イマジン、異邦人の戦争大臣
我らの緒戦の勝利を祝して! 乾杯!
まあ、例のごとく完勝というわけには行かなかったがな、ガハハハ。
む、これはこれは。フィリップ公家のグラス殿ではないか。祝宴にまで参加して頂き、光栄の極み。
うむ。いかにも私が"血まみれ将軍"のマティスだ。
ハハハ、この渾名を自称しているのは意外だったかね?
まあ、確かにこの渾名が付けられた経緯は私を褒め称える類のものではないが――自分ではなかなか気に入っていてな。"血まみれのマティス"だぞ、なかなか強そうで、格好いいではないか!
大した実力もないのでな。こういったところで少しでも虚勢を張っておかなければ相手を油断させてしまうのだよ。
いやいや、謙遜なのではない。現に、今回の戦いでも"戦争大臣"殿に倍の兵力を用意して貰いながら、完勝などとは程遠い勝利だった。
"戦争大臣"殿には随分嫌味を言われたよ、ハハハ。まあ、いつものことだが。
『2倍の兵力を用意したのは、2倍の死傷率を許可したという意味ではないんだがな……』などと……いやあ、耳が痛い。
なに? いやいや、それは誤解だ。"戦争大臣"殿が私のことをどう思っているかまでは関知できないが、少なくとも私に関しては"戦争大臣"殿を嫌っているということなど一切ない。
むしろ、尊敬していると言っていいだろう。そもそも、倍の兵力を擁していながら8000人も死傷者を出しているのだ。必死の思いで兵力を掻き集めている"戦争大臣"殿にとっては間違いなく頭痛の種が増えたのは間違いないのだからな。実際のところ、今回の勝利の立役者は彼であることは間違いない。私はただ、たまたま一番前で突っ立っていただけだ。
『あなたほどの名将がそこまで言われる戦争大臣殿とはいったい……?』 いやいや、本当に私は名将などではない。これは本気で言っている。先ほど今回の勝利の立役者はといったが、実際のところ先の勝利から、この公国が滅びる寸前の土俵際の一番であった、あの『オルナンの戦い』に至るまで、勝利をお膳立てしていたのは彼だった。
当時のことを聞きたい? ……うむ、少し長くなるぞ。
その当時、我々は単なるどこにでもある公国の家臣団に過ぎなかった。
どこにでもある、と言うのは間違いであったかな。なにせ領土の多くを奪われ、滅亡寸前である公国などめったにあるものではなかろう。
領土の喪失に伴い影響圏にあった家の多くは既にほとんど力を失っているか、離反し我々に剣を向けるかのどちらかとなっていた。
今や、我々公国に残されていたのは小さい小さい直轄地に過ぎなかった。
ここに、破竹の勢いで我々を追い散らしていたケージ家の軍勢が迫っている。ほとんど絶望的な状況だった。
そんな中現れたのが、"戦争大臣"殿だった。
彼を我らが王は――もっとも、当時は継承権さえなかったから、公爵だったのだが――"戦争大臣"殿を見出したことで、戦況は一変したのだ。
まず、崩壊寸前であった軍隊を軍制の改革によって部分的に立て直した。当時、戦力の中核であった騎士階級は消耗、あるいは離反によって骨抜きにされていた。
これを平民による歩兵中心の軍制に改めたのが彼だった。その威力は知っておろう。今や、ほとんどの軍隊において戦争の主役は騎士から歩兵に移ったが、そうしたアイデアに最初に着手したのが彼なのだ。
なに? 『キュービリック家の反乱』のような事態はなかったのかと?
