表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/64

33話 黒竜と私

 私は燃え立ちました。ぶるぶる刃を震わせながら燃えました。

 しかし黒くうねる波は凄まじい勢いで船室に押し寄せていきます。

 狂ったようなこの勢い。尋常ではありません。 

 我が身から放たれる赤い光は一度完全に黒い波に呑まれました。


「レクルー! しっかりしてくれ! なんてことをするんだ! 私のレクルー!」


 船室に響く黒髪の悲愴な叫び声。


『ちくしょう! なんでトリオンの前に飛び出すんだ! レク! 僕のレク!』


 フィオンの怒り混じりの泣き声。

 二人の様子から、私は察しました。

 我が主が黒髪をかばって、操られた兵士の刃を受けたことを。

 そして――。


「きゃあああああ!」


 この時初めて、私は巫女姫の声を聞くことができました。

 それは……哀しいことに悲鳴でした。


「姫! イリーナ!!」


 識破シーポゥの絶望的な叫びが空しく響き渡りました。

 姫の悲鳴は闇の波に包まれて舟から飛びだし、はるか遠くへかき消えていきました。

 ああ。姫は……姫は闇の手に囚われ、さらわれてしまったのです。


「イリーナああああ!」「私のレクルー!」『僕のレク!』


 いとしい者を呼ばわる声たちを聞きながら、私はごうごうと燃えたちました。

 これ以上哀しいことが起こらぬよう、切に願いながら。

 紅蓮に輝く我が光は、閉じられた扉の隙間から流れ出していきました。

 その光はやっとのことで姫の船室へ向かう闇の潮流をせきとめ、流れを変えました。

 私のいる船室の扉の隙間からどろどろしみ出す黒い波。

 ねっとりとしたそのおどろおどろしいものを、私は夢中で吸いました。

 これでもかと吸い込みました。

 なんという莫大な質量。膨大な闇!

 その黒い流れの中には、身の竦むほど恐ろしいものがうねっておりました。

 恐怖におびえる人間の顔。顔。顔

 血まみれの人間の顔。顔。顔――。

 恐ろしいことに。

 私が今喰らっているものは。

 殺された人々の怨念でした。

 たくさんの人々を殺した何者かが、不幸な人々の恐怖と悲しみと怒りを「呪詛」として練り上げて、この銀の舟へと送っているのでした。

 圧倒的な呪波。

 何十、何百、? 

 呪いを起こした者は、いったい何人殺したのでしょう?

 なぜこんな恐ろしいことができるのでしょう?

 わかりません。

 わかりません……

 私は喰らいました。必死に喰らいました。

 数多の怒りが我が身の中で砕け。

 数多の悲しみが我が身の中で溶けていきました。

 喰われた暗い魂たちは次々まばゆく光る玉に変じ、天上へふわふわ昇っていきました。

 私を励ますように、雪豹の仔の白い魂が私の周囲をくるくる元気に回っておりました。


 ガンバッテ! ガンバッテ!


 ありがとう。大丈夫です。まだまだ食べられますよ。


 ガンバッテ! モウスコシ! アトスコシ!


 ありがとう。ありがとう……





 気づけば。

 私のお腹はぱんぱんに膨れ上がっており。

 舟に這い寄る呪い走りはなんとか消え失せました。 

 幸いツヌグさまはじめとする下女たちも、兵士たちも、そして同乗していた第一神官陽睛ヤンジンも、怨念にとり殺されずに済んだようです。

 しかし我が主は……


「レクルー、目を開けてくれ……」


 肩をばっさり斬られて瀕死の重傷。黒髪の動揺ぶりは見ていて痛々しいものでした。

 必死に守ろうとしていたものに守られたばかりか、今それは、いつ消え失せるかもしれない状態。

 黒髪は我が主を船室の寝棚に安置し、慟哭しながら何度も何度も、血止めの韻律をかけ続け。何度も何度も我が主の頬を撫で。頭を撫で。涙を落とし、詫びておりました。 


『なんでトリオンなんかかばったんだ。レク、僕に体があったらこんな目には……!』


 フィオンは悔しげに嘆き。黒髪に千の呪いの言葉を吐いて責めていました。


『ちくしょう! おまえなんかいなければ!』


 我が主を傷の痛みから解放するべく、一心同体のフィオンは我が主の魂を体から引っ張り出していました。

 いまや美しい菫色の玉が、船室の天井に浮かんでおりました。


(お願い泣かないで。泣かないで。あなたが無事でよかった……)


