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〜第八章〜

「……無駄だと分かっているのに歯向かうなんて、君も落ちたものだな」


「――はっ! あんたのその余裕たっぷりなところは、嫌味なくらい変わらないわね」


首の動作だけで避けた【神使】に対し、譚檎は突き出した拳を開いてみせた。

途端に氷塊が爆発飛散し、街灯の光を反射して人工のダイヤモンドダストが発生する。


「これは……なるほど、その子の能力は氷を媒介にしたもの。こんなに周りが氷だらけでは、さすがに俺の不利なのは認めざるを得ないね」


「その変な鈴を振っても無駄よ――凍らせたから」


言うが早いか、凄まじいスピードで鈴の付いた棒が凝結する。持っていた手まで凍ってしまっているが、【神使】は別段気にした風もなくそれを見つめていた。


「何度言ったら覚えるんだい? これは鉾先舞鈴っていって、神を奉り、鎮めるのに重要な神具なんだ。変な鈴なんかでは、ない」


「どうでもいい事は覚えない主義なの――そして、王手よ」


夜の冷気よりも冷たいものが、【神使】の腕に触れる。幼く小さな手が恐ろしい握力で締め上げ、金色の瞳を猫のように細めていた。


「初めて町に来た時もこんな状況になった事がある。まあ、あの時は君自身の身体でだったけど」


「そうね、あの場であんたに憑依できていれば、こんなに無駄な時間をかけずに済んだのに……さあ、どうする? あんたの力を顕現させる鈴は凍り、周りは細氷で包まれている。私の指先一つであんたを氷の彫刻に変える事だって可能よ。後々困るからそこまではしないけどね。それに、前と違って【神通主】が助けに来る事は無い」


譚檎の手が淡く発光を始めた。妖力の移動が開始されようとしている瞬間……それでも【神使】は、余裕を崩さない。


「何十年もかかったけど、あんたの身体を手に入れて、記憶を辿って【神使】に会える……やっと、全てを終わらせる時がきたのね」


「残念だけど、それは無理だ」


冷たく言い捨てる声に、譚檎は眉をひそめた。もう譚檎の憑依は始まっている、あと少しで憑依は完了し、【神使】の身体は完全に支配できる。


「前の君なら憑依は一瞬で終わってたのに……人間を喰らわず妖力を補充しなかった事が、こんなところで仇になるなんてね」


「なにを――」


その瞬間、真横からまるで車に跳ねられたような衝撃が身体を貫いた。【神使】を掴んでいた手は離され、骨の折れる音を聞きながら宙を飛ぶ。

視界が回り、天と地がひっくり返り、いきなり重力を思い出したように地面にたたきつけられた。


「がっ――ぐはっ!?」


口から零れる大量の血で、内臓が傷ついたんだと分かった。腕を使って身体を持ち上げようとしたが上手くいかず、見れば左腕が有り得ない方向に曲がっていた。


「……ったく、嫁入り前の身体だってのに、乱暴に、扱ってんじゃないわよっ」


脇腹からも出血があり、地面に真っ黒い水溜りが広がっていく。街灯の光の届く範囲だけ赤い水溜りは、濃い鉄錆の匂いを発する。


「動物から……噂怪に成ったモノ、ね。妖力が無いから気付くのに、遅れた……いいえ、これも妖力が減ったからかしら」


「昔は噂怪なんて全然いなかったから、俺らの間に入るのなんていなかった。でも今は違う、探さなくても噂怪なんて、至る所にいる……本当、憑依が一瞬で終わっていれば君の勝ちだったのに」


霞む視界に映ったのは、いつぞやの猿と黒犬であった。どちらも犬歯をむき出しで威嚇しており、噂怪というよりは獰猛な獣そのものである。


「昔なじみと別れるのは辛いよ……でも安心して、この町はずっと変わらず、『今』のままで回り続けていくから。それじゃあ――さようなら」倒れて動けない譚檎に、二匹の噂怪が襲い掛かる。

さっきの攻撃で細氷は霧散し、また氷柱を作り出す余力も残ってはいない。


(終わり――ね。頑張ってはみたけど、今の私じゃあこれが限界か。心残りがあるとすれば、決心を固めた林檎と、巻き込んじゃった華雪かしら)


