部屋の空気を張り詰めさせる。

 

 

「何が聞きたいの?」

 

 俺は母さんの口からでてきた言葉にぎょっとした。

 

 どういうことだ。

 母さんは何か知ってるいるのだろうか。

 いや、でもそんなまさか。

 困惑している俺を置き去りにするように、母さんは小さく笑った。

 

「いつか、この日が来るのはわかってたの」

 

 母さんは立ち上がり本棚の方へ向かった。俺はただそれを目で追うしかなかった。

 

「楽しみに待ってたんだから」

 

 その母さんの背中は、母さんは何か知っている、そう言っている気がした。

 でも、何を知ってるんだろう。

 

「私がまだ22歳だったころよ。夜、仕事から帰ってきたらアパートの前に男の子と女の子が立ってたの」

 母さんは本棚の扉を開けながら嬉しそうに言った。

 本棚はもう年代物で、苦しそうな声で鳴いた。

「その子たちのことは今でもはっきり覚えてる。あんなことがあったから……いろんなことがまだ思い出せなくて曖昧なんだけど、でもその子たちのことは鮮明に思い出したの」

 母さんが本棚から取り出したのは小さな小箱。その小箱を座卓の前に置き、包み込むような笑顔を見せた。

「私が15年前に妊娠して、男の子と女の子の双子だって聞いたときに、やっぱりなって思ったのよ。しかも、ぼろぼろ泣きながら新くんが双子の名前を『颯』と『華月』にしたって教えてくれた時に、ほらねって思ったのよ」

 

 母さんは何がいいたいんだろうか。

 俺は黙ってその言葉を待つしかなかった。

 

「あなたたちは、21年前の4月1日、私の前に現れたのよ。これを持ってね」

 

 それは、片手に乗る大きさの、小さなオルゴールだった。

 


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