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45話 黒髪になった私

「白の癒やし手」本編ですら語られなかった、黒髪の過去話です。

数話続きます。

 ここは……どこ?

 頭がくらくらします。殴られたかのように。

 私、熱に浮かされる黒髪の魂を喰らったのです。奴の苦しみを喰らうために。

 そうしたら、奴の水色の魂の光がうわっと覆いかぶさってきて――

 目の前にいきなり、どこかの街の情景が広がってきたのです。

 隙間なくごちゃごちゃ建ち並ぶ、背の低い木製の家々。屋根は、雪でまっ白。

 ここは黒髪の魂の中、のようです。つまりこの幻像は、奴の記憶なのでしょう。

 

「このやろう!」


 いきなりの怒鳴り声。う? い、痛い……?

 この痛覚は一体? 私、自分の体があるのですか?

 私の腕を乱暴に掴んでぐいぐい引っ張るのは……すごく横幅の広い……人間の男。

 あの、ここはなんという街ですか? とても寒いですね。雪が積もっているんですね。

 あれ? 私、服着てないみたいですね。小さな手足はむき出し。お腹も背中も、お尻も、その前もすっぽんぽんって、これは寒いに決まってますね。

 きゃ! いきなり、腕を掴んでた奴に投げ出されちゃいました。

 

「うちの食い物を盗み食いしやがって! プジの分際でなにしやがる!」

 

 プジ? 聞いたことがない単語。

 記憶に検索を――あれ? できない……? 

 う。ちょっと。

 痛いです。背中を踏まないで。雪、冷たいです。

 痛いです。お願い踏みつけないで。風、寒いです。


「それにな、きたねえ手でうちの子にさわるんじゃねえぞおら! おらぁ!」


 ちょっと、やめて。やめて下さい。息が出来……

 死んじゃう。これ、死んじゃ…

 

――「あんた、プジの血で家の前を汚さないでよ。体裁悪いったら」

 

 きつい声。声の主は、赤ん坊を抱いた女の人。扉のそばでこっちを見ています。

 

「ちっ。逃げるんじゃねえぞ!」


 ちょっと何するんですか。首に縄つけるなんて、私、犬じゃないですよ。

 男は私を家の門柱に繋ぐと、赤ん坊を抱いた女の人と一緒に、小さな家の中に入って行ってしまいました。

 困りました。私は何も着てないのでとても寒くて、おなかはぺこぺこ。そして最悪なことに、雪がこんこん降ってくる始末。

 家の中に入れてくれたらいいのに。これ、まじで凍死しそうです。

 窓から家の中が見えます。子供がごろごろ、大きいのから小さいのまでたくさんいます。みんな、おいしそうなスープ食べてるじゃないですか。いいなぁ。

 あれ? 子供のひとりが着てる服……見覚えがあるように感じるのはなぜでしょう。

 赤ん坊を抱いた女の人が、見覚えのある服を着た子をじろじろ見ています。


「あんた、これのどこが五歳児の服なのさ? どうみても三歳以下の服だろ」

「着れてるからいいだろうが。今は洋服買うより、プジのガキ一匹買う方が安いんだからよ」


 プジ。やはり何かの種族名なのでしょうか。

 私、ここのうちの子じゃないみたいです。見覚えのある気がするあの服。たぶん私が着てたのを身包み剥がして、中にいるあの子供に着せたみたいです。


「市場でよ、ごっつい太った婆が、銀貨五枚でいいからってあのプジを押し付けてきたのよ。もっと値切ればよかったな」

「ふん。その婆は、あれを買ったはいいものの、使えない代物だって解って売ることにしたんだろ。難癖つけて銀貨三枚でよかったよ。この服の値段で考えたらね」

「まぁ、明日の朝まで生きてたら、だれかに売り付けてくるわ」


 ちょっと待って下さい。それ、人身売買じゃないですか。

 やめてくださいよ、犯罪ですよ。それに、生きてたらって洒落にならないですよ。

 私、手足ありますよ? 見たところ完全に人間の幼児ですよ? 大体二、三歳ぐらい? 

