第二話
ジンウルフは、エーデルカ西の広大な森林群を棲み処にしていた。
その森林群の全容は現在も把握し切れていない。
人類未踏の地を目指して探検隊が何度も挑戦しているらしいが、奥へ行けば行くほど強大な魔物が存在し、幾度の戦闘の末に撤退を余儀なくされているそうだ。
ジンウルフは比較的浅い場所に棲むので、トウタには関係ない話であった。
エーデルカから馬の足で三時間。
森林群に到着したトウタは、松明を手に森の中を散策していた。
食料や解体するためのナイフを詰め込んだバックを背負い、剣を腰に提げて注意深く進んでいく。
ジンウルフは群れで行動するため、槍よりも剣の方が対応しやすい。
木々の間で戦うため、槍が扱いづらいというのも一因だった。
(しっかし、相変わらず陰気な場所だな……)
木々の枝葉から見える陽光がまるで星のようだ。
王都の特務部隊で働いていた時、やむなく日が落ちてから冒険者の救出に来たことがあるが、あまり遜色はなかった。
(さてと、この辺でいいな)
三十分ほど歩いたところで、トウタは足を止めた。
あまりにも浅い場所だと、魔物が警戒して出づらい。そのため、ある程度奥まで進む必要があった。
火を警戒しているからか出てはこないが、魔物の気配はある。地面の枝が折れる音や生臭い血の匂いを幾度となく感じていた
トウタはその場で深呼吸し、気持ちを整える。剣を抜いて中段に構えた。
(……いくか)
覚悟を決め、松明の火を消した。
瞬間、魔物の気配が大きくなるのがわかった。そこら中でパキパキと枝葉を折る音が響き渡り、獣の荒い息遣いが耳に届く。
間合いに入った。そう直感し、トウタは魔術を発動する。
魔石の輝きは、白。トウタを中心に放たれた光が、辺りをあまねく照らし出す。
それは一秒もなく消えてしまう。しかし、それだけの時間があれば、夜目に優れたジンウルフの目を焼くには十分過ぎた。
炎球を一つ右肩の上ほどに生み出して明かり代わりにすると、地面を転げ回る数頭のジンウルフの姿が目に入った
闇夜に溶け込むような漆黒の毛並み。体長は一メートルを超え、真っ赤な口蓋からは鋭い牙が覗く。まともに戦えば、かなり厳しい相手だったろう。
間近に居た魔物の頭部を、トウタは一振りに切り落とす。鮮血が散った。
剣を握るのは久々だが、腕は落ちていないようだ。それとも技術など関係なく、剣の切れ味が良すぎるのか。
漠然とそんなことを考えながら、次のジンウルフの下へ向かう。
食べる分だけ、というわけにはいかない。生かして帰して、あとで襲い掛かられては目も当てられない。
全てのジンウルフに止めを刺し、ようやくトウタは解体に入った。
(まあ、こんなもんか)
適当に肉のブロックを切り取り、紙に包んでバックに入れる。
炎球は松明に移して消していた。魔術を発動し続けるのにも精神力が必要で、トウタはそれほど多くない。あまり使い続けると集中力が欠けて、最終的には意識を失って倒れてしまう。
目的を遂げたトウタはバックを背負い、来た道を戻り始めた。
思っていたよりも早くことを終えられた。あとは帰り道さえ注意すればいい。
(これであの報酬は確かにうまいな。ライラには感謝しないと)
ディナーぐらい奢ってやろう。そう、これからのことを考えて頬を緩めた時だった。
耳を劈く咆哮が後ろで上がったのは。
怒り、殺意、悲しみ、あらゆる負の感情が込められた絶叫に、トウタは身を竦ませた。
(や、ばい……ッ!)
本能が体を走らせた。伸びた枝が肌を裂くのにも構わず、来た道を全力で戻っていく。
しかし、出口の光は見えない。膨れ上がった殺気が、背後から近付いてくるのがわかった。
追い付かれる。そう直感し、再び光の魔術を放つ。
辺りが真昼のように晒し出され、対象の目を焼く。そのはずだった。
「――っ‼」
右肩に鋭い痛みが走る。直近に血の匂いが立ち込め、それが自分の物だと気付くのに時間は掛からなかった
光が止み、トウタが松明を手に振り返ると、そこには人型の姿をした魔物が立っていた。
身体中を埋め尽くすのは、ジンウルフと同じ漆黒の毛皮。手足は丸太のようで、毛並みの上からでも強靭な筋肉が見て取れた。十の爪は、鍛冶師の研いだ刃物の如く鋭い。
恐ろしいのは、その肉体だけではない。魔物は目を閉じていた。咄嗟に光を回避したのだ。人に近い知能を持つといわれるその魔物の名は。
(ワーウルフ……ッ! なんでこんな浅い場所に、こんなヤバい奴が……ッ)
本来ならばもっと奥地へ存在するはずの魔物だ。血の匂いにつられて出て来たのか、それとも同胞が殺されて放っておけなかったのか。
どちらにせよ、まずい状況だった。
トウタにとって、こういう肉弾戦タイプの魔物は酷く相性が悪い。
ワーウルフが目を開く。血走った赤い瞳がトウタを捉える。
両足の筋肉が膨れ上がった。
(来るッ……!)
松明を放り、剣を鞘走らせる。
明かりが地面に落ちるよりも早く、弾丸の如くワーウルフが飛び掛かってくる。
突き出された右腕を辛うじて剣で受け、半身を開いて流す。
反撃を試みた時にはすでに間合いの外。闇にその身を溶かしていた。
トウタは炎球を生み出して明かりとするが、その光が届かない場所に身を潜めているようだった。
どこから来るかわからない攻撃に備え、トウタは意識を研ぎ澄ます。
しかし、一向に来る気配はなく、暗闇に光を灯し続けることに精神力が削られていく。
ふと、視界に火の消えた松明が入る。
火を移そうか、そんな甘い誘惑に誘われた直後だった。
「ッ……!」
背後に殺気を感じ、振り返れば目前に鈍い輝きを放つ爪が見えた。
(死――)
他人事のように、死を直感した刹那。
その軌道が逸れた。否、反らされた。真横から飛来した長剣によって。
「え……?」
凶爪は、トウタの真横を大きく外れていく。
何が起きたのか理解できずに固まっていると、人の声が響いた。
「ヒーロー参上っ! ってところかしらね、ふふっ」
この場に似つかわしくない、能天気な声だった。
その声の主を振り返り、トウタは今度こそ思考を停止する。
コックコートを纏った若い金髪の女が得意げに笑い、立っていた。