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23話 まがいものにされる私

 紺色の宵空に向かって二つの魂が飛んでいます。菫色と水色。

 ゆらゆら揺らめく魂は、仄かに、とても美しく輝いています。

 街の灯りなど比べものにならぬ、穏やかな光。

 菫色の魂がすうっと天の高みへ昇っていきます。

 どんどんどんどん、はるか遠くへ。

 水色の魂がものすごいスピードで追いかけていき。包み込むように捉えました。

 ふう。危ないところでした。

 どうやら我が主の魂は、天に吸い込まれずに済んだようです……。




 我が主と黒髪は、スメルニアの舟を追いかける前に、邑の人々の骸を丁寧に埋葬しました。

 一刻も早くツヌグさまたちを追いかけたいのはやまやまだったのですが。凍える大地に、そのまま人々の骸をさらしていくことは、したくなかったのです。

 二人は寺院で歌う弔いの歌で、犠牲者たちの魂を浄化いたしました。

 邑人の魂は光りの玉となり。無事に天へと導かれていきました。

 ところがその時、我が主の魂がするりと抜け出て。一緒に引っ張られていってしまったのでした。 

 黒髪によれば、魂が抜け出ること自体珍しいこと。生きている者には、とても難しい技なのだそうです。

 幽体離脱や瞑想がうまくできれば、不才ではなくなり、韻律が使えるかも。

 そう黒髪に言われた我が主は、とても嬉しそうでした。


(アクラさんに頼ってばっかりじゃだめだ。僕自身が強くならないと)


 いえいえ、我が主。私に任せていいのですよ。そんな気負わなくていいですから。

 あなたには、今でも私の力を使う十分な資格があるのです。

 黒髪は、決意に燃える我が主の足を看て、哀しい顔をいたしました。

 キュクリナスに腱を切られた足は、ずいぶん悪い状態のようです。

 傷ついたままで足が固まりかけており、元通りに治ることはまずないだろうというのが奴の見立てでした。


「湖の向こうまではかなり距離がある。歩き通すのはきついやもしれぬ」

「行けます。僕、歩けますから。杖があれば大丈夫ですから」


 我が主はけなげに答え、杖をついて歩き出し。急いで旅の準備をいたしました。

 早くツヌグさまたちを助けたい。その気持ちがありありと顔に浮かんでおりました。

 二人は邑の焼け跡から縄や石包丁を拝借し、雪をかき集めて飲み水とし。トッカリの中に漬け込んだ水鳥の保存食をたっぷりいただいて、鍾乳洞へ潜りました。

 舟は焼かれてしまいましたから、地下を通って湖の向こう岸まで行こうという作戦です。

 敵は直接こんな辺境に来るわけがなく。どこかで必ず中継基地を作っているはず。

 拉致した人々も、いったんそこへ降ろされるでしょう。その基地を探そうというのです。

 殊勝なことに黒髪は、この周囲をすでにあらかた踏破しており。

 湖の向こう岸へ通じる穴を複数知っておりました。奴は慣れた様子で銛の先に魔法の光を灯らせて、灯りの代わりにしました。

 ツタの繁るところから地下へ降りていきますと。

 ほどなくあの雪豹の子が、姿を現しました。

 我が天敵は、二人をちゃんと待っていた模様です。


『くるなーくるなー。獣くさいのー。くるなー』


「ニクスは剣が好きそうだ」


 黒髪がくつくつと笑います。おのれ!


