38話 慰める私
「母様……」
私に喰われた皇帝陛下は、安らかな顔をして深い深い眠りに落ちていきました。
我が主の腕に抱かれて、さながら母の腕に抱かれるおさな子のように。
『すごいよアクラ!』
「アクラさんありがとう!」
フィオンは私を褒めちぎり、我が主は満面の笑顔。
「神さまの剣だわ……」
「さすが本物ですね」
ツヌグさまはそのうるわしき顔かんばせで私をうっとりと見つめ、識破は驚嘆しております。
どうです? ふふふふ。これが私の実力というものですよ。
――「皇帝は私のレクルーの歌で大人しくなったんだ。おまえの手柄じゃない」
……。
黒髪は本っ……当に素直じゃありませんね。なんですかそのふてぶてしい顔は。
「ずいぶんおいしそうに喰っていたな。殺したんじゃないのか? 息をしているように見えないぞ」
まさか皇帝陛下は死んでなどおりませんよ。
私は英国紳士ですよ? 魂を丸ごと食べてしまうなんて、そんなはしたないこといたしません。毒気を抜いて差し上げただけです。
雪豹のバオのあれは、アクシデント。ちょっとした手違いというものです。
おや? そこにもう一人、美味しそうな怨念を抱えた人間が倒れてるじゃないですか。
こやつ、尚怜という名でしたっけ。
よくも私のツヌグさまを人質にしてくれましたね。
こやつの魂もちょっといただいてやりましょう。
……。
……。
ああああ素晴らしい。とっても素晴らしい!
劣等感……怒り……哀しみ……恨み……恐れ……ケモノ好き……?
なんて複雑なアンサンブルテイスト! なんて素敵なフルコース!
さあ我が主、仕上げはデザートですよ。大神官尚光を華麗に喰らってご馳走様フィニッシュですっ!
私はウキウキやる気満々。いざゆけや若人、めざすは船首の操舵室。
ところが。
我が主の様子を見守っていた識破が待ったをかけました。
陽一族の若君は深いため息をつきながら、これでは心臓がいくつあっても足りぬというのでした。
「癒やし手どの、あなたは優しすぎます。危うく皇帝に殺されるところではないですか。まさか尚光にも、のんびり許しを請うつもりじゃないでしょうね。ここはしばし私に任せてください」
識破は、倒れている尚怜から紫の衣を剥ぎ取っておのが身にまとい、皇帝の指から太陽紋の指輪をはずしておのが指にはめました。
紫の衣は元老院議員を顕すもの。皇帝のお目付け役であるこの機関の議席を彼は持っているのですが、おのれの衣は大神官に剥ぎ取られてしまっていたからです。
最強装備で身を固めた彼は、船に乗り組んでいる皇帝顧問団の面々をこの場に呼び集めて、声高らかに宣言いたしました。
「私は皇帝陛下より特赦を受けました。しかしそれを不服とする尚怜が、陛下を襲いました。陛下には幸い大事はありません。謀反人を阻止して陛下のお命を救ったのは、剣を背負った癒やし手なる者とその夫です」
こうしてたちまち我が主と黒髪は皇帝を救った『英雄』とされ、大神官を討つ大義名分を得たのです。
ところが。打ち揃った顧問団の面々は、怖ろしい古狸ばかりでした。
元老院議員と神官たちからなる彼らは、皇帝に警戒されてずっと船室に軟禁されておりましたので、当然皇帝に対してよい感情を持っているはずがありません。しかも彼らは尚光が謀反を起こすことを事前に知っていて、一連のことを黙認していたようです。
そのことを識破に追求されるのを恐れた顧問団の面々は、火が付いたようにやんやと互いを非難し始めました。
そなたが悪い。いやそなたこそ。いやいやもとはといえば……
尚怜が衛兵に運ばれて監禁部屋に入れられ。皇帝が我が主みずからの手で最上階の寝室へ運び入れられ。さあ攻め込む体制はこれで万端と我が主が識破のもとへ戻ってもなお、その不毛な言い争いはまだ延々と続いておりました。
『おやおや、なすりつけ合いはまだ終わらないんですか? 醜いものですねえ』
「時間稼ぎでしょうね」
『え? 今なんと? 識破さん』
「元老院は尚光に与したがっています。奴を逃したいのでしょう」
うんざり顔の識破の推測通りでした。
我が主たちは渋る顧問団を「見届け人」として無理やり引き連れて、大神官を捕縛せんと操舵室に攻め込んだのですが――
『あら。どこにもいませんよ?』
「えっ? アクラさん、大神官は目の前にいるじゃない」
『いいえ我が主、これは……』
息子を捕らえたと聞かされても、尚光は余裕で高笑い。
我々と顧問団によって四方を包囲されているというのに、全く動じません。