なるほど、よく勉強している。流石フィリップ公家の倅殿であるな。
無論、反発はあった、あったのだが……物理的な限界があったのだ。そもそも、それに反発するような騎士階級はほとんど残っていない。加えて、なおも残っていた忠誠心に優れた名誉ある彼らは事態が急を争うことを理解していた。
"戦争大臣"殿は彼らを一人一人理知的、かつ熱心に説得していった。人によって態度は異なったものの、最終的には全員の合意が得られた。
とはいえ、それでもなお現実的に兵力が足りない。"戦争大臣"殿は驚くべき知識を齎し、いくつかの戦力の質の向上に貢献したものの、その程度で埋まるようなものではなかった。
彼が次にやったことは、足繁く農村へと通うことだ。今まで、我々のような特権階級が考えもつかなかったことだ。
彼は頻繁に声をかけ、熱心に説得し、無数にある村々の有力者と友誼をかわした。
そしてこの公国がどれだけ絶望的な状況に陥っているかを説明した。現に、少しずつ抵抗の度合いを増していたものの、領土は今もなお削られ続けていたのだ。
『公国に住む人間は皆兄弟である』
はっきり言って、当時そんな言葉が明日の食事の確保で手一杯な農村の人々に届くわけがないと私は思っていた。
実際、こうした試みが本当に実を結んだ――つまり、彼が当初より想定していた遠大な考え――に至ったのは『オルナンの戦い』の遥か先であった。
とはいえ、この時点においても貴重な兵力拡大に繋がった。
各地を支配していた代官を通してでなく直接自分で訪れて監査し、そしてまるでそこの土地の王のように振舞っていた代官の影響力を排除しはじめた。その空白を現地の有力者が担うことになった。
こういった手法を持って徴募の効率を段違いに向上させたのだ。
結論から言えば、こうした地道な努力が『オルナンの戦い』における勝利につながったのだ。
少しずつ領土が削られ、ジリ貧かと悲観していた我々に信じられない数の兵力が降って湧いたのだ。
あとは、グラス殿であればよく知っているであろう。いくつかの抵抗のもと侵攻速度は遅れていたものの――無論、これも"戦争大臣"殿の策だ――快進撃を続けていたケージ公は、満足に敵情偵察も行わないまま我が軍との決戦に応じたのだ。
とはいえ、現在あの戦いを評して言われるほどケージ公が油断していたわけではないことは補足しておきたい。
偵察に主に用いられる軽騎兵は泥濘によって大幅に機動力を失っていた。加えて、それまでの我々の抵抗において軽騎兵を優先的に狙っており、威力偵察を行えるだけの兵力を揃えるには少々時間を要した――と私は見ている。
ただでさえやや遅れ気味のとき、主力があと一歩で滅ぶ、という相手の軍勢との決戦を避ける決断を下すのはなかなか難しいだろう。
結果は御存知の通り――滅亡寸前だったはずの軍勢は実際には2倍の兵力を擁しており、念入りに側面に伏せていた予備の突撃によってケージ公は戦死。あとは余勢を駆ってその春に奪われた領土のほとんどを取り返した、というわけだ。
いやはや、本当に長くなってしまったな。
これだけでも、"戦争大臣"殿がこの公国を救った大英雄であることは疑いないだろう。
なに、彼の出自? もちろん、シニャク周辺でももっとも古い家の一つで知られる――なに? その話は断絶寸前のクレー家を抱き込んで作られたことぐらいは知っていると?
いやいや、グラス殿。それは誤解だ。社交界で山ほど流されている根も葉もないゴシップだ。
彼は名誉ある家の出身であり、勇気と知恵を兼ね揃えた大英雄だ。私が保証しよう。
これはこれは。
グラス殿。長らく会っていなかったな。5年ぶりになるかな。義姉は健康息災かな?
そうか。兄上も息災か。
……なに? 兄上がそんなことを言っていただと? 嘘をつけ。どうせ行き遅れだのなんだの言っているんだろう。
"シニャクの歩く帳簿"だと? 待て待て、そんな風にそちらで私は呼ばれているのか?
