ウワサと不信と
「……酷い目にあいました」
「当然だろうが馬鹿野郎」
梓の警護を開始した初日の放課後、俺は生徒会室を訪れていた。俺の制服はボロボロで、所々破れたりしている。俺の身体の方にも、ちょこちょこガーゼやら絆創膏やらが貼られている。
昼休み、梓に真実を伝えようと奔走(もとい暴走)して、俺は高等部棟の屋上、地上五階程度の高さから転落した。その俺が、今もこうして無事でいる理由は、
「落ちた下にちょうどデカイ木があって、クッションの役目をしてくれたからよかったが……もしそうでなかったらお前は今ごろ、」
「まあまあ茅野くん、そう角を立てないで。具体的な指示を出来なかった私たちだって悪いんだから、ね?」
なおもお説教を続けそうだった茅野先輩を、吉川先輩がなだめる。それを確認してから、桐原先輩は俺の方に向き直り、紳士服の先輩は口を開いた。
「それで……まあ、そのお詫びと言ってはなんだが、吉左右くんから新たな情報が寄せられた」
「吉左右から?」
言ってから、昼間忙しくしていたのはそれか、と納得する。
「ああ。それで……結論から言えば、事態はより深刻になった」
桐原先輩は両手を組んで、そこに顎を沈めてから言った。
「ストーキングの目撃者に、もう一度聞き込みを行ったらしいんだ。そしてその全員が」
そこで一呼吸おいてから、
「……ストーカーの顔を、まったく覚えていないらしい」
「……え!? そ、それってどういう……」
しばらく呆然としてから、ようやく感想を絞り出した俺に向かって、他の二人の先輩が説明を付け加える。
「……なんとなく感づいているかもしれないけれど、傾向としては、”口止め現象”の時と同じなの」
「それに、顔だけじゃねえ。体格、服装はおろか、男か女かすら覚えてないらしい。もちろん、全員がな」
「そ、そんなこと……」
ありえない。
そう言いかけて、俺は先ほどの、屋上での出来事を思い出す。
あの、感触。
見えない何かが、いないはずの誰かが、俺を屋上から突き落とそうと____いや、梓に噂のことを話すのを、阻もうとしたような。
あれを体感した後では、こんな無茶苦茶なことも、おいそれと否定はできなかった。
そんな俺を見て何を思ったか、桐原先輩は一つ咳払いをすると、いつもの微笑をたたえて言った。
「……まあでも、考え方によっては、君のすべきことが明確化された、とも言えるのかな」
「え?」
「君に具体的な指示が出せる、ってことさ」
そして、桐原先輩は茅野先輩・吉川先輩と頷きあうと、俺を見据えて、言った。
「ストーカーの正体を突き止めるんだ。君自身の、その目でね」
ああ、なるほど。
……いや、待てよ? でも、となると一つ問題が発生するような。
「……それって、毎日梓と一緒に帰るってことっすか……?」
「また屋上から落っこちるよりマシだろうが」
ぐっ、そう言われると反論出来ない……。
表情に出ていたのか、桐原先輩の微笑が苦笑に変わる。
「まあ、今日からいきなりやれとは言わないから、ここでゆっくりして行くといいよ。怪我もあるし、どうせ今ここを出ても、いろいろ質問責めにされるだけだろうしね」
その言葉に吉川先輩が立ち上がる。
「それじゃあ、お茶を淹れましょうか。八神くんは、お砂糖とミルク、少し多めね?」
######
桐原先輩の提案に甘えて生徒会室にとどまった俺は、前回出来なかったチェスをやってもらうことにした。相手はもちろん桐原先輩だ。
「……そういえば、なんでこんなに梓にかまうんですか?」
対局が割と俺の有利に進み、少し余裕も出てきたところで、俺はふと、先輩に疑問を投げかけた。
「ふむ……」
桐原先輩は手にとっていた黒い歩兵を動かしてから、ボードから視線は外さずに、俺の質問に答える。
「それは、どうして警察に相談しないのか、ってことかな?」
まさにその通りだった。
たしかに、今回の噂の件は、一般常識から考えたらありえないことだ。何やら外的な力が加わっているような気もする。だがそれでも、ルーシェの対応に、俺は異質な感覚を覚えていた。警察に任せたりしないところとか____噂のことを本人に伝えられない特殊な力、先輩方の言う”口止め現象”を、まるで当たり前のように認識しているところとか。
「……八神くん。君は、ストーカー殺人のニュースを見たことがあるかい?」
「え? あー、まあ……」
唐突な質問に少し混乱したが、とりあえず頷く。ニュースなんてたまにしか見ないけど、殺人事件とかに発展すれば、そういう大ゴトは数日にわたってテレビで流れるわけだし。そうなれば、どうやったって目に入るだろう。
「そんな時、報道機関は口を揃えて言うよね。『警察の対応の遅さが、今回の惨劇を招いた』という具合のことを」
「あー……確かに」
「それを聞いて感想を求められたら、君はどう答える?」
「えっと……」
白の僧正を動かし、少し考えてから、俺は口を開く。
「……毎回のことだから、またかよ、って感じですかね。警察はいつになったら対策できるんだ、っていう……」
「そう」
俺の言葉が終わるのを待たずに、桐原先輩はそれを肯定した。
「要するに、警察に任せたところでどうしようもないというのが僕達の本音だよ。普通の事件でさえ『気にしすぎ』で流す連中だ。ましてや今回の事件なんて当然、門前払いだろう」
「……そんなに色々考えてるんなら、なんで俺なんかに頼んだんですか?」
この場合俺が疑問視しているのは、
白羽の矢が立ったのが、去年まで部外者だった俺だということだ。初対面の俺とも臆さずに話せる梓のことだ。俺より親しい友達なんてたくさんいるだろう。
「うん……そうだね、なんと言うか……」
と、それまで視線をボードから一切外さなかった桐原先輩が突然顔を上げる。その顔には微笑が浮かんでいた。
「気まぐれ、かな」
「きっ……気まぐれ!?」
素っ頓狂な声を上げる俺に、吉川先輩と茅野先輩が応じる。
「ふふ、そうね。でも、気まぐれは気まぐれなんだけれど、とっても不思議なの」
「三人が三人、候補にお前を挙げたんだ」
「そ、そんな理由で……」
どうにも飲み込み難い。説得力が無いというかそもそも、俺が望んでいるのは、そういう答えじゃない。
「まあいいじゃないか。それに、偶然の一致だ。なにか、運命的なものを感じないかい?」
桐原先輩は微笑をたたえ、話題を締めくくるように言うと____
「というわけで八神くん。チェックメイトだ」
俺が気づいた時には、黒い騎士が、白の王の最後の退路を塞いでいた。
######
数十分後。
生徒会室を出た俺は、周囲に気を配ることも出来ずに、ふらふらと下校していた。チェスが終わった頃には部活はどこもすっかり終わっていたので、今日の昼休みの件を質問責めしてくる奴もいなかった。梓も、先に帰ってしまっているらしかった。
歩きながら、ある思考がぐるぐると俺の頭の中を回り続けていた。
もしかすると先輩方は、俺に何か隠しているんじゃないだろうか。さっきの会話の流れは、今思い返してみても、あまりにも不自然だった。三人の意見が一致したからで、その意見ってのが気まぐれ? そんな無茶苦茶な。
なんとなくだけど、あの三人には、俺に知られたくないことが、知られると都合の悪いことが、ある。そんな気がしてならない。
「……なんて、考え過ぎか」
自分の考えに自分でツッコんでから、まさかな、と笑う。
でも、あの人たちを全部信頼しきるのは、やめた方が良さそうだな。
そう結論づけてから、俺は小走りで帰ることにした。
この時、俺は気づいていなかった。
事件が、より面倒なことに傾き始めていたことに。