18話 ついに気づいた私
それから何日もかけて、我が嫁は寺院へ帰る道を探し回りました。
滝壷近くには横穴がたくさん。
嫁は杖を突いてぎこちなく歩き、丹念に調べ歩きました。
たったひとりで暗い洞窟をさまよう我が嫁を、私はえんえん話をして励ましました。
使った声音は、古代の有名な道化師ジョクスの声。
明るい雰囲気の声で、闇の恐怖を吹き飛ばしてやりました。
この星にいたるまでの長い長い星船の旅のことなど、面白おかしく話しましたら。
我が嫁はすごい旅だったねと笑ってくれました。
『この星でのはじめての主人はあのエアリエルの息子でしてね。通算十五代目でしたよ』
(十五代目?)
嫁はふと立ち止まり。首を傾げました。
(アクラさんは、百年に一度しか、主人を得られないのに、どうして?)
『はい?』
(青の三の星にいたのは、千年ぐらいなんでしょう? なのになぜ、故郷でのご主人は十四人もいるの?)
いえいえ、二千年ですよ、二千年。
おや?
我が嫁は無反応です。
私の声は、我が嫁にちゃんと届かないことがあるようです。
言語変換機能が不調なのかもしれません。
私は生まれ故郷の言葉である英語で思考しますが、我が嫁はこの星の大陸共通語で思考します。二つの言語は、体系が全く違います。
もしかすると、嫁には私の言葉がぶつ切れに聞こえているかもしれません。なにせこの機能を搭載されて、何千年とたってますからねえ……。
ちょっと周波数をいじりましょう。
……よし。
これで前より、聞こえやすくなるはずです。
『青の三の星での私の主人は、正確には十一人です。青き星での最後の主人。第十一代目の主人というのは、一つの体に四人の方が住んでいる人でしてね』
(一つの体に? 複数の人?)
『外見は汗臭い男の方でしたが。おじさんと、少年と、竜と、獅子が、体の中に同時に住んでいたのです』
我が嫁はとまどってまた首を傾げました。
嫁も別の人間であるフィオンをその身体に宿しておりますが、まったく無自覚ですので想像もつかないようです。
『十一代目の主人の別人格たちは、本来の体の持ち主から生まれた多重人格ではなく、その体に飛び込んできた別の魂たちでした。ゆえに口調も、性格も、それぞれ全然違うのですよ』
十一代目の主人、万丈空也。
彼は我が十代目の主、リシャルのひ孫です。
偉大な医学博士リシャル・ローゼンフェルドは、世を正す裏稼業をしている時に助けた少女と結婚して幸せな家庭を築き、後に月に移住しました。そして原因不明だった月皮膚病の治療法を確立し、「月都市の偉大な父」として、歴史に名を残しました。
子孫の空也は、月生まれの月育ち。彼は国連の軍隊に所属している軍人でした。
私との出会いの場所は、月都市にあるリシャル・ローゼンフェルド記念館です。
その時空也は、軍から機密情報を盗んだ犯人を追いかけておりました。
記念館に逃げ込んだ犯人とがっぷり四つの大相撲。彼らは展示ケースの中でのんびり午睡していた私のところへ、勢いよく突っ込んできたのです。
眠りを妨げられた私がたれ流す呪いの言葉を聞いて、空也はびっくりして固まりました。
その隙に逃げ出そうとする犯人を、私は腹いせに喰らってやりました。
空也は私の力を見て目を丸くしました。
「おまえ、すげえな」
『あなたはドジでマヌケデスネ』
「……なんかいま、胸にずさっときた。すんげえ傷ついた」
