28話 契約させようとする私
『それではこれより、暫定二十四時間の主従契約を結びます。私の百の機能及び規約を読み上げますので、よく聞いてくださ……ちょっと! トリオ……えっと、レナンさん、聞いておられますか?』
我が主の思し召しで導師トリオンに委譲されてしまった私は、渋々ながらもさっそく、新たな主人と手続きをしようといたしました。
が。
案の定、黒髪の導師は私の言葉など少しもマジメに聞く気などなく、我が主の抜け殻を抱えてさっさと先に進んでいきます。
そのあとに続く雪豹の仔。それを情けなくも、よろよろずるずる、自力で追いかける私……。
『待ってくださいよ! ちゃんと私と契約してください!』
「うるさい。今忙しい」
『契約しないと、私を持つことすらできませんよ?』
「おまえなどいらぬ。こちらの方が断然いい」
黒髪は我が主の銀の杖を握り、ほれぼれと眺めました。
「この杖は俺の魔力が何十倍にもなる。さすがゼクシスの業物だ」
くうう。魂などこめられていない、物いわぬ杖の方が、伝説の剣の私よりいいなんて。そやつは今までひとことも喋ったことのない、ただの魔力増幅装置じゃないですか。
「そこがいいんだ。道具は単に道具であればいい。余計な口を挟む能力など、わずらわしいだけだ」
余計じゃありませんよ。私、しごくまともで役に立つことしか申しません。
ともかく契約を……
「断る! おおかた、俺をだましておまえを主とする契約をするつもりだろうが。柄を持たせて神気を浴びせかけ、俺の意思を封じ込める魂胆だな?」
ぎくう。まさかそんなことしようなんて……思いっきり思ってましたけど!
さすがは黒の導師、従属強制系契約術を知り尽くしているようですね。
「やはりな。おまえは全く信用できない」
『それはこっちのセリフですよレナンさん。フィオンさんから聞きましたよ? あなたがかつて、あの人にどんなひどいことをしたか』
「ひどいことだと?」
黒髪は立ち止まって振り返り、私を恐ろしい形相で睨みつけました。
「俺はあの子が……ずっと探し求めている俺のかたわれではないかと思った。それが真実かどうか、確かめただけだ」
うわ。胸張って犯罪を正当化してますよこの人。
「俺のことを本当に愛しているなら、受け入れてくれるはずだ。だがフィオンは抵抗して……俺とひとつになるのを拒んだ。あいつは、俺のかたわれじゃなかった……」
『確認方法が、不適切です。手篭めにするなどありえません』
「何を言う。それ以外に、つがいであることを確かめる方法なんてあるのか?」
『ちょっ……』
私は絶句しました。
このケダモノは根本的なところから、えらく育ち間違っているようです。
『それ違います。絶対違います。肉欲の愛は必ずしも必要ではなく、より大事なのは、精神的な愛ですよ。つまり心と心の――ちょっと! おやめなさいってば』
黒髪が我が主の唇に口づけし始めたので、私は嫌な予感がいたしました。
「この子は俺を受け入れてくれた。なにより相性が最高なんだ。だから絶対俺のつがいに違いないんだ。なのに……ちくしょうフィオン……あいつはいつも、俺たちの間に割って入る。あいつさえいなければ、俺たちはもっと深く愛し合えるのに……。……。……。
もしかして、今ならフィオンの抵抗が無い? ちょっといじっても邪魔が入らない? それじゃ……」
『だめー! だめだめだめだめ! 無断でいじっちゃだめですううううう!』
うわあやっぱり。私は必死で止めました。とっさに、『勝手に何かしたら絶対おまえは我が主に嫌われる』と脅しました。すると黒髪はびくりとして、一瞬我が主を離しました。
「嫌われる? それは……嫌だ。絶対嫌だ。そんなの、耐えられない」
『じゃあ我慢しなさい。この状態で口づけ以上のことをするなんて、フェアじゃありません。ぜっ……たい、あなた軽蔑されます。嫌われますよ。捨てられます!』
「う」
おお。黒髪の顔がみるまに蒼くなって、我が主からかなり離れましたよ。
嫌われる。捨てられる。
こやつには、タブーの言葉のようです。まるで伝家の宝刀のように効いています。
こやつ、孤児院出身と言いましたっけ? 親の愛を知らぬ身ゆえに、愛そのものに飢えているのでしょうか。まるで、ひどく怒られて怯える子供のような顔になっています。
『我が主をいじりたけりゃ、今すぐその魂を救いだせばよろしいのです、暫定我が主』
「でもフィオンはいらない。奴の妨害がうざすぎる」
『フィオンさんはとてもよい方ですよ。今度、二人で冷静に話し合ってはいかがですか? それに私と契約すれば……』
「黙れ! 断る!」
ちっ。頑固な奴です。伝説の剣である私のしもべになるなんて、とても光栄なことだと思うんですけどねえ。私にかかれば、あんな小さな銀の舟など、我が衝撃波でどかーんとイチコロ、一発解決ですのに……って、あ? あれ?