「あーあ、最後にもう一回、コタツで眠りたかったわね」


「――最後じゃないよ!!」


譚檎の視界いっぱいにブラオフランメが広がったのは、その時だった。


「林檎、あんた、なんで」


「あんな大きな音だったら誰だって気付くよ――って譚檎怪我してるの! ひどい……すぐ救急車を呼ぶから!」


炎を髪の毛に纏う林檎は急いで譚檎に駆け寄り、携帯電話を取り出す。

しかし不意に考えこみ、「ねえ」と話しかけてきた。


「妖怪って、人間の病院とかでも、その、保健は効くのかな? ほら、そういうのが無いといっぱいお金取られちゃうし」


「く、ふふふっ。い、痛いんだから、笑わせないで」


「え? 何か変な事言ったのボク?」


あまりに場違いな発言をする林檎の言葉に譚檎が笑い出し、【神使】も小さな笑みを浮かべていた。


「助けたいんなら、【七不思議】のアメリシスに頼めばいい。あれは部屋の中でならどんな願いも叶えられるし、お金もかからないからね」


「あなたは……」


「初めまして、【フランケンシュタインの娘】さん。俺は【神使】。従順な神のしもべであり、この町を守っているモノだ」


炎で巻かれていた猿と黒犬が寄り添い、【神使】は丁寧に頭を下げた。林檎も思わず下げそうになったが、譚檎が「はっ」と皮肉めいた声を出したので止めた。


「守っている? 笑わせない、で。あんたはただ【神通主】の思う、通りに、この町を弄くりまわっているだけじゃない。守ってるんじゃなくて……壊してるのよ」


「君と俺の意見が合わないのは、重々承知しているよ――アメリシス、どうせあの小さな部屋から見ているんだろう? 今ここで終わらせなくても、もう何日も持たない命だ。助けるのを止めはしない。ついでにそこの人間も持っていってくれ。用があるのは西洋人形と――君だよ、【後髪】」


名前を呼ばれ、電柱の後ろに隠れていた鈴がビクッと震える。暗闇に紛れているのに、【神使】はまるで見えているようにそちらを向きながら「へえ」と声を出す。


「発作は治まったようだね、仲間が増えると思ったのに残念だ」


「鈴は噂怪になんて成らないよ、ボクがさせない」


林檎が一歩踏み出すと、猿と黒犬も前に出てくる。剣呑な雰囲気の中、【神使】はやれやれといった風に首を振った。


「一度噂怪に成ってしまったモノは、もう元には戻らないんだよ。七十五人を喰らって神に捧げるか、喰らわずに妖力が無くなっていくのを見過ごすか――この二択しか無い」


『そして、譚檎は後者を選んで……消えようとしているのよ』


脳に直接響くように、アメリシスの声がした。どうやら【神使】にも聞こえているらしく、「相変わらず可愛い声だ」と軽口を叩いている。


『……林檎、もう時間がないわ。華雪の身体も、譚檎の妖力もね』


「うん、分かった――でもこれだけは、確認させてほしい」


林檎が膝をつき、地面に倒れる譚檎に顔を寄せた。

譚檎は荒い呼吸を繰り返しながら、間近に迫った林檎の顔をじっと見る。


「ねえ譚檎……あなたがどうして噂怪に成ってしまったのか、ボクは知らない。でも譚檎が優しいのは知っている、ボクの事を考えて学校行きを決定したのも知っている。だから教えて……人間を喰らわなくなったのは、なぜ?」