『腹が減りました。もっと何か食わせなさい』
教会や記念館に安置されるのは、平和でとてもよろしいのですけれど。
お腹が減るのが、とても困ります。
「しかしおまえ、使えるな。うん、超使える」
『はあ? いいから食わせなさい』
「わかった、わかった。これからいっぱい食わせてやっから。ちょっと来いや」
空也は実の祖父である記念館の館長にかけあって、私を引き取ってくれました。
月や火星にニンゲンが住んでいたこの時代、青の星はあいもかわらず戦争ばかり。
太古の超文明の遺跡を発掘して、埋もれていた技術を兵器に転用することが流行っていて、各国が遺跡の発掘権をめぐってしのぎを削っておりました。
空也が所属する特殊部隊の任務は、世界各地にある遺跡へ潜入し、兵器転用のおそれがある遺物を奪取して「破壊」することでした。
おかげで私は遺跡に巣食う悪霊だの、神だの、精霊だのの魂を、思う存分食べることができました。
力ある太古の魂たちの中には、空也のざっくばらんな、しかし人情に厚い人柄に惚れて彼と仲良くなり、協力してくれるものたちもおりました。
そんな「仲間」となった者たちが寄るべき所として選んだのが。
空也の体の中だったのです。
すなわち少年とは、エジプトの谷のトゥク・アンク・アメン少年王。
すなわち竜とは、インドのアナンタ竜王。
すなわち獅子とは、アトランティスのレヴツラータ獅子王。
空也の中に入った魂たちは、みんな自己主張の激しい奴らでした。
仕方なく私は、彼らも我が主人と認めざるを得ませんでした。
なぜなら空也は危機に陥ると、彼らに自分の体を明け渡して、彼らが秘めている大いなる力を発揮させたからです。
私は仲間になった順番で、少年王を十二代目、竜王を十三代目、獅子王を十四代目の主人といたしました。
奴らは普段は空也の中で、にぎやかに喋り合っていました。
いつも竜と獅子が喧嘩して、少年王がそれをいさめるというのが定番。
それに、空也の彼女にみんな惚れてしまって大変でした。
彼女は空也にはもったいないぐらいのすばらしい美女で、しかもさる女神の生まれ変わり。みんなその姿や歌声にほれぼれ。こぞって表に出て、彼女と話したがったものです。
ほどなく空也の任務は、青の星だけでなく別の星にも及びました。
火星で、巨大な遺跡が発見されたのです。ニンゲンのものではない、別の生物の遺跡でした。火星の人々はその中に眠っていた兵器を使って、青の星から独立しようと戦を起こしました。
青の星の国々は同盟軍を結成し、この独立を阻止しようとしました。
空也がいる国連軍は月基地に拠点をおいて、戦の火種となった火星の遺跡をひそかに破壊しようと動き始めました。
世に名高いグラスピエール宇宙戦役は、こうして始まったのですが。
火星の遺跡の兵器の力はすさまじく。我が方の拠点である月の殖民基地は、火星軍の猛攻に遭い、三分の一ほど壊滅的な打撃を受けてしまいました。
(ああ……また戦の話だ)
我が嫁が悲しそうに心の中で囁きました。
(青の三の星に住んでいた天人たちも、この大地の者たちと変わらないんだね……)
それがニンゲンの定めというものですよ、我が主。
なにしろニンゲンは、その遺伝子に組み込まれているのです。
争って強くなれと。
彼らを創造した者たちの手によって、深く深く、血の中に刻まれているのです。
強いものこそ、生き残れと。
我が主も、強くなりたいでしょう?
