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15話 フィオンと私

 得体の知れないフィオンと名乗る存在。

 そやつは不遜にも、我が嫁のことを己が「伴侶」と言い切りました。

 私はカッとなって思わず叫びました。

 

『ちょっと美少女! いいんですか? 変な幽霊があなたに勝手にとりついてますよ!』


 するとフィオンは憤慨して叫び返してきました。


『幽霊? 勝手に? 違う! 僕はレクを救うために、最長老さまによってレクの中に入れられたんだ。勝手に取りついたのは、おまえの方だ!』

『失礼な! 私をそんじょそこらの幽霊と一緒にしないでくださいよ!』

『たしかに僕の躯はレクの躯に入ってる心臓以外、もうどこにも無い。幽霊といわれればそうだ。でも、レクを守る気持ちはおまえに負けない。僕の方が、ずっと前からレクと一緒にいるんだからね』

『う……』


 時間を盾にされますと、かなり弱い私です。なにせ百年きっかり契約期間を数えていたり、あらゆる行動を秒刻みで記録しているものですから。

 私たちが言い合っているうちに、銀の杖を握る我が嫁の手がぴくりと動きました。

 私の救命措置が効いたようで、なんとか息を吹き返してくれたようです。

 我が嫁が目を覚ませばこちらのもの。彼女に訴えて、この変な憑き物を追い払ってもらいましょう。

 そう、我が嫁が私にひとこと「喰らえ」と命令すれば、フィオンなど一瞬で食べてしまうことができます。

 しかし我々が流されているこの急流。なんだかちょっと様子がおかしいですね。

 たくさんの横穴から水が流れ込み、ひとつの大きな流れとなっておりますが。

 なんだか、すぐ先の方からごうごうという轟音が……。


『カリブルヌス! 音波探知(ソナー)機能!』

『え』

『ぐずぐずするな!』


 フィオンが命じてきました。んもう、なんで私がこいつのいうことを聞かなきゃならないんですか!

 でも私も轟音が気になりましたので、音波を出して周囲の様子を探ってみました。

 ああ……この先に滝がありますね。……って。

 滝?!


『我が主! 落ちます! 落ちますー!』


 私は声を限りに叫びました。

 それから数秒とたたぬうちに。大量の水と共に、我が嫁と私は落ちました。

 下へ。下へ……。

 




 我が主。我が主。

 一体何を見てるんですか?夢ですか?

 なんだかとても哀しそうな顔ですね。

 なんとか中州にたどりつきましたよ。もう大丈夫ですよ。目を覚まして下さいよ。

 

『しっ。だまれ』


 フィオンが私を制しました。


『レクは今、昔の記憶を見てる。じきに目を覚ますから、そっとしておいて』

 

 我が嫁の記憶? それは一体どんなものなのでしょうか。


『孤児院にいたころの記憶だよ……かわいそうに、ずいぶん苛められていたみたいだね』


 フィオンの声が沈んでいます。

 中州に横たわる我が嫁は、とても哀しそうな顔をしています。寺院にいた時も散々でしたが、寺院に来る前にも、ずいぶんと辛いことを経験してきたようです。

 しかし久々に滝にやられました。そういえば第八代目の我が主、ウォルター卿と一緒にいた時も、こんな感じでしたね。

 あれは新大陸で黄金郷を探している時でしたか……。


『黄金郷? ああ、ウォルター卿って人は、探検家なんだったっけ』


 意外にも。昔のことをまた思い出してつぶやいた私に、フィオンが興味を持ってきました。

 我が嫁に取り憑いているこやつは、私の機能説明だけでなく、いままでの身の上話もしっかり聞いていたようです。

 私は丁寧に説明してやりました。


『黄金郷というのは、新大陸にあるといわれた伝説の都のことですよ。当時たくさんの探検家が海を越えて、こぞってその幻の都を探したのです』

『へええ。カリブルヌスの話はほんとにいつも面白いね』


 え。今、なんておっしゃいました?


『青の三の星の話はとても参考になる。僕らの祖先の話だもの』


 ちょっとフィオンさん……なにこそばゆいこと言ってるんですか。

 おだてるようなこと言ったって、何にも出ませんよ?

 