ここに来る前、アメリシスから譚檎の話を聞いた。彼女は人間を七十四人まで喰らいながら、最後の一人を喰らおうとしないらしい。


噂怪は、ただ存在するだけで【神通主】から妖力を吸収されている。喰らって【七不思議】にまで昇華しなければ、いつか確実に消えてしまうと分かっているにも関わらず、だ。

林檎は、その理由が知りたかった。

そこまでして譚檎の『守りたいもの』とは何なの、どうしても知りたかった。


「また、アメリシスから余計なことを、聞いたわね」


「うん、少しだけ」


「まったく……」


息をするのさえ辛そうな譚檎はしばらく黙っていたが、やがて小さく、笑ってみせた。

どんな事にも屈服しない、強さと美しさを秘めた笑顔で。


「決まってんでしょ、私の事は私が決める。私は譚檎、白猫の譚檎――自分の人生は、最後まで自分の意思で踊り続けたいのよ」


答えのようで、答えじゃない。

分かるようで、よく分からない。

でも、なぜだろう――

林檎は、こんな譚檎の生き方が嫌いじゃなかった。


「なら、もっと踊り続けるために、譚檎にプレゼントをあげる」


林檎は、貰っていた飴玉を口に含む。

噛み砕き、唾と一緒に飲み込んだ途端、身体中から燃え上がるようにブラオフランメが噴きあがった。


「譚檎、踊ろう! ボクと一緒に!」


手を取り、目を瞑る――華雪の頭から生えていた耳は消え、林檎の頭から髪と同色の耳が生える。

そして目蓋を開ければ、暗闇の中でも光る、金色の瞳が露わになる。


「……これは思った以上ね。それにこの妖力量……」


『華雪と朱毬は回収したわ。でも鈴は駄目、【神使】かあの二匹か知らないけど邪魔をして飛ばせない。譚檎、任せたわよ』


鈴の身体が闇よりピンクの球体に包まれようとするが、何かに弾き返されるように球体は跳ね返り、空気に溶けていく。


「逃がす気はないって事でしょう。いいわ、任せなさい……それより、あんたに名前で呼ばれるなんて久しぶりね。鳥肌が立っちゃいそう」


『呼んでるほうも鳥肌ものよ――それより、私が妖力を分けた意味、その身体に入ったんだから分かるわよね?』


「ええ――何となく出来そう、いえ、必ずやってみせる」


「何を、やってみせるんだい?」


と、これまで成り行きを見ていた【神使】が口を開いた。譚檎はそちらを向き、両者の視線が交差する。


「黙っててくれるなんて、随分と余裕ね」


「俺としては、その西洋人形と【後髪】が逃げないなら他はどうでもいいからね。神がなぜそこの人形を破壊するよう言ったのか分からないけど、憑依したままならそれごと壊すよ?」


ジリジリと二匹の噂怪がにじり寄ってくる。しかし譚檎は身構えるでもなく、笑みを深めたのであった。


「昔のあんたなら、相手の事は調べて調べて調べつくしてから戦っていたのに……変わったのね、あんたも私も」


「……君は何が言いたいんだ?」


『【フランケンシュタインの娘】が操るブラオフランメには、身体強化の他にもう一つ機能が備わってるの――それは、妖力の吸収。吸収行為自体にも妖力を消費するから、元々これの持っていた妖力量じゃ出来なかった。でも今、私の妖力を分けた事により』


「――この炎は、あんたらの存在全てを飲み込んじゃうって事よ」


譚檎はアスファルトを蹴ると、一瞬で猿の噂怪へと肉薄する。遅れて噛み付こうとする猿に、口を閉じてろと言うようにアッパーをお見舞いする。

衝撃で浮き上がった猿の首を掴み上げると、その全身を炎が覆った。


「――――!!」


声にならない悲鳴を上げる猿。黒犬が吠えながら譚檎の足に噛み付くが、牙が肌を貫通しないばかりか炎が纏わりついてきた。


「っ離れろ!」


初めて緊迫した声を出す【神使】に、譚檎が歌うように言う。


「遅いわ、もう私の舞台は始まってるの。さあ、それじゃあいきましょうか? 燃えるような踊りを、心弾むようなステップを――命続く限り、白猫のタンゴを!!」


轟っと一気に炎が燃え上がり、譚檎や噂怪達の姿を飲み込んでいく。目も開けていられないほどの光が溢れるが、不思議と熱は感じられなかった。

逆に、底冷えする冷たさが肌を舐めあげ、不意に殺気を感じ【神使】は後退しようとする。だが、炎の中から伸びてきた細い腕に胸倉を掴まれ、腕から伝わる異様な雰囲気に背筋が凍る。


(この感じ……俺は知っている! 俺はこの気配と昔戦った事がある)


