30話 識破さんと私
……。
……。
……。
やっほー。
……。
……。
……。
う。誰の返事もありません。こだますら返ってまいりません。
私は今、真っ暗闇の狭い部屋の中におります。
ここは、スメルニア軍の宿営地のはずれの倉庫です。
寒いです。暗いです。狭いです。
……出たいです。
でも、出れません。我が主に命令されたからです。
……。
……。
ちっくしょううううう!
やはりあやつの自殺など止めるべきじゃありませんでした!
我が主に乗り移ったあの腹黒なケダモノめ! 黒レクルー許すまじ!
あろうことかこの私を、スメルニア軍の司令官にほいほい引き渡すなんて!
しんっ……じられませんー!
ロンティエでスメルニア軍の宿営地に運ばれた私どもは、はじめに大きな天幕に囲まれた神殿の跡地に通され、軍の最高司令官に引き合わされました。
司令官の陽睛ヤンジンなる者は太陽神の神官であり、黄金の頭巾に鮮やかな朱の絹衣をまとった、でっぷり太った中年男でありました。
スメルニアはとても古い国で古代から太陽神を崇めており、神官が皇帝に次ぐ権力を持っている国です。軍の将たる指揮官は、神官がつとめるという伝統があるのです。
大変信心深い神官たちは、またそれゆえに迷信深くもあるのでしょう。
水晶玉の中の我が主の「お告げ」通りに私たちが見つかったものですから、陽睛ヤンジンは「お告げ」はまごうことなく本物の神のものであると信じこみました。
「識破よ、姫の水晶玉から、もっと託宣を聞いてくるのだ」
陽睛ヤンジンは紫の衣をまとった若い副官を呼びつけてそう命じました。
紫色の服は帝国の中枢で政を司る元老院の一員の証。相当に身分の高い者といえるでしょう。そやつは鋭い銀色の目で私どもを疑わしげに睨んでおりましたが、すぐに天幕を辞して、いまだ銀の舟に乗っている巫女姫のもとへ向かいました。
「さて癒やし手どの、さっそく兵たちの様子を見てほしいのだが」
会談場所の天幕は、古代の太陽神殿の跡地をすっぽり覆うとても巨大なもの。
陽睛ヤンジンのすぐ後ろには地下へと通じる階段が見えており、そこへ次から次へと、担架に乗せられた兵士たちの骸が運び込まれておりました。
黒レクルーは上品な微笑を浮かべ、流暢にスメルニア語を駆使して願い出ました。
「まずは我が夫の骸を地下へ弔わせて下さい。それを条件に私はここへ参ったのです」
陽睛ヤンジンは渋々承知して、動かぬ黒髪の体を兵士たちに運ばせました。
黒髪の体は黒レクルーと陽睛ヤンジンの立会いのもと、こごえるほど寒い地下の御堂の一番奥に安置されました。黒レクルーは銀の杖をふるい、おのれの体の周囲に青い炎を放つ円状の結界を作りあげ、何人も近づけないようにいたしました。
陽睛ヤンジンはきれいな顔立ちでメニスの混血の黒レクルーをにまにましながら見ておりましたが、やつが韻律を見事に駆使するのを見たとたん、目を白黒させました。
「薬師よ、そなたはおそろしい技を使うのだな」
黒レクルーの狙い通り、我が主は一目置かれたのです。
流暢なスメルニア語で黒レクルーはお上品に答えたものです。
「私は韻律を少々たしなんでおります」
「なんと、導師が操る呪いの技を使うと申すか」
「剣も扱えますよ」
「ううむ、剣もとは。よもやそなた、我々に危害を加えようというのではあるまいな?」
「いいえ、めっそうもございません」
「しかし、杖に加えて剣をも持っておるというのは、正直面妖でならぬ」
「仕方がございませんね。では信用していただくために、私の牙を一本抜きましょう」
明るい笑顔でにっこにこしながら、黒レクルーは私を背中から下ろし、陽睛ヤンジンに差し出しました。
「私がスメルニア軍に敵意をもっていない証として、あなた様にお預けいたします」
私は愕然といたしました。あわてて説得しました。
やめなさい。なぜこんなことをするのです?
私がそばにいなければ、もし一旦緩急の危機に陥った時どうするのですか?
早まってはいけません――!
