多忙なる者
私立麗飛学園、生徒会室。
進級式だというのに、彼らは今日もやって来た。全く、しつこいにもほどがある。とは言え、我々の活動基盤を支えてくれているのは彼らの資金だ。門前払いで応じないわけにもいかない。と言うわけで僕たちは今、長机を挟んで彼らとの交渉に臨んでいるのだが、
「いい加減にしないかね君! ここにサインするだけでいいんだぞ!?」
机を叩き割る勢いで右手をついて立ち上がって、今回の交渉相手である初老の男性____麗飛PTAの一員であり、有名な製薬会社の社長でもある____は、深いしわをより一層深くして、僕たち生徒会執行部のメンバーを睨みつけた。
「それは出来ません。僕は先程から、そう申しているはずです」
あくまで冷静に答える。こういうやり取りは慣れてはいるが、今日はこれで一体何回目だろうか。左右に控える執行部メンバーからは、疲労の気配がひしひしと伝わってくる。当然だろう。早朝5時に呼び出されたと思ったらこれだ。恐らく相手も、こちらを疲弊させようとこの時間を選んできている。が、こちらにも譲れないものがある。
僕はすっと目を細め、さっき怒鳴りつけてきた男性を見据える。相手は目に見えてたじろいだ。高い椅子に座ってふんぞり返ってばかりで、部下から睨まれるのに慣れていないのだろう。さすがは社長だ。そして同時に、これは最大の好機。
「大体、いい加減にするのはあなた方ではないですか?」
「な、なにっ!?」
「あなた方の提唱する『より効率的で経済的な麗飛学園』を、我々以下、生徒は誰一人として肯定していません。玉章さん、もちろんあなたのお子さんもね」
「……な、何だと……!」
やはり知らなかったか。となれば逃す手はない。ここで一気に畳み掛ける。
「初等部から高等部まで、全クラス全学年でアンケートを実施した結果です。必要なら、記録もそちらに提出しましょう」
「ぼ、暴言を! 私が下の者に命じれば、学校への資金援助を今すぐ打ち切ることも出来るのだぞ!」
「それは困りますね……」
ついに脅しに来たか。だが同時に、自分の首を絞めていることを知らない。いや、知っているが、気づいていない。こちらが知らないと思っているからだ。だが、たかが子どもと侮ってもらっては困る。
「ですが……麗飛学園の支援者という肩書きがなくなれば、玉章製薬も経営が何かと苦しくなるのではないですか?」
「な……なんっ……!」
なぜ知っている、とでも言いたげな目。当然だ。長い間切るのを待っていた”切り札”なのだから。とは言え麗飛が経済界に及ぼす影響の大きさなんて、麗飛生なら(あくまで漠然とではあるが)初等部の児童でも知っているというのに。何と言うか、敵ながら情けをかけたくなる。だが、もちろん容赦はしない。次でとどめだ。
「それに、毎回契約書を持ってこちらまでいらっしゃるのは結構ですが、あなた方のその行為、もちろん学園長に承認を頂いた上でのことですよね?」
「……! そ、それは……!」
玉章氏はへなへなと椅子に座り込む。やはり。これも予想通りだ。
そしてそこを突かれた以上、彼らはもう主張を引くしかない。
「学園長の承認もなしに我々に要求を突きつけているのなら、それはお門違いというものですよ玉章さん」
玉章氏は必死に口をぱくぱくさせるが、言葉にならないようだ。子ども相手に何とも情けないとは思うが、気にしない素振りで言葉を続ける。
「この後学園長に申請しに行くも苦情を申し立てるも自由ですが、我々はこれから進級式です。我々も準備をしなければなりませんし、今年は転入生も迎え入れた、我が校きっての歴史的な式典となる予定です。ですので、よろしければ」
そこで僕は、先ほど自分たちがされたように、割らんばかりの勢いで机に掌を叩きつける。そうして、もはや戦意を喪失し、怯えきった表情の玉章氏を見据え、語気をわずかに強めて言った。
「今日のところは、お引き取り願いたい」
######
「ふぅ……」
彼らが去った後の生徒会室で、僕は大きなため息をひとつ。他の生徒会メンバーには準備に行ってもらったので、部屋には僕一人だけだ。
「全く、あの人たちもしつこいね……」
誰に言うでもなく呟く。
『より効率的で経済的な麗飛学園』。
先ほどの、玉章氏率いる一部のPTAが、4年前から提唱し続けているプロジェクトだ。学園の方針を時代とともに転換し、より社会で活躍出来る人材を育成するという大義名分のもと、学園側との交渉が続けられてきた。ここまでだと聞こえはいいかもしれないが、実際はスタイルを進学校に変え、PTAの権限を絶対的なものとするという、無茶苦茶にもほどがある内容だ。
だが、その一部のPTAは、麗飛学園に資金援助を行っている、いわゆるスポンサーばかり。特に玉章氏は、その中でもNo.2に相当する出資者だ。そのために交渉は泥沼化の様相を呈し、もはや学園側が折れるしかないとも思われていたその時、先ほどの”切り札”をこちらが叩きつけたわけだ。これでようやく、この4年越しの交渉も終わるだろう。
「さて、と」
そこまで考えてから、大きく伸びをして立ち上がる。気分を切り替えて、僕も準備を手伝うとしよう。
「……あの子もやって来ることだしね」
言ってから僕は、首にかかる石を優しく撫でた。紫黒色の石は、頷くように鈍く輝いた。