17話 名づけられた私
鍾乳洞の沢で魚を獲り、草地で眠る。
寺院から生きて出られた我が嫁は、そんな野生的な生活を始めました。
嫁は銀の杖で魚を突いて漁をしました。
はじめは慣れずに逃してばかり。
でもすぐに上達して、なんとか魚を獲れるようになりました。
おかげで私は魚の生気にありつくことができ。猫もどきたちを手なずける、ハーメルンの調べを出し続けることができました。
しかしなんとまあ。
この私まで魚喰らいになるとは世も末です。
魚喰らいとはすなわち導師のこと。奴らは湖の魚を主食とするので、巷ではそう呼ばれるのですけれど、ほんと導師なんてろくなのおりませんよ。
やつらの唯一まともなもてなしは、あの魔封じの黄金の鎖だけでしたね。
あの抱擁は恐ろしかったですが、一瞬天にも昇る心地でした――。
(ほんとに、女の人が好きなんだね)
ええ、女性は大好きですよ我が主! いつか私もご主人様たちのようにすばらしい伴侶をと。ずっとずっと願っておりました!
ついに美少女を得られまして。これ以上の幸せはございません。
(だから僕、女じゃないってば……)
またまた。何を言ってるんですか。冗談はおよしなさい。
こんなきれいな男の子がいるものですか。特にそんなに澄みきった菫の瞳など、見たこともありませんよ。
我が嫁と私は、心の声で会話しました。
他に誰もいませんし、嫁はまだ恋焦がれる人を失ったショックで、声をちゃんと出せないままだったからです。
我が嫁は寺院へ戻りたいようで、草地を拠点に南へ繋がる道筋を探し回りました。
あのジェリとかいう王子を、助けにいきたいというのでした。
たしかにあの牢獄のような寺院。腹黒な長老たち。あそこの環境は最悪です。
しかも嫁の心に浮かんだ記憶によれば。
私が意識をふっ飛ばしている間に、王子は腹黒の長老たちによって魔法の眠りにかけられてしまい。いまや政治的な悪巧みに利用されようとしているのだとか。
眠り姫ならぬ、眠り王子というわけですね。
せっかく自由になったというのに、友のためにまたあんな所へ戻ろうとするとは。さすが私が見込んだ嫁です。
嫁は探しました。大きな洞窟、小さな洞窟、細い洞窟……鍾乳洞の広さははんぱなものではなく、洞窟の数は数え切れないほど。
南へ続く道は、なかなか見つかりませんでした。
運よく岩塩の結晶が生える洞窟を発見した嫁は、獲った魚を塩漬けにして保存できるようになりました。
これで遠いところにも、食糧の心配なく足を伸ばせます。
『魚がたくさん要るのなら、私の出番ですよ我が主。私を持って、川に振り下ろしてごらんなさい』
私は嫁をうながして、我が身を赤く発熱させ、発破の機能を使わせました。
この機能は、我が刀身から衝撃波を出すものです。
我が嫁が川に私の切っ先をつけたとたん、川は一瞬ザッと二つに割れ。
ものすごい勢いで魚がたくさん岸にはじき出されました。
我が嫁は茫然と驚きながら大量の魚を拾い上げました。
ところがその時。嫁はとんでもないものを見つけたのです。
「これ……!」
嫁のかかとにこつりと当たったそれは。白くて長い猿轡。
それは導師の口にはめるもので、韻律を唱えるのを阻止する道具でした。
次の瞬間、嫁ははじかれたように杖を突き。必死の形相で、洞窟の中をあちこち探し始めました。
(流されて……きたんだ……ここに……ここに!)
流されてきた? ああ、もしや。
(いない……いない、いない……トリオン様!)