しかし黒レクルーは悪魔のように口元を引き上げて私に言いやがりました。
絶対命令権を持つ、我が主の声で。
「俺には、杖があればいい。
レクルーには、俺がいればいい。
じゃあな、まがいもの。
大人しくどこぞに突っ込まれておけ」
ほんとうに……なんということを!!
大体私は、本物ですってばー!!!
こうして私はあえなく、黒髪が持っていた銛と一緒に狭くて暗い倉庫ヘ収監されてしまいました。
大変失礼なことにそこは壊れた武器をとりあえず置いておくところで、スメルニア兵の使う太陽紋の入った槍だの斧だのの欠け物が無造作に積み上げられておりました。
鞘がなく斬れる刃もついていない私は価値のない剣とみなされて、スメルニア兵に「なんだこりゃ」とせせら笑われながら倉庫ヘと投げ込まれたのです。
なんという……なんという屈辱!!
血止めの呪文がほどこされた我が鞘は、我が主が寺院にてキュクリナスを屠った時に抜き取られ、そのまま行方不明となりました。おそらく寺院のどこかに保管されていると思われます。
刃はともかく、せめて鞘を作ってくれと我が主に要求しなければ!
『もと我が主! ここ暗いんですけど! 何ですかこの扱いは! 何も見えません!』
二十四時間ごとの定時報告の際に、私は水晶玉の中にいる我が主に事の次第を訴えました。しかし――
『アクラさん、ごめん。僕はまだ水晶玉から出れないので、レナンの言うことを聞いて下さい』
『うううう!』
黒レクルーは私が話しかけても無視して答えてくれません。
あやつは完璧に私を捨てたつもりになっているんですよう。
途方にくれる私に、なつかしい人の精神波が響いてきました。
『だから言ったじゃないか。僕の言うことを聞かないからだよ、アクラ』
フィオンさん! ああ、あなたの声を聞きたかったです!
『バカなアクラ。倉庫におしこめられた? つまり捨てられた? 当然だよ。トリオンを主人にしたらいずれこうなることは自明の理だったんだ』
ああ、フィオンさん。あなたの仰る通りです。ごめんなさい。ごめんなさい。
しかし私の意志に反して、私のシステムは融通がきかな――。
『そこでちょっと頭を冷やすといいよ』
そ、そんな。怒らないで下さい。冷たくしないでくださいよ!
待って下さいフィオンさん! フィオンさーん!
……。
……。
……。
やっほー。
……。
……。
……。
誰の返事もありません。こだますら返ってまいりません。
しかし、何と狭い倉庫なのでしょう。この広さ、大人の足取りで五歩四方ほどしかありません。
役に立たなくなった武器たちの山のてっぺんで、私は二十四時間たつのをじりじりと待ちました。なんとか我が主に権利委譲モードを解除してもらわねば、ここから勝手に出ることもままなりません。
『大人しくどこぞに突っ込まれておけ』なんて、なんという命令でしょう。
武器の墓場に放り出されたため、私はおのれも壊れて使えなくなってしまったもののように感じました。
サビつき刃こぼれした武器どもはすでに魂が抜けており、どれも喋れるものがありません。私とともに放り込まれたトォヤ族の銛も、魂の宿るほど高級なものではありません。
寺院の宝物庫は、ロンギヌスさんやグングニルさんといった話し相手がいるだけまだマシな環境だったのですね……。私、とってもぜいたくだったかもしれません。クモ一匹しか食べられなくても。
ああ、優しい我が主。助けて下さい。助けて下さい――。
「是什么? 谁在吗?」
おや? 倉庫に誰か入ってまいりました。
紫の衣を羽織った若い男です。鋭い銀の瞳の、スメルニア軍の副官ではないですか。
たしか識破と呼ばれていた人です。なんだかとても不機嫌そうな顔をしています。
「是异怪的声音」
おっと、スメルニア語の自動翻訳を外してしまっていました。
翻訳機能を起動してみましょう。
「ふむ? 気のせいでしょうか。誰かの声がしましたが」
おぶっ。
紫の衣の男はいらいらしたそぶりで、どっかりと私の上に腰を下ろしてきました。彼はぶつぶつ何か文句を言いながら手にもった細長い筒をカチカチと音を立てていじりました。
それは銀色のキセルで、彼が口に含みますとポッと蒼白い光が先っぽに灯り、薄青い煙がくゆらくゆらと出てまいりました。すぱーっと青い煙を吐き出すと、シーポゥなる者はがっくりうなだれ深い深いため息をつきました。
「イリーナ……愛しています」
まるで呪文のように彼はもう一度唱えました。とても哀しそうに。
「愛しています」
それから彼は口を引き結んですっくと立ち上がり、キセルの火を消して衣の懐にしまいこみ、ひどくキリっとした顔をして倉庫を出て行きました。
その翌日。
『アクラさん! どうしてレナンが僕の体に乗り移ったって教えてくれなかったの?』
我が主から、怒りまじりの精神波が届いてまいりました。
どうやら黒レクルーと無事再会できたようです。
『こんな大事なことどうして黙ってたの!』
我が主は大変憤っておりました。そりゃあ驚くでしょう。黒髪ではなく、おのれ自身の体が動いているのを目の当たりにしたのでしょうから。
『言ったじゃないですか我が主。黒髪はあーんなことやこーんなことしちゃってますって』
『そんな抽象的じゃ分からないです!』
私、悪人面の主人に黙っていろと命じられたのです。
主人の言うことをちゃんと聞いたのですよ? だから責めないでくださいよう。
それよりなにより。
『前回の更新より二十四時間たちましたが。もと我が主は、まだ我が主に復帰されないのですか?』
『……。保留していいですか? あの、なんか信用できないので』
『ええええっ?!』
な、なんたること。我が主に疑いの念をかけられてしまうとは!
