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〜第五章〜

しかし、夜のこんな場所で何をしているのか……近づこうとした矢先、先ほどから聞こえる音が耳をつんざいた。

地面がグラつき膝をついてしまうと、近くに何かが転がってきた。

暗いのでよく見えず、石かと思って拾ってみたら、それは握り拳大もある氷であった。


「まさか、さっきから続く音は……これが砕ける音なの」


街灯で浮かび上がった華雪の手には、なにやら白い靄が纏わりついていた。

その手を前方にかざすと靄は急速に固まり、幾本もの氷柱となって前に飛ぶ。

常識では考えられない、通常では有り得ない不可思議な光景だ。

だがそれは同時に、華雪が妖怪であると納得させてくれる光景でもある。


「凄い……まるで、踊りのステップを踏んでるみたい」


華雪の身体を借りた譚檎は、本当に踊っているようだった。

己の名と同じ、タンゴでも踊っているかのよう――思わず見惚れていた林檎だが、ここで不審な点に気付く。

譚檎は一体、誰を相手に踊っているのか――視線を譚檎のいる先へと向けるが、そこには闇しか存在しない。

譚檎が街灯の下を通り過ぎた瞬間、突如として『影のようなモノ』が暗闇から浮かびあがり、驚く間もなく闇の中へと消えていった。


(え……さっきのって)


闇に溶け込む、正体不明のモノ。人でも妖怪でも動物でも何でもない……何かの、成れの果て。

――あれは、噂怪ではないのだろうか。

戦いは激化の一途を辿り、地面は抉れ木々は切り刻まれる。だが譚檎の攻撃には、影のようなモノには通じてないようだ。

呼吸が乱れ、息が上がる。しかしそれでも譚檎は攻撃を止めず、軽やかな舞踏を続ける。


「っ林檎? なんであんたがここにいるの!?」


岩のような氷塊を投げた譚檎が、林檎に気がついた。と同時に怒声を上げられたのでビックリした。

何も言えないでいると、遠目でも分かるくらい譚檎の表情が険しくなった。


「林檎! 伏せなさい!!」


言うが早いか譚檎は手を横薙ぎにし、林檎も言葉に従って身を屈めた。直後、風を切るように大量の何かが林檎の頭上を掠めていった。

あと半秒遅れていたら確実に頭に命中していただろうそれは、鈍い音と共に木の幹に突き刺さった。

後ろを振り返れば、数えるのも馬鹿馬鹿しくなる程の氷柱の群れと、その合間でもがく黒い蝶が視界に入る。


「ひっ!?」


羽を揺らしていた蝶はドロドロと溶け出し、嗅いだ事のない異臭を放って地面に吸い込まれた。

異臭に鼻をつまむと、遠くから茂みを掻き分ける音と譚檎の舌打ちが聞こえた。


「あいつ、強くなっていた。また喰らったのね……」


苦々しげに言うと、譚檎はこちらへとやってきた。

地面に伏せたままでいる林檎の手を取って地面から立たせてると、不機嫌な顔に負けず劣らずの声を出す。


「まったく、なんであんたがここにいるのよ! 誰かに場所を教えられたにしても、この暗闇の中よく見つけたわね」


「えと、白い猫を追いかけたらここに来て……譚檎の戦ってる音が聞こえたんだよ。だから、見つけられたの」


林檎の説明に怪訝な顔をしたが、譚檎は考えるのが面倒なのかそそくさと歩き出してしまった。

林檎も後について歩き出すが、それから譚檎は無言だった。

しばらく元来た道を歩いていたのだが、さすがに耐えきれなかった林檎は、思いきって口を開いた。


「譚檎……さっきの戦いなんだけど」


「学校はどうだった? 楽しめそう?」


二の句を許さないような譚檎の言い方に、林檎の抱いていた確信は一層強まる。

あれが、噂怪狩りというものなのだろう。


「学校なんてどうでもいい! 本当は……ボクにこれを手伝わせるために、わざわざドイツから呼び寄せたんでしょ? ボクが造られた【フランケンシュタインの娘】だから、戦いに使うならこんなに使い勝手のいい人形はないもんね」