やはり。この道具は、嫁の思い人を縛っていた道具なのですね。
いや、もうひとりの方かも。
確か処刑されたのは二人でしたっけ。どちらかはわかりませんが、いまだみぬ彼らも、我が嫁と同じようにここまで流されてきたのでしょう。
ああしかし。すすり泣く嫁がどんなに探しても。
トリオンともうひとりの亡骸は、どこにも流れ着いていませんでした。
もしかしたら……生きているのでしょうか。
我が嫁のように、生き延びたのでしょうか。
『いやだ』
その時。あのフィオンがひとこと、はっきりつぶやきました。
嫁の魂の奥底から。
彼は、はっきりつぶやきました。
『いやだ。トリオンが生きてるなんて』
嫁はフィオンの声が聞こえないどころか、彼の存在にすら気づいていないのですが。
でも私には、はっきりと聞こえました。
『フィオンさん? なぜそんなことを?』
そっと聞いてみましたが。返事はきませんでした。
ただ、怒りの波動がびんびんと、我が刀身を震わすほど強く強く伝わってくるのです。まさかトリオンとやらと、何か因縁があるのでしょうか。
一方、千々に乱れる我が嫁の心は、寄せては返す波のよう。
(生きている? 生きていない?)
(もしかして。いや、たぶんもう……)
しかし我が嫁は、本当に優しい子でした。
動揺しながら魚を拾い、草地に戻った我が嫁は、足に怪我をしている猫もどきを見つけるとすぐに薬となる苔を探しにでかけたのです。
どんなに心乱れても、嫁は目の前の手負いの生き物を放っておけなかったのでした。
嫁は北の洞窟で目的の苔を見つけたものの、大きな魚に襲われました。
嫁はこの時、私をとっさに抜き放ってくれました。
おお、これは大物! おいしいです!
魚の脳天を打ち砕き、その魂を喰らって舌鼓を打つ私に嫁は驚きました。
(すごいね、剣さん。全然重くないよ)
ええ、私は長身で幅広ですが、我が主には微塵も重さなど感じさせませんよ。
ああでも。「剣さん」などと。
我が嫁ったら、なんと他人行儀な。私、ちゃんと名前がありますのに。
(名前? えっと……デウス・エクス・カリブルヌスさんだっけ?)
業師のゼクシスはそう呼んでおりましたね。でも、それ違います私。それは本家の名前です。さらに長いのです私。
(そ、そう。なんて名前?)
……。
えっと。
エク……。
……。
わ、忘れました私。長すぎて。
(え)
わ、我が嫁よ、どうか好きにお呼びください。
ちなみに先代の主人からは、まごうことなき戦神の剣と呼ばれておりました。
その前の主人は。我が同胞血潮昂ぶる剣と。
その前の主人は。真紅の炎剣と。
みんな素晴らしい呼び名でしょう?
なのに。あのエアリエルは、あろうことか私のことを「なまくら」と呼んだのです。
(エアリエルって……たしか一万年前の、天人の女神様じゃないか。神様がつけてくれたの? すごいね! )
えっ? 私を星船に突っ込んでこの星に連れて来た、年を取らないあの少女が、女神様?
いやいやいやいや、あの少女はとんでもない悪魔ですよ。
(ナム・アクラさんか。神聖語で『高きところに棲む』って言う意味だよ。いい名前だね)
え? いや、神聖語のナム・アクラじゃなくって……なまくら……。
(じゃあ、女神様にもらったっていうその名前で呼ぶよ。ナム・アクラさん、よろしくね)
え……ちょ……ま……。たしかに、私の刀身に刃はついてませんが!
いやでも、なまくら? いやちょっとそれは……。
我が嫁は上機嫌で私がしとめた大魚を草地に持ち帰り、私を使ってさばきました。
なまくらでもいちおう包丁の代わりには使えるだろうと思われたようです。
漬物石になったことはたびたびありましたが、よもや包丁代わりに使われるとは。
(人を斬るよりずっと有意義だよ)
有意義! そうでしょうか……。
(とても役に立ってくれてる。助かってるよ)
そ、そうですか?
