比翼(3)
「松本颯」
教室のドアががらっと開いて、学年主任の山崎に俺は名指しされた。
俺は、一瞬であの日の夢を思い出した。
「はい」
俺の声は震えていた。
ドアの向こうから俺を手招きする山崎。
教室の後ろのドアから、教室中の視線を集めながら、廊下へと出る。
やはり、そこには青ざめた華月が帰り支度をして立っていた。
「颯…どうしよう」
華月が俺の服の裾をつかむ。
「お母さんが倒れて、病院に運ばれたそうだ。支度をして急いで病院に向かいなさい」
「…母さんが…」
母さんが倒れた。
今度は、夢じゃない。
これは現実だ。
俺はいつの間にかこぶしを握り締めていた。
しっかりしなくては。
華月が、顔をくしゃくしゃにして今にもその場に崩れ落ちそうになる。
「華月、しっかり。父さんのところへ行こう」
「うん…」
「病院はどこですか?父はもう向かってるんですか?」
「ああ、お父さんが病院から連絡をくれたんだ。急ぎなさい」
山崎は俺に、小さな紙切れを渡した。
そこには病院の名前とその病院の電話番号が書かれていた。
不思議だった。
夢と同じ会話、同じ映像が目の前で繰り返されている。
自分の口からでてくる言葉すら、まるで言わされているような感覚に陥る。
「華月。支度してくるからちょっと待ってな」
俺は帰り支度をし、華月をつれて校門へいき、山崎が呼んでくれたタクシーで病院へ向かった。
どこまでも、夢が再現されていく中、俺と華月が母さんのいる病室へたどり着いたとき、やはり夢と同じように肩を落とした父が母さんのベッドの脇に座っているのが見えた。
「父さん」
声を掛けて、はっとしたように父はこちらを見る。
「ああ…来たか」
その声はかすれていた。
「パパっ!」
華月が父に駆け寄って、泣き出した。父は華月をしっかり抱きとめて、見たことのない辛そうな顔で「大丈夫だよ」と言った。
やはり、母さんはつまり、寝ぼけて駅の階段から落ちて、意識不明のまま病院へ担ぎ込まれ意識不明の重体だった。
「…母さんらしすぎて…笑えない」
もう、疑う余地がない。
つまり、このままだと…。
このまま夢の通りに進むと母さんは死んでしまう。
どうにかして、夢とちがう結果にできないだろうか。
何とかできないのか。
俺には何もできないのか。
何も出来ずに、母さんが死んでいくのを待つしかないのか。
母さんが死んでしまうのを知っているのは俺だけなのに。
俺は、ぐっと握り締めた手に力を込めた。
「だから、昨日、階段気を付けろって言ったんだ」
父は、見ているだけでこっちが痛くなるような、苦しくなるような笑顔で母さんを見た。
「なんだかな…昔を思い出すなぁ…美桜希はこの病院のベッドで寝るのがほんとに好きだな…」
ただ、その父の言葉が気になって、俺は首を傾げた。
だから、この時ほんの少しだけ夢とは違う現実があったことに、俺はこの時は気がついていなかった。
「どういう意味?」
そう聞いたのは、華月だった。
「美桜希は、ずっと前もここで、こうして何年も寝ていたことがあったんだ」
何年もここで寝てた?
どういう意味なんだろう。
俺は父を見つめた。父は寂しそうな笑顔を浮かべていた。
「何年も寝てたってどういうこと?」
俺がそう問いかけたとき、「みさ姉!」と病室の入り口から聞き覚えのある声が聞こえた。
「新さん!みさ姉は!」
それは、母さんの妹の千明希おばさんだった。
何年ぶりだろう、彼女に最後に会ったのは…小学校の頃だったか、中学生の頃だったか…。
「千明希さん…忙しいのにごめん」
返事をした父さんの顔に、一瞬、ほっとしたような安堵の顔が浮かんだ。
「何言ってるのよ。どうせ、またみさ姉は眠ってるだけでしょ?」
…また?
さっき父さんが言ってた、“ずっと何年も寝ていた”っていうのを、さしているんだろうか。
しかし、口を挟むことができず、俺と華月はただ二人を見守るしかなかった。
「それが、今回は…」
「大丈夫よ。だって、みさ姉のことだもん」
「……そうだよな」
「そうだよ」
千明希おばさんは、そういって父さんの肩に手を置いた。父さんは力なく笑った。
俺はその父の…父さんの顔を一生忘れない。
そして。
その日の夜、母さんは亡くなった。