――夜の公園に、甲高い音が響き渡った。

林檎はしばし呆然とした後、その音が自分の頬を叩かれたものという事に気がついた。

なぜ叩かれたのか不思議でならず、譚檎を見ると、金色の瞳に怒りとも悲しみともつかない感情を滲ませ、こっちを睨んでいた。


「人形なんて二度と言うんじゃない。あんたをそういう風に見ているやつなんて、この町には一人もいない。もっと自分に自身を持ちなさい……じゃないと、『成ってしまう』わよ」


「……ボクは女子高生の前に、風斬林檎の前に、【フランケンシュタインの娘】なんだよ! どうしてそれじゃ駄目なの? 譚檎も――【猫女】は、ボクを利用すればいいじゃない! ボクの生まれた意味って何!? ボクがこの町に来た意味って何なの!!」


林檎は、自分の存在が不確かなままな事に、苛立ちと不安を感じていた。

博士に作られ、多分譚檎に求められ、そして自分はこの町にやって来たはず。

なのに、学校? 友達? 部活動? ――それは、普通の人間が持つべきもので、自分のやる事じゃない。

この身体の、人では無い部分がそう語ってくる。

頑強に作られた身体はどんな酷い仕打ちにも、恐ろしい暴力にも壊れはしないはずだ。

精神が耐えきれない悪意に晒されても、身体だけは壊れないように……そう設計され、自分は造られたのだ。

憑依し戦うために使う身体として、これほど使い勝手のいい身体はないのに……どうして譚檎が憑依をしないのか、林檎にはまるで分からなかった。

道具は道具らしく、人形は人形らしく使ってくれたら、こんなに悩まなくてもいいのに。


「あんたが心まで妖怪だったら……私もあれこれ考えず、すぐ手伝ってもらってたんでしょうね。でもあんたは、人間みたいな心をしていた。こっちの世界を知らなくても、生きていける気がした」


「ボクは妖怪だ! そこまで否定されたらボクは……何者でも、無くなっちゃう」


立ち止まって俯く林檎に、譚檎は歩みを止めず、しかし声は優しく、語りかける。


「今日全てを話すつもりだったけど、学校の事、朱毬から電話で色々聞いたの。楽しく、やってたって……そんなあんたにさ、妖怪か人間か選択するチャンスを残してもいいかなって思ったのよ。学校は、それを見定める場所のつもり」


林檎は、何も言えなかった。震える声が口から漏れて、聞かれるのが嫌で必死で堪えた。


「妖怪の身体と、人間の心を持つ【フランケンシュタインの娘】――あんたが妖怪として生きるというなら、私は全てを教えましょう。でも人間として生きたいというなら……全て、忘れなさい」


足音が遠ざかっていく。言いたい事はいっぱいあるのに林檎の足は言う事を聞かず、地面に根を生やしたように動いてはくれない。


「林檎……誰かに選んでもらうんじゃなく、あんたが幸せになれると思う事を、自分で選びなさい。そうやって選んだものが、この町に来た理由になるはずだから」


言い残し、譚檎の足音は消えた。しばらく俯いたままで立っていた林檎は、その瞳から涙を零した。


(分からないよ……譚檎が認めないんなら、ボクは何で造られたの? 誰か教えて……ボクの居場所を、教えてよ)


頭の中で響く悲痛な叫びは思考の奥へと吸い込まれ、誰にも気付かれずに反響し続ける。

星々は近くにいるようで、一生埋まらない距離に存在し、皆一人ぼっちで輝いているだけに思えた。

何となく考えてしまった星々の宿命に、また涙が一筋、零れて落ちた。







次の日の朝。この時期一番の冷え込みとニュースでは言っており、霜の薄化粧がまんべんなく神通町を包んでいた。

学校や会社に向かう人々は厚手の服装を着込み、なんだかそのせいで足取りが重くなっているように見える。

林檎はマフラーに顔を埋めるようにして、学校へと歩いていた。

昨日譚檎からあんな事を言われた手前、何となく話しづらくて今朝は挨拶に行かなかった。

半ば強引な形で通わされている学校だが、こんな気持ちの時に行く事ほど、苦痛なものはないと思える。

これなら、華雪のように学校に通わず自分の部屋にいたほうがマシだ……また誰かに愛想笑いをしないといけないのかと思うと、さらに気持ちが憂鬱になった。


(自分では本を読んで勉強したつもりだったけど、やっぱり現実は甘くないよ。他人と触れ合う事は刺激的で……でも刺激が強すぎて、ボクには向いてないのかも)