「くっはははは! 息子だと? そんなものはもういらぬわ。わしには黒竜があればよい。世界を滅ぼす力さえあればな!」
我が主が振り薙いだ我が身は、敵の体に触れているはずなのに空を斬るばかり……。
「ふん、幻ですか。幻燈機を持ち出しましたね? 一体どこにいるんです?」
冷静に幻影を見破った識破でしたが。口惜しいことに、敵はすでに銀色の鉄の竜ロンティエに乗り、黒竜ヴァーテインと共にはるか空の彼方におりました。
我々はそれからすぐに慌てふためくことになりました。
「くっ……艦長も士官も反応しないとは! 隷印で硬直させられていますね!」
「船が下降しているぞ! 落ちる!」
逃げた尚光は、ひどい置き土産を残していったのでした。
操縦する者がいなくなった船と。
そして。水浸しになった大きな都市とを――。
隷印を操れる黒髪が艦長たちをなんとか正気に戻したものの。
下降しすぎた飛竜船は、湖に不時着することを余儀なくされました。
識破はただちにロンティエを出して黒竜を追わせました。我が主は体から抜け出て、追っ手のロンティエと一緒に黒竜を追いかけました。
せめて味方のロンティエを応援したいという気持ちから。
しかし。残念ながら追っ手は、一機も帰ってこれませんでした。
それどころか――。
『いやあああああっ!』
あろうことか、我が主の身にとんでもない事態が起こったのです。
『わ、我が主?! どうしました?』――『やめて! こないで! いやあああ!』
『大変だアクラ!』
『ふ、フィオンさん? 一体何が起こったんですか? 今、我が主の凄まじい悲鳴が』
『僕たち、尚光にやられたロンティエの墜落現場に吸い寄せられたんだ。そこに……兵の遺体が……目の前に……』
『そ、それで我が主は恐がっているのですか?』
『違う! その死体を恐がっているんじゃない。それを見て……過去を思い出したんだ。僕があわてて蓋を閉めたけれど、悲鳴が止まらない!』
『なんと……一体何を思い出したんです?』
『女の人……』
フィオンの精神波は、我が主の悲鳴にかき消されんばかり。そしてまるですすり泣きのようでした。
『血まみれの……まっ白い血を流している女の人……僕にも一瞬見えた。この人きっとレクの……レクの、お母さんだ……』
ほどなく。異変に気づいた黒髪が、体から飛び出して我が主を連れ戻してきました。
それからというもの、我が主は何かに怯えているかのように始終震え、ろくに口もきけなってしまいました。
「私のレクルー、何があった? かわいそうに……」
黒髪は識破から船室をもらい、一緒に寝起きして我が主を見守りました。
ツヌグさまも船室の扉の影から、ずっと心配げに見守っておりました。大変お辛そうな様子で。
というのも。
黒髪の奴めがツヌグさまにきっぱり宣言したからです。
おのれと我が主とは、「夫婦」であると。だから、我々の間に割り込むなと。
「レクはメニスの混血。成体になれば両性になり、ちゃんと子どもが産める。いずれレクは、私の子どもを産むだろう」
きつい口調で言われて初めて、ツヌグさまはおのれの心にはっきりと気づいたのでしょう。そのお顔は一瞬で、切ない恋に身を焦がす少女のそれと化しました。
しかし黒髪に抱きしめられた我が主は、そんな彼女に気づく余裕がありませんでした。焦点の合わぬ目をまばたきもせずに開き、かすれた声で歌を口ずさむばかり。
その歌とは、皇帝を鎮めるために歌ったのとまさに同じものでした。
フィオンは、この歌はメニスに伝わる歌なのだと言いました。
『この歌、巫女姫が何度も歌ってた。竜を目覚めさせる歌だといって練習してた。でもレクは……以前からこの歌を知ってた。前に寺院で歌っていたことがあったよ』
なるほど、竜を操る歌。竜を操る種族、すなわち風乗りといえばメニスですもんね。
『たぶん、子守唄だよ』
なるほど。それでメニスの混血である皇帝は歌を聴いて「母様」と叫んでいたのですね。皇帝の記憶の中にも、この歌があったのでしょう。幼い頃、母親に歌われたという記憶が。
『姫の歌を聞いたり、同族に会ったりしたせいでレクの記憶の蓋が緩んだ。それでレクは思い出したんだ。墜落現場のあの場所で、瀕死の人を見たとたんに……』
その場所は、何の変哲もない湖の岸辺であったということです。
『まさにあの場所で、過去に何か起こったんだろう。過去にレクはあそこにいたことがあったんだろう。きっとあそこで、レクのお母さんがどうにかなったんだ。はじけたように現れた記憶の中女の人は、血まみれだった。メニスの、真っ白い血にまみれてた……!』