今や、スーラ主計長はシトレー全土で有名だと? そんなわけはない。どうせ、兄上に冗談のつもりで吹き込まれたのだろう。兄上は昔から悪戯が大好きだったからな。
実際、主計長がどんな仕事をしているのかというと……地味な仕事だ。騎士時代の派手さとは無縁の、な。
だがまあ、重要な仕事だと理解はしているし、誇りにも思っているよ。それに、シニャク公の家臣の皆はよい人間ばかりだ。父上母上と離れて久しい今、第二の家族とも思っているよ。
ああ、そういえばグラス殿には畏まって話したことはなかったか。
実際のところシニャク公の家臣として働くようになったきっかけは――正直言って少し恥ずかしいところがあってな。あまり自分から話すことはなかったかもし知れん。
……そうだ、よく知っているじゃないか。そう、私がここで仕えるようになったきっかけは捕虜にされたことでな……
思い返すと、私は無能な女騎士だったのだろうなあ。
私が捕虜にされたとき、まだ"戦争大臣"殿は現れていなかった。
当時私はケージ公側についていたのは承知だろう。当時は全土で連戦連勝、少しでも負けている場所を探すほうが難しかった――はずなのだが、恥ずかしいことに若かった私は突出しすぎ、捕虜となってしまった。
虜囚の身になったとき、今後の身の振り方をいろいろ考えていたものだよ。とはいえ、全土で勝利を重ねていたのは把握していたし、敵は虫の息だと思っていたから随分楽観的だった。
つまりまあ、一時的に捕虜になったとはいえそう遠くないうちに戦争は終わり、解放される……などと思っていたのだ。
その後、私のところを"戦争大臣"殿が訪れ、登用の打診をされた時は驚いた。
ケージ公が戦死したどころか、全土において巻き返し――既に領土を全て奪われていた我が家は爵位の譲渡と、以後継承権を主張しないという条件で私を解放する運びになった、と。
驚いたなんてものじゃない。
まずそんなものは大嘘だと思い、彼に食って掛かり、この詐欺師だのなんだのえらく罵った。今思うとまったく恥ずべき、騎士にあるまじき言動だった。
が、その上私を登用しようというのだから驚いた。
その時は秘められた才能が見抜かれたのか、などと驚いたものだが……ああ恥ずかしい。そもそも彼にそうした手腕を見せる機会はなかったし、単に取り返した領土の管理をする上で人材の空白が生まれていたというだけなのだろう。
……実際、後で彼に尋ねてみたら、字が書けて計算ができればそれでいい、必要な部分は教えるつもりだったなどと言われ、少しヘコんだ。
話が逸れたな。
まあ、実際私の今後の身の振り方はほとんど宙に浮いていたわけで、もちろん君の家の預かりになった父母のところに向かうという手もあったのだが、迷った末に登用を受けた。
以後、"戦争大臣"殿の手腕をすぐ近くで見る僥倖に巡り会えたわけだ。
さて、そういった立場の私が古参のような扱いで家臣団にいるのは正直座りが悪かったりもするのだが……当時といえば本当に人材が不足していた。
というわけで、この立場に付けられて少しした頃には――なぜか外様の私がシニャク公の財布を握ることになっていた、というわけだ。
私が登用された直後の課題は明白だ。主力を打ち破り講和に結びつけたものの当時のシトレー王家からの支援には限界があり、パブロ王を支持する諸侯が再び疲弊したこの国を狙うのは明白だった。
つまり、それまでの猶予期間の間に経済を立て直す――はっきり言えば、無理難題である。
が、"戦争大臣"殿はそれをやってのけた。それも、短期的なものではなく長期的なものまで見据えて、だ。
彼が農村にもたらした技術はやや曖昧なところはあったものの、極めて有用であり、ものによってはすぐに機能した。
幸運とは言いがたいが、大幅に荒れ果てた領地や、影響下でありながら利害関係を抱える味方の諸侯が一掃された状況であったため、そうした大掛かりな改革も比較的スムーズに進んだ。
中でも、最も大掛かりであり、そして現在強力に機能し、我が国に今なお大きなアドバンテージを齎しているのが――農地の公家による集約的な利用だ。
彼が導入した技術のうち非常によく広まった四輪作についてはグラス殿もよくご存知だと思う。実際、あの技術を単独で踏み切った諸国においてもよく機能しているようだ。
だが、結局のところあれは彼の農地改革全体における一つの部品でしかない。それは、農地と労働者の効率的活用ということだ。