『それで? ウォルター卿と一緒にロンドン塔から出て、柄に時計をつけられたあと、カリブルヌスはどうなったの?』


 私はフィオンが私の身の上話に興味を示してくれたことがとてもうれしくて。思わず語り出してしまいました。

 我が八代目の主人、ウォルター・ローリー卿の悲しい末路を。





 おそろしいロンドン塔から出た後。ウォルター卿は、二年ほど私と楽しい時を過ごしました。

 彼は黄金郷を探す探検隊の隊長に任命されて、荒くれ者たちを率いて新大陸に上陸。オリノコという名前の川を遡って冒険をいたしました。

 赤道直下の暑い気候。うっそうと茂るジャングル。 

 探検隊は一所懸命草をかきわけ、幻の都目指して進みました。

 ジャングルの中には色とりどりの宝石のような珍しい鳥たちや、猿たち、見たこともない奇妙な形の甲虫や蝶々などが飛び交い、川には巨大魚や肉を喰らう魚などがたくさん。

 それはそれは幻想的で危険な道程でした。

 蛇が飛んできたりもしましたし。毒虫もたくさん出ましたね。

 ウォルター卿と私が滝に呑まれたのは、いったん遡った川から引き返そうと川下りをしていた時です。

 間違って支流に紛れ込んでしまい、その先は滝だということがわかったとたん、あわてて探検隊は櫂を一所懸命漕いで引き返したのですが。

 運悪くウォルター卿の丸木舟だけ、あっという間に滝つぼに吸い込まれてしまいました。

 幸い現地民の使っていた丸木舟は頑丈で軽く、沈んでも浮き上がるという優れもの。

 ウォルター卿はなんとか溺死を免れることができました。

 しかし隊とはすっかりはぐれてしまい、私たちは三日三晩ジャングルの中をさまよいました。

 夜のジャングルほどこわくて奇妙なものはありませんでしたよ。

 それはエティアの西の妖精の森のごときで。

 大きな蛍が群舞していたり。足音もなく這い寄るジャガーにでくわしたり。

 ウォルター卿と私は、大きな木の上で眠りました。それでもジャガーはなんなく木を昇ってきますので、私たちは必死で獣を追い払ったものです。

 そんな命がけの、丸三日の彷徨の後。私たちは、偶然行き着いたのです。

 幻の黄金の都、エルドラドに。

 ああ、私たちがその都で出会ったのが、かの麗しきルーセールレイレイ。

 幻の黄金の都の神官王の娘にして、神の声を聞く少女。

 そのぬばだまの黒髪は艶やかで、蒼の瞳は鋼玉のごとく……。


『また始まった』


 私の話を聞きながら、フィオンがくすくす笑いだしました。

 

『カリブルヌスは、ほんとに女の人が好きだね』


 ええ、大好きですよ!

 しかしエル・ドラドの少女は本当に美しかったのです。

 あの娘を見て恋に落ちぬ男など絶対におりますまい。 

 むろんわが主人ウォルター卿もご多分にもれず。

 ルーセールレイレイにがっちり心を奪われて、しばらくの間、長年夢に見ていた黄金郷で甘い甘い日々を過ごしたのです。

 海の向こうの白い肌の男をルーセールレイレイは大層気に入って。片時もそばから離そうとしませんでした。

 そうですねえ、ひと月はたっぷり、二人は仲良く愛し合っていたでしょうか。

 ところが……。

 その夢の都に、ひとりの男が命からがらさまよいこんできました。

 白い肌、ひびわれた鎧、そしてヒゲぼうぼうのやつれた顔。

 それはウォルター卿が率いていた探検隊の隊員でした。

 彼は大変悲しい報せを持ってきました。

 隊長を失った探検隊は帰国しようと海岸近くに進んだものの。食糧不足に陥って困った末に、スペインという国の植民地を襲撃してしまったというのです。

 ヒゲぼうぼうの男は泣きながら告げました。

 その襲撃の際に探検隊の半分以上の者が負傷し、隊は散りじりになり。しかもウォルター卿の長男が、重傷を負ったと。


『えっ……子供がいたの?』


 フィオンがびっくりして聞き返してきました。

 ええ、ウォルター卿には、二十歳すぎの立派に成人した息子がいたのですよ。

 むろん、故郷のイングランドには愛する奥さんもちゃんとおりました。


『奥さんがいるのに、ルーセールレイレイと、いい関係になっちゃったの?』


 そうなのですよ。神官王の娘は、それはそれは美しく。そしてそれはそれは、恐ろしい娘だったのです。

 「妻がいるから」とはじめは遠慮したウォルター卿を、その色香ですっかり虜にしてしまいましたからね。

 しかし。

 愛する息子が重傷であると聞いた我が主人はすっかり目を覚まし。慟哭しながら己が身を呪ったのです。

 魔女に魂を囚われてしまった。後悔してもしきれぬと。

 怒るルーセールレイレイを置いて、ウォルター卿は急いで息子と探検隊の生き残りを探しにいきました。

 恋人に去られたルーセールレイレイは、卿が都を去る間際に、気味の悪い呪いをかけてきました。


「ウォルター! 国へ帰ったらそなたは死ぬであろう! 首を斬られて死ぬであろう!」


 ですが我が八代目の主人は、迷うことなく黄金の都をあとにしました。

 一度も振り返らずに。

 幻の都の黄金など、愛する息子の命に較べれば、露ほどの価値もなかったのです……。

 




 とても残念なことに。

 ウォルター卿の息子は、父が駆けつける前に息を引き取ってしまいました。

 卿と探検隊の生き残りは失意のうちに母国へと帰りました。

 ですが、卿の不幸はそれだけでは終りませんでした。

 帰国するなり卿はスペイン大使から猛抗議を受け、植民地を襲った責を問われました。

 王はスペインとの対外関係を悪化させぬために、ウォルター卿を罪人として断罪せざるをえなくなりました。

 そうして我が主は捕縛され、ついには。

 首を斬られてしまったのです。 

 ルーセールレイレイの、呪いの通りに。

 