『あ、あの、外のご様子はどうなんですか? 首尾よくいってるんですか?』
『……』
へ、返事がありません。も、もしかして私、嫌われてしまったかも……
うああああ! おのれ! 黒レクルー!
奴のほくそ笑む姿が目に映るようです。
武器の墓場の上で私が悶え死んでおりますと。
「やはり、声がしますね」
倉庫にまた、あの紫の衣の副官が入ってきました。
昨日にも増して、とてもとても不機嫌そうな顔をしています。
おぶっ。
彼は非常にいらいらしたそぶりで、どっかりと私の上に腰を下ろしてきました。彼はまたぞろ銀色のキセルをカチカチいじって火をつけて、すぱーと青い煙を吐き出しました。
昨日よりも、吸い方がとても投げやりです。
相当ストレスが溜まりまくっている感じです。
シーポゥなる者は、がっくりうなだれ深い深いため息をつきました。
「癒やし手だと? 私の術を破るなんて。ふざけるな……」
それから彼は昨日と同じ言葉をつぶやきました。
「イリーナ。愛しています……」
まるで呪文のように彼はもう一度唱えました。とても哀しそうに。
「愛しています」
彼は突然キリッと表情をかためて立ち上がり、キセルの火を消して、倉庫から出て行きました。
次の日も、紫の衣の識破はやってきました。
昨日よりもさらにさらに不機嫌極まりない表情をしておりました。
私の上に腰を下ろし、銀のキセルに火をつけて、彼はすぱーすぱーと激しく青い煙を吐き出しておりました。
「……」
おや? 今日はずっと無言です。
「愛しています」は出てこないのでしょうか?
『ずいぶんストレスがたまっているようですが。いったいどうなさったのです?』
私はとても気になって、彼にこそっと聞いてみました。
すると識破は銀の瞳を細め、小首をかしげました。
「やはり空耳ではなかったようですね。何者か名乗りなさい」
『我らは、栄光在るスメルニア軍の、あえなく朽ち果てました武器どもの英霊です』
「……ほう?」
銀の瞳の人は興味をそそられたようで、探るように周囲のあちこちに鋭い視線を飛ばしました。
『ここ数日大変お悩みのご様子。我らは心配でなりません』
「我ら? 私の心配をしてくれるとは、また不思議なことをなさいますね」
『我らはスメルニア人を守る武器どもなれば、スメルニア人を気にかけるは当然の道理にございます。千々に乱れる心の内を、ここで語ってみてはいかがです? いくらかでも気が休まることでしょう』
なーんちゃって、ただの野次馬根性なだけですけど。
銀の瞳の男はしばらくじっと刃こぼれした斧だの剣だのを見つめておりましたが、私の言葉に誘われたのか、ため息まじりに語りだしました。
「……我らが巫女姫様の持つ水晶玉の中に入っているえたいのしれない者が、面妖な者を呼びよせました。癒やし手なる者です。とてもうさんくさいというのに、治療の腕は確かなのです。そやつはあっという間に病の原因は発掘された浮遊石の粉塵であることをつきとめて、兵士たちを治し始めております……」
識破はいらただしげに青い煙を吐きだしました。
この人は勘が鋭いらしく、我が主たちのことをとても疑っているようです。
「水晶玉は、こたびの病はトオヤ族を虐げたせいだと告げたゆえ、ヤンジン様は震え上がってトォヤ族を解放してしまいました。病を治すのに必要な材料は彼らにしか取れぬため、私は彼らを正規雇用する羽目に陥りました。経費はできるだけかけたくなかったのですが……天罰といわれれば仕方がありません」
なんですと?