銀の戦舟は……? ど、どこに?
湖の岸辺に駆け寄った私と黒髪は、茫然といたしました。
我が主が囚われたという銀の舟が音もなく動き出し、塩湖の彼方へ向かっているではありませんか! ツヌグさまが囚われているらしき質素な色の舟も、そのあとを追うようについていっています。
「くそ! レクルーが砦を偵察した時、巫女姫の手下に感づかれたと言ってたから……」
『おやまあ。敵に警戒されて、逃げ出されたってわけですか?』
「追いかける!」
黒髪は湖の岸辺に沿って走りました。幸いなことに丸木舟が一艘、木に繋がれているのが見つかりましたので、我々は急いでそれに乗り込みました。
ツヌグさまの邑をお救いした時、捕虜にしたスメルニア兵の事を探るために、二人の邑人が偵察に出たのですが。この丸木舟は彼らが乗っていったものに違いないと、黒髪は断じました。その二人は砦の中に囚われており、巫女姫の手下に操られて、浮遊石を掘らされていたそうです。
「ここに住んでいた者たちも、その手下の変な術で意志を抜かれて使役されている。ツヌグたちの邑を襲った水賊たちも同様で、もともとここで働かされていたようだ。だが、反抗的な部下が勝手に連れ出して邑を襲わせたらしい。おいおまえ、レクルーと連絡がとれるか?」
『ええ、精神波で会話ができますけど?』
「この塩湖は外海に繋がっている。銀の舟がどこに向かうか聞きだせ。本国へ戻るのか、それとも別の場所へ移動するのかどうか」
『私に命令するのなら、ちゃんと契約してからにしてください』
「だれがお前なんかと。お前のしもべになるのはごめんだと言ったろう」
『じゃあ知りません。あなたは露ほども信用できませんからね』
「このやろう……」
黒髪は怒気燃える目を向け、今にも呪詛を投げかけてこんばかり。
しかし私は、怯まず宣言いたしました。
『我が主は、レクリアル・ノーン唯一人。その指紋と血液と声帯と精神波こそは、他の何ものにも優先されるもの。あんたなんぞ、たとえ我が主の命令であろうが、たとえ我が声がはっきり聞こえようが、私が従うべき主人であるなどと絶対認めるものですか!』
「おまえ、今なんと言った? レクルーの指紋と血液と……」
『声帯と精神波です』
「そのどれかひとつで、おまえは主人を認識するわけだな?」
『さようです。それ以外のものは、なんであろうと認めません』
「わかった」
『はい? え……ちょっと……!?』
黒髪がなにやら長たらしい韻律を唱え始め。その全身を一瞬光らせたかと思いきや。
なんと水色の魂が飛び出して――
『ちょ――――!』
丸木舟に横たえられた我が主の体の中に、すぽんと入り込んだではありませんか!
どそりと黒髪の体が倒れこみ。反対に、我が主の体がむっくりと起き上がりました。
「さて……これでいいわけだな? このレクルーの声で命令すれば、おまえは何ものにも優先して、なんでも俺の言うことをきくってわけだ」
『な、な、な、な、な……!!!!』
ちくしょう、やられました。このくそ導師、なんてことを!
あろうことか、我が主の体に乗り移るなんて!!
我が主を操る黒髪は、勝ち誇った表情で命じました。
端正な少年の、薔薇色の口の端を嫌というほど引き上げて。
私の身に主人の証であると刻まれた、まごうことなき我が主の声で……。
「いますぐ、銀の舟の行く先をレクルーから聞きだせ。まがいもの」
と、とんでもない事態になってしまいました。
我が主の小鳥のような声で、一人称「俺」とか……
そのあどけないかわいい顔で、口の端ニヤリとか……
超偉そうにどっかり胡坐の腕組みの舌打ちとか……
ああ、なんという超邪悪な悪魔ヅラ!
大体にして、私はまがいものじゃないです!
我が主もどき、あんたこそまがいものでしょうがっ!