思考が負のスパイラルにはまったようで、後ろ向きな考えが後から後から浮かんでくる。

自分に確固たる意思でもあれば立ち直る事は可能かもしれない……しかし今の自分は、そんなもの持ち合わしていない。


「この町……ボクには合ってないのかな」


「なぁに朝から根暗ってんのよ!」


後ろからの声と共に背中を強く叩かれ、危うく転んでしまいそうになった。驚いた顔でそちらを向けば、弥生と由宇が並んで歩いていた。


「弥生ちゃん、痛い~……」


「朝から暗い林檎が悪い! 朝は一日の始まりよ、もっと元気に声出して!!」


「おはようございます、林檎。地元民として見過ごせない言葉が聞こえましたが、何かあったんですか?」


他人を元気付けられる弥生に、他人を心配できる由宇。それが二人の本心からの行動である事は、まだ知り合って日の浅い林檎でも何となく分かる。

そんな二人と仲良くしているようで、自分は内部へと踏み入られる事を拒んでいる。

異質な正体も、本来の目的も隠したまま、体裁を取り繕うように外面を固め、二人と接している。


「……う」


そんな自分の行動が恥ずかしく、また二人に申し訳なく思えてきた。弥生と由宇の良心を踏みにじるような行いをしているのに、二人は気付かずに自分に優しくしてくれている。

譚檎は、学校に通って見定めろといった……もし人間の生活を選んだら、自分はこの二人と、もっと仲良しになれるのだろうか。


「……ごめんね」


「なんで謝んのよ?」


「まあまあ、話したくなったらいつでも聞きますよ。私達は友達なんですから」


三人で登校する仲睦まじい光景は、今はまだ外側だけのものでしかない。

教室に入りクラスメートと挨拶を交わし、他愛ない会話をしていても、林檎の頭の中は自己嫌悪で満たされ思考は冷めきっていた。


(そんなに優しくしても、ボクは皆に何にも返せないんだ……)


ここにいる皆、自分の正体が人ではないと知ったらどう思うだろうか。きっと真実を知れば周りは崩れ去り、自分は一人になるだろう。

淋しく、それでいて気楽な独りぼっちに……そう考えた瞬間、頭に鈴の事が浮かんだ。

親しげに話しかけてくる彼女も、他人として割り切れるのだろうか。

鈴が人間なのか妖怪なのか分からない、でも彼女に関しては、初めて自分の事を『友達』と呼んでくれた鈴は、どうしても、割り切って考えることが出来ない気はした。


「あれ、鈴?」


一瞬、視界の端に見知った姿が映りこんだ。見間違いかと思ったが気になって廊下へと出てみる。が、鈴の姿はどこにもない。

すると、小鈴の付いた髪飾りの音が林檎の耳に届いた。廊下の先、階段の辺りから聞こえてきたようで、林檎は逡巡しながらも、鈴を探す事を決めて歩き出した。

角を曲がる時、前をよく見ていなかったので林檎は誰かとぶつかった。その勢いで廊下に尻餅をつく寸前、誰かの手が腕を掴んで引き寄せてくれた。

抱きしめるような格好で助けてくれた相手は、その身体を離すとやさしく微笑んでくる。


「大丈夫でしたか?」


「ご、ごめんなさい。助けてくれて、ありがとうございます」


お礼を言った直後、相手の顔を見て林檎は思わず息を呑む。爽やかな笑みと、少し長めの茶髪。モデル体型で、野暮ったい学生服を見事に着こなしている。

しかし、なぜだか印象には残りにくい少年だった。

綺麗に描かれた何枚もの風景画の一枚であったり、見事な彫像群の一体のように、突出しているはずなのに存在が埋没している……きっと別れたらすぐに忘れてしまうだろう、そんな感じのする少年であった。