つまり、休耕地をなくしほぼ通年生産できる四輪作と、放牧地として利用されていた休耕地を公国で管理し、加えてそのまま農業従事者を公国がほとんど直接雇うという仕組みは、まあ言ってみれば車の両輪だろう。
これにより、農業生産は爆発的に増加した。
なにせ、今まで半年間、家畜が草を食むのにしか使われていなかった土地が全て畑に化けるのだ。戦争で大部分を取り返したとはいえ、周辺諸侯にそっぽを向かれほとんど直轄地のみで全てを賄わなければいけない私達にとってこれは大幅なアドバンテージであった。
食料生産の増加がもたらすのは、人口の増加だ。
人口は国力に繋がる。そしてそれは軍事力の基盤となる。"戦争大臣"殿は積極的に周辺から住民の流入が起こるように仕向けた。
当然、流入元はいい顔をしないだろうし、ヨソ者が入ってくれば軋轢を産む。突然の人口の急増は思わぬ問題をもたらす。可能であれば、人口の自然増による緩やかな増加が理想的だ。
だが、戦争は待ってくれない。何よりも兵力の基盤を揃える必要があった。
そして、私達の予想通り戦争の火蓋は切られた。
予想外だったのは、パブロ王は私達の周辺諸侯を通した間接的な支配ではなく――直接的な支配。すなわち大軍を駆って我々の目前に迫ったという点だ。
シトレー王家からの支援はほぼなく、周辺諸侯はよくて日和の中立、悪くて――多くがそうだったが――パブロ王派として従軍していた。
まあ、とはいえ結論はよく知っているだろう。マティス殿であればおそらく熱を入れて戦争の経緯を話、ドラマチックに仕立てあげるのだろうが私はそんな器用ではない。
結果は辛勝といったところかな。私の立場から言うとそんなところだ。決戦自体は部分的とはいえ敵よりも大兵力を擁し、撤退も許さず壊滅させ、以後のパブロ王の野心をへし折ったと評されているが……台所事情を預かる身としてはあまりにも厳しい戦いであったと言わざるを得ない。
財政はほとんど破綻寸前まで切り詰めた。
当時集約化を進め、農業従事者の一部を労働力として転用が可能だったものの、それだけでは絶望的に足らず一部直轄農地で雇っている農民も動員した。当然、収量は低下した。
敵戦力の分散のために行った部分的な焦土作戦はあまりにも苛烈だった。あのあたりの一部は今なお再興されていない。
勝利はしたものの、なお一層荒廃は深刻化したと言うのが正直な感想だ。
勝因? それは単純に大量に兵力を掻き集めたからだ。もちろん、マティス殿の手腕もあるが。
あれだけの大兵力を一公国が揃えられた理由に関してはいろいろな憶測が飛び交っており、農地改革がその主要因と結論づけられているようだが――実際はそう簡単ではない。
もちろん、これはあくまでこれは私の考えだ。とはいえ、食料生産の増加は既に当時目に見えていたがだからといってすぐさま人口の爆発的な増加につながるわけではないではない。もちろん背景にはなったが。
私が主要な要因と考えているのは、それまで"戦争大臣"殿が積み上げてきた村々での活動による変化だ。
彼が代官の権力を奪い、直属の有力者を利用した話はご存知か? ……なるほど、先ほどマティス殿にお聞きしたと。では説明は不要だな。
その仕組みを持って活用した一つが効率的な徴募のシステム。もともとその地元の有力者であるから、よく周辺のことは把握している。すなわち、健康な青年男性の所在をよく知っていたというわけだ。加えて、徴募のノルマを課して催促することでかき集めさせた。
もう一つは――こちらは正直、否定されることもあるのだが――ただ、"戦争大臣"殿にその点で尋ねてみた際に驚かれたことが印象的でな。『そこに着想が行くとは、お前本当にあのポンコツ女騎士スーラか?』なんて――コホン。話が逸れた。
彼がやったのは、郷土への愛と公国への愛のすり替えだ。一人一人に自分を公国の構成員の一人だと自覚させた。当時のシニャク公国が危機に瀕していることは村々でもよく知られていた。そうした事態をもって「自分の故郷を守る」「自分の土地、家、友人、家族を守る」という一般的に誰にでも備わっている感性を、「シニャク公国を守る」ということとすり替えた。先の『オルナンの戦い』での勝利の熱狂の中で、それを刷り込もうとしたわけだ。
そしてそれは成功し――今なお根付いている。こうした意識の違いが徴募の効率と士気の高さ――口当たりのいい言葉に言い換えてはいけないか。我が国の軍隊に特筆される、敵味方の死傷率を跳ね上げる一因となっていると思う。
なに、そんな我が国への悪口を気にすることはない?