 フィオンの存在を露知らぬ我が主は、悲しみに暮れる黒髪の姿に心を痛めました。

 嘆き悲しむ黒髪は、雪豹の仔も丁寧に治療しました。

 しかしひどく悲しげに首を横に振り、寝棚の前にそっと獣の体を横たえました。


 ダメ? モウダメ?


 ……そのようです。


 ……ソッカ。


 雪豹の仔の魂はまっ白で雪玉のよう。

 私の回りを無邪気に飛びはね、くるくる回って喉をゴロゴロいわせました。

 ほどなく悲愴な我らが陣営に、憔悴しきった識破(シーポゥ)が状況を告げにやってきました。

 姫をさらったのは、太陽の第二神官尚光(シャングァン)なる者。

 第一神官の陽睛ヤンジンとは犬猿の仲であり、政敵であるその者は、容赦なく人を生贄とする呪詛に長けた男だそうです。

 実は。識破(シーポゥ)たち第一神官の一派はスメルニア皇帝の意に反し、発掘した黒竜を人の手の届かぬ所に封印しなおそうとしていました。

 尚光(シャングァン)は隠密を使ってそのことをかぎつけ、行動を起こしたのでした。


尚光(シャングァン)はさらった姫を使って黒竜をよみがえらせ、皇帝に献上する腹づもりです。あなたの力が必要です、導師よ。どうか我々を助けていただきたい」


 かくて正直に事情を打ち明けた識破(シーポゥ)が黒髪に助力を請うたとき。

 ついに我が主の秘密があばかれました。

 船室に迫る兵士たちを黒髪が見事な韻律でしりぞけたので、識破(シーポゥ)はこやつこそが本物の「癒やし手」であると見抜いたのでした。


「言葉遣いや立ち居振る舞いからしても、あなたの方がその子よりはるかに知識と経験をお持ちであると分かります。その子は本当はあなたの弟子かしもべなのでしょう? 能ある鷹は爪を隠すもの。おそらくあなたは我々を見定めるため、わざと身分を取り替えられたのですね?」


 しかし千里眼の人の言葉は、今の黒髪にとっては地雷のごとく。

 心労著しい黒髪の逆鱗に触れました。


「……この子は望んだ。トォヤ族の者らを救いたいと。病の兵士たちを治したいと。姫を助けたいと。この私が露ほども思いもしなかったことを望んだ。この子こそが、私を導いている!」


 黒髪は激しく憤り、声をかすれさせながら訴えました。


「全く縁も縁もないおまえたちの幸福を願うこの子こそが、まことの癒し手でなくて一体何なのだ? 識破(シーポゥ)よ、おまえは助力を求める相手を間違えている!」

「どうか……お許し下さい。姫を救わねばと思うあまり……私の目は曇っておりました」


 識破(シーポゥ)は真っ青になり、すごすご部屋から出て行きました。


「すまない……君を辛い目に遭わせてばかりだ」

(お願い泣かないで。お願い。愛してる……)


 我が主の体にすがりつく黒髪を、優しい我が主は天井から必死に慰めました。 


(でも僕があなたを導いてるなんて……買いかぶりすぎです)


「本当なんだ」


 黒髪は我が主に答えるように、その鳶色の頭を撫でながら狂おしそうに囁きました。


「君は私の導きの星……頼む……消えないでくれ」 





 それから黒髪は、何人も船室に入れようとしませんでした。

 戸口の外でツヌグさまが心配のあまり泣いていても、奴は扉を開けようとしませんでした。

 状況は最悪の様相を呈してきました。

 発掘地は第二神官の親衛隊たちに占拠され、第一神官の兵たちは命からがら本営地へ逃げたと、撤退中の兵から情報が入りました。

 しかし第一神官陽睛ヤンジンはあきらめませんでした。

 彼は負傷して床に臥しておりましたが、きっぱりと識破(シーポゥ)に命じました。


「黒竜家の血を引く姫が竜操りの歌を歌えば、竜はいとも簡単に意のままになる。尚光(シャングァン)は姫を術で操り、自在に黒竜を動かすだろう。いそぎ発掘地を奪還するのだ」