「そんなに急いで、どうかしたんですか?」


「あっ、そうだ! えと、本当にごめんなさい、それじゃあ!」


見失った鈴を探さなければと、頭を下げて林檎は走り去っていった。

少年は慌しさに呆気にとられ、林檎の走り去った方向を見つめていた。


「……あれが【フランケンシュタインの娘】ねぇ」


呟くと爽やかだった笑みから一転、少年の顔に浮かんだのは寒気を覚えるほど冷たい笑みであった。



一階と二階、それと三階はくまなく探してみたが、鈴の姿はどこにも見当たらなかった。残りは三年生の教室がある四階と、資料室や実験室などがある五階だけ。

それと体育館だが、さすがにそこはないだろう。

いや、もしかしたらもう帰ってしまったのかもしれない。昨日トイレで会った時はそう言っていたのだから、その可能性はより高いはずである。


「あとは五階だけ、か」


あの時教室で見た鈴の視線が頭の中にチラつき、探さなければと林檎の心を急かしてくる。なぜここまで鈴のために動くのか……それさえ分からないまま、林檎は五階へ続く階段を上がった。


(なんか空気が違う?)


そう思ったのは、階段を上がってすぐの事であった。四階で聞こえる音や声も遠く、また動くものがないため、空気が澱み停滞しているように感じられる。

階段を一階分あがっただけなのに、まるでここには別世界が広がっているようだった。


「鈴、いるの?」


少し大きな声を出してみるが、予想通り答えは返ってこない。自分の歩く音や息遣いが鼓膜を振るわせ、胸に手をやれば心臓の脈打つ音がよく分かる。


「鈴……いたら返事して」


実際返事が返ってきたらそれはそれで驚いてしまうが、林檎は五階の雰囲気に気後れしないように声を出し続けた。


「ひっ!?」


甲高い鳥の鳴き声と、バサバサッと羽ばたく音に悲鳴が漏れる。

そういえば深夜トイレに行けず、呼び鈴で博士を呼んで付いてきてもらってたな~と今関係ない事を思い出し、手前にある教室の扉に手をかけた。

数回深呼吸して、手に力を込める。だが扉はガタガタと揺れるだけで開かず、鍵がかけられているようだった。

いくつかの教室も開けようとしたが鍵がかかっており、開くかどうか調べていないのは一番奥の教室だけになってしまった。

結局鈴は見つからなかったなと林檎は扉に手をかけ、他の教室と同じように力をこめる。

それは、全部の教室に鍵がかかっていると思い込んでしまったゆえの不注意で――教室の入口上部にあった第三資料室の名前を確認しなかったのは、気が緩んで注意を怠ったせいであった。