違う。これは私達が認めなければいけないものだ。旧来の戦争における死傷率は低かった。士気の低い兵士は敗色濃厚ともなればすぐに逃げ出すし、指揮官も勝負がついた時点で勝利にせよ敗北にせよすぐ合意に至った。
我が国は違う。
不利な戦線でも死ぬまで踏み留まり、そして優勢ならば撤退を許さず踏み潰しに行く。
なぜならば、我々の優位は瞬間的なものにすぎないと自覚しており、その一瞬の優位の瞬間に戦果を拡大しかねればいけないからだ。敵味方の血をもって。
……ああいや、そうではない。"戦争大臣"殿が悪いというわけではない。彼は間違いなく救国の英雄だ。私は少しでも彼の助けになりたいと心から思っているよ。もし罪を背負うとしたら、それは我々家臣団全員のものだ。
なに、彼のことをどう思ってるかって? 深い意味はないさ。主計長として、支え続けたいと思っている。それだけだ。
彼が妻を亡くしたことにはもちろん今もなお心が痛む。彼女とは友人でもあったからな。
ええ、ええ。確かにそうですね、こちらの地で長いこと勤めさせて頂いております。グエルチーノ教会のラ・トゥールと申します。
赴任してきたのも随分前ですから……ええ、もちろん"戦争大臣"殿とも懇意にしてもらっていますよ。私の赴任は彼が着任した1年後で、それ以来の付き合いですから……随分と長い付き合いになったものです。
確かに私のような立場の者がこれだけこちらに居続けているのは例外的かも知れません。が、まあそれはこの公国の立場の変化があまりにも激しかったものですから、教会も後任を見つけるのに随分手間取っているのでしょうなあ。
非常に微妙な立場のこの地域での人事について周囲が注視しているのは明らかですから、ちょっとした変化によって邪推されるというのを避けたかったのでしょう。
とはいえ、そうしたことに私は助けられている面もありますね。この土地に長らくいることから愛着も湧いてきていますし、シニャク家の皆様には大変よくしてもらっていますから、非常に居心地がよいものです。
はっ、いやいや。それは誤解ですよグラス殿。確かにキャメロン教皇とはやや立場を異にするものの、同じ神の元で同様の理想郷を目指しています。
たまたま、一時的に双方の理解が異なっていただけで――そうですね、例えるのであれば我々の進行方向を池が妨げていたとして、私は右回りを選んだ、単にそれだけの話です。
はあ、まあ確かにそういったこともあるかも知れませんが……私にはそうした政治的なことはさっぱり。勉強不足でして……いえいえ惚けているなんてとんでもない。
"戦争大臣"殿ですか。もちろん、彼はよき信仰者で……ああ、なるほど。私が赴任した頃の"戦争大臣"殿の話を聞きたいと。グラス殿は勉強熱心ですな。いいでしょう、私が知る限りのことであれば。
私が赴任した当時、この国は大きな決断を迫られていました。
当時のシトレー王家は、英雄的な活躍により敵を追い払ったこのシニャク公国に対して、名誉を授けるどころか、領土返上の要求を突きつけていました。
私の仕事は、まあグラス殿に隠しても仕方ないでしょう。教会は大きく勢力が入れ替わったこの土地における諸侯の動向を強く注視していました。そうした経緯の中、教会が正しい行いを引き続き行使するために本教会から私が派遣されたのです。
現在においては明確に本教会は当時のシニャク公――現シトレー王の継承権を認め、支持しておりますが、それまでに一部混乱、紆余曲折がありました。無論、これは我々の落ち度です。そうした混乱を解消し、正義を行使するためには何よりも現地からの情報が必要でした。
歴史の話はグラス殿のほうがお詳しいでしょうから――当時の状況を簡潔に説明させて頂くと、前シトレー王家と本教会はいくつかの利害について対立しておりました。
