25話 確信する私
『なんですかその反則技は!』
私が叫びますと。銀髪の超美形青年と化したトカゲは、形よい口を引き揚げてくつくつ笑いました。
「反則? 剣よ、我は竜ぞ。高度な魂を持つゆえ、魔力に満ちている。しかもいまや神獣として鉄の声帯を与えられ、韻律を唱えられる。変身術など、他愛もなきことだ」
鉄の声帯……なるほどよく見れば、白く美しい胸に金属の部分があり、刺青のような紋様になっています。灰色の大導師が取り付けたものでしょう。その部分だけは変化せずにそのままの大きさで残るようです。
しかしそんじょそこらの美形とは、段違いレベルの容姿。
淀みなく澄み切った美声。
身体からほんのり漂う甘い香り。
これは、まごうことなく――!
『人間じゃない! メニスじゃないですか!』
「いかにも、この姿こそ我の生前の姿であるからな」
変身術には、一つの制約があります。
術者が己れ自身を変化させる場合には、前世で生きた事のある生物にしか変じることができません。
すなわち。このトカゲはかつてその前世において、今の我が主や、あの魔王フラヴィオスと同じ種族の者であったのです。
「メルドルーク、外に誰かいるの? おねがい、はやく戻ってきて」
「リンデ、おとなしく待っておいで。すぐにまた、我が甘露をたっぷり吸わせてやろうぞ」
美青年の甘ったるい口調に私は身震いいたしました。
甘露と呼ばれるメニスの涙や体液は、甘い芳香を放つ恐ろしい液体です。長寿の秘薬にして、恐ろしい媚薬です。
かわいそうに、リンデは甘露を飲まされて、脳味噌をとろかされてしまったのです。
おのれ、あんなちっさなトカゲのくせに、いたいけな少女を骨抜きにするとは!
「……そなた今、こんな小さいトカゲのくせにと思ったな?」
銀髪の美青年の瞳に怒りの光が煌めきました。
ええ。思いっきり思いましたよ。
私だって。手が欲しいですよ。
私だって。足が欲しいですよ。
そしてこの時は、ハンカチぎりぎり噛み締める口が、無性に欲しかったですよ!
なんでこんなちっさなトカゲにすらできる芸当が、私にはできないのでしょう。
韻律を操る魔力さえあれば、こいつより百万倍かっこいい我が生前の姿に変じて、甘露などというチートなしで、リンデの心をわしづかみにしてやるものをっ!
「みくびるでない。我はメニスとしてきっかり千年生き。竜としてきっかり二千年生きているのだぞ」
ふん、こいつまだまだひよっこじゃないですか、と私は思いました。
この時の私の年齢は、四千九百六十六歳でした。
こやつ流に前世の人生も含めると、五千と一歳です。
かなり年上ですのでもっと偉そうな口調でもよかったのですが、私は英国紳士ですので、上品な言葉で言ってやりました。
『妻を麻薬のごとき甘露に漬け込むのがあなたの流儀ですか? 花嫁を娶るちゃんとした手順をお踏みにならなかったので、花嫁の兄も私も、大変遺憾に思っております』
「花嫁だと?」
美青年はくっ、と鼻で笑いました。
「確かに、大導師がリンデの父親代理となり、婚約式やら結婚式やら盛大に挙げさせられたわ。笑うしかない茶番であった。奴め、最強の神獣を作ると大はりきりであったが、しかしなぜ今は、玉座のそばに倒れているのだ?」
『ああ、それは……』
ついいましがた、我が主とともに大導師を倒したばかりだと教えてやりますと。
美青年はたちまち鼻白み、怒りの咆哮を吐き出しました。
「なんだと? では一体これから誰が、我に生贄を捧げるというのだ!」
竜王と称するトカゲ青年は、大導師と恐ろしい契約を交わしておりました。
それは。神獣として改造されることを許す代わりに、三日に一度「生贄」を受け取るというものでした。
見目麗しい青年は怒り心頭で、倒れたジークの胸倉をつかんで無理やり起こし、有無を言わさず命じました。
「おまえが大導師の代わりとなれ! 生贄を我によこせ!」
青年から神気が放たれました。
そこでようやく私は、こやつが本当に竜であることを認識しました。