「あれ?」


当然のごとく開かないと思っていたのに、扉は何の抵抗もなく開いてしまった。

何の気なしに名前を確認して、林檎はすぐに校長室での言葉を思い出した。


「ここって、第三資料室だったんだ……」


入口にはどうやらカーテンが付けられているようで、扉を開けただけでは中が覗けないようになっている。

普通そんな隠す事などしないはずなのに……少しだけ気になった林檎は、恐る恐るカーテンをめくってみた。

そして――唖然とした。


「なに、これ――」


資料室というからには棚が置いてあり、そこに書類や本が所狭しと入れられているイメージがある。

しかし今、目の前に広がっているのは……。


「夢見る少女の部屋、って感じ」


ピンク、ピンク、ピンク――書類の影は見当たらず、目に映る殆ど全てのものがピンク色に統一されていた。

床に散らかった動物のぬいぐるみに、ソファーやクッション。カーテンやカーペット、はては天井や壁紙にいたるまで、全てが色鮮やかなピンク色。

こうピンク色ばかりだと目がチカチカしてきてしまいそうで、どうにも耐えきれず林檎は教室を出ようとした。


「――言っておくけど、私は何もしていないわよ。恨むならあの子の行動力を恨みなさい」


するとその時、教室の奥から少女の声が聞こえてきた。声の方向を向いてみれば、今朝校長室で執務机に座っていた、あの少女がソファに座っていた。

白とピンクを基調としたゴスロリの衣装を着て、手にはこれまたピンク色をしたステッキを握っている。

学校内の教室とは思えない場所で、まるでアニメの世界から抜け出したような人物に当惑していると、少女は外見とは不釣合いな艶のある笑みを浮かべた。


「ああ、独り言だから気にしないで。貴女からすると私は初対面よね――初めまして【フランケンシュタインの娘】、それとも林檎と呼んだほうがいい?」


挑発するような声と態度にならぬ雰囲気を感じたが、少女のに見つめられていると、なぜか身体が思うように動かせない。

疑問は数多くあったが、この少女には関わるなと本能が危険信号を出していた。しかしそんな意識とは反対に、身体は少女の手に招かれるままソファへと腰かける。


「あら、そんなに警戒しなくてもいいわよ。今はまだ、貴女は選択の途中……それよりこの部屋にはなぜ入ってきたの? 入らないように言われたでしょう?」


「えと、あの、名前、なんで」


「そうね……お婆ちゃんに聞いたのよ。私の名前はエンバーミング・アメリシス。親水高校校長の、孫娘よ」


「お、お孫さん? そっか、そういえば感じがどことなく似てる……かな」


何とか落ち着いてきたようで、アメリシスの話が頭に入るようになってきた。部屋のインパクトには少々驚かされたが、慣れてしまえば……やはり目がチカチカする。


「でも何で学校にこんな部屋が――と、ごめんなさい。鈴を探してたら四階まで来ちゃって、ここに入るなって言われた事をすっかり忘れてたの」


「……」


林檎の言葉に思うところがあったのか、アメリシスは黙りこんでしまった。林檎は何か変な事でも言ってしまったのかと不安になり、一体どうしたのか聞いてみた。


「ん、少し考え事をね……部屋の事だけど、貴女は責められないわ。妖力を感知する機能が無意識に働いてるようだけど、対策を怠ったお婆ちゃんが悪いのよ。私としては、この部屋に入ってきてくれて楽しくなりそうだからいいのだけれど」


「妖力の感知って……私の事、何を知ってるの?」


エンバーミング校長より、アメリシスの言い方は何かを知っているように聞こえた。林檎自身も自分の機能は教えてもらっておらず、妖力の感知など初耳である。

更に警戒を強める林檎に緩やかに笑いかけながら、アメリシスは平然と紅茶を勧めてきた。先ほどの発言について語る気はないらしく、林檎はやきもきしながら紅茶を飲むと、それはドイツ名産のロンネフェルトであった。


「こんな高級な紅茶、日本じゃ手に入りにくいのに」


「私の部屋は何でも揃うのよ。籠に囚われた小鳥は、代わりに世界中のあらゆるものを手に入れられる……少し言いすぎかしら。それで、鈴を探しているのだったかしら? 校内で見かけないのなら、ここにはいないと思うわ」


「そう……教えてくれて有難う」

林檎が席を立つと身体はすんなりと動いてくれ、会釈をして扉へ向かう。


「林檎はあの子を大事に思っているのね。もしかして、恋でもしたのかしら?」


「同性同士で、なんで恋なの?」


「……分からなければいいのよ。そうよね、貴女に人間の真似事なんて出来るはずないものね。貴女は造られた存在、【猫女】の所有物、ただの使い勝手のいい道具」


最後の言葉に思わず振り向くと、アメリシスは顔の造形が変わったのかと思うほど異質な笑みを浮かべていた。

扉を開けようとしていた手は固まり、目線はアメリシスに固定されてしまっている。頭の中では警鐘が鳴らされ、暖房の効いた心地よい部屋のはずなのに、じんわりと汗が滲んできた。


「譚檎が何を言ったかは大体予想できるわ。妖力は素晴らしいけれど、考えが私と対極すぎてあの子は駄目ね。誰かの世話を焼いていられるほど、時間なんて残されていないだろうに」


「時間って……あなたは一体、何を知ってるの?」


「あら林檎、この町に来て妙なものを見ているわね?」


途端、真顔になってアメリシスがそう聞いてきた。指は扉にかけたまま、妙なものと聞かれて頭に浮かんだのはあの猿と犬の存在である。

それを伝えようか迷っているとアメリシスは目蓋を閉じ、言葉らしきものを呟いた。


(多分、英語かな? 訛りがひどすぎて確信は持てないけど)