「しかし尊師よ、もう間に合わぬかもしれません」

「竜が目覚め動き出してもあきらめてはならぬ。全力を尽くして止めるのだ。人間が神獣を使ってはならぬ。かつて北五州がどうなったか、我々は忘れてはならぬ」


 銀の戦舟は本営地から鉄の竜五十機を援軍に呼び、一路発掘地へ向かいました。

 しかし発掘地に行き着く寸前。

 舟は大きく揺れました。

 大地が揺れ。海が揺れ。

 空へ向かって黒い巨大な柱がうねうねと飛び出しました。

 識破(シーポゥ)の懸念通り、第二神官が急いで黒竜を目覚めさせたのでした。

 船室の窓から垣間見えたのは黒く輝く鱗。

 太く長くしなやかな体。真っ赤な巨眼。


 水の覇者、ヴァーデ・ゾヴェイ・ヴァーテイン。


 覚えています。覚えていますとも。

 奴は数多いた神獣たちの中でも、最強の部類に入るでしょう。

 雨雲を沸き立たせるあの竜は、北五州を水没せしめた神竜。

 根はいい奴なのです。

 その昔、二十一代目の我が主「銀足の戦士」が奴の凶行を止めようとしたとき、奴は我々に助けを乞うてきたのです。

『我は人に操られている。助けてくれ』と。

 竜は当時北五州の統一を目論んだ王家、黒竜家に所有されておりました。

 あのとき黒竜を操ったのは、黒竜家のうら若き王女でした。

 生身の竜から改造されたあやつは、メニス――すなわち風乗りの竜操りの歌に逆らえません。王女は祖先から伝わるその歌で竜を動かし、数多の都市を水底に沈めたのです。

 何百万。何千万という命が、建物と共に水に溺れ、散っていったのです。

 そのころ我が「銀足の戦士」は蒼鹿家に仕えており、覇権を取ろうとする黒竜家に抵抗しておりました。

 彼は蒼いロンティエで黒竜の口に突っ込み、竜の体内で歌っていた王女を引きずり出して、水びたしになった大地へ放り投げました。

 自由になった竜は我々と共に北へ逃げ、大地の奥底に隠れたのですが。

 水に沈んだ大地は元に戻ることはなく、結局北五州は黒竜家に統一されました。

 そんなわけで我が「銀足の戦士」は、北五州では悪魔として言い伝えられているのです。

 うるわしき王女を喰らった、非道な「片足の悪鬼」として。

 ええ。おいしかったですとも。

 あの王女はとても野心に満ちていて、食べ応えがありました……。


――「……竜が目覚めてしまいました。我々はこれより竜を止めます」


 識破(シーポゥ)が真っ青な顔で再び助力を請いにやってきました。

 できればでよい。どうか舟を守ってほしいと。


(はい!)


 天井に漂う我が主が、迷うことなく答えました。

 黒髪にはその返事が聞こえました。

 識破(シーポゥ)にも。

 ああ。それでこそ我が主。私が見初めた伴侶。

 あなたこそ英雄です。我が主。

 黒髪がしぶしぶ舟に結界をかけることを承諾しますと、我が主はあっという間に船窓から外に飛び出していきました。

 我が主は一緒に戦いたかったのです。

 傷を負って動けぬ身であるのに、じっとしていたくなかったのです。

 フィオンも同じ思いでした。


『行こうレク! 僕らも鉄の竜と一緒に黒竜を追いかけよう!』


 甲板に立つ識破(シーポゥ)の指揮のもと、黒い鉄の竜たちは銀の戦舟から飛び立ち、美しい編隊を組んで竜に迫りました。

 ああ、私も一緒に行けたら――。

 せめてもと、私は風乗りたちの歌を歌って黒い鉄の竜たちを応援しました。


『とどろけ咆哮 はばたけ翼

 鋼の翼は折れはせぬ 

 我ら風乗り 風読む者

 竜の背に乗り 敵を討たん』


 しかし。二人の少年はすぐに悲痛な声をあげました。


『アクラ! 第二神官の親衛隊が防戦にきた。銀色のロンティエが飛んでくる』

(横からぶつかってきた? そんな……自分も死ぬ気なの? )

『くそ! こいつら平気で特攻してくる! ロンティエが落ちていく……黒いのも。銀色のもみんな落ちていく!』

(死んでしまう。みんな、死んでしまう!)