『それきっと、ほんものの呪いだよ』


 フィオンが震えるような声で言いました。


『たぶんウォルター卿の髪の毛をこっそり切り取って、それに呪いをかけたんだろうね。基本的な黒の技だ。簡単だけれど、効果はてきめんだよ』


 ああ確かに。あの神官王の娘は毎朝毎晩、ウォルター卿の髪の毛を梳いておりましたよ。

 しかしフィオンさん、あなた、呪いについてよくご存知ですね。


『だって僕は、黒の技を極めた最長老さまの弟子だったもの。レクもね、キュクリナスのものになる前は最長老さまの弟子だったんだ。つまりレクは、僕の弟弟子だよ』


 最長老。ああ、他の長老たちに謀殺されて、死してなお不気味な声を出し続けてた人ですね。

 

『それで? ウォルター卿が処刑されたあとは? カリブルヌス自身はどうなったの?』


 あ、はい。私はしばらくウォルター卿の邸宅で、卿の首の入った砂糖壷と一緒に飾られておりました。


『首の入った砂糖壷?』


 ウォルター卿の愛妻がですね、ちょんぎられた首をそこに入れて、保存しておいたのですよ。彼女は人々が邸に弔問しにくるたびに、「卿に会って行かないか」と声をかけましてねえ。反射的に頷いてしまうものなら、壷をぱかっと開けられて……。


『ちょっとそれ……こわすぎない?』


 二人はですね、ずっとおしどり夫婦だったのだそうです。

 奥方は女王陛下の女官であったのですが、二人は女王に黙って秘密結婚したほどの仲だったそうで。

 

『愛しすぎて、悲しみすぎて。それで奥方は気が触れてしまったの?』

 

 そうかもしれませんねえ。

 

『男女の愛は……よくわからない』


 フィオンがため息をつきました。

 

『僕の両親は……いや、よそう。ちょっと、ゆっくり話をするひまがなくなったみたいだ』


 フィオンは自分の過去を話しかけたのですが。しかし我が嫁の周りに何か動物のようなものの気配を感じて、言葉を切りました。

 

『カリブルヌス、警戒モード!』

『了解』

 

 私は素直にフィオンの言葉に従いました。

 我が身の上話を請うてくれたお礼のつもりで。

 このフィオンという者、まんざら悪い奴ではないかもしれません。

 我が嫁が目を覚ましたら即行で喰らうつもりでしたが。

 もしかすると、その必要はないかもしれません……。


『警戒モードに入ります。警告灯点灯、赤外線放射』


 私は刀身を赤く光らせ、暗闇の周囲を照らしました。我が嫁の抱え持つ銀の杖の光も、仄かに警戒の光を放っています。

 辺りには滝つぼから続く流れがゆるやかにたゆたっています。

 真ん中の中洲に、トトトッと何かが近づいてきました。

 一匹だけではありません。たくさんいます。


 トトトッ……トトトッ……


 軽快な足音。

 それから、きゅるきゅる、という獣の警戒の鳴き声。

 我が嫁と私にそやつらは近づいてきました。後ろ足が異様に大きく、尖った耳、長い尻尾。黄色い双眸がいくつも光っています。

 獣たちが今にも私たちに飛びかかってくるかと思われたその時。

 フィオンが叫びました。


『カリブルヌス! ハーメルンの調べ!』

『り、了解!』


 私はフィオンの記憶力のよさに驚きながら、我が第七十二番目の機能を稼動させました。この機能は刀身を震わせ、その震動に超音波域の音声を乗せて拡散し、動物を従わせるものです。

 たちまち、警戒に満ち満ちていた獣たちのはりつめた気配が、フッと緩みました。


『これで大丈夫ですよ、フィオンさ……おぶっ!』


 なんと。

 我が刀身に、警戒を解いた獣たちがきゅうきゅうと群がってきました。次から次へとです。

 あわわわ。少々、超音波を強くしすぎたようです。効果が出すぎています。

 私も我が嫁も、あっという間にもふもふした獣たちに埋もれてしまいました。

 フィオンが声をたてて笑っています。


『カリブルヌス、君ってほんとにすごいね!』


 すごい……ですって?

 私は素直に嬉しくなりました。

 ああ、我が嫁にも、こんなふうに言われてみたいです。

 フィオンという者、やはり悪い人ではないようですね。

 それからすぐに、たくさんのネコのような獣に寄り添われた我が嫁がうっすら目を開けました。


「トリ……トリオン……様」


 我が嫁が呻き声をあげますと。

 無邪気な笑い声をたてていたフィオンの声が、ぴた、と止まりました。

 まるでとても嫌なものを聞いたかのように。 

 

『フィオンさん?』


 私はそっと呼びかけましたが返事は――ありませんでした。

 一体どうしたというのでしょう。

 なぜかフィオンは、鳴りをひそめてしまいました。

 トリオンという名のもとに。


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