 こんな扱いを受けるいわれは――


「このやろう! 窓に張り付くんじゃねえ!」


 ひ。窓越しに怒鳴ってこないで下さいよう。


「こっちを見るんじゃねえ!」




 う……。

 これが黒髪の記憶……。なんてひどい。

 しかし一体どういうことでしょう。以前のように、喰らった魂の記憶を客観的に見ることができません。私、完全に幼い黒髪自身になってしまっています。まるで黒髪の体に乗り移っているようで、あらゆる感覚をリアルに感じさせられています。

 マエストロが設定した新仕様のせいでしょうか。

 これはきついです。私、黒髪の「飢え」を食べ切れるでしょうか。

 これってまだまだ序の口ですよね。食べ応えがあるどころじゃなさそう。やめるなら、今のうちですけど……。

 ああでも。私、我が主の哀しい泣き顔は見たくないです。

 黒髪を楽にしてやらないと、我が主は不幸になるんです。

 あのかわいい笑顔のために。あのけなげな人の幸せのために。

 私はがんばってもう少し、黒髪の魂を喰らってみることにしました。

 悪夢となって奴を苛む、暗い過去の記憶を。

 




 黒髪である私は――雪が降りしきる中ずっと、小さな家の外に放り出されたままでした。

 赤子に毛が生えているぐらいの年齢らしい私には、首に結ばれた縄の結び目を解いて逃げることはできませんでした。

 夜の帳が下り。深々と雪が積もり。ようやく空が晴れると同時に朝が来たとき。

 私は奇跡的に何とか生きていて、家から出てきた男に蹴られて、意識が戻りました。体が凍り付いて少しも動きませんでした。男は、無理やり私を立たせました。

 やめて。引っぱらないで。歩けないです……。

 いろんな人がたくさん行き交う街の市場で、男は私を売ろうとしました。


「銀貨十五枚? 丸裸のプジの幼体が?」


 老若男女。お金持ちに貧乏人。みんな、男の足元で小さく丸まってる私を鼻で笑っていきました。  

 

「おい、何か芸でもしろ!」


 男はいらいらして、何度も蹴ってきました。痛い、のでしょう。でももう凍えすぎて。感覚が麻痺して。何も感じられませんでした。


「おい、何かしろったら!」


 そのとき。目の前を行き過ぎようとした二人の紳士が、ふと立ち止まりました。


「芸? 無理だろう。プジは、自分から何かをすることはできないんだから」 

「でも仕込めば、歌って踊れるぐらいはできるんじゃないかな」

「プジが踊り? はは、そんな高度な動きを真似るのは無理だろう。簡単な動作を繰り返すしかできないんだから。レバーを引くとか、ハンドルを回すとか」

「いやいや、きっとモノマネぐらいできますよ」


 キレイな革靴を履いている人たち。私の顔が見えるぐらいぴかぴかの靴。

 

「では、賭けてみるかね?」

「ええ。私が歌と踊りを仕込みますから」


 歌って踊れるんじゃないかと言った紳士が私を抱え上げて、男にじゃらっと銀貨を支払うと。隣の紳士は、あからさまに引いた顔をしました。

 

「おいおい、よくじかにさわれるなぁ」

「手袋してますしね。それに新しい外套を買いたいものですから。プジに汚されたとなれば、妻に睨まれることなしに、公然と秋冬コレクションの新作を買えるでしょう?」

「まったく。君ってやつは、本当に抜け目無いな」


 見上げれば。私を買ったその人は、まばゆい金髪の若くて見目良い紳士でした。

 私は馬車でその人のお屋敷に運ばれ。白衣を着た人達に渡され。熱いお湯の中に入れられました。とたんに体中が痛くなり、私はのた打ち回りました。悲鳴をあげて暴れました。

 体中凍傷でどこもかしこも紫。それで体を急激に暖められたものですから、激痛が体中を走ってたまりませんでした。

 紳士の命令で、白衣の人たちは私の全身に包帯を巻き、毛布で無造作にくるみました。


「手足を切断することにならないよう、こまめに世話してくれ。足がなくては、踊れないからね」

「はい先生(メディク)


 先生(メディク)。白衣の人たちがそう答えたということは、この紳士は医者なのでしょう。 この呼び方からすると、ここはエティア王国の領内のようです。

 白衣の人たちから、私はお肉の匂いのするスープを貰いました。


「いきなり食べると胃がびっくりする。徐々に固形物を食べさせるように」

「はい先生」


 温かいスープ。おいしい。おいしい。あったかい……。

 金髪の先生はにこにこしながら、犬のように這いつくばってスープをなめる私を眺めていました。


「今度スプーンの使い方を教えてやろう。覚えられるといいが」





 この金髪の医者――シクリード先生(メディク・シクリード)のもとで、私はみるみる回復しました。凍傷で黒ずんだ私の肌は日が経つに連れて、元通りの肌色に戻っていきました。