「赤く光っているからだな。それに暖かそうだから」

「そうですね……時々、熱を帯びることがあります」


 我が主がうんうんとうなずきます。


「なんとも不思議な剣だ」


 黒髪め、何をいけしゃあしゃあと。あなたが獣をけしかけてるんでしょうが。


「でもその剣には鞘がないね」

「ゼクシス様が保管してくれてると思います。ずっと抜き身じゃかわいそうかな」

「革を巻いてやるとよいかもしれぬ。赤く光る刀身は案外目立つよ。ニクスも光に反応しているようだから」


 ぺらぺらの革なんて、嫌ですよう。抜き身でいいです私。我が主と密着できますから。我が主の背中はほんのり暖かくて、最っ高です。

 しかし。

 湖の下へ潜っていくにつれ。地熱のせいで周囲がだいぶ暑くなってきました。

 この星の血液、すなわちマントルがとても近いようです。

 我が主と黒髪は汗をぬぐい、ふうふう言いながら先を進みました。

 むかつくことに、道中、恋人同士のような会話を交わしながら。

 黒髪が処刑された後、こやつの部屋にあったものは、すべて他の導師のものとなったことを、我が主が残念そうに語りました。

 ひとつかふたつ、なんとかこやつの遺品を手に入れたそうですが、工房に置いてきてしまったそうです。 

 我が主のために描いたという鍾乳洞の地図。それに。


「木の小箱がなかったか?」

「あ、ありましたけど……ち、地図と一緒に、ゼクシス様の工房にまだあると思いますけど……」


 なぜかしどろもどろに答え、顔を赤らめる我が主。


「み、見てません。中は見てません。絶対見てませんから」

「ふむ。あれも工房か。では、また貰い直していいかな?」

「ど、どうぞ!ひと房でも、ふた房でもいくらでも!……あ」


 小箱には。どうやら我が主の髪の毛が入っていたようです。

 黒髪め。こっそり我が主の髪を盗んでいたとは。


「これからたくさん、君に教えることがある。そして君から教えられることも同じぐらいあるだろう」

「え? 教える? 僕があなたに?」

「もう師弟ではないからね。言っただろう? 私はただのレナンだと。近い将来レクルーのものになれればいいと思っているが」

「ぼ、僕のものって……」


 黒髪はふと立ち止まりました。ぼたぼたと汗が地に落ちます。

 真夏の日の下にいるよりもひどい暑さです。摂氏五十度近くになっています。

 奴は汗を拭いながら、クソ真面目な顔で言いました。


「君が頭を打って意識を失ってる間に、うわごとで気になる言葉を言われたんだが」

「はい?」

「お嫁さんになりたいというのは、本気だと受け取っていいんだろうね?」

「…………!!!!」


 我が主はあんぐりと口を開け、その場に固まりました。

 私も固まりました。

 ちょっと待ちなさい。その言葉は、あんたに言った言葉じゃありません。

 我が主は、山のパパに言ったんです!

 思考停止して硬直する我が主に、黒髪は容赦なく畳みかけました。


「あんな形で君から申し込まれるとは思わなかったが」


 いや、申し込んでませんから。誓って、申し込んでませんから!


「まあ、その心積もりはしておこう。いずれ私はレクルーの夫にならねばならぬと、そういうわけだな」

「お……お、お、夫?! ぼ、僕の?!」

「しかしそうなるとジェリに殺されそうだが」

「な、なんでですか?」

「あの子は君を妻にしたがってたからね」

「ま、まさかほんとに僕なんかが……南王国の大君の妃になんかなれるわけ……」

「君がそれでいいのなら、私と婚約したということにしておくよ」


 わ、我が主。「だが断る」と言いなさい! 今すぐ言いなさい!

 このケダモノ、フィオンがずっとだんまりなのをいいことに、なんと抜け目ないことを。

 かわいそうに、我が主が非常に困惑しています。本気で言われているのかと、不安になっています。


(からかってる……んだよね? そうだよね? 僕がバカな事言ったから……)


 そ、そうですよ。我が主。本気にしちゃいけません。こいつはひどい大嘘つ――。


「ニクス」


 黒髪が目を細めて獣を呼び。私に向かって飛びかからせました。

 うああああ! 獣いやああ! こ、このケダモノ……なんと卑怯な。

 こやつ、「おまえばらすなよ」という顔で、こちらを睨んでおります。

 くううう。こ、こんな脅しに屈する私ではっ……。


「にゃあ♪」 


 いやあ! 爪でギギギギやらないでえ!