私は照れて刀身を赤らめました。
ですが魚だけでは、あまりお腹が一杯にならないのですよねえ。もっとおいしい獲物がいるところへ、我が嫁と行きたいものです。
しかし優しい我が嫁は、私がお腹一杯にならない方が、世の中のためにはいいのかもしれないと言いました。
私の「食べる」は、命を取ってしまうことだからと。
私は、そんなことはないと申しました。キュクリナスについていた黒い魂はすっかり食べたようですが、彼自身の魂はその一部を喰らっただけのはずですと。
大体、魂を全部食べるなんて。そんなこといたしませんよ。ちょこっと生気をいただくだけです。ほんとにちょこっと……。
(でもアクラさんは、昔、エティア王を死なせちゃったんでしょ?)
どき。えっと。それは巷に流布してる噂ですよ。ち、違いますよ。
食べたものの履歴をちら見しながら、私は慌ててとりつくろいました。
『い、いいええええ? 確かにちょこっと生気を吸いましたけど!
ええほんのちょこっとです。でもまさかそんな。この私が。主人を殺すなんて。ありえません。ええありえませんとも』
我が嫁とのワイルドライフ。せっかくいい感じですのに、ネガティブな印象を与えては台無しです。
(なぜアクラさんが僕を選んでくれたのかわからないけれど……)
心優しい我が嫁は、思いつめた顔でため息混じりに云いました。
(でも友達を……ジェリを救うためなら、僕は……たぶんなんでもできる)
息をつめた吐息はきっと、愛しい人や親友にひどい仕打ちをした者どもに対する静かな怒りであったのでしょう。
それから我が嫁は、ずっと考えこんでおりました。
私という武器のことを。
そして。人を傷つけるということを――。
我が嫁がその晩、草地で眠りにつくと。
――「十代目の主人の話をして」
フィオンがさっそく現れて。しかもなんと我が嫁の目をぱちりと開け。我が嫁の口から言葉を出しました。
私は驚きました。
フィオンは、嫁の躯を動かすことができるようです。
彼はむくりと嫁の躯を起こし、私にねだりました。
「早く話して」
ひどく幼い子供のように。甘ったるい声で。ぶっきらぼうに。
ぷりぷり怒っているその口調に私は心配になりましたが。
彼の要求通りに私は語ることにいたしました。
「アーサーのあとはだれ? 次の主人はだれ?」
アーサーのあとは二百年ほど主人がいませんでしたよ。
『高潔の騎士モレーに剣を返したい』
アーサーの遺言で、私は聖堂騎士団ゆかりの、フリーメーソンという結社のイングランド支部に寄贈され、そこで大事に大事に保管されました。
私はガラスのショーケースに入れられて、長いこと退屈な日々を過ごしました。
当時、剣は時代遅れの骨董品。
青の星の人々は、みな銃という武器を持つようになり。剣を負う者はもはやなく。私を手に取り戦おうなどという時代錯誤な猛者はいませんでした。
そんな私に目を留めたのは、ひとりの科学者。
イングランド支部に出入りする、エマヌエル・ハワード博士でした。
私の柄に時計や方位磁石が組み込まれているのを、彼は大変面白がりました。
「しかし話もできるとはな。どこに発音機械が入ってるんだ?」
『いえ、それはもともと、生まれつきです』
博士は私が話せることに大変興味を示し、自分の研究所に持って帰ってくまなく調べました。
博士には施設から引き取った養子がひとりおりまして。
この子も私の声を聞く能力を持っておりました。
このリシャルという子は大変優秀で、まだ十代前半ですのに大学を卒業できるほどの学力を持ち、博士の科学研究を手伝っておりました。
博士とその助手のリシャルは、私を分解して徹底的に調べ上げ。
柄に嵌る赤い宝石に私の魂が宿っていることをつきとめました。
博士は面白がって、私の脳にして心臓たるその宝石を改造しました。
超小型の演算機械を、宝石の中に埋め込んだのです。