「俺がレクルーの体に入ったことはあの子に絶対言うなよ。言ったら即、おまえを湖に投げ捨ててやるからな?」
『ぐふっ』
私は脅されました。我が主の声で。
私は蹴られました。我が主の細足で。
なにこの、サドでダークサイドな我が主。さいこ……いやああ! だめだめだめだめ! こんなのに流されちゃだめえ!
我が主は、純粋無垢でまっ白な優しい天使のような子じゃないとだめえ!
喚く私にダメ押しとばかり、黒レクルーは雪豹の仔をけしかけてきました。
悪魔のような笑みを浮かべながら。
「みゃあ」
うぎいいいい! 獣いやああ!
はあはあ……おのれ……!
「もっといたぶってやろうか?」
『うううう……も、もうやめてくださ……勘弁してくださ……』
「じゃあ大人しく言うことを聞け。まがいもの」
『せ、せめて、まがいものよばわりはやめ――』
「早くしろ!」
『げふっ』
渋々私は、我が主の精神波を捉えました。
『もと我が主ぃ……暫定我が主がぁ……』
『ああ、アクラさん! 大変……舟が移……してる……!』
互いの距離が離れゆく中。我が主の返事は少々感度悪く返って参りました。しかしフィオンからはまったく音沙汰がありませんでした。
私が彼の言うことをきかなかったので、すねているようです。
あのフィオンに今の状況を知られようものなら、一体どうなることやら。半狂乱になられるのは必至でしょう。
『アクラさん、僕は今、アクラさんが大好きそうな女の子に抱きしめられてます……』
非常に困惑している我が主の報告によりますと。
我が主は『妖精』と勘違いされて、巫女姫なる者に囚われたそうです。
封じこまれた水晶玉は姫にぎっちり抱きしめられて、周囲は皆目見えないのだとか。
そこで我が主は姫と会話することで、いろいろと情報を得てくれました。
それによりますと舟はスメルニア本国へは戻らず、北西の火山を迂回して、別の宿営地へ向かっているそうです。
スメルニア軍の目的の第一は、ロンティエの動力源である浮遊石の確保。
そして第二は、巫女姫の力で黒い竜の神獣を目覚めさせることだそうです。
姫は北五州の大公家のひとつである黒竜家の血を引いており、黒い竜を目覚めさせる鍵となれる存在なのだとか。
なるほど。神獣発掘が目的だったとは。
しかし黒竜家ゆかりの神獣といえば、水竜ヴァーテインのことじゃないですか。かつて北五州を水びたしにしたあの竜を手に入れようとしているとは……スメルニア皇国は、とてもきな臭いことを考えているようです。
私は黒レクルーに逐次、我が主が得た情報を伝えてやりました。
悪意まんまんの脚色つきで。
『もと我が主は、きれいな女の子に抱きしめられてて、とーってもうれしいそうですよ』
私は我が主にも、黒レクルーのことを伝えてやりました。
悪意まんまんの脚色つきで。
『あなた、役立たずとぼやかれてますよ。とっとと姫を説得して、自力で逃げ出して来ればいいのにって、悪人面の人がぐちぐち言ってますうー』
私は容赦なく、二人が離れているこの状況を最大限に利用することにしたのです。
我が主と黒レクルーを繋ぐものは、現在この私しかおりません。
ここでうまく二人の心をすれ違わせれば。ツヌグさまを我が主の嫁に迎えるという夢のハッピーエンド計画が、ステキに大進行するではないですか!
私の目論見どおり、純真な我が主は私の伝える「黒髪の言葉」に傷ついて、哀しみを帯びた精神波を放ってくるようになりました。
しかし。
黒レクルーの方はというと……
「ふん。お前は信用できない」
口惜しいことに、私の言葉を信じてくれる可能性など、一ミクロンもなさそうでした。
メニスの甘露の魔力が作用しているのでしょうか。
それともこやつの精神力は、私が思ったよりもはるかに一途で頑強なのでしょうか。
黒レクルーはひとりで一所懸命櫂をこぎ、ひたすら丸木舟を進めるのでした。
スメルニアの戦舟を追い求めて。
黒レクルーは私の口撃をものともせずに、櫂を漕ぎ続けました。
しかし肉体には限界というものがあります。
彼は数時間もすると、櫂を投げ出して船べりにぐったり寄りかかってしまいました。
息が切れて苦しそうです。体の調子がとても悪いようです。
さもあらん。キュクリナスに虐待され、底なしの泉に投げこまれ。鍾乳洞で厳しいサバイバルを経験してきた上に、ここ数日の戦闘や強行軍。しかも片足が不自由……。もともとか細い我が主の体は、酷使され続けてついに音を上げてしまったのでした。
「頭が痛い。足が重い。胸が痛い……かわいそうに……レクルーはこんなひどい状態で、今まで動いていたのか?」
うあ。黒レクルーが目を潤ませながら、毛皮の服を脱ぎました。
うあ。なんか我が主の体をくまなくべたべたさわっています。
「なるほど……成長が進んでるな。成体になりかけてる」
お、おやめなさい! 自分でいじるのはOKとか、そんなのだめだめだめだめ!