まがりなりにも千年以上生きたため、こやつは本体の大きさに似合わず、すさまじい魔力を持っていたのです。いかな韻律を極めた導師とて、こやつを魔力で抑えることはできなかったでしょう。
神気を放たれたジークは、たちどころに体を動かす自由を奪われました。
美青年はジークの頭を掴んでずるずる引きずり、塔のてっぺんにあるもうひとつの隠し部屋を見せました。
そこは乾いた血で一面黒色に染まっており、無残に食われた生贄たちの骨が散乱しておりました。
骨の主が生前着ていたであろう服の切れ端が、犠牲者は若い少年少女ばかりであることを物語っておりました。
本体が小さい竜は、おそらくこの美青年の姿で食事をしたのでしょう。
メニスは躊躇なく共食いをする種族ですから、あたかも吸血鬼のようにがっつがっつ、生贄の首に喰らいついたに違いありません。
「なぜこんなことを……」
ジークが真っ青になりますと。竜は憎しみを帯びたまなざしで彼を睨みました。
「我がかつて人間どもにされたことを、やり返しているだけだ」
小さな竜は、人間を心底憎んでおりました。
この星に降り立つや、あっという間に環境を改造し、他種族を圧倒し、先にこの星に住みついていたメニスを虐げた生き物を。
なぜなら奴には、メニスであった時の記憶がしっかり残っていたのです。
「我は人間に捕まり、生きながら四肢をバラバラにされた。我が手足は、我の目の前で長寿の秘薬とされるべく、切り刻まれた。我が瞳は、その場で人間の王に喰われた……! 毎夜その記憶が我を苛む……」
目を見開き、見目麗しい青年は辛そうに言葉を吐きました。
「千年、耐えた。生みの母が我を慰めてくれたゆえに。
もう千年、耐えた。我がつがいとなったメニスの乙女が、我を愛してくれたゆえに。
だが……我がつがいは、殺された。我のように殺された! ゆえに我は決して許さぬ! 人間という種族を! 人間どもに復讐を! 死を!」
青年が歯をむき出して吐き出した怒りの咆哮に、塔はぶるぶる震えました。
「リンデの兄よ。我に人間を捧げるのだ。命令を聞かねば――」
奴はとろりとした顔のリンデを部屋から引っ張り出し。その白い首筋を長い舌で舐めあげながら目を細めました。
「おまえの妹を喰ろうてやる」
ジークの思考は、怒りと混乱ではじけました。
彼にとって、妹は何より大事なもの。少しのキズもつけてはならない至宝。
喰われるなどもってのほかです。
竜がリンデのことをまったく愛していないのは明白でした。こやつは己の復讐を敢行するために、大導師に協力していただけだったのです。
「フランベルジュ! いますぐ竜を食え!」
『了解我が主!』
私は聖なる波動を放ち、竜の魂を引きずり出して喰らおうとしました。
奴の抵抗はすさまじく、波動を素手ではじき返し、私をへし折ろうとしてきました。
今、私の目の前で我が主を抱いて寝ている黒髪どころじゃありません。
奴はそれ以上のバケモノでした。
しかし年下のひよっこなんぞに負ける私ではありません。金縛りで動けぬジークをかばいながらじりじりと押し返し、何とか竜の魂を体から放すことに成功いたしました。
『これが年の功というものですよ!』
私が勝利を確信し、奴の魂を喰らおうとした瞬間――。
「やめて!」
なんとリンデが我々の間に割って入り、いきなり歌いだしました。
そのとたん、竜の魂はみるまに体へ舞い戻り。その体が少女の不思議な歌声に包み込まれて神々しく輝き始めました。
その光こそは。稀有なる歌姫の、歌の魔力。
大いなる加護の力が竜を包み込んだのです。
リンデは夢うつつの中でとろけた顔をしながら、歌い続けました。
甘露でつなぎとめられた「いつわりの恋人」のために。
「おお、私のリンデ! 素晴らしい! そなたはメニスの純血が操る魔人以上だ!」
歌姫の加護をまとった竜の中の竜は無敵となり。
その手のひと薙ぎで、塔のてっぺんから私を弾き飛ばしました。
「フランベルジュー!」
ジークの悲愴な声を聞きながら、私は塔の真下の深い堀の中へ落ちていきました。