 くうう。おのれ。だ、大体、我が主は男の子ですよ。そんでもって黒髪、あんたは男ですよ。

 結婚なんかできるわけっ……


「おや、喋るくせに知識はないのか? メニスは大人になれば、両性具有になる。ちゃんと子供を産める、れっきとした女性になるんだぞ」


 な、なんですと……。


「伝説の剣のくせに、知らなかったのか?」


 だ、だってメニスの主人は初めてなんですよう。五塩基生物は解析できませんし。それに私のアカシックレコードは最近調子悪くって、記録に欠落が……。


「一万年以上も生きているなど、信じられぬな。おまえ、まがいものだろう」


 な……! なんという侮辱!

 この私こそ、正真正銘本物の戦神の剣です! 


「そうかそうか。威勢だけはずいぶんいいことだ」


 黒髪はすっかり私をニセモノ認定してしまいました。

 悔しいです……。年なんですよ、私。記憶が欠落してるところがあったって、仕方ないでしょうが。

 そもそも、最近二度もメインシステムが完全にぶっ飛ばされてるんですよ。

 もっと労わって下さいよう……。


「ふん。記憶が欠落しているだと? それではますます役に立たぬ」


 う……。

 フィオンさん。全く音沙汰無いですが、大丈夫ですか?

 そろそろ出てきてくれませんか?

 こやつ、私一人では太刀打ちできません。

 まさか完全に消えちゃったわけではないですよね。そろそろ目を覚まして下さいよ。今とっても、味方が欲しいです私……。




 進み行く穴の先はさらに耐え難いほど熱くなり。

 ずっと先に、仄かに明るく光る赤い水溜りのようなものが見えてきました。どうも普段よりも、マントルの働きが活発になっているようです。

 二人と雪豹の仔は別のルートをとり、なんとか先へと進みました。

 ごご……と大きく低い地鳴りが地の底から聞こえ。足元の岩がかすかに揺れています。 

 黒髪は警戒しながら言いました。


「この近くにある火山には。大きな黒い竜が封じられているそうだ」


 それから黒髪は自慢げに、北五州に伝わる伝説を披露しておりました。

 黒い竜が蒼い鹿や金の獅子と戦って、あえなく敗れるというものです。

 五つの大公家が統べる北方の地は、今もえんえんと争いの起こる地。

 かつて黒竜家の神獣ヴァーテインが暴れたことによって、今は一面湖だらけの土地になっています。

 蒼鹿家、金獅子家、白鷹家、赤豹家の四家は、かつて北五州全土を統べていた黒竜家と戦い、領土をもぎとってまいりました。

 そう、まさに伝説通り、巨竜の体を引き裂くように。


(そういえば、キュクリナス様は白鷹家のお人だったな……)


『おや。我が主、もしかして、セイリエンて長老は、金獅子家出身だったりします?』 


(うん、たしかそうだったよ)


 なるほど。だからあの二人は、顔を合わせると火花を散らしていたのですね。


(大公家って、そんなにお互いに仲が悪いの?)


『悪いも何も我が主、今は伝説となっている時代から、宿敵同士なのですよ』


(そうなんだ……)