メニスであるということは、すなわち人間に虐げられるということ。
王族はメニスの血筋を求めます。世間一般の民はメニスの体をひそかに求めます。
永く生きるために、人間は彼らを喰らいます。フィオンによれば、我が主は殺められてその体を売り飛ばされたことがあるとか。
我が主の母親も、もしかすると人間に殺されたのかもしれません。
かつて自らを殺めたことがある我が主には、一体どれほどの哀しい記憶があるのでしょう……。
『かわいそうなレク。トリオンにはレクの記憶を封じることができない。やっぱり僕が護ってやらなきゃ……』
『フィオンさん。大丈夫ですか?』
『アクラ?』
『精神の波が震えていますよ。我が主はあなたのおかげで過去を忘れていることができますが。当のあなたを護る人はだれもおりません。大丈夫ですか?』
フィオンの精神波が大きく揺れました。
『大丈夫……だよ。蓋を締めれば、レクの記憶は僕にも見えなくなる。だから……』
『あなたはひとりじゃありません』
私は精一杯伝えました。
『ひとりじゃ、ありません』
『ありがとう、アクラ』
声をあげて泣くような波が流れてきました。
我が主の中でフィオンはさめざめと泣きました。
それは。深い深い慟哭でした。
いまや皇帝の全権代理人となった識破は、てきぱきとやるべきことをこなしました。
逃げた尚光と黒竜に追っ手を出し。湖上の飛竜船を修理させ。会議を開いて顧問団の機嫌をとり……と、目の回るような忙しさ。
しかし、その心の内では。
『姫……どうかご無事でいてください』
黒竜の体内に囚われたままの巫女姫のことを、常に案じておりました。
いまだ私が一度もあいまみえぬ姫は、かわいそうなことに尚光に操られ、竜の体内で歌い続けているのでした。
入ってくる情報によれば、黒竜は大きな雨雲を抱えて南方へ飛び、次々と町や村を沈めているとのこと。しかも具合の悪いことに、尚光は一番始めに都市を沈めたとき、スメルニアの皇帝の幻像を空に投影したのだそうです。そのため黒竜は、スメルニア帝国が故意に動かしているという評判が北五州全域に広がりつつありました。
識破は一刻も早く竜の暴走を食い止めたかったのですが、出したロンティエは帰ってこず、船の修理は遅々として進みませんでした。
そのような状況の中。黒髪に支えられながら会議に出席した我が主が、真っ青な顔で識破に懇願いたしました。
「黒竜に沈められた都市の人々を、助けてください……」
尚光が一番始めに沈めた都市は、飛竜船が浮かぶ湖のすぐそばにありました。
水没する都から命からがら逃れた人々は家を失って、湖の岸辺で野宿をしておりました。
識破と顧問団は、我が主の訴えに賛同しました。
救護活動をすることで、黒竜はスメルニア帝国が動かしているのではないと主張することができる。そう判断したからです。
しかし我が主のその訴えは――
『フィオンさん、あなたが喋りましたね? 我が主が訴えたのではありませんね?』
『レクはまだ、喋れる状態じゃない。でも僕らの気持ちは一緒だよ。僕らには、見えるんだ』
『見える?』
『ほらそこに……たくさんいる。嘆きながら彷徨ってる』
幾度も体から魂を抜いて飛んでいる影響でしょうか。少年たちには「見えて」いたのです。
水に沈した都市から、たくさんの魂がさまよい出しているのが。
逃げる間もなく溺れたものどもが泣き叫びながら空を漂っているのが。
それゆえに。
せめて生き残った人々を助けたい――。
我が主とフィオンは、純粋にそう願ったのでした。
『トリオンがそばにいるとレクは落ち着く。そうしたら不思議とこの幽霊たちが見えなくなる。だから、そばから追い払えない……』
『あ。ほんとですね。我が主ったら、黒髪からちょっと離れようものなら、あわてて姿を探してしがみついてますよ』
『精神安定剤ってやつだね。まるで幼児だ。レクはこんな状態だから、しばらくは僕が表に出て受け答えするよ』
『黒髪にばれないよう気をつけてくださいね』
『大丈夫。夜になったら僕は意識の底に隠れる。トリオンの好きにさせるよ。ほんとは嫌だけど……レクのためだ』
識破は湖の岸辺に兵士を降ろし、避難民を収容する天幕を設営させました。
すると我が主は船から降りて、黒髪と共にそこでがむしゃらに人々の治療を始めました。恐怖と悲しみを払い落とさんとするかのように。無我夢中で。
そのようなわけでこの湖の岸辺でも、我が主は「癒やし手」の呼び名で呼ばれるようになりました。