「おや、入力反映が早いな」


 私はスプーンを使ってごはんを食べることをすぐに覚えたので、先生はひどく喜んで私の頭を撫でてくれました。

 このお屋敷は、先生の家兼個人病院でした。時折開けられる扉から、白衣の人たちが廊下を行き交う姿が時々見えました。

 私は首輪をされ、部屋のまんなかにあるまっ白い寝台の柱に繋がれて、部屋の外には出れませんでした。私の居場所はもっぱら、寝台のそばに置かれた円いクッションのようなもの。私は夜でも寝台を使わずに、そこで小さく丸まって眠りました。たぶん、寝台の使い方を知らなかったからでしょう。

 用足しの箱はクッションのすぐそばにあり、一日に数回、白衣の人――看護師たちが中身をきれいにしてくれました。

 部屋の隅に風呂桶が据えられており、凍傷が治って包帯を取られたあとも、私は一日一回、看護師の手で湯の中に放り込まれました。

 プジというのは服を着てはいけないものなのか、私は何も着せられず、ただ毛布にくるまれるだけでした。

 

「まったく、先生は物好きなことをなさるものね」


 世話をしてくれる看護師達は、私の前で遠慮なく話しました。


「プジに踊りを教えるなんて」

「工場労働用の有機人形が、歌ったり踊ったりなんてできるの? あれってレバーを引くとかそんなことぐらいしかできないんじゃなかった?」

「先生が仰るには、猿でもできるんだから可能ですってよ」

「でもプジは、脳味噌の一部分がそっくりないんでしょ? ギヤマン瓶の中でぽこぽこ増やされるものだし。女学校時代に工場見学で見たけど、みんな同じ顔で気持ち悪かったわ。三ヶ月で大人になるんだっけ? これもそれぐらいで大きくなるの?」 

「ううん、瓶に入れて育てないと、人間と同じぐらい時間がかかるみたいよ」


 看護師たちのおかげで、私が人間扱いされない理由が解りました。

 私は「普及型(プジシング)工場労働用ゴンチャンラオドンヨン有機人形(ヨウジレンシン)」。通称プジ。いわゆる複製培養物(クローン)の幼体であるようです。すなわち機械人形(ロボット)と同じように人の手で作られる、大量生産品。

 うーん、見た目はごく普通の、人間の幼児のようなのですけどねえ……。

 証拠? と思われるものは、この手首についている烙印のようなものぐらい。 

 

「最近、これぐらいの小さなプジが、そこかしこで売られてるわよね」

「どこの工場も、作業員の鉄人形化を進めてるからでしょ。維持費がかかるプジを買う所は激減してるらしいわ。プジの製造所は軒並み製造中止を余儀なくされて、少しでも経費を取り戻そうと、あり余ったプジの幼体を二束三文で売りさばいてるんですって」

「その広告、見たことあるわ。子守とか小間使いに使うと便利って、ふざけた謳い文句だったわよ。せめて成体にしてから売ってほしいわよね。こんな小さいプジに子守は無理よ。買った人っているのかしら?」

「貧乏人の家庭は買うらしいわよ。それで全然使えないってわかって、すぐに捨てたり売ったりしちゃうんですって」


 ばかげてるわ、と看護師は眉を顰めました。


「魂のない人形が、どうやって子供の面倒を見られるの?」


 



 魂がない? まさか。この黒髪にはしっかりありますよ。

 召使たちがいわんとすることは、心がないように見える、ということだろうと私は思いました。めったに泣いたり笑ったりしない、ということ。

 黒髪は――私は、先生が部屋に入って来ますとニッコリしました。温かいスープを飲んだときも、喜びのため息をつきました。

 私はごく普通の反応をしただけなのに、周りの者はすべからく、先生ですらも、そんな私を見て、「真似するのがとても上手だ」といいました。

 先生や看護師たちは、おのれがにっこりしている様子を、目の前の私がただ模写しているだけだと思い込んでいるようでした。

 言葉。文字。歌。踊り。先生が教えることを私はすぐに覚えました。でも、手本通りにやりなさいと命じられるだけでしたので、先生は私が普通に独創性を持っていることに気づきませんでした。

 ある晩先生は私を拾った時一緒にいた友人を呼んで、鼻高々に私のお遊戯を彼に見せました。

 私は完璧に命じられた歌を歌い、踊りました。


 ひとめみれば そのこだとわかる

 みえないたましいが そのこだときづく 


「よくやった!」


 先生は大喜びで我が手を打ち叩きました。

 友人は鼻を鳴らして、金貨を一枚先生に渡しました。

 