それからしばらくの間。私は竜の魔力におさえられ、ぴくりとも身動きできなくなったのです……。
見事な敗北を喫した私は、もんもんと堀の中で時を過ごしました。
私を失ったジークは、愛しい妹を守るため、竜王に従うしかありませんでした。
『おやめなさい。英雄ジークの子孫とあろうものが、狂った竜に協力するなど』
暗い堀の中から、私は精神波を放って必死に訴えましたが。
妹を人質に取られているジークは、聞く耳を持ちませんでした。
「止めるなフランベルジュ。エサをやらねばリンデが殺される」
『トカゲは彼女の歌の力に惚れこんでます。おいそれと喰ったりなどは……』
「気休めを言うな。エサがなくなれば、一番身近なものから喰い出すに決まってる」
『ですが少年少女は、さらってくるモノじゃありません』
「リンデ以外の子なんか、守る価値など……」
『ジーク・フォンジュ!? な、何をたわけたことを!』
「リンデが生き永らえるなら、俺はそれでいい……」
『ジーク!!』
ジークは塔の近くの街や村から、次々と子供たちをさらってきました。
大導師から奪った灰色の衣をまとい、血走った目をフードで隠し、まるで死神のような格好で。
三日に一度、ジークはリンデに会うことができました。
でもそれは、竜王が食事をするほんのひと時の間だけ。リンデはすぐに「愛の巣」に引き戻され、浴びるように甘露を飲まされ、歌を歌わされます。
「リンデ……リンデ!」
壁越しに妹の歌を聴きながらすすり泣くジークの声は狂おしく。はるか下の堀の中までびんびん響いてきました。
トカゲにまとわりつかれた妹を見た瞬間。この野ザル顔の兄の中で、リンデは美しい妹ではなく、「ひとりの女」になってしまったのかもしれません。
それからまもなく、狂えるジークは気づきました。
少しでも長く、愛しいリンデと一緒にいられる方法があることに。
彼の精神波を読んで事を察した私は、あわてて必死に訴えました。
『生贄を増やすなんて! おやめなさい! いけません!』
しかしジークは苦しそうに答えました。まるで泣いているように、その精神波は震えておりました。
「俺の手はすでに血まみれだ。これから何人殺そうが同じこと」
『同じなものですか! 今すぐ、なんとかして竜王を倒すのです! そうすれば、ずっと一緒にリンデといられるじゃないですか!』
「無理だフランベルジュ。奴の魔力は強大だ。俺には、奴の時間を盗むことしかできない。それに……俺の気持ちは永遠に叶わぬものだ。たとえリンデを竜王から引き離したって、叶わぬものだ。俺はあの子の兄で、ひどく醜い。リンデが俺を恋人として愛してくれるなんて、絶対にありえない。だから甘露漬けのあの子を独り占めするほうが……」
『おやめなさい! 愚かなジーク!』
私の言葉は、彼に届きませんでした。
竜への「生贄」は二日に一度捧げられるようになり。
ジークは二日に一度、リンデに会えるようになりました。
いくらもたたぬうちに、「生贄」は毎日捧げられるようになり。
ジークは毎日、リンデに会えるようになりました。
人の欲望とは底なしのもの。いったんタガが外れれば、歯止めがきかぬものです。
ジークはそれで満足することなく、ついには竜王にこう進言しました。
「人間は一日三回、食事をします。竜の中の竜は人間以上の存在なのですから、もっと食事をされるべきです」
「しかしこのごろ食傷気味でな。どうも喰い残してしまう」
「一番おいしいところだけ、喰らえばよろしいのです」
ジークは塔に巣食う鉄の獣どもを駆使して、大規模な狩りを始めました。
またたくまに近隣の街や村が蹂躙され、たくさんの人間が囚われました。
竜王は一日に五回も生贄を屠るまでになり、人間の心臓だけを喰らい、あとはジークに処理を任せました。
ジークは生贄の骸を、塔の周囲の掘に投げ込みました。
たちまち塔の掘はいたましい骸だらけになり、塔の周囲に犠牲となった者たちの魂がさまようようになりました。
何百、何千という魂たちは、まるで蛍のように淡く光りながら、さめざめと嘆くのでした。