それを不服とした前シトレー王は――全くもって神を愚弄する暴挙です――我々の正当な権威をもって就任した教皇を認めず、勝手に指名した教皇を選びました。無論、何の正当性もありません。
シニャク公――現シトレー王は、そうした混乱を正すべく立ち上がりました。
こうした経緯はグラス殿であればご存知でしょう。ただ、私はたまたま現地に立ち会っていたために――この件について大きく後押ししたのが"戦争大臣"殿であるということを存じ上げております。
正義の為に立ち上がったシトレー王の正当性にいささかの揺らぎもないのは論を待ちませんが、血縁的に遠縁であったことは事実です。ですから、平和を愛するシトレー王は王位について関わる考えを当初持っていませんでした。
それに異を唱えたのが"戦争大臣"殿です。そうですね、パワーバランスの問題もあるでしょう。なにせ、不当な要求に対して応えなかったシニャク公国は、前シトレー王と緊張関係を高めていましたから。
まず戦争は避けられない。そうした状況の中で潜在的な反前シトレー王の派閥をまとめあげる錦の旗として本教会の提案に応えた。そういった部分があることを無視はできません。が、それでもなお尊ばれるべき行いでしょう。
彼について――教会内でも意見が分かれることは存じています。彼は戦争を激化させ死傷率を跳ね上げた悪魔だ、単なる地方における小競り合いを、シトレー国全土に広げた死神だ、などと言った悪評は私も聞いたことがあります。
ですが――彼は家臣として忠実に仕事を全うしたのみです。そこに責められる余地などあるでしょうか。
ただ、気になるところがあるとすれば――彼のあらゆる功績が、戦争――人の死に繋がっているように思えてしまうことです。
私が赴任した当時から比べて農地の効率は大きく向上し、病気で命を落とす人は大幅に減り、神のもとでおあらゆる民族の人を受け入れるようになりました。
しかし、それで向上するはずの人口は全て戦争に注ぎ込まれました。あまりにも多くの流血によって小規模な反乱の予兆さえ見せ始めています。
この国が滅びる瀬戸際を繰り返していたことは、私もよく実感しております。戦争は悲劇ですが、この国は身勝手な侵略者ではなく、責任の多くは敵国にありました。この国の家臣は、あらゆる犠牲を払ってでもこの国を守り通す義務を背負っていました。
それでも、それでもです。
一万人の人間の死と釣り合うものなど一体あるのだろうか、と。
神でさえそれは――いえ、なんでもありません。失言でした。
そんな畏まる必要はない。私が恐縮してしまうよ。
いやいや、フィリップ家といえばシニャク家などよりも遥か格上!
まさか貴殿にそんな畏まられる日が来るとは思ってもいなかったよ。
実際のところ私は、"無能公"と呼ばれていた頃と何も変わっておらん。この国がなんとかこうしてやっていけているのは有能な家臣のおかげだ。
もちろんもちろん、かの"戦争大臣"殿には何度礼を言っても返せないほどの恩を受けている。ワシなんかよりよほど彼の方が王に向いている!
いいアイデアだ。だがそれは実は私も思いついていてな、それを彼に提案した時なんと言ったと思う?
『おっさん、無能公から公まで手放して単なる無能になるつもりか?』とな!
いやあ、あまりにも正鵠を得ていて膝を打ったものだよ。
仮にも家臣がそんな口を叩くとは信じられない?
いやいや、我々はもはや家族のようなものだ。
それにしても限度がある、か。いやもちろん、彼が辛辣なだけの男であれば認めないだろう。だが、彼が心の底から善良であるからこそ、私は受け入れるのだ。少しばかり口が悪いかね。
なに、信じられない?