「馬鹿、な……身体はとうの昔に消失したはずなのに」


「――言ったでしょう、私の舞台は始まっているって。衣装を用意するのは当然の事よ」


白い二の腕、白い着物の袖口――純白の中に金色の瞳を埋める、女の顔。

気付けば【神使】は物凄い衝撃と共に、空を飛んでいた。

あっ――と思ったときにはもう、二人の姿は夜空に消えていた。

あの、炎の中から一瞬だけ見えた姿……林檎の姿ではない、着物を着た真っ白い女性は。


「あれが、譚檎さんの……【猫女】の本来の姿」


ごくっと喉を鳴らし、鈴は走り出した。あの、二人が消えていった夜空の方向へ。

わざわざ自分から【神使】に近づくのが危険だと分かっていたが、それでも向かわないわけにはいかない。

自分は無関係ではなく、当事者の一人なのだから……こんなところで傍観を気取っていたら、今までの嫌いな自分と同じだ。

逃げることの出来ない町で、ただ流されて、潰れそうになって――でも、『一緒にいる』と言ってくれたモノがいた。

傍にいてくれる、友達が出来た。


(逃げるのはもう飽きた……アタイはもう、逃げへん!)


【神使】に対する恐怖に、全身は震えている。鈴はそれを寒さのせいだと無理やり納得させ、動かしていた足を更に速める。

追いつけるのか分からない、しかし、一緒の場所にいなければいけないのだ。

鈴と林檎は、友達なのだから――。




【神使】が落ちた場所を確認して、自分のコントロールの良さに譚檎は一人頷いた。

森林公園の、木々が乱雑に生えたところである。【神使】は落ちた直後に身を隠したようで、次いで着地した譚檎の周りには見当たらなかった。

それでも譚檎は悠然と構えながら、吐息を一つ漏らした。

すると青白い炎が虚空に灯り、証明の代わりのように辺りを照らしてくれる。

光で浮かび上がる譚檎の姿は、闇の侵食を許さない一粒の白光のようであった。

梵字という仏教寺院で使われる文字の書かれた包帯が素足を包み、腰まで届く白い髪は絹糸よりも細く滑らかで、生気と瑞々しさに満ちている。

染色をされていない色無地の着物を、腰紐のみで縛り付けていて、歩くたびに裾や胸元から白い肌が露わになっている。

色があるとすれば、金色の瞳と赤く線引きされた唇だけ。それ以外は純白で形作られたような、そんな出で立ちであった。


「さてと、あんなところで騒いだら周りに迷惑だし、なにより暴れられないから移動したけど……いつまで隠れてるの? 今の私から逃げられない事なんて、重々承知のはずでしょ」


譚檎が吐息を漏らすたびに、炎の数は増えていく。

木々の間に立ち込めていた闇は塗り替えられ、青白い幻想的な光景が広がる……だが、【神使】には景色に見とれる余裕などない。

必死で光の当たらぬ方へと走りながら、どうやってここを切り抜けるか考えていた。


(一気に飛び出しても、【猫女】の脚力ならすぐに追い付かれてお終いだ。だが気配と妖力を出来る限り消しての移動だと、いつかは追い付かれる――しかし、まさか本来の身体を取り戻すなんてな。こうなった以上、俺も『あれ』を出し惜しみしている場合じゃないか……)