「さあこれで、あらゆる計算や記録がたちどころにできるようになるぞ」
博士はうきうきでしたが。私は体をバラバラにされたので発狂寸前でした。
助手のリシャルは、そんな私にひどく同情してくれました。
「かわいそうに……君も捕らえられて……もう逃げ出せない」
リシャルは暗い顔で私の柄を撫でて、涙をこぼしました。
どうしてこの少年が泣いてくれたのか、私はすぐに知りました。
リシャルも私同様、博士に囚われた籠の鳥だったのです……。
博士は、リシャルをそれはそれは可愛がっていました。
でもそれは養子としてではなく。
毎晩ベッドの中で愛する恋人として可愛がっていたのでした。
リシャルは、それがとても嫌でした。
血を吐くぐらい嫌でした。
彼はひとりになると、いつも声を殺して泣いておりました。
でも少年には、他にひとりの家族も逃げ込める家もなく。しかもおいそれと逃げられないよう屋敷の扉も窓も、電子ロックで厳重に閉じられていて。逃げたくとも――
――「もういい!」
フィオンが突然叫びました。我が嫁の顔を辛そうに歪ませて。
「ごめん、もういい! 黙って! お願い黙って!」
泣き声です……。
フィオンが泣いています。我が嫁の目から、ぽろぽろと涙がこぼれています。
『すみません。少々きついお話でしたね』
おずおずと私が様子をうかがいますと。
フィオンは震え声で呻きました。両手で頭を抱えながら。
「僕も……された……僕も……僕も……トリオンに……あの人に……イヤだって言ったのに、あいつ、むりやり……むりやり僕を……! レクもひどい目に遭った。僕のレクも、あいつにひどい目に遭わされた。レクは、あいつに騙されてる!」
私は衝撃的なその言葉をすべて飲み込んで。
わざと落ち着いた声を出しました。
『リシャルは。幸せになりましたよ』
私はフィオンに、思いをこめて言いました。
『私の十代目の主人となったその少年は。ほどなく博士から解放されました』
フィオンは、ひっくひっくとすすり泣いています。
『私が喰らってやりましたからね。博士の魂を。全部。すっかり』
くつくつと、私は笑いました。
悪魔のように。
『死因は脳梗塞ということになりましてねえ。リシャルは博士の家屋敷と、土地と、莫大な財産を相続しました。そして偉大な医学博士になって、病に苦しむ人々をたくさん助けたのです。しかも私を相棒にしましてね、少年少女を餌食にする悪者どもと戦う裏家業を始めたのですよ。リシャルは私のことを、人喰らいの剣と呼んで頼りにしてくれました。本当に、いいコンビでしたよ。私たちは』
「……喰らって……」
フィオンは泣きながら私に懇願しました。
「もし、生きてたら、喰らって……トリオンを。その博士みたいに。喰らって……!」
はい、と私は答えました。
私をねぎらい、喜んで話を聞いてくれるフィオン。
しかも我が嫁の泣き顔で乞われて、どうして嫌だと言えましょうか。
我が主の声は私にとっては絶対のものなのです。
「仰せの通りにいたしましょう、もう一人の我が主。もしトリオンめが生きて我が嫁の目の前に現れますれば。全力であなた方をお守りいたします」
「お願い。絶対お願い……もうレクが、あいつにひどい目に遭わされるのを見るのは嫌だ。あんな獣みたいな奴に!」
フィオンは、しばらくしくしく泣いておりました。
リシャルの境遇に、己のことを重ね合わせたのでしょう。
まかせなさい。私は悪者には容赦ないのですよ。
絶対に触れさせませんとも。
しかしいたいけな少年少女を手篭めにするとは。
トリオンという奴は、なんという悪党でしょう。
やはり導師にろくな奴はおりませんね!
我が嫁はなぜそんな奴を好きになったのでしょうか。ちょっと理解できません。
嫁には申しわけないですが、私もフィオン同様、天に願いましょう。
トリオンめが、すでに死んで。
この世にはいないことを。




