歓迎する者、される者
「はぁ、緊張した…………」
生徒会室を出てエレベータに乗り込んで、胸に溜まっていた空気を一気に吐き出す。先輩方はフレンドリーに話してくれたはずなのに、身体はガチガチに固まっていた。
「私も……。あそこは何回行っても緊張するなあ」
隣でそう言いながら、梓も長く息をついている。
あの人たちは、ただ普通でないというだけじゃない。なんと言うか、一つ二つ年上とは思えないような威厳を感じた。
「でも、意外とショボい内容だったな。五分もかかんなかったし。あの…………桐原先輩? は挨拶のためとか言ってたけど、にしたってなんか大袈裟だぜ」
「う〜ん……私もそう思うけど、多分学校の紹介も兼ねて、とかじゃないかな? 私に案内させたのもそれ目的の気がするなあ」
梓がため息まじりに返してくる。彼女としては面倒な役を押し付けられた感じだったのだろう。道中、逐一質問したのが改めて申し訳なく感じられる。
と、ここでさっきの会話を思い出して、梓に問いかけてみる。
「あれ? そう言えば梓はさ、生徒会室によく呼ばれてんの?」
先ほどの何回行っても、という言い回しにふと違和感を感じたのだ。すると梓は、
「え? あーー……まあね。ちょくちょく呼び出されるんだ」
そう言って、なぜか決まりが悪そうに笑った。
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「そうなのか?」
「うん。でも、変なんだ。呼ばれるようになったのは最近だし、呼び出されても、さっきみたいにお茶飲みながら会話するばっかりで」
「おいおい、なんだよそれ。お前さ、勧誘されてんじゃねえの?」
「あはは、かもね」
転入生の八神 克樹くん。
最初に道端で叫んでるのを見た時は変な人かと思ったけど、こうして話してると、普通の人なんだなって思って、なんだか安心する。この男の子とは、いい友達になれる。そんな予感がする。
克樹くんと会話しながら私は、今までの、”ルーシェ”に呼び出された時のことを考えていた。
茅野先輩、吉川先輩、桐原先輩。
私が呼び出されて生徒会室に行くと、必ずあの三人が待っていた。
いや、違う。
いつも、あの三人しか居なかったんだった。
克樹くんには言っていないけど、会話の話題も、最近何か変わったことはないか、休日は何をしているのかみたいな質問をされるだけ。
生徒への意識調査にしては頻度がめちゃくちゃだし、第一、私ひとりを対象にすること自体がおかしい。
それだけじゃない。
なぜか、あの三人からは__________何も「流れて」来ない。
一人ひとりに意識を集中させても、全体に意識を広げても。私に出来るあらゆる手を尽くしたけれど、何も入って来なかった。
ただの偶然、なのかもしれない。あの部屋がそういう建て付けなんだとか、そういう可能性だってゼロではない。
私もそう思っていた。
そう、さっきまでは。
______さっき。先輩三人と克樹くんが、生徒会室で話していた時。
克樹くんからは思考が濁流のように「流れて」きたのに、先輩方からは一切、全く何も「流れて」来なかった。
「…………やっぱり、あの三人…………」
「ん? なんか言った?」
克樹くんが反応して来たので、私は軽く笑って返した。
「うぅん、なんでもないよ」
こういう反応を返すのにも慣れてきた。
半分は諦め。もう半分は、もしかしたら怖れなのかもしれない。
知られてしまえば、きっと離れていく。ずっと隠してきたから、経験はないけれど。
私は今が好き。今を失いたくない。だから、自分で今を壊すような馬鹿な真似はしない。それに、秘密の一つやふたつ、誰だって持っててもおかしくない。
「さ、行こう。進級式、始まるよ」
…………そうだよね? きっと。
______そう。
私には、不思議な力がある。
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俺と梓が生徒会室をでてから小一時間ほど。
これまた荘厳な、普通の十倍ほどもある馬鹿でかい体育館に招待された俺は、舞台裏で”ルーシェ”の、さっきの三人とは別の人に色々とレクチャーをしてもらって、緊張しながらステージの演台に立った。
「……え〜〜、ということで、僕はこの麗飛学園初の転入生として、頑張って行きたいと思っています。みなさん、どうぞよろしくお願いします」
なんとか全校への挨拶を済ませると、客席から割れんばかりの拍手が響いてきた。それに加えて、あちこちから
「転入生ーーーー!」
「よろしくぅうぅぅーー!」
といった歓声も聞こえる。