徐々に冷静さを取り戻すと、まずは凍らされた矛先舞鈴を持つ腕に力を込める。

すると氷が跡形もなく粉砕され、最小限の動きで振って音を鳴らす。

音と同時に鈴が半分近く割れて、その音で譚檎が近づいてこないかと左右を確認するが、姿や気配といったものはないようだった。

ならばもう一度と矛先舞鈴を振り上げた時、足がもつれ【神使】は危うく転びそうになってしまった。

地面にひざを着いた姿勢で片足を見れば、足の甲を白い棒状のものが貫いていた。


「――――っ」


血に濡れたそれが白いと分かったのは、仄かに発光していたからである。

ふさふさの毛を生やし柔らかそうだが、実際はどんな物よりも硬く鋭く、変幻自在に飛んでくる。

これに貫かれるのは、何十年振りの事であった。


「逃げられないって言ったでしょう? それともまさか、私本来の戦い方を忘れていたのかしら」


「……『エノコログサの尻尾』、そういえば【猫女】にはそんなものがあったね」


無理やり尻尾を抜いて前方に投げると、炎をはべらせた譚檎がしっかりと受け止める。

付いていた血を落としながら一歩また一歩と【神使】に近づき、あと少しというところで足を止めた。


「最後のチャンスよ――【神通主】のいる場所を教えなさい、そうすれば楽に殺してあげる。言わないなら、じっくり時間をかけて殺すわ」


「結局は殺されるのか、よっぽど俺の事が嫌いなんだね?」


「ええ、大嫌いよ」


間髪いれずに答えた譚檎の身体から、青白い靄が出てくる。靄は段々と形を成していき、数秒としない内に先ほどのと同じものが何本も出来上がっていった。


「今すぐ串刺しにして消し去ってやりたいけど、【神通主】の居場所を知ってるのはあんただけだからね。だからこうやって話もしてあげてるのよ」


「君は本気で、俺が居場所を言うと思っているのかい? 神のしもべが、神を裏切ると?」


「はっ……昔も今も、あんたの中で一番大事なものは自分でしょうが」


「――よく分かってるじゃないか」


口を歪めて笑った【神使】が、また小さく鈴を鳴らした。するとガサガサと、炎の光が届かない闇の中から蠢く音が聞こえだす。

音は次第に大きく増えていって、譚檎と【神使】を取り囲むようにして止んだ。鈴をしゃんしゃんと鳴らし続けながら、【神使】はゆっくりとした動作で立ち上がった。


「今呼べるだけの噂怪を集めてみたよ。あとは俺の合図一つで、一斉に君に襲いかかるだろう。いかに君が昔の身体を取り戻しても、さすがにこれだけの数を相手にするのはキツくないかな?」


闇にうごめく影達は、確かに譚檎に対して明確な敵意を発していた。何匹いるか数えるのも馬鹿馬鹿しくなりそうな気配の充満する中、しかし譚檎の口から出るのは呆れの溜め息であった。


「私に数で対抗するのは愚かしい事よ……この、『先代達』の残した尻尾がある限りね」


途端、譚檎を中心に青白い炎が膨れ上がったと思ったら尻尾が次々と現れていく。

十や二十できかない数に呆気に取られる間もなく、木々の隙間を飛んで噂怪達に襲い掛かった。


「全盛期の半分以下……三、四十本くらいかしら? ま、そこらの噂怪を潰すには十分ね」


「……百八本の『エノコログサの尻尾』を操り、姿の見えない距離からでも相手の懐からでも確実に仕留める……どうやら記憶と意識が向こう側に吸い取られているようだ。力を使うのは初めてだけど、こんな弊害もあるのか」


「何のことかしら?」


「当ててごらん?」


くくく、と笑う【神使】の態度に首をひねりながら、譚檎は尻尾を再び自分の周りに呼び寄せた。そして「ふんっ」と不機嫌そうに鼻息を漏らした。


「妖力を奪われないように獣の噂怪だけにしてたのかしら――まったく、これじゃあいつまで経っても全快になれないじゃない」


そう言って【神使】のほうを指差すと、尻尾が矢のように飛んでいき身体の至るところに刺さっていく。鉾先舞鈴が、場に似合わない澄んだ音色で地面に転がった。

急所を外しているのか一瞬で絶命することは無いが、妖力は徐々に吸い取られてしまっている。【神使】は木に寄りかかり倒れはしなかったが、誰の目から見てもこの状況で逆転は出来そうになかった。

だというのに浮かぶのは、嘲笑にも似た気味の悪い笑みである。


「あんたが答えないとなると、面倒くさいけど噂怪に聞かなきゃならないわね。完全に成ってしまった噂怪じゃ、話が通じなさそうで無理ね――と、そうだった」


思い出したように手を打って、鋭い視線を【神使】に向ける。残って宙に浮かんでいた尻尾は一箇所に集まり、譚檎の背丈を有に越える巨大な銛へと変貌していく。


「あんたの信じる神に、祈る時間をあげる――もういいかしら?」


「ちょっと早すぎ――」


全ての台詞を言い終える前に、青白く光る銛は音もなく飛んで、木の幹ごと【神使】を貫いた。

貫く瞬間先端は破裂するように棘を生やし、頭部といわず上半身を跡形もなく飲み込んだ。

威風堂々たる出で立ちは、神さえ惑わしそうな美貌に彩られ、傲岸不遜に浮かべた笑みは、見た者を虜にし圧倒する。

それこそが、憑依をし噂怪を狩る猫の化生、純然たる幻視幻想の存在――【猫女】の譚檎であった。

長年の宿敵を仕留めたというのに、譚檎の表情は険しかった。神妙な顔つきで飛ばした尻尾を引き寄せ炎を交わらせる。

こうする事で、尻尾の吸収した【神使】の妖力が流れ込んでくるはず……なのだが。


(妖力が吸収できていない? いや、そうじゃなくて……【神使】の元々ある妖力が少なかったって事かしら。でも、そんな感じはしなかった……)