不意に、左手が熱くなった。見ると小指に先ほどまで無かった赤い糸が結ばれていて、空中で頼りなく揺れている。

赤い糸は窓の隙間から外に伸び、どこまで繋がっているのか終わりが見つからない。いきなり現れた赤い糸に驚いていると、目蓋を開けたアメリシスが説明する。


「魔法技術というものを知っている? 人がその昔、異なる者と争うために生まれたとされている技術よ。今は科学技術のほうが優れていて便利だけれど、魔法技術を使う者はまだ少なからず存在する……私もそんな一人なの。噂怪と関わる事で生じる『縁』を形にしてみたわ、貴女は赤い糸の数だけ噂怪に関わっている。全部で三本……果たして誰のかしらねえ?」


「……神通町に来て最初の日に、大きな猿と犬を見たの。昨日も猿を見かけて……ねえ、噂怪って一体何なの? この町は一体、何?」


「知りたいの? 多分教えないのは、貴女を人の世界に踏みとどまらせたい譚檎の優しさよ」


「……でもあなたは、最初から言うつもりでしょ? じゃなきゃボクを引き止めた理由が分からないもの」


「あら、私はただ一緒にお茶を飲みたかっただけ――いいわ、貴女を深みに嵌めてあげる。でもまずは、この町の成り立ちから教えないといけないわね。神通町って名前をバラして、単体の漢字として意味を考えながら読む事は出来るかしら?」


林檎は、今度は自分からソファに腰かけた。

知らなくてはいけないのだ、例え油断ならない相手の言葉でも、譚檎の言うとおり何かを選択するために。


「……多分、神の通る町、かな」


「正解は神の通『り』道、ね。昔は何もない荒れ果てた大地だったけれど、神がここを通り道と決めた瞬間から大地に命が宿り、生命が溢れ、ここは活力に満ちた場所となった。これが神通町に伝わる町誕生のお話。いわゆる人間向けの、歴史本に書いてあるような事よ……でもこれには、少しだけ続きがあるの」


アメリシスはふと、窓の外を眺めた。四階の窓からは青い空と山々が見え、校舎の近くに植えられた木の枝では、小鳥が歌うようにさえずっている。


「この場所の事を気に入ったのか、それとも疲れたのか。ある一匹の『何か』がこの土地に止まった。そして深い眠りについた……つまり神通町は、得体の知れない『何か』の眠る土地の上にあるのよ。肥沃な大地と生命の溢れる場所なのは、神の通り道としての恩恵といったところ……だけど眠る『何か』からの影響は、妖怪からしたら悪いものしかなかった」


いつしか小鳥は姿を消し、部屋には木の葉のざわめきが響くのみになった。時おり吹く強い風が鳴き声をあげ、それらが不吉な音色のように林檎の心を締め付けていく。


「この町から、出られなくなるとか?」


「それもあるわ。でも一番の問題は……噂怪に成ってしまう事。自分という存在を貶められ、辱められ、意思を奪われる。それは生き物にとって、とても怖い事」


「でも、鈴から聞いたよ。皆は願いを叶えてもらいたいからこの町に来るんだって。『何か』……つまり【神通主】は凄い力を持ってるから、それを利用しようとしているんだって」


だがアメリシスは、林檎の言葉に首を振った。ティーカップを持つと紅茶を美味しそうに飲んで、ゆっくり息を吐く。


「願いを叶えてもらっても町から出られないのよ? それなら外で好き勝手やっていたほうが妖怪らしいと思わない? ……私はね、多分皆独りが淋しかったと思うのよ。だからこの街に集まって、自分をより強い力で包んでくれるその『何か』を求めるの。妖怪としての誇りと驕りなんて、孤独に比べたら取って足らないものだから……」


「……あなたも、そうなの?」


「私? ――そうね、私も独りが嫌だったのかもしれない。だからこの町に来て、存在を変えられてもこうやって居続けているのかもしれないわ。闇から抜け出した今は、闇に還るのが怖くなってしまっているから」


アメリシスの表情は長い銀髪に隠れ、どんな表情をしているのか林檎には分からなかった。




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