 よ、よかった。この部分の記録は、まだちゃんと残っておりました。

 我が主が感心して聞いていたことに味をしめたのでしょう。黒髪は、今度は己れがいかにこの鍾乳洞で上手に暮らしていたかを自慢し始めました。

 魚だけではなく、草やコケなども食用になるものがたくさんあるとか。

 竜魚はとても美味だとか。

 我が主が竜魚を仕留めたことを話しますと、黒髪はとても感心しました。


「すごいじゃないか。あれはとても獰猛なのに」

『いやいや。余裕でした私』


 私は我が主そっくりの声で答えてやりました。

 すると黒髪は、「出しゃばるな」と青筋を立てました。

 ですが、あの竜魚を獲ったのは正確には私です。

 竜魚だろうが竜だろうが。わが敵にあらずです。

 大体あの鱗野郎どもは、腹が弱点なのです。

 柔らかいむちっとしたところを、ぷすっと刺しますれば。一発で倒せるのです。


「鱗野郎って……アクラさん、まさか竜を見たことあるの?」


 我が主が目を丸くして聞いてまいりましたので、私はあれはとても美味なのだと教えてやりました。


「た、食べちゃったの?!伝説の生き物を?」

『当時はうじゃうじゃいましたからねえ』

「うじゃうじゃ……」


 大昔。この星にニンゲンが来る前は。この星は、恐竜だらけでありました。

 空にも海にも大地にも。硬い鱗を持つ連中が満ち溢れていたものです。

 翼竜が大空に群れなして飛ぶ姿など、なかなか壮観でした。

 もう見るたびにおいしそうでおいしそうで涎が……。

 赤いのが特に美味で、熱燗を飲んだみたいにあったまると力説しますと。黒髪が呆れて笑いました。


「食い気ばかり際立っているようだが、酒もたしなむのか?」


 ふん、お酒には少々うるさいのですよ、私。

 私は神殿に住まっていた頃は、毎朝御神酒をかけてもらっていたんですから。

 すると黒髪はバカにしたように、それではまるで人のようだというのです。

 私は鼻高々に答えてやりました。


『人でしたが、何か?』

「え?」「なに?」


 我が主と黒髪は、驚いて同時に声を上げました。


『剣になる前は。人でした私』


 我が主、忘れちゃったんですか?前にそう言ったでしょう? 

 工房で槍を磨いていたあなたに、私は話したはずです。

 まさか……あの時はまだ、黒髪を失ったショックが大きすぎて。全然聞いてなかった……とか?

 それから私は竜王メルドルークすら喰らったのだと、我が輝かしい偉業を述べあげたのですが。黒髪は鼻で笑って、全く信じてくれませんでした。

 我が主も神さまを食べてしまうなんて、と半信半疑。

 くうう。悔しいです私。まごうことなき事実なのに。

 我が主は、黒髪のうんちく話は目を輝かせて聞くというのに。

 私の話は、ちっとも真面目に聞いてくれません……。

 ああ、フィオンなら。きっと私に話をねだってくれるでしょうに。




 マントルがむき出しのところを強行軍で抜けると。

 黒髪は我が主が無理をして歩いているのに気づいて、ひどく怒りました。

 なんでもないふりをするなと。もっと自分を労われと。

 こやつは、しごくもっともなことを言う時もあるのですねえ。

 二人は地表近くの、岩の天蓋にところどころ穴が空いているところで休みをとりました。

 陽の光がぽつぽつと細い線のように何本も差し込んでいて、まるで光の柱が立っているような幻想的な場所です。

 我が主は、黒髪に抱きしめられて。すとんと眠りに落ちました。とても疲れていたのでしょう。

 黒髪も目を閉じて、うとうとし始めました。

 すると――。


『僕は……覚えてるよ』


 私が今一番聞きたい声が。我が主の中からそっと聞こえてまいりました。


『君が話してくれたこと。僕は覚えてるよ。君が高潔な戦士で。魔法使いの手によって、剣に封じ込められたってこと』


 フィオンさあああん! 会いたかったですうううう!


『しかしひどい目にあった……。くそ、トリオンめ』


 よくご無事で!


『実はずいぶん前から目は覚めてたけど。僕の気配を感じれば、トリオンが速攻で消しにかかるからね。二人が休むのを息を潜めて待ってた』


 私は我が主の背中で喜びに打ち震えました。

 心強い味方が帰ってまいりました。

 さあ、一気に巻き返しましょう。今度こそ、我々のターンですよ!


『アクラ。竜王メルドルークを喰らったって本当だよね?』


 ええ。ええ。ほんとですとも!


『それって、竜王と戦ったってこと? その話、聞かせてよ』


 フ、フィオンさん……何と嬉しいお言葉を!

 私の真の理解者は、あなただけですう! 


『ねえ、早く聞かせて』


 もちろんですとも。もうひとりの我が主。

 我が記憶を総動員して、今こそ語って差し上げましょう。

 我が十八代目の主と。竜王に拉致された、かの歌姫との悲恋を。

 この私が、竜王を喰らった、その顛末を――。


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