悪いことをすれば必ず報いを受けます。
近隣の人々は恐れをなし、王に嘆願しました。
塔に巣食う竜王と、奴に仕える灰色の死神を退治してくれと。
王は迷うことなく、自身が所有する神獣とその眷属を派遣しました。
その神獣こそは、灰色の大導師がこの世で一番始めに生み出した大鳥グライアの神獣でした。
その天使のごとき神獣は、愛する伴侶の手によってさらに美しく強大な六翼の神獣に生まれ変わっており、不敗の呼び名をほしいままにしておりました。
竜王メルドルークは塔に巣食う鉄の獣たちだけでなく、己の親族である生身の竜たちを召集して応戦しました。
人間を憎むこの竜にとって、人間の王国と戦うことは、まさに望むところであったのです。
竜はあの美しい青年の姿で巨大な竜の背に乗り、戦いに臨みました。
塔を守るよう命じられたジークは、かつての大導師のごとく、塔のてっぺんにひき篭りました。
七日七晩、空は真っ赤に染まり。
大地には、鉄と鋼の残骸が雨のように降り注ぎました。
神々しい竜たちと天使のごとき鳥が、己の眷属と共に空の高みで激突している最中。
私は、己を縛る竜の魔力が消えていることに気づきました。
神獣との戦いに専念するために、私に送られる魔力が切られたのです。
これ幸いと、私は塔の周囲を群がり飛ぶ魂を集めました。
何百、何千という魂を、喰って、喰って、喰らいまくりました。
私がひそかに力を蓄えているうちに、竜王は辛くも六翼の神獣を破り、凱旋してきました。
しかし奴は、再び私を魔力で縛り付けることはできませんでした。
国王は神獣の軍とは別に、何万という普通の人間の軍隊を送り、塔を攻めさせたのです。
七日に及ぶ戦いでひどく弱っていた竜王は、己が魔力と、自軍の大半を失っておりました。
王の兵たちは奴とその残党にとどめを刺すべく、果敢に戦い始めました。
放たれた弓矢と槍がウンカのように空を覆う中。攻城兵器から飛び出した火薬玉が、竜王を乗せている竜に当たりました。
さあ、今こそです!
ここぞとばかりに私は堀から飛び出して。我が身に溜めていた魂たちを、一斉に解き放ちました。
怨霊たちは竜の背から落ちる竜王の体にむらがり、奴をしっかと掴みました。
喰われた者たちの気が大きなうねりとなり、奴に襲いかかりました。
怒り。
哀しみ。
恨み。
涙。
涙。
涙……
「なんだこれは! 身動きできぬ! ぐあああ!」
竜王の体は――塔の尖った頂に突き刺さりました。
胸に埋まる鉄の刺青がこっぱみじんに砕け散り、奴の魂が、絡みつく霊の手によって引きずり出されました。
『いただきます!』
怨霊たちが引っ張ってきた竜の魂を、私は喰らいました。
我が刀身の中で奴はひどく暴れておりましたが。私は奴の怒りと悲しみを容赦なく消化して、その魂を天へ押し上げてやりました。
恨む相手がいなくなって満足したのでしょう。
私が放出した魂たちは、竜の魂が空の彼方へ消えると同時に、後を追うように成仏しました。
おぞましい怨霊から光の御霊へと変じて、輝きながら天へと昇っていったのです。
天空へ立ちのぼる光の洪水の、なんと美しかったことでしょう。
ああそれだけが。
この忌まわしい事どもの中での、唯一の救いとなる出来事であったのでした。
竜王を喰らった私は、すぐさま塔のてっぺんへ飛びました。
そこからけたたましい笑い声が降ってきたからです。
「やった! やったぞ! 俺の勝ちだ! 竜王に勝った!」
塔の窓から身を乗り出して、ジークが泣きながら叫んでいるのでした。
私は窓から飛び込みました。その部屋の中で、リンデがお腹を抱えて倒れこみ、うんうん呻いておりました。
竜王の危機だというのに彼女がまったく歌わず、助けなかった理由がすぐにわかりました。
「いつわりの恋人」を助けたくとも、どうしても助けられない状況……そう、その時まさに彼女は陣痛に苦しみ、赤子を産み落とすところだったのです。
「やったぞフランベルジュ! 俺は竜王に勝った!」
狂えるジークは声高らかに笑いました。
狂える?