水晶玉の我が主が、託宣一つでツヌグさまを救ったというのですか!
なんとすばらしい!
「水晶玉は巫女姫様が大事にしているものゆえ、なかなか手が出せませんでしたが、先日、それを癒やし手に奪われてしまいました。実は姫は側女に毒を盛られて、舟から降りられずに臥せっておられます。癒やし手は姫を治す報酬として水晶玉を寄こせと脅してきました。私は抵抗しましたが、あの者の韻律の技にあえなく敗れ……力づくで取引させられました」
『それは大変お悔しい思いをされたことでしょう』
私はスメルニアの武器になりすまして、同情の言葉を述べました。
「さらにいまいましいことに、癒やし手は奇跡を起こしました」
銀の瞳の男は、銀のキセルをぎりぎり握りしめました。
「あやつの、死んだ夫をよみがえらせたのです。地下から黒い髪の男が生き返って出てきたのです。おそらく水晶玉の中にいた者が、もとの体に入ったのでしょう。ですが我らの兵士は畏怖と恐怖に包まれて、癒やし手を崇める者も中には出てきております」
おお、黒レクルーの作戦通りですね。やつも我が主も、ついに自分の体に戻ったということでしょうか。
銀の瞳の男は、癒やし手夫婦が軍内に治療所を開業したと苦々しげに言いました。薬の材料の調達は、トォヤ族の方々に手伝わせているのだそうです。
「陽睛ヤンジンさまは、得体の知れないあの夫婦を軍医として正式に雇われるおつもりです」
『それはそれは』
「たまらなく心配です。我が巫女姫様が……私のイリーナが……」
お?
「あの水晶玉の男にこんなにも心奪われてしまうとは……」
銀の瞳の男は頭を抱え、つぶやきました。
「ああイリーナ、なぜあんなものに惑わされたのです……」
なるほど。イリーナというのは、巫女姫の名前だったのですね。
……って。ええとつまり我が主は、巫女姫に惚れられたってことですか?!
それはちょっと困ります。我が主にはツヌグさまがおられるのです。
あ、でも、巫女姫って美人なのでしょうか?
もし絶世の美少女だったら、どうしましょう?
『巫女姫なる方は、とてもお美しい方であられるのですね。あなた様がかようにお悩みになるほどに』
それとなく探りを入れますと、識破はため息をついてうなずきました。
「ええ、とても。私はあの方と幼なじみでした。幼き頃は兄妹のように湖の岸辺でよく遊んだものです。しかし今は手が届かぬ方に……」
『切ないですねえ。しかし男たるもの、惚れた女性を奪い取るほどの気合がなくては、守ることなどできませぬよ』
「……そうですね」
ふうっと銀の瞳の人は蒼い煙を大きく吐き出しました。
「心中を吐露して少し気が楽になりました」
彼は私から尻をはなしてすっくと立ち上がり、キセルの火を消しました。
「何が起ころうと、私は我が姫を守るのみ。今のところは姫に薬を与えてくれる癒やし手を大目に見ることにします。ですがもし、我が姫に毒となるものを与え始めれば――」
銀の瞳がすうと細くなり、私を見下ろしてきました。
「容赦はいたしません。そう主人に伝えなさい、戦神の剣」
え。
ちょっと。
もしかして、ばれてました?
「ひと目見て分かりましたが何か? 我が皇宮の宝物庫にあなたの複製品が飾ってありますよ? こんなに喋るものだとは思いもしませんでしたがね」
え。
ちょっと。
知ってて、私を尻に敷いてたんですか?
「あなたの刃はなまくらで広いですからね。ちょうどよい椅子になりました」
銀の瞳の副司令官は冷ややかな一瞥を投げ、サッとキセルを胸元にしまうと、颯爽と倉庫から出て行きました。
キリッと引き締めた顔は、あたかも冷たい氷の仮面をかぶっているかのようでありました。
識破:千里眼の意味。




