酒の肴は、ひと時の夢
降り注ぐ日差しと飛び交う観衆の罵声、ヤジ。今朝の静寂は?肌を撫でる冷たい風はどこへやら。
王都の一角にある、とある馬屋は賑わっていた。直径60メートル程の円状に柵で覆われた場所。普段ならば、赤茶けた土を蹴り上げながら元気に駆け回る馬達の姿を眺めることが出来るはずの場所だ。今はソフィアと隣にベルジャン種の茶色い馬にまたがった精霊騎士、そして向かい合う様に反対側には同種の馬にまたがる黒い鎧の騎士と隣に従者。向かい合う二人の騎士の間には進行方向に沿う様に立てられた接触防止の柵。
なぜこのような場所にソフィアは立っているのか。
それを説明するには、話を数時間前に遡らせる必要がある…。
ソフィアは、リアナに連れられる形で王都を回った。それこそ、何をするでもなく、ただひたすら…。
不満の一つでも漏らそうかとソフィアは考えたが、出かける前にリアナが言った『騎士の仕事』という言葉が頭に残っていたので思いとどまった。これも騎士の大事な仕事のはずだからだ。
日は高く昇り、生活に追われる人々に容赦なく日差しを叩きつけた。ソフィアの額や背中に汗がにじむ。足音を響かせる石造りの道は照りつける日差しを反射する。暑い…。ソフィアはずっと、その言葉を頭の中で反響させた。
唐突に広場の方が騒がしくなっていることに気付く、一人の騎士を囲むように人が群がっていた。
その騎士は言った。
「俺はアレシュ・ゴンドル。俺に挑みたい奴はいるか?」
黒い鎧を身に付けた、屈強な騎士。その隣には従者のような華奢な男。アレシュは一言も『騎士』とは言っていないが、高そうな鎧を身に纏い、従者らしき男がいるのだ、どう考えても騎士だろう。と、ソフィアは勝手に思うことにした。というか、此処にいる誰しもがそう思ったであろう。
「報酬はいただけるのかしら?」
その言葉を聞いた時、ソフィアの心臓は小さく跳ねた。声の主はリアナだったからだ。
「もちろんだ、敗者の所持品はすべて勝者の物になる」
「なら、その勝負、わたくしがお受けいたしますわ」
まさに即答だった。おそらくは騎士だろう屈強な男に女が挑戦したのだ。同時に人々は沸いた、酒を振り回し叫び、賭けだのなんだの騒ぎ立てる。唖然とするソフィアはその場で動けず、周囲から飛び散る蜜酒を頭から浴び、その甘い匂いと騒々しさに気分が悪くなるのを感じた。
「ただ単に勝負をするのでは楽しくありませんし…、ここで一杯、どうかしら?」
リアナは騒ぐ野次馬から酒を渡され、嬉しげにアレシュを見れば、挑発的な言葉と視線を送る。そして、手に持った木製の酒器を傾け、中の蜜酒を一気に飲み干した。甘ったるい酒は暑さで温くなっており、リアナの喉が動くたびに、とろりと胃の中へ流し込まれるのが分かった。ゲップが漏れそうになるのを堪えて空気を飲み込めば酒器を逆さにして、屈強な騎士を見やる。
「へへ…、おもしれェ」なんてバカな男だろう、わざわざ付き合う必要もないのに…。二人は数回、酒器を空にした。ソフィアは目の前で起こる、理解不能な状況に圧倒される。そして、広場に満ちた熱気と浴びせられた酒の匂いに再び強い吐き気と頭痛の波が押し寄せ、自分が酔っていることを気付かされた。
リアナとアレシュは全身を鎧で包み、盾を抱える。馬も用意し、ソフィアは自身の身長の倍はあろう長い槍(刃はなく、丸い鉄塊が付いている殺傷力の低い競技用の槍)を持たされている。木製の槍の中は空洞で、普通の槍よりやや軽いが、それでもこの長さなので重い。
騎士二人で、あれだけ騒ぎ立てたのだ、集客効果はおおいにあった。馬屋は馬ではなく、野次馬で満たされることになった。
人々は娯楽を求め、群がる。ひと時の夢。周囲はハニーワインの香りに満たされ、四人の道化を包みこむ。賭けて、酒を買い。後で借金に泣くことになるのだろうが、楽しむ。今、彼らの世界の中心にいるのは間違いなく、その道化の四人だった。
リアナとアレシュは、兜の細い隙間からにらみ合う。馬は呻き、鼻息を荒げて足をせわしなく動かす。リアナは吐息が兜から漏れ出すのを感じる。鼓動が速まり、身に纏った鉄の塊は、日差しを受けて光り輝くいている。酒のせいか暑さのせいか、黒騎士の姿が揺らいで見えたが、それは相手も同じだろう。
「槍をここへ」
リアナの声からは、恐怖の色は感じない。ソフィアは兜に隠れたリアナが楽しげに笑っているのがわかった。