(様々ニ)惑う者共
しばらく上昇を続けたエレベーターは、それまでの軽やかな音から一転、重々しい音を立てて停止した。小気味良いチャイムと共に扉が開き、視界が開けた先には、
「うわ、広っ…………」
広大な廊下がまっすぐ伸びていた。奥には、大きな扉がどっしりと構えている。しばらく突っ立っていたら梓に背中を叩かれたので、扉に向かって進む。
「待って」
しかし、扉をノックしようとしたその時、梓が俺を止めた。その声が妙にシリアスだったので思わず後ろを振り返ると、眉間にしわを寄せた梓が。それまでの明るく気さくな雰囲気とあまりにもかけ離れていて、
「な、何だよ」
思わず情けない声が出てしまった。
梓は、そんな俺と目の前の重厚な扉とを交互に見やった後、確認するように____あるいは警告するように、こう言った。
「さっき言ったけど、”ルーシェ”のメンバーは本当にすごい人ばっかりだから、気をつけてね」
「え? お、おう。分かった」
一応返事はしたものの、いまいちピンとこなかった。『すごい』って優秀ってことだろ? 何を心配する必要があるんだ?
疑問はさておき、一度はとりやめたノックを改めて実行。すると、反応があった。
『どなた?』
中から聞こえてきたのは、透き通った女性の声。
質問されているのは自分でも分かっていたけど、それよりも強烈な感覚が俺の頭の中を一気に駆け巡った。
既視感。教室で放送を聞いた時と同じ類、しかし、あの時とは比べものにならないほど強い。
………………何なんだ、これ………………?
視界がわずかに揺らいだその時、
「____くん、克樹くん。どうしたの? おーい、克樹くん!」
「……! あ、あぁ」
はっと我に帰り、慌てて扉の向こうに返答する。
「っと……転入生の八神です」
『…………八神…………』
扉の向こうの女性は、そう言って沈黙した。しばらくして聞こえてきたのは、さっきと同じ女性の声だった。
『どうぞ、お入りになって』
再び既視感に襲われたが、その答えもこの扉の向こうにあるのだから、と無理矢理に思考を切り替える。
高まる緊張を必死に抑えながら、俺は扉と同じく美しい装飾が施されたドアノブをゆっくりと回し、扉を引いて________
がきん。
…………あれ?開かない。……何でだ?
と、後ろから盛大なため息が聞こえてきた。ついで、力が抜けたような梓の声。
「…………克樹くん。そのドア、押すタイプだよ」
…………顔から火が出そうだった。
######
部屋に入るとまず、大きな長机が中央に置かれているのが目に入った。
真っ白く、つるつるした質感。大理石か何かだろうか。そして次に見えたのは、椅子が三脚と、それに腰掛ける三人の男女。
向かって左側に居る、いかにも体育会系といった感じの、日に焼けた肌の男子は、なぜか分からないが懐疑的な視線を俺に向けている。
向かって右側には、いかにもお嬢様っぽい、桃色の頬に栗色ロングヘアの女子。こちらに向ける柔らかな微笑みからは、アクティブな感じの梓とは対照的なタイプの美人といった印象を受ける。
そして奥では、眼鏡をかけた黒髪無造作ヘアの男子が、先ほどから俺たちをずっと見ている。端正な顔立ちと、いっそ紫がかったほどに黒い瞳からは、高校生らしからぬミステリアスな雰囲気が漂う。
しかし俺が驚いたのは、彼らの服装だった。三人とも、もはや原型をとどめない程に改造されているのだ。
日焼け男子は、赤っぽい黒の長ランを、腕を袖に通さずに羽織っており、その下にはポロシャツが覗く。
お嬢様系女子は緑がかった、フリルが沢山ついた、ゴスロリ? だったか、こういうのは。
眼鏡男子は、全体的に英国紳士風な格好で、ご丁寧にステッキも持っており、全身ほとんど真っ黒だ。
ここまでの状況を確認して、さっきの梓の忠告が分かった気がした。
ここの人たちは『すごい』。普通じゃない、という意味で、だ。服装と雰囲気だけでなんとなく分かる。
「……どうかしたのかい? 君たちも椅子に掛ければいいんだよ」
眼鏡男子が声を発する。先ほど、放送で流れていた声だ。
「あ、はい」
一言返して、用意されていた椅子に座る。クッションがフカフカで座り心地は抜群なのだが、抜群すぎて逆に緊張してしまう。隣の梓も、心なし表情が強張っている。まあ、梓の場合はこの部屋に入った時からずっとそうなのだが。
と、お嬢様系女子がおもむろに立ち上がり、奥の部屋へ姿を消した。しばらくして、ほんのり湯気が立ち上るティーカップの載ったプレートを持って戻って来る。香りからして紅茶だろうか。
「ミルクとお砂糖は?」
「い、いえ、大丈夫です」
言いながら受け取る。梓もミルクと一緒に受け取り、その後全員に行き渡ると、しばらくは紅茶を啜る音だけが部屋に響いた。
ひと段落着いたところで、眼鏡男子が言葉を発したする。
「さて、じゃあ本題に入ろうか…………と、その前に自己紹介しておこうかな」
立ち上がり、言葉を続ける。
「僕は高等部二年の桐原 真。”ルーシェ”で副会長をやっている者だ。以後よろしく」
高等部2年ってことは、先輩だったのか。まあ、当然と言えば当然だけど。
「次に」
眼鏡男子改め桐原先輩はそう言うと、そこだけは唯一白い手袋の嵌められた手を、日焼け男子の方に向ける。
「こちら、茅野 正継くん。僕と同じく高等部の二年生だ。ここでは庶務を担当してくれている」
紹介を受けても、日焼け男子、もとい茅野先輩は、じとっとした目を俺に向けたままだった。何なんだこの人。俺の顔に何か付いてるのか?
