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〜最終章〜

距離にすれば五メートルもなく、相手もこちらに気づいているはずなのに、動作はまるで何かを探しているように首を動かしている。

と、こっちに顔を向けたとき、口なんてないのに――光の女性は、確かに笑ったような気がした。


(なんや、なんや――)


なんとも言えない恐怖が全身を舐め、女性が身体ごとこっちを向いた時にはガクガクと全身が震えた。

ここにいてはいけない、すぐに逃げないと……そうは思うのだが身体が言う事をきかず、視線も外せないまま、鈴は恐怖に震えながら立ち尽くしていた。


『駄目ですよ、この子は【神使】の新しい依り代になるんですから。食らっては駄目です――分かりましたか? 【神通主】』


直接頭に響く声が、金縛りと解いてくれた気がした。その声に聞き覚えがある事も、光の女性が【神通主】と呼ばれた事も考えず、鈴はただこの場所から離れるために駆け出そうとした。

必死で足を動かした、動かした――はずなのに。


「なん、で……」


足は動かず、顔には恍惚の笑顔をのせて、両手を広げ鈴は立っていた。ゆっくりと近づいてくる女性を、喜んで待っているかのように。


「こんな姿になってしまったけど、あなた様への忠誠は変わらぬままです――その身体も、すぐに本来のものに戻してあげますからね」


口から自分の声が、けれど自分のではない言葉が出て鈴は驚いた。しかし声を出そうにも出せず、身体を動かそうにも動かせず、まるで自分の中に別の何かが入り込んで、身体の主導権を奪ったような……そこまで考え、ゾッとした。


『あの子がちゃんとブラオフランメを作動させてくれて良かったわ。予想通り、【神通主】を閉じ込めていた結界を弱体化させてくれた……やはり、これは妖力によるものだったのね。今回の騒動で結界を施した者が現れてくれたら幸いだったけど、世の中そう上手くはいかないわね』


「犯人探しより、まずは神の回復が先だな。何十年も結界に閉じ込められていたから弱っておられるし、当面は噂怪に人間を喰らわせないといけないな……しかし、初めて【鈴彦姫】としての力を使ったけど、身体自体は調達しないといけないなんて」


自分の口から、また自分のではない言葉が漏れる。

自分に何が起こっている、自分がどうなったのか、全てが分からなくなる。

そんな鈴の心情を読み取るように、声は優しく――しかし澱んだ狂気を滲ませて話しかけてきた。


『大丈夫よ、鈴。貴女は選ばれたの、神に尽くせる尊きモノに――受け入れて、眠りなさい。そうすれば半妖として迷うこともなく、幸せな夢が待っているわ』


(助けて、譚檎さんっ――助けて、林檎っち!)


「それは無理じゃないかな? むしろ助けるというより、君はこれからあの子達と殺し合いをするんだよ。いや、正確には俺が、だけどね」


他人の笑みが顔に張り付いた感じがして、不快さのあまり吐き気がする。それでも身体の主導権は自分ではなく、別の誰かのようだった。

シャン――と鈴の音が聞こえて、視界が右手を捉える。

いつの間に握られていたのか、そこには見た事もない鈴の付いた棒があり、視界を正面に移すと光の女性が目前に迫っていた。


「神よ、【神通主】よ。あなたの『願い』を叶えるために、どうか祝福を!!」


視界が光に包まれ、意識が遠のく瞬間、鈴の耳に喜悦に震える声が木霊した。


『心配しないで、身体はいつか返してあげる……だけどその時、あの人形が傍にいるとは限らないけれどね』


「……林檎っち、お願い、逃げて――」


それが、鈴自身の発する事ができた、最後の言葉であった。





陽光が緩やかに地上を照らし、しかし冬の冷気はまだまだ衰えをしらない、とある日曜日の朝である。

神通駅の広場に、私服に身を包んだ林檎が所在なさげに立っていた。どうやら誰かと待ち合わせをしているようだが、早く来すぎてしまったのだろう。

時計台をチラチラと見ながら、持っていた手鏡で風に乱れた前髪を直したりする。なにやら緊張しているようで、表情は硬い。


(……この人達は、喰らわれると知らずにこの町で暮らしてるんだ)


スーツ姿のサラリーマンに、制服姿の学生。その他さまざまな服を着たさまざまな人間達が改札に飲み込まれ、また吐き出されてくる。

名前も声も知らない人達ばかりだけど、林檎はそんな彼らを助けるために一つの道を選んだ。

妖怪として生きるという、道を。


(……ううん、もしかしたらボクは、この人達の事なんか考えてないのかもしれない。ボクが守りたいのは、ボクの周りの人達だけだ。大切な人達を守りたいから、大切な人達の人生を守りたいから……この道を選んだんだ。そしていつか……鈴も見つけ出す)