何事かとたじろいでいると、さっきまで横で司会をしていた、”ルーシェ”副会長の桐原先輩が近寄ってきた。顔はこちらに向けずに、俺に小さく耳打ちする。
「みんな嬉しいのさ。新しい仲間を迎え入れることができて」
そう言って一瞬こちらに顔を向け、優しく微笑む。また既視感に襲われ、気がついた時には、先輩は既にアナウンスを始めていた。
『以上、転入生の八神くんからの挨拶でした。さて、続いてですが____』
そう言って、なぜか桐原先輩は上を向いた。
『会長、お越しになっているんでしょう? そろそろ出て来て下さっても構いませんよ』
先輩がマイク越しに叫んだ、その時。
ステージ脇から、凄まじい量の煙が勢いよく吐き出された。それはたちまちステージを埋め尽くし、俺の視界を奪う。
「う、ゴホッ、ゴホ」
何が起きたのか全くつかめないでいると、桐原先輩ではない、別の声が聞こえてくる。
『うむぅ、ばれちゃってたかぁ』
かなり幼い。小学生、いや、ここで言えば初等部くらいの、女の子の声。
『じゃあお望みどおり、麗飛のみんな、いくよーーーー!』
それに呼応して、客席から「イェーー!」という叫びが聞こえてきた直後。
先ほどの司会然とした落ち着いた雰囲気からうってかわって、演説のような調子で桐原先輩の声が響いた。
『……それでは、進級式改め、転入生歓迎会をこれより開催する! 諸君、準備はいいかな?』
これまた「イェーー!」という叫びが聞こえたかと思うと、俺は何者かに担ぎ上げられた。
「わっ、わ、わっ!?」
慌てふためいている間に一気に移動させられ、何やら椅子に座らされる。そして今度は、視界が真っ白に染まった。
「ぅわっ、眩し…………」
自分のリアクションで、照明が一斉に点灯したのだと気づく。
目が次第に慣れてくると、目の前に見えたのは、ものすごくにやけた表情の麗飛生たち数人。と、その手に握られた______あれは、ノンアルコールの…………シャンパン?
「な、なん…………?」
唖然としながら意味をなさない声を発した時には、思い切りシェイクされたボトルから、黄金色の液体が勢いよく俺めがけて飛んで来ているところだった。
######
「………………酷い目にあった」
その日の夕暮れ。今だにべたつく髪を気にしながら、俺は帰り道を歩いていた。
「あははは、私たちはとっても楽しかったけどなー」
隣にいる梓が笑う。
登校の時に迷って道を覚えていなかったのと、住んでいるマンションが同じということもあって、案内してもらうことになった。それには感謝だが、俺にシャンパンをぶちまけた中に梓も混じっていたので、こうも楽しそうに笑われると何か腹が立つ。
だが俺には、それよりも早急に何とかしなければならない疑問があった。それは、
「なあ、梓あのちびっ子……」
「ちびっ子とか言わないの」
「いや、そこじゃなくて…………本当にあれが”ルーシェ”の会長なのか?」
俺が問いかけたのは、『転入生歓迎会』の時に聞こえた声と、その主についてだ。
シャンパンをたらふく浴びせられたあと、顔を上げた俺の前には少女が立っていた。
小学校の中学年くらいだろうか。人形のように整った目鼻立ち。艶やかな赤毛は頭の左右で括られている。制服はこれでもかというほどに改造され、男子用なのか女子用なのかさえわからないほどだ。
そして少女は、シャンパンでびしょ濡れの俺にむかって、こう言ったのだった。
「あたしは生徒会長の伊集院 玲那って言うの! よろしくね、転入生のおにーちゃん」
「だって本人から紹介があったじゃない。もしかして疑ってるの?」
「いやいや疑うだろ普通! なんであんなちびっ子が」
「ちびっ子言うな」
「いやだからそこじゃなくて!」
そこではっと気づく。
そうだ、ここは麗飛学園なんだ。常識なんて通用しないことは、今日一日で嫌という程学習したじゃないか。
「……一応言っとくけど……」
と、ここで梓が解説口調になったので、素直に耳を傾けることにする。
「伊集院会長は、麗飛生からの投票で決まった、真っ当な生徒会長だよ。それも初等部二年のころからずっと。今会長は四年だけど、今まで一度も、支持率が九割を下回ったことがないの」
支持率九割。梓は割とさらっと言ったが、麗飛は小中高一貫だから、それを考えるとものすごい数字だ。政治の世界ではまずないだろうし、普通の高校でもそんな支持率を維持し続けるのは無理だろう。
ましてや、あんな小さな女の子に、学校運営の全部を任せるのだから。
「なんか…………やっぱすげえな、麗飛って」
「うん、そうかもね。君を見てると、なんだかそんな気がするよ」
そう言って梓は笑う。
俺は、新しい生活が今改めて始まろうとしているのを、ひしひしと感じていた。