「最後に____」
と、ここで桐原先輩の説明が再開したので視線を戻す。
「彼女は三年の吉川 綾乃さん。担当は会計だ」
言葉が終わると同時に、フリルを揺らしながら吉川先輩が立ち上がる。そして長いスカートの裾を軽くつまむと、うやうやしく一礼。
「以後お見知り置きを。よろしくね」
「……よろしく、お願いします」
あまりにサマになっていたので、返事がちょっと間の抜けた声になってしまった。
吉川先輩が腰掛けると、眼鏡の桐原先輩が手拍子を一つ。
「それじゃあ、紹介も終わったところで____」
「…………ん? ちょっと待ってください」
と、そこでふと疑問が湧いたので口に出してみる。
「うむ、どうかしたかい?」
「いや、会長さんはいないのかな、とか思って……」
それを聞いて、桐原先輩と吉川先輩は顔を見合わせると、同時に苦笑した。その表情のまま、桐原先輩が回答してくれる。
「会長は……今は他のところで準備して下さってるよ。あの人も多忙だからね」
「準備って、何の?」
「今は内緒よ。後のお楽しみ、かしら。ふふっ」
吉川先輩がいたずらっぽく笑う。
と、ここまで沈黙していた茅野先輩が、少し苛立ったように口を開いた。
「……話を戻そうぜ。この前じゃ日が暮れちまう」
「ああ、すまない」
そう応じて一つ咳払いすると、桐原先輩はまっすぐに俺たちを見据えた。
「さて、それじゃあ本題だ。と言っても、至極簡単なものなんだが。……八神 克樹くん」
「は、はい」
身体が強張る。この人の口から、一体どんな言葉が飛び出すのか______
「君に、進級式で挨拶をしてもらいたいんだよ。全校に向かってね」
「え………………」
そ、
「それだけ、ですか?」
「ああ。わざわざ呼び出してまで言うことでもなかったかもしれないが、何しろ我々も忙しかったからね。それに、麗飛では初となる転入生だ。きちんとした形で話がしたかった」
「は、はあ……」
緊張が一気に過ぎ去り、力が抜けてしまう。そんな俺を見て、日焼けの茅野先輩が呆れたようにため息をつく。
「お前なあ……別にとって食うわけじゃねえんだから。生徒をそんな風に扱ったりしねえよ俺らは」
力の抜けたままの頭で、その言葉を聞き流してしまう。が、桐原先輩の咳払いで、思考が引き戻される。
「まあ、ともかくだ。そう言うことだから、ある程度何を言うか考えておいてくれ」
「は、はい」
「ありがとう。もう、戻ってくれて構わないよ」
こうして、先輩方との少し大袈裟な会合は、早々に幕を閉じた。
######
「なぁ、真。ありゃあ…………」
「……分かってる。分かってるよ、マサ」
一年生の二人が部屋を後にして、三人だけになった生徒会室。僕たち三人は、皆一様に困惑していた。
「マコちゃん。あの子、本当にカツキなのかしら……?」
「それは間違いないよ、アヤさん。感覚は本物だった」
アヤさんこと吉川 綾乃はそれを聞いてうむむと唸る。続いて、マサ____茅野 正継が口を開く。
「忘れてるっつーか、忘れさせてるんだろうな、アレが」
「そう考えて間違いないだろうね。感覚も、あったとは言え微弱なものだったし」
それにアヤさんが頷く。
「そうね……。じき、思い出してくれるといいけど…………」
「ああ……でもよ」
マサが話題を切り替える。
「お前もお前だったぜ、真。俺たちがまるで役職だけの関係みたいな言い方してたろ」
「……仕方ないだろう、玉章くんもいたんだ。麗飛の一般生徒にはそういう体で通しているわけだしね」
「でも、まだ慣れないわ。吉川さん、ってマコちゃんに呼ばれるなんて。なんだかくすぐったいわ」
幼馴染。
そう。僕たちは昔からの友達だった。克樹も含めて、沢山の仲間がいた。それが今は散り散りになり、何人かは既にこの世を去った。生き残った僕たちでさえ、まるで他人どうしのよう。何とも滑稽な話だ。
それに。
「玉章くん……彼女もやはり、か」
「ええ。しかも、あの子の場合はすでに発現してる。いつ狙われてもおかしくない」
「つぅか、もう狙われてるだろありゃあ。俺たちを警戒してたぜ」
そう。問題は克樹だけのものではないのだ。玉章 梓____あの少女も、また。
ようやく一つ目標を達成したと言うのに、新しい課題が二つも出て来てしまった。
「…………さて、これからどう転んだものかな」
どうやらまだまだ、先は長そうだ。