「奥方が大変憤っているようじゃないか」


 友人は悔し紛れに捨てゼリフを残していきました。


「さっき愚痴られたぞ。君がプジに夢中で、子供たちのことをほっぽっていると」

「まさか。毎日一緒に子供と食事してますし、何時間も遊んでやってますよ」





 次の日の朝、私は先生が部屋に置いていった絵本を一日眺めて過ごしました。

 それは先生が私に単語を教えるために持ってきたものでした。

 ウサギだのリスだの、文字と一緒にかわいい動物がいっぱい描かれていました。

 ふわふわの小さな動物が、同じような外見のもっと大きな動物にひっついている絵を、私はずっと飽きずに眺めておりました。

 夜になって部屋が暗くなり。本が見えなくなってきてようやく、今日は先生が部屋に一度もこなかったと気付きました。ごはんも。世話をしてくれる看護師たちも。何も、だれも、来ませんでした。

 私はクッションの上に小さく丸まって、絵本を抱いて眠りました。

 次の日も、部屋には誰も来ませんでした。私は昨日と同じように、暗くなるまで絵本を眺めて、小さく丸まって眠りました。

 三日経つとさすがにお腹が空いてきました。私はまた絵本を眺めて気を紛らわせ、力なくクッションに丸まって眠りました。

 賭けが終わったので、先生は私への興味を失ったのでしょう。でもごはんくらいくれたってよさそうなものです。

 先生が再び部屋にやってきたのは一週間後。なんだかひどく怒っており、低頭で後ろからついてくる看護師たちに怒鳴り散らしておりました。


「放置しろと妻に命じられだと? ふざけるな! ここは僕の病院だ! 僕らが留守の間、ちゃんとエサをやるよう言ったじゃないか!」


 先生の姿を見られたので、私はとても嬉しくなりました。

 消耗してクッションから動けず、体はカラカラに渇いていたのに、目じりから涙がひと粒、こぼれ落ちました。

 すると。それを見た先生はひどくうろたえました。

 まさか私に感情があるなんて、思ってもみなかったようでした。


「めでぃく。あえた。うれしい」


 私がかすれた声で言うと、先生の顔はたちまちこわばりました。


「嬉しい、だと?」

 

 先生は慄いていましたが、彼の瞳に映る私――黒髪の幼い顔には、喜びの笑顔が浮かんでいました。

 その表情が猿真似ではないことは、一目瞭然。先生は、蒼い顔で囁きました。


「確かめなければ。確かめて……学会に報告しなければ」

  




 看護師たちの愚痴から察するに。先生は家族と一緒に旅行に行っていて、帰宅したら私が放置されてるのを知って仰天したようです。このお屋敷のような病院は先生の奥さんのご両親のお金で建てられたので、奥さんは「大きな顔」ができるんだとか。

 私に感情があるらしいと知った先生は、毎日部屋にやってきて私をじっと観察するようになりました。前よりもっと複雑な文字や言葉が書かれた本を見せてくれ、色とりどりの積み木やガラス玉が連なった板などで遊ばせてくれました。

 先生は時々話しかけてきて、課題を出してきました。課題をこなすと、先生はご褒美にぽんと私の頭に手をおいてくれました。


「しかし信じられないな。もうかけ算を覚えるとは」 


 自分のこととして感じながら、私もびっくりですよ。

 今の私、すなわち幼い黒髪の外見はたった二、三歳ほど。なのに九九を習得? 黒髪って、はんぱなく賢いのではないでしょうか。

 先生は夕方になると庭に出て、自分の奥さんや子供達と庭園を散歩しました。

 毎夕、私は部屋の窓におでこと両手をはりつけて、その光景を眺めました。

 先生の子供は三人いて、私よりちょっと大きいぐらいで、ことあるごとに先生や奥さんに抱っこされ、ほおずりされ、頭のてっぺんに口づけを貰っていました。

 子供達がぎゅうと抱きしめられるのを見るたびに、私の胸はきゅうと痛みました。

 自分も、あんなご褒美がほしいと思ったからです。

 私に与えられる課題――何種類もの難しい文字をスラスラ読んだり、複雑な計算を暗算したりといったものは、きっと全然大したレベルじゃないのだと思いました。

 あの子たちはきっと、もっともっとすごいこと、先生がびっくり仰天するようなことをやってみせたのでしょう。だからあんなにたくさん、ご褒美がもらえるのでしょう。

 あんなご褒美がもらえるすごいこと。それは、一体?

 それが知りたくて、私は先生の子どもたちをじっと眺めていました。

 そんなある日。

 ボールを持って走っていた子供が急に転んで、火がついたように泣き出しました。

 先生も奥さんもその直後、その子をまるで天使のように扱い、抱っこしたり優しく慰めたりしていました。

 明らかにぶざまな失敗。なのになんであんなにすごいご褒美をもらっているのでしょう?