天幕の村ができて数日経つと、沈められた都市から水が引いてその無残な姿が現れ始めました。低い建物は崩れ、家財道具が散乱して、どこが道なのか分からぬ状態。
さまよう魂は数え切れぬほど……。
我が主と黒髪は、人々を治療するかたわらでいたましい骸を手厚く葬り、その魂を天へとあげてやりました。
飛竜船に積まれている物資がほとんど供出されると、スメルニア兵は動ける避難民と共に、都市に残された物を発掘しました。高い塔や厳重に密閉されていた倉庫にあった穀物や薬品が次々と見つかり、天幕に運ばれました。
薬品を受け取った我が主は大喜びでした。
食糧が行き渡った天幕村では、そこかしこから美味しい匂いが立ち込めるようになりました。中でも、中央付近からただよってくる煮込み料理の匂いは格別。
我が麗しのツヌグさまが炊き出しをして、人々の腹を暖かく満たしてあげているのです。
しかし美しいその顔は深く打ち沈んだままでした。
我が主のいないところで黒髪にきっぱりと、「夫婦の間に割り込むな」と釘を刺されたからでした。
そんな彼女をフィオンは気遣って、毎日彼女の炊き出しの料理を食べにいきました。
「これほんとおいしいね。こっちのはなに?」
「メフとかいうらしいんよ。豆からつくった保存食だって。都市の倉庫にあったんよ」
「へええお肉みたいな食感だね」
「この飲み物試してみて。果物を何種類か混ぜてみたの。すごく栄養あると思う」
「わあ。甘酸っぱくていいね」
――「レクルー、もう全部食べたな。さあおいで」
しかしゆっくりしている暇はありません。日が暮れるなり、黒髪がいらいらと我が主をひっぱって二人の寝床に引き上げてしまいます。
そのためツヌグさまのお顔には、ますます哀しみが刻まれていくのでした。
そんなある日の夕方。
「食べ終わったな。さあ、我々の寝床に戻ろう」
夕飯を食べ終えたか終えぬうちに、我が主が黒髪にぐいと腕を引っ張られた拍子に――
「あっ……アクラがずり落ちた」
「かまうな。そこに捨ておけばいい」
「でも」
「レクルー、おいで」
「ちょっ……待っ……やめ……!」
「おいで」
手を伸ばして私を拾おうとする我が主――いえ、フィオンを無理やり抱き上げ、黒髪は治療所の裏手にある二人の天幕へ押し込みました。
「かわいそうに。置いていかれたん?」
お優しいことにツヌグさまはしゃがみこんで、置き去りにされた私を拾い上げてくれました。
そして、な、なんと。
「こんなに立派な剣なのにねえ。なんで黒髪は気に入らないんだろ」
なんと抱きしめてくださいました!
ありがとうございます。ありがとうございます!
感動のあまり声が裏返ってしまいますよ私。
「全然重くないのね」
ツヌグさまが抱いてくださっているので、舞い上がっているからですよ。
しかしすばらしい料理の腕ですね。ああ、私にも口があったら、舌鼓を打って食べることができますのに。
「あ。喋った? やだ、足萎えの声じゃないの」
はい。私喋れますよ。誰の声音でも真似できるのです。特に我が主の声は小鳥のようでかわいらしいですよねえ。私、大好きです。
「ほんと、すごい剣ね。音まで出せるなんて」
登録音声の発声機能は、この星に来る前にすでに我が機能に取り付けられていましてねえ。なかなか便利なものですよ。
「ねえ、アタシのこと好きだって言ってみて」
え。
「足萎えの声でさ。ちょっと言ってみてよ」
ツヌグさま。そんな切ない顔で……。
――「だめ……ちょっと! いやあ!」
「癒やし手」の天幕から一瞬、フィオンの叫び声がして。それから急にその声がすぼめたように消え失せました。
黒髪が愛する子の口をふさいだのでしょう。口づけか何かで。
かわいそうにフィオンは無理やり、意識の底に落とされるでしょう……。
「ねえ、言ってよ」
そのとき。我が刀身に水滴がひと粒、ぽとりと落ちてまいりました。
こ、これは……まさか……
「アタシのこと好きだって」
ツ、ツヌグさま……!
我が身がツヌグさまの頬にひと筋流れるものを捉えました。
震える刀身をなんとか抑え、私は囁きました。
とてもとても、優しい声音で。
耳に心地よい我が主の声音で。
『いつもおいしいご飯をありがとうツヌグ。君のことをだれよりも……』
大きな黒い瞳から、みるまにぽたぽた熱い雫が落ちてきました。
たくさん。たくさん。
『だれよりも、愛してる……』
「ありがと……あんた、ほんといい剣ね」
ツヌグさまの腕が私をそっと包み込んでくれました。
柔らかく。このうえなく、優しく。
そして暖かく。