……あの日、譚檎に憑依された日を境に鈴が行方不明になった。アメリシスに探すよう頼んでみたが、見つけきれなかった。

えにしを視覚化したり、妖力を頼りに探し回ってみたりもしたが、結局見つけることは出来なかった。

 【神通主】か【神使】によって鈴は隠されているのか、あるいはもう――アメリシスの出した結論を、その時林檎は黙って聞いていた。

信じたわけではない、いや、信じたくないのかもしれない……確証の無い答えに翻弄されるより、まずは自分のやれることから始めようと思った。

譚檎と一緒に噂怪を狩って、【神通主】や【神使】を倒す――そうしていればきっと、鈴に近づけるような気がした。


「諦めないよ、ボクは諦めないからね――鈴」


「――何言ってんの? 独り言なんて、傍目には危ない人に見えるわよ」


後ろから掛けられた声に振り返ると、朱毬が怪訝そうな顔つきで立っていた。

何だかいつもの雰囲気と違って見えるのはスーツではなく、モッズコートとニット帽で冬の洋装をしているからだろうか。

しばし眺めていると、瞳の色が違うのに気が付いた。


「……耳と尻尾を隠しちゃったら分かりにくいよ」


「馬鹿ね、こんな所で耳と尻尾を付けた女なんて、あんた以上に不審者扱いよ。ま、華雪があんな状態だし、今は朱毬に憑依するしかないのよね」


「……まだ治らないんだ」


「治ってはいるの。ただあの部屋を出たら傷が復活するというだけ。大怪我だったからね、アメリシスの力と魔術を使えば数週間で出てこれるでしょう」


数日前の【神使】との戦いで傷ついた華雪だが、アメリシスのおかげで一命は取り留めた。傷も部屋を出ない限り完治しており、それさえ守っていれば程なく回復するとの事だ。

一応の安心をした林檎だが、何か思い出したのか「そういえば」と口にした。


「アメリシスから貰った『姿隠しの指輪』を付けてるのに、何でボクを見つけられたの?」


林檎の右手薬指には、サファイアの嵌め込まれた指輪がされている。

これは魔術と錬金術で精製された特殊なもので、人々の認識から自分を外してくれる効果を持つ。

よほどの強い結びつきか、身体がぶつかったり話しかけない限り、気付かれる事はないはずなのだ。

あくまでアメリシスの言葉を信じるなら、だが。


「そんなの、私が譚檎たんごだからよ」


「えと……どういうこと?」


「理由なんてないわ、ただ私が譚檎で――あんたが林檎だから。それだけあれば、私はあんたを見つけられる」


蟲惑的に微笑む譚檎の笑みにドキリとし、林檎は目線を外して空を見た。

冬の空は薄い雲が切れ切れに浮かび、足早に過ぎ去っていこうとする。この町が妖怪にとって隔絶された場所だとしても、空はどこまでも繋がっている……あの雲に乗ったら、ドイツまで行けるのかもしれない。


(……なんて、夢見がちは事考えちゃったな。それに今はまだ、ここを離れるわけには行かない)


「それじゃあ行きましょうか? わざわざ寒空の下まで出てきたんだから、噂怪の情報が掴めればいいんだけどね」


一人で歩き出す譚檎を追って、林檎も歩き出す。見知った顔の女生徒二人がこちらに歩いてきているようだったが、林檎は目で追う事はせず、ひたすら譚檎の脊中を追いかけた。

これでいい、これこそが自分の選んだ道の結果……手に入れられたはずの日常と友達と、平凡という日々を捨ててまで手に入れた、これが妖怪としての――風斬林檎だ。


(【フランケンシュタインの娘】で、風斬林檎で、そして【猫女】、白猫の譚檎の相棒――それら全部が、ボクという存在を確固たるものにしてくれる、確かな理由……)


「……マイン イスト プッペ ザイン アーバァ ヘルツ ズィー カイン プロドゥクト!!」

 

その言葉は、きっと自分の心の奥から出た言葉。パンドラの箱の底に残っていたのは、淋しがり屋で人見知りな、林檎というモノの心だった。

この町に来て、譚檎や鈴達に出会って、林檎は初めて一つの存在に成れたのかもしれない。


「あら、珍しくポジティブな事言うじゃない」


「え、譚檎ってドイツ語分かるんだ! ならさ、色々喋ってみようよ!!」


「嫌よ面倒くさい」


「そんな事言わずにさ~」


肌を刺す冷たい空気と、優しい陽光に満ちた冬空の下。

神通町という町があった。

そこには【フランケンシュタインの娘】と【猫女】がおり、光溢れる人間の世界とは薄皮一枚隔てた、妖怪と噂怪のいる闇の中をさ迷っていた。

白い靄はブラオフランメと出会い、目指すのは果たして光の先か、闇の底か。

答えは誰にも分からぬまま、行き先も終わりも見えぬまま。

一体と一匹の世界は、頼りなさげな青白い光を指針に、続いていた。


――闇を照らすその小さな火が、『改編の火種』と呼ばれるのはまだ、先の話である。












「ねえ知ってる? 昨日聞いた噂なんだけど――」


「そういえばこんな噂聞かない? あそこのさ――」


「え? それってこんなじゃなかったっけ――」


「実は私、その噂を体験しちゃったんだ。どうしよう――」


――この世には、噂というものがある。


幸福を与えもすれば、絶望も与える、兎にも角にも噂というものがある。


嘘であろうと真実であろうとも、不可思議の具現であるそれは時として、人々すら喰らおうとする。


噂の体現者、暗い闇に生きる異形の存在……それらは噂怪と成り果て、自らの願いを叶えるため、あるいはこの場所で生き抜くため、七十五人の血肉と魂を求め彷徨う。


噂と共に存在する噂怪に、人々はただ喰らわれるしかない……しかし長年続いたそのことわりにも、終わりが近づいていた。


終らせるモノは、青い炎を灯した幼さの残る少女と。


純白に浮かび上がる、猫のような着物の女。


神の通り道で、神と称されるモノの眠る町で、今までに無い何かが起ころうとしているのだけは間違い。


冬のある日、一つの町を舞台に、一体と一匹の踊りは始められる―― ーー






――噂怪と成りて噂を背負い。


――喰い散らかすは人の魂七十五。


――嗤うは誰ぞ、啼くは誰ぞ知る由は無く。


ーー常世に散り咲くは人の華。


――しかし散った命とえにしを交し、彼奴らは現るる。


――青い炎を灯した少女。


――純白に浮かぶ猫。


――今宵も又、一体と一匹は噂に導かれ、闇夜に紛れて現るる。



                                 

      ~終わり~




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