下半身しか無くなった身体も、支える命と妖力が無くなったので粒子になって消えていく。

足元に転がっている鉾先舞鈴も――と、付いている鈴の数に、譚檎は違和を覚えた。

あれは【神使】の妖力に比例して数が増えるはずなのに、今付いている数は一つだけ……吸収したというなら納得も出来るが、吸収できた妖力は微々たるものでしかなかった。


(さっき戦っていた時、鈴の数はどうだったかしら? 最初にいっぱい付いていたのは覚えてるけど、それ以降はどうだった?)


記憶を掘り返し、鈴の数を思い出そうとする。路上のときに揺れていた数、森に落ちた時、噂怪を呼び寄せた時、最後に笑みを浮かべた時……鈴の数は、徐々に減っていたようだった。


「減っていったのじゃなく、妖力を移動させた――そういえば、記憶と意識が何やらとか言ってたわね」


ギリッと歯を噛み締め、譚檎は不愉快そうに顔を歪めた。どうして気づかなかったのか……【神使】としてのあいつにそんな能力はないが、その前――【神使】に成る前のあいつなら、出来たのではないか。


「私もあんたの事をすっかり忘れていたわ――【神使】、いや――【鈴彦姫】。まさかこんな力があったなんてね」


木々の合間から見える夜空を見上げながら、譚檎はそう呟く。

と、急に身体から力が抜けたように地面に座り込んでしまった。


「……っ、長時間の顕現は無理のようね。妖力の消費も激しいし、これじゃあ吸収した噂怪達の妖力まで無くなっちゃう。名残惜しいけど、林檎に身体を返すとします、か」


まるでタイミングを見計らったように、木々の合間から白い猫が現れた。みゃあと一声鳴くと足元に擦り寄ってきて、ジッと顔を見つめてくる。


「いつも有難う……もうしばらく、あんたの身体を貸してちょうだいね」


目をつぶり、猫と額を合わせると、青白い光が一人と一匹を包み込み、光が収まったときには林檎の姿は、元に戻っていた。

傍らの白猫も目蓋を開けて金色の瞳を覗かせると、どこかしら艶のある女性の声で、苦笑を漏らした。


「家に帰ってから憑依を解けばよかったわ……ま、目が覚めたら自分で帰ってくるでしょ」


なかなかに冷たい事を言って、譚檎は闇の中へと消えていった。姿がなくなった闇の奥から、優しい声が掛けられた。


「――有難う、こっちの世界を選んでくれて。これから宜しく、林檎」




(こっちの方向やったと思うけど、間違ったんかな?)


森林公園に入ってから結構な時間が経つが、鈴はいまだの姿を見つけられずにいた。

妖力を探って大まかな位置までは分かるのだが、いきなり大量の妖力の気配を感じてからこんがらがってしまった。


(大量の気配はすぐに消えてもうたけど、残滓みたいなもんが残って妖力が感じ取れへん。これで譚檎さんの気配まで見失のうたらお終いや)


いっそ大声を出して見つけてもらおうかと思ったが、そうすると【神使】にもバレてしまうので出来ればやりたくない。

森の中に入っているかもとそっちを向いてみるが、街灯の明かりの届かないそこは闇に沈んでいて、怖くて行きたくなかった。


「譚檎さん、ほんまにどこにおるの?」


泣き言のように呟くと、不意に周りで妖力の気配を感じた。すぐ近く――相手が誰かと考える間もなく、妖力は形を持って目の前に現れ、視認できるようになった。

それは、例えるなら光の布を被った女性であった。

光の粒子が身体の周りに浮かび、髪は光の糸で出来ているよう。

顔も服も存在せず、全身が光っていて、女性的な身体のラインだけが、妙に艶かしい、人とも妖怪とも、噂怪とも言いがたい存在。



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