(なりたいけれど……)
では、私を取りなさい。
柄に手をかけて。さっとひと振りしなさい。
こんな岩などすぐに穴があきますよ。強いのです、私。
私は強いから、一万年以上も生き延びてきたのです……。
私は何度も我が嫁を促しました。
細い洞穴をひとりさまよう嫁が、不憫でたまらなかったからです。
岩を砕いて、道を切り開いて進めばいいのです。
力で押し切れば、すぐに帰路が見つかるでしょう。
なのに優しい我が嫁は、私を手に取ることをどうしても躊躇するのでした。
彼女は、私を暴走させて人を傷つけたことにひどく心を痛めておりました。
あれは我が嫁のせいではなく、しかも相手は憎きキュクリナスだというのに。
気にしないで、さあ、私を持ってください。
『そこをどかーんとやりましょう。ぶちぬきましょう。岩壁を』
しかし我が嫁は、私の訴えを優しく退けるのでした。
(大丈夫だよ。いきどまりじゃないから。道は、どこかにあるはずだよ)
優しい嫁に私はますます惹かれていきました。
嫁の中にいるフィオンも、我が嫁の優しさに惚れ込んだのでしょうか。
嫁が眠るとフィオンは必ず出てきて少しの間私と話し、そして嫁のことをくれぐれも頼むと私に懇願してから、ひっこむのでした。
我が嫁にならって彼もまた、私のことを「ナム・アクラ」と呼ぶようになりました。
『レクがそう呼ぶなら、僕もそう呼ばせてもらう』
と、彼ははにかんで言うのでした。
南へ通じる道を探している最中、嫁は実にいろんな洞穴を見つけました。
トカゲの群れがびっしり張り付く沢。
巨大な彫像のような鍾乳石が何本も林立する処。
磨いたように真ん丸い石が夥しくごろごろしている処。
ごぷごぷと、鉄錆色の液体が湧き出る空洞。
そして。今日見つけたのは。
『ほう、透明で暖かい泉ですね。温泉じゃないですか』
温泉のある穴はとても暖かく、まるで天国のようでした。
かなり深部でマントルに近いのでしょう。地熱が放出されていて汗ばむほどの暖かさです。
我が嫁は杖で泉を探って危険な生き物がいないか調べて。
それから、するっと蒼い衣を脱ぎました。
う……うぉおおおおおお!
真っ白い我が嫁の肌がま、まぶしいです! まばゆいです!
背中の線の、なんと美しいこと!
鶴のように細くて可憐な我が嫁は、ゆっくりと泉の中に浸かりました。
(きれいなお湯だ)
ああもう。湯けむりが邪魔! 邪魔ですって!
あたりには湯気が漂い、うっすら黄色い結晶が張りついています。
湯には硫黄がだいぶ溶け込んでいるようですね。
しかし湯けむり美人を拝めるとは。最高ですうううう!
十分に体を暖めた嫁がこちらを向いて。ザッと泉から立ち上がりました。
は、鼻血出そうです私! 背中だけでも卒倒しそうなのに。
む、胸には、あれがついてるじゃないですか。ふっくらしてるものがついてるじゃないですか。
そ、それが見えちゃうじゃないですか。
もろに鼻血ブーになるじゃないですか!
あ。鼻なかったです私。あああもう、残念だなあ。あはははは。あ。
……あ?
……あれ?
胸、あんまり、ないんですね。Aカップ?
……あ?
……あれ?
なに、それ? お股のところになんか……ついてますよ? 我が……嫁?
それって……ちょ……ま……それって……!
それってえええええ!
私は。
絶叫いたしました。
『うそおおお! ついてるうううう!』
(だから! 僕は女の子じゃないってば!)
うああああああ! 嘘ですそんなこと!
きっと私もうろくしちゃったんでしょうそうでしょう。
視覚機能がバカになってるんでしょうそうでしょう。
我が嫁がXYでXXじゃないなんて! た、確かめたはずなのに。
えっと、えっと、DNA鑑定結果をロード!
うあああああ! 五塩基で測定結果エラーだったぁああああ!
そんなあああ!
我が嫁が、美少女じゃ、ないなんて。
やっと。やっと嫁をもらえたと思ったのに!
ああああ私のひそやかな野望があああ!
ありえません。認めません。ありえまありありありくぁwせdrftgyふじこlp;!!!!!!!!!!!!!!
(アクラさん? だ、大丈夫? アクラさん?)
『がー……ぴぴぴぴぴ……』
(ご、ごめんね、その……女の子じゃなくて)
『ぷすぴ………ぴ………』
私はそれからしばらく呆けておりました。
茫然と呆けておりました。
フィオンが、私に鋭く囁いてくるまで。
『アクラ。ナム・アクラ! 気をつけろ!』
何を……ですか?