「どこが悪いか検分してるだけだ。誤解するな、まがいもの」
『で、ですがまじめな検分とは思えません。こんな寒い中、すっぽんぽんになるなんて』
「黙れ!」
『ぐひい』
ああ、また我が主の細足で蹴られてしまいました。
我が主、黒髪はあなたがいない間にやりたい放題ですよう。
私、もう耐えられません。マゾな体質に開発される前に、こやつを喰っちゃっていいですか?
『だめ! 食べるの絶対だめ!』
我が主から、即座に返事が返ってまいりました。ちっ……。
「何を身悶えている?」
『本物の我が主が、あなたを食わせてくれません』
「ふん、馬鹿なことを願うな!」
『げふう』
また蹴られた私は、倒れたままの黒髪の体の上に転がりました。雪豹の仔が合いの手を打つように私をさらに蹴り飛ばし、舟の隅に追いやりました。
黒レクルーは寒さに震えながらも、しばらく裸のままで我が主の手足を撫でさすっておりました。とくに腱の切れた足は念入りに。
「俺の大事な子にこんなことをして……許さない。まがいもの、この足を切ったのはだれだ?」
教えちゃってよいのでしょうか。非常に嫌な予感がいたします。
「答えろ!」
ひい。我が主の声で命令されたら、私、抗えません……
『キュクリナス、です』
「あの長老か。俺が処刑されたあと、レクルーはそいつの弟子になったんだな?」
『う』
「違うのか? だれがレクルーの所有者になったんだ?」
『そ、そうです。キュクリナスです』
「むろん奴は、レクルーに伽をさせたんだな?」
『う。えっと、その』
「大方逃げられぬよう監禁でもしたんだろう? だから足を切ったんだろうが」
『そ、そうです。毎晩どころかヒマさえあればそのー、あー、もうそりゃあ大変な狂いようでー。いやあやっぱり、メニスの血はこわいですねえ』
次の瞬間、黒レクルーの鳶色の髪の毛がぶわっと逆立ちました。
彼は銀の杖を持ち、恐ろしい呪詛を唱え出しました。
なんというおどろおどろしい詠唱なのでしょう。地獄の底から響き渡るような低くて暗くて、冷たい声音。
私は身が凍るかと思いました。
銀の杖の先から真っ黒な怨霊のようなものがいくつも飛び出し、南へと飛んで行きました。
韻律を放ち終わった黒レクルーは顔をうなだれ、くつくつと悪魔のように笑いました……
「この子の体に宿る魔力は微小だが、杖の力でなんとか飛ばせたぞ。寺院の結界を破れるかどうかは分からぬがな」
『い、いまのは?』
「師から教えてもらった最強の呪いだ。成仏も転生もさせぬようにする呪い……これからずっと唱え続けてやる。俺が死んでも、ずっと唱え続けてやる……」
悪魔のように引き上がった黒レクルーの口が、突然歪みました。彼は哀しみを帯びた菫の瞳で、黒髪流れるおのれの体を眺め下ろしました。
「まっくろ……嫌な色の髪……きれいな俺の子と全然釣り合わない……次はこいつの番だ」
『えっ?!』
黒レクルーは動かぬおのれの体に馬乗りになり。迷うことなく白い手を伸ばし。その首を両手でつかんで……
『な、なにをするんです!? ええええっ?! ちょっと! 待っ……!』
「こんな奴いらない……大事な子を守れない役立たずは、死んでしまえばいい」
私は我が「目」を疑いました。
黒レクルーは、締めました。
ぎゅうと、力いっぱい締めました。
黒髪男の――すなわち、おのれの首を。
まるで憎い相手を殺さんとするかのように。
いまや堰を切ってあふれる涙が、白い頬を伝い落ちておりました。
動かぬ黒髪の男の、血の気の失せた唇の上に。
ぼろぼろと、絶え間なく落ちておりました。