いいえ。ジークの精神波は今やひどくしっかりしていて、きれいに晴れ渡った晴天のようでした。濁りなどどこにもなく、とても澄みきった……。
ああ、まさか。まさか!
『ジーク・フォンジュ! あなたは狂ってなどいなかったのですね? あなたはわざと悪魔となって、王がレイズライトを出して竜を退治しに来るよう仕向けたのですね?』
「いいや、俺は狂ってる。まともな奴なら、妹を抱くことと竜王を倒すことを両立させようなんて、考えないだろ?」
『え……抱……』
「しかしすごいなおまえは。俺の予想以上だ。おまえは、最高の剣だよ」
ジークは私に微笑みかけました。
「安心してあとを任せられる……。フランベルジュ、俺は自分の罪を償う。おまえは俺の代わりにリンデとその子を守れ。いいな、頼んだぞ」
『ま、待ちなさいジーク・フォンジュ!』
「俺の代理として今ここに、リンデの子をおまえの主人とする。さらばだ!」
『ジー……!』
ジークは、迷うことなく窓から飛び降りました。
両腕を広げ、まるで十字架のような形になって、頭から落ちていきました。
塔のてっぺんから、地にひしめく王の兵士たちのもとへと。
すると夢うつつのような顔をしていたリンデが突然目を見開き、窓辺に走り寄りました。
産みたての赤ん坊をしっかと腕に抱きながら。
「にい……さま? にいさま! にいさまぁ!」
七日間竜王の甘露を与えられなかったため、その効力がやっと切れたのです。
やっと正気に戻ったリンデは、すぐに事態を把握するや、兄の後を追おうとしました。
「いやああ! 生きていけない! にいさま! 私のにいさま!」
リンデは狂ったように激しく泣き叫びました。
その時私は。このかわいそうな少女がずっと口に出さずに心ひそかに思っていたのは誰だったのか、確信いたしました。
私は波動を放って彼女を気絶させ、後追いするのをなんとか阻止しました。
それからほどなく、兵士たちが塔を昇ってきました。
先頭を切って部屋に躍りこんできたのは、まだ若い国王その人でした。彼は床に倒れているリンデの美しさに息を呑みました。
「この人は誰だ? この赤子は? 大導師の妻子か?」
『いいえ王様。生贄として囚われていた女です。大導師はみごもっていた彼女を無理やり連れてきました。子の父親は、殺されました』
私は主人であるジークの遺言を果たすために、嘘八百述べ立てました。
赤子を、まじまじとみつめながら。
そして理解しました。なぜジークが、竜王に勝ったと叫んだのかを。
毛深くて髪が真っ黒な赤子は、母親の腕の中で元気よく泣いていました。
まるで野ザルのような顔を真っ赤にしながら……。
『こうして美しいリンデは王に保護され王宮に運ばれて、のちのち王妃となりました。そして竜の片鱗など少しもない野ザルのような子は、王国を守る偉大な戦士に成長したのですが……』
私は声を沈ませて、フィオンに聞きました。
『どうしてこのお話をあなたにしたかお分かりですか? もう一人の我が主』
『僕が望んだから? でしょう?』
『それもありますが。私は、メニスの甘露はとてもおそろしいものだとお伝えしたかったのです。リンデは本当は兄を愛しておりましたのに、竜王の甘露は、その思いを完全に殺してしまうほど力あるものでした。あの甘露のせいで清楚で可愛らしい娘が、淫乱な娼婦と化したのですよ……』
私は、目の前で眠る黒髪の導師を見据えました。我が主をいとおしそうに腕の中に抱いている男を。
『こやつ、我が主の甘露を飲んでますよね?』
『う、うん……』
フィオンは言葉を濁して肯定しました。
『何度も……飲んでる』
『だからですよ。我が主に、こんなに異常な接し方をするのは』
私はきっぱり言いました。確信を込めて。
『こやつ、我が主の甘露の中毒になっているだけです。
本当は、愛してなどいません。決して!』