いやいや、彼は間違いなく優しい男だよ。
マティス将軍に対しても戦いのたびになかなか辛辣なことを言っているが、実際のところそれは信頼関係あってのものだ。
"戦争大臣"殿が今なおマティス将軍を重用し続けるのも、結局のところマティス将軍は"戦争大臣"殿の考えをよく理解している。そうだ、今や我々に臣従を宣言した諸侯の中にはよく知られた名将がいるにも関わらず、彼を起用し続けるのは――まさしく、マティス将軍がこの国の歴史に残る名将であるからだ。
数千ならば華麗に操る者がいる。数万であっても器用に動かすものがいるだろう。
だが、それだけの大兵力に対し死ねと言えるのは全土を探しても彼だけなのだ。
……無論、マティス将軍や"戦争大臣"殿が冷血漢というわけでない。我が国の状況の悪さが騎士道を許さなかったのだ。最も冷血漢なのはおそらく私だろう。彼らに手を汚させながら、平然と玉座でふんぞり返っている。
彼について優しいと評したことが意外かね?
いやいや、彼は口は悪いが、愛に満ちた男だ。もし彼が有能なだけの男なら正直なところ――ここまで共に歩むことはなかった。"無能公"の数少ないの美点は、彼の優しさを見出せたことだ! これは大いに自慢している。
だが、後悔することもある。
私は無能ゆえに、彼を戦争のために働かせなければいけなかった。もし、彼が滅亡の瀬戸際の国の戦争大臣などでなければ、どれだけ誇るべき功績を残せただろう。
彼は手腕の全てをもって勝利を得ている。この点に関して不満などない。だが、あまりにも状況が厳しい。彼の手腕をもってしてもその手を緩めることはできず、全力を注ぐしかなかった。夥しい流血に。
今や、我が国全土は戦争の部品となっている。あらゆる土地の民が血を流している。
消耗は極限まで達している。おそらく私と彼自身しかまだ気付いていないが――彼が行った改革でさえあまりの消耗の大きさに後退し始めている。相手が倒れるか、我々が先に倒れるか。
もちろん、彼の有能さは現状の泥沼もしっかり見通していたように思う。
事実、和睦を考えている旨相談を受けたこともあった。
間違いなく、どこかにこの終わりなき戦争から抜け出す分水嶺はあっただろう。だが……運が悪かった。彼の優しさが仇となった。
彼は口が悪いが、気を遣う男だ。気を遣い過ぎたのだ。
マティス将軍の弟が戦死した戦争で。スーラ主計長の父母が敵の策略によって惨殺された戦争で。そして、私の捕虜となった息子が――見せしめに処刑された戦争において、彼は我々に和睦の提案など持ちかけることは出来なかった。なにせ、彼の手腕であれば勝利を得ることが出来るのだ。勝利を放棄し和睦しようなどとは言いづらかったのだろう。
実際のところ、私達はそうした悲劇も割り切ることが出来ただろう。そりゃあ、大いに悲しんだがね、彼と違い、私達は戦乱の世の中に生きてきた。近親者の死でさえも納得するよう教育を受けてきた。
もし、彼の口から講和の提案があれば、受け入れていただろう。
だがそれはなかった。そして、私から提案することもなかった。まったく無能だ。
ああそうだ。もしかしたら最後の分水嶺が今なのかもしれない。だがね、卑劣にも彼の家に暗殺者を送り、妻と子供を惨殺した相手との講和の提案など持ちかけられん。
……いや、それでもそれを断行するのが、王としての、あるいは"無能公"としての役目なのかもしれん。
が、私は彼に随分助けられた。はっきり言ってしまえば――王としては失格なのだが、彼と共に地獄に落ちることに何ら抵抗はないのだ。そして、これは家臣全員の一致した考えだろう。
必要であればこの国もろとも地獄に落とそう。……王としては失格の考えだろうな、これは。
む、グラス殿失礼。なんだね、急報とは。
……そうか。局面が動いたか。では"戦争大臣"殿を呼ばねばならんな。
次の戦争の支度をせねばならん。
もし読者の皆様に異世界で辣腕を振るう機会がありましたら、平和への尽力をお願いしたいです。