 首をかしげて不思議に思いながら、私は次の日さっそく試してみました。

 先生の前で玩具の球を放り投げ、追いかけて取ろうとしたとたんにびたんと転んで、大声で泣いてみせると。

 

「大丈夫か?」


 先生は、すぐに助け起こしてくれました。

 私はとても嬉しくなって、さらに先生の子供の真似をしました。


「おとうさま! だっこして!」


 ぎゅっと先生の腕を掴んでそう言ったとたん。

 先生は目を見開いて仰天し、私を突き飛ばして、逃げるように部屋から出て行きました。

 私は一体何が起こったのか全くわからず、うろたえました。

 ほどなく夕方にならないうちに、先生と奥さんが庭園に現れました。

 奥さんはとても怒っていて、先生の胸をどんどんと叩きながら大声で叫んでいました。

 ギヤマンの窓を通して、私の耳にもやすやすと入ってくるぐらいの絶叫で。

 


 だから早く捨てるか売るかしろと言ったのよ!

 あれはプジじゃなくて、絶対普通の人間の子に決まってる。

 売った人が、あなたをだましたに決まってる。

 これからどうするつもりなの。あれをこのまま家においておくの?

 まさか引き取るなんて、言い出すんじゃないでしょうね?

 あれに服を着せて、同じ食卓を囲ませる? うちの子の隣に座らせる?

 冗談じゃ、ないわ!!

 


 黒髪である私は、幼いながらもかなり賢い頭で一所懸命考えました。

 つまりプジには、転んで泣いて、「おとうさま」と呼ぶ行動は決してできない。

 だから私はプジではなくて、実は「普通の人間の子」である。

 そしてもし私が本当に「普通の人間の子」だったら。

 先生たちは私のことを、先生の子供たちと同じように扱わなければいけない、らしい。

 でも奥さんは、絶対、そうしたくないらしい。

 

 ……どうして? 


 まだ幼い私には、そこがわかりませんでした。

 奥さんが、嫌がる理由が。

 それから先生は、ぱったり私の部屋に来なくなりました。でも旅行に行ったわけではなく、夕方にはいつものようにちゃんと奥さんや子供たちと散歩していました。

 私は看護師からごはんをもらえましたが、先生に会えないのでさびしくてたまりませんでした。だから指をしゃぶりながら、あの動物の絵本をだきしめて、四六時中クッションに丸まって拗ねていました。

 数日後。お屋敷に、王国のお役人がたくさんやってきました。

 部屋の隅で看護師たちが、ひそひそ言っていました。先生は私を専門機関にくわしく調べてもらうという名目で、役人に引き渡すことにしたと。

 先生は私をくるむ毛布以外、なんにも持たせてくれませんでした。

 動物の絵本を取り上げられた時、私はとても嫌で泣きそうになりました。

 すると役人たちはびっくり仰天して、一斉にあとずさりました。


「プジの烙印があるのに」

「プジの幼体にそっくりだが……ここの医師や看護師が訴えるように、違うのか?」

「ともかく連れ出せ。王立研究所で、白黒つけてもらおう」


 私は手足を縛られ、護送車に乗せられ、エティアの王都に運ばれました。

 別れの言葉は……ありませんでした。先生は極力、私を見ないようにしていました。

 私は、その様子を見て悟りました。

 奥さんだけでなく、先生も自分の子供たちのように私を扱いたくないのだと。

 私をだっこしたり、頭のてっぺんに口づけをあげたりしたくないのだと。


 ……だきしめたく、ないのだと。


 ひどく悲しくなって、私は護送車の中でぼろぼろ涙をこぼして泣きました。



 ……どうして?



 私……幼い黒髪には、その理由がわかりませんでした。

 先生の子供と自分の違いが、わかりませんでした。

 でもこれだけは、はっきりわかりました。


 自分が拒絶された、ということだけは。





※「普及型工場労働用有機人形」

(Puji xing gongchang laodong yong youji renxing)

 統一王国時代に使用されていた工場作業用クローンを、

 スメルニアのとある製造所が機能限定の劣化版で復刻したもの。

 およそ百年間、大陸の工場生産の主力作業員として製造された。

 プジは「普及」という意味のスメルニア語で、

 初めてエティアに輸出された際にこれの俗称となった。

 スメルニアの専売にはならず大陸中で爆発的に生産されるようになったが、

 文明が退化しきった大陸では維持用カプセルにコストがかかりすぎるのが難点であった。

 鉄人形と呼ばれる機械作業員の復刻とその需要激増で、労働力製造所は次々と有機人形製造を中止することになる。

 


 

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