「レクルー!」


 そのとき。船室で我が主の体を看ていた黒髪が、血相を変えてその肩をつかみました。


「心臓が……心臓が動いてない! レク頼む。死ぬな! 頼むから!」 


 大粒の涙が黒髪の頬を伝い落ちました。


「いやだ! ひとりにしないでくれ!」


 すさまじい咆哮が空を裂きました。

 黒竜の雄たけびでした。

 そして。二人の少年はとんでもない事態に引き込まれました。


(ああ……! 風乗りたちの魂が天に昇ってる……死んでしまったんだ!)

『レクだめだ! 光の玉を追いかけるな! 下におろそうとしても無駄だ!』

(いかないで! いかないで!)

『レク! 戻れ! 僕らも天に吸い寄せられてる! くそ! 僕の声が聞こえたら……』


 黒髪。まずいです。我が主が……天に呑まれます。


「なんだと?」


 黒髪。我が主は心臓が止まった体から離れています。

 それゆえ輪廻の波に呑まれようとしています。

 とめてください。我が主を引き戻してください。

 フィオンにはできません。我が主と魂が同化しているあの子にはできません。

 あの子の声すら、我が主には聞こえないのです……。


「くそ!」


 私の訴えを聞いたとたん、黒髪はその体から矢のように飛び出し、またたくまに我が主の魂のもとへ飛んでいきました。


『レクルー! いくな!』

(レナン! どうしよう、上に引き寄せられてる)


 死んだ風乗りたちの魂が歌っています。

 あの歌が聞こえてきます。私が歌った歌が。風乗りの歌が。


『とどろけ咆哮 はばたけ翼

 鋼の翼は折れはせぬ 』


 死してなお、風乗りたちは歌っているのです。士気を鼓舞するために。

 まだ己れが死んだと気づいていないのです…。


『ああ……溶けてしまう……みんな消えてしまう……僕も?』


 そのとき。


 れくるー! 


 まっ白な雪豹の仔の魂が私から離れ。

 とん、と我が主の胸を押して船窓から飛び出ていきました。

 信じられぬことにその直後。

 とくとくとかすかな鼓動が我が主の体から聞こえてきました。

 まさかそんな。これは……奇跡? ああでも。雪豹の仔はどこへ?

 まさかあなたも我が主の魂を助けに?

 待ちなさい。戻りなさい。天へ近づけばあなたは――


 イカナキャ


 待ちなさい!


 サヨナラ


 待ちなさ――!! 


 ダイスキ 


 はるかな天上から、にゃあ、と鳴き声が聞こえました。

 刹那。

 天からものすごい勢いで水色と菫色の光の玉が落ちてきました。

 二つの玉は滑り込むように船窓から入ってきて、それぞれの体に収まりました。

 なんてことを。なんてことを。私はそんなつもりじゃ……。

 黒髪になんとかしろといったのに。

 あの豹の仔に言ったんじゃないのに。

 もしかしたらあの仔の体にはまだ、望みがあったかもしれないのに……


――「ニクス……!」


 哀しい叫びとともにハッと目を開けた我が主は、黒髪の胸の中で泣きじゃくりました。


「みんな……みんな死んでいく……光になってしまう……」


 フィオンも激しく泣いていました。


『ニクス……あいつ僕らを蹴り飛ばした……下へ落ちてくように蹴り飛ばしたんだ!』


 我が主の額に黒髪が慰めるように口づけを落とし、暗い口調で囁きました。

 これから起こることを、まるですべて知っているかのように。 


「これから……もっとたくさん死ぬだろう」


 しかしそのとき。

 天上からまた、にゃあ、と鳴き声が聞こえました。

 嗚咽する三人の、暗い予感を打ち消すように。


 それは。

 とても。とても。

 明るい鳴き声でした。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