『レクが、コケがこそぎ取られた跡を見つけた』
あ……そのようですねえ……。我が主は、今コケを集めてたんですか。そうですか……。
『トリオンが採ったのかもしれない』
……え?
『あいつ、洞窟に生えるコケにくわしいんだ。レクは、あいつにコケの取り方を教えてもらったんだよ』
トリオン。フィオンが毛嫌いするけだもの。
生きているかもしれない導師。
『くそ……ここにもコケがごっそりない。やっぱり誰か、ニンゲンに取られてる。ちくしょう! あいつやっぱり生きてたんだ……!』
フィオンの悔しげな囁きとは裏腹に。
我が主の心が期待でひどく舞い上がるのが感じられます。
(まさか……まさ……か……!)
我が主は北側の沢を必死で見て回り、コケが採取された跡をたどり始めました。
(まさか……!)
高鳴る胸を抑え、一所懸命杖をついて沢の北側へ進んでいきます。
今まで南の方にばかり足を向けていて、反対方向はほとんど未探索でした。
沢はどんどん幅が広くなり、高低差の激しい広い空洞につながっていました。
地上が近くなってきたようです。
日が差す場所が増え、かなり明るくなっています。
コケがあちこちに少しずつ生えており、ところどころごっそりと採取されている跡がはっきりとわかります。
まさか。そうなのでしょうか。
(トリオン様……なの?)
我が主は、コケを採りにくる人に会いたくて、ずんずん奥へと進みました。
動かぬ右足の身を、巨大な岩が阻みます。
足を引っ掛けて登ることが難しいので、できるかぎり迂回して進み。登れるところを探して這い登り。
三つか四つの険しい岩山のごとき空洞を抜けた先に。
天蓋からさんさんと陽射しが差し込む穴がいくつもある空洞に出ました。
まぶしい太陽の光を落とす穴から、長いつる草がたくさん垂れ下がっています。
葉はついていません。今は冬だから、葉が落ちているのでしょう。
我が主はそのつる草の柱のひとつを見て固まりました。
つる草につかまって、地上からだれかが下りてきます。
もしトリオンなら。
いきなり先制した方がいいでしょう。のちのちのために。
私は気をふるいたたせ、刀身を密かに火照らせました。
つる草から白い手が見えます。長い黒髪も見えます。
フィオンによれば、トリオンは黒髪の男だとか。
ということは――。
私は熱波を放つ秒読みを始めました。
十。九。八。七。
『まてアクラ!』
六。はい? なんですかフィオンさん? 五。四。
『ちがう。トリオンじゃない!』
三。えっ……。
私はあわてて熱波放出をキャンセルしました。
地上から降りてきた人。
それは、男ではありませんでした。
モコモコした毛皮の服。腰にたくさん袋を下げた……女。
ニンゲンの……女!
これこそ、本物の女!
おおお。これは東洋の神秘! アジア系美女ではないですか!
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花、ヤマトナデシコ桜吹雪!
女はすぐにこちらに気づいて、警戒の表情を麗しい顔一杯に浮かべました。
「アンタだれ? ドコから来た?」
かなり訛っていますが、大陸共通語です。
「ヒドイ顔ね。初対面の奴にゃ、いつもソンナ情けない顔するワケ?」
女は我が主をまっすぐ見て言いました。
かわいそうに、我が主の頬はあっというまに涙で濡れそぼりました。
大粒の涙があとからあとから、菫色の瞳からこぼれ落ちておりました。
気の毒に……。でも私はほっとしました。そしてウキウキとしてまいりました。
ヤマトナデシコ桜吹雪。とてもかわいいじゃないですか――!
アジア系美女は我が主から杖をひったくり、腕をつかんで快活な声で言いました。
「拾いもんみっけた!アタシのもん!」
ああ。なんてつぶらな瞳。本物の美少女……!
こうして私たちは、北の辺境に住む部族の邑へと連れて行かれることになりました。
トオヤ族と呼ばれる、とても原始的な部族の邑へ。




