比翼(1)
そして、俺は再びこの不思議な体験をすることになった。
「松本颯」
授業中に教室のドアががらっと開いて、学年主任の山崎先生に俺は名指しされた。
「はい」
俺は、そのただならぬ様子に、顔を強張らせながら返事をする。
俺を手招きする山崎。
呼ばれるままに、教室の後ろのドアから、教室中の視線を集めながら、廊下へと出る。
そこに、青ざめた華月もいた。
いやな予感がする。
「颯…どうしよう」
華月が俺の服の裾をつかむ。
わけがわからず、俺は山崎を見た。
「お母さんが病院に運ばれたそうだ。支度をして急いで病院に向かいなさい」
「…母さんが?」
倒れた?
きっと、一度同じことを言われているはずの華月が、そのセリフで再度その事実を突きつけられたことによるショックからか、顔をくしゃくしゃにして今にもその場に崩れ落ちそうになる。
「華月、しっかり。母さんのところへ行こう」
以外に冷静な自分に驚きながら、華月の肩を支える。
「うん…」
「病院はどこですか?父はもう向かってるんですか?」
「ああ、お父さんが病院から連絡をくれたんだ。急ぎなさい」
山崎は俺に、小さな紙切れを渡した。
そこには病院の名前とその病院の電話番号が書かれていた。近所の病院だった。
華月を見ると、すでに帰り支度をしてから俺を呼びにきたようで、カバンを手に持っていた。
今頃、そのことに気がつくあたり、実際のところ俺も動転していたのかもしれない、とこの時思った。
しっかりしなくては。
「華月。支度してくるからちょっと待ってな」
そう言って、俺は華月の震える手を俺の制服の裾から離した。
「う、うん」
とたんに、華月が心細そうな顔をする。
「大丈夫だよ、華月。母さんは殺したって死なない」
華月にそう言って笑いかけて、でこを叩いた。
華月に少し笑顔が戻る。
「山崎…せんせー。タクシー呼んでもらっていいですか?こっからだったらバスだと遠回りなんで…」
「お、おう。そうだな」
なんで、あんたがテンパってるんだよ、と突っ込みたくなったが、俺はとりあえず帰り支度をするために再び教室へもどった。
ドアを開ける音に、いっせいに視線が俺に集まる。
その視線に一瞬ひるんだが、俺は無言で席に戻って帰り支度をし、華月をつれて校門へ行き、山崎が呼んでくれたタクシーで病院へ向かった。
病室へ向かうエレベーターの中で華月がすすり泣き始めた。
俺はそっと華月を抱き寄せる。
あの、母さんに限って…。
どうせ、あっけらかんと「ごめん、心配かけちゃった?あははは」とか言うに決まってる。
「大丈夫だよ、大丈夫」
華月に向かって言っているはずなのに、自分に言聞かせてるみたいだなと、苦笑したら、涙が出そうになった。
エレベーターが8階に着くと、一番奥の病室に『松本美桜希 様』という名前を見つけた。
自然に喉が生唾を飲み込む。
病室の中を覗くと、肩を落とした父がベッドの脇に座っているのが見えた。
「父さん」
声を掛けると、はっとしたように父はこちらを見る。
「ああ…来たか」
その声はかすれていた。
「パパっ!」
華月がベッドに横たわる母さんに泣きながら駆け寄った。
父はそんな華月の肩を抱いて、見たことのない辛そうな顔で「大丈夫だよ」と言った。
母さんは、寝ぼけて駅の階段から落ちて、意識不明のまま病院へ担ぎ込まれたらしい。頭を強く打っていて危険な状態らしい。
「…母さんらしすぎて…笑えない」
俺は思わずそう言ってしまった。
「だから、あれほど、毎日のように階段から落ちるな、こけるな、それが無理なら、そうならないように意識を持て、って言ったってたのに…足りなかったかな…」
父は華月の頭を撫でながら俺に笑いかけた。
「ママ、目覚ますよね」
涙をいっぱいにためた瞳を華月は父に投げかけた。
父は、見ているだけでこっちが痛くなるような、苦しくなるような笑顔で母さんを見た。
「なんだかな…昔を思い出すなぁ…美桜希はこの病院のベッドで寝るのがほんとに好きだな…」
どういう意味だろう。
俺は首を傾げた。
でもそれを問う気にはなれなかった。
その日、